彼は独占欲が強いので

結城暁

【短編】彼は独占欲が強いので

「おはよう。今日も良い天気だよ、アティ」

「おはよう、ジェルマン」


 今日も私の騎士様ナイトは一部の隙もなくかっこよかった。

 鳶色の髪も、明るい胡桃色の瞳も、筋の通った鼻梁に、形の良い唇も、染みひとつない肌も、引き締まった体躯も、どれを取っても最高の騎士様だ。

 私の、私だけの、騎士。

 私の名前をちゃんと呼んでくれないのは減点だけれど。


「今日の朝ごはんは昨日の猪肉のくん製をスープにしてみたんだ。パンも上手く焼けたよ。サラダにかけるドレッシングは君の好きなチーズを使ってみたんだけど、気に入ってもらえると嬉しいな。デザートは……」

「もう、ジェルマンったら。朝からそんなに食べられないわ」

「ああ、そう……だったっけ。でもそれぞれ量を少なくしておいたから、食べられると思うよ」


 私の言葉に頬をかくジェルマンは咳払いをして私に手を差し出した。その手に捕まって身を起こす。抱き上げられて食卓まで運んでくれる。

 微笑むジェルマンの顔を眺めながら、用意してくれた食事に口にして、美味しい、と笑えばよかった、とジェルマンも笑い返してくれた。

 愛しい愛しい私の騎士様ナイト。私だけのジェルマン。


「今日は買い出しに行ってくるよ。塩が残り少なくなっていたからね。すぐに帰るから安心して」


 そう言ってジェルマンは私の頭を撫でる。

 ベッドから離れられない私のために何もかもをやってくれる。なんてやさしい人。


「外には悪い魔女がいるから、気を付けてね」

「大丈夫だよ。いってきます」


 そう言ってジェルマンは寝室を出て行った。足音が遠ざかっていき、玄関の扉の開閉音が聞こえる。

 ああ、私はなんて幸せなのかしら。あんなにすてきな騎士様に守ってもらえて愛してもらえて。

 でも気を付けなくちゃ。万が一にも彼が私から離れていったりしないように。

 彼が作ってくれるものは全部食べ切れるようにならなくちゃ。全部好きにならなくちゃ。

 彼が私の好物を覚えてくれなくても、私は彼を愛しているのだもの。


***


「ただいま、アティ」

「おかえりなさい、ジェルマン」


 帰ってきたジェルマンはどこか疲れている様子だった。


「ジェルマン、どうかしたの? 外で何かあったの? 元気がないみたい」

「いや、大丈夫だよ。……ごめん、アティ。お腹が空いただろう。すぐ昼ご飯にするから」

「ええ、ありがとう」


 ジェルマンはそう言って笑ったけれど、どこか陰りが見て取れた。

 その日から彼の様子はどんどんおかしくなっていった。

 いつも何かに気を取られている。声をかけても反応が鈍い。物憂げな表情が増えた。外出が増えた。私を、見てくれなくなった。

 どこにも行かないで、傍にいて、と叫んで縋り付いてしまいたい。けれど、それはできない。してはいけない。

 だって、アンリエットらしくないもの。


「ジェルマン、今日も森に行くの?」

「あ、ああ。うん、毛皮をたくさん手に入れようと思って……。罠をたくさんかけないと。毛皮がたくさんとれたら生活が楽になるだろう?」

「そう、ね。うれしいわ。これ、持っていって。お守りよ」

「お守り……?」

「ええ、森は危ないもの。それに魔女が出るかもしれないでしょう?」

「魔女が……」

「そうよ。でも魔女にあなたを狙われたって大丈夫。このお守りがあなたを守ってくれるわ」

「……ありがとう、アティ」


 彼は笑ってお守りを受け取ってくれた。


 私は冬に備えてジェルマンのマフラーを編む。白い毛糸で編むマフラーはきっと彼に似合う。

 私の白騎士ホワイトナイト

 ずっとずっと、初めてジェルマンを見たときから、ジェルマンが好き。

 玄関の扉が開く音がする。ああ、彼だわ。

 彼が帰ってきた。彼の足音が近付いて来る。

 いそいでマフラーを隠す。完成してから渡すの。ふふ、きっと驚くわ。

 彼はよほど私に会いたいのか、いつもは必ずするノックもなしにドアを開けた。

 そんな彼を私はとびきりの笑顔で迎えた。


「おかえりなさい、ジェルマン」


***


 捕縛対象の魔女を拘束し終えたジェルマンはようやく詰めていた息を吐き出した。


「まったく! おまえは本っ当に! 手間がかかるなジェルマン!」


 漆黒の髪に瞳を持った婉麗えんれいたる人物が、その容姿に見合わぬ語調の荒さでジェルマンをなじった。

 なじられたジェルマンは困ったように眉尻を下げ、素直に謝る。


「すみませんでした」

此方わたしの忠告を聞かずに無防備な素寒貧状態で魔女の捕縛に突撃したあげく簡単に洗脳されて! 今日までのひと月此方がどんな思いでいたかその粗末な脳でもって想像してみろ! この馬鹿が!」

「仰る通りです。返す言葉もございません」


 ジェルマンはおとなしく美女からの罵倒を浴びる。

 たしかにこれくらいなら大丈夫、と節約中なのもあってA級冒険者にあるまじき判断をし、あっさり魔女の術中にはまってしまったのは自分であるので、完璧な自業自得だった。

 肩を上下させて未だ荒ぶる美女のあとについて粗末なあばら屋を出る。こんな場所でひと月も暮らしていたかと思うとぞっとする。

 縄でくくって引きずっている魔女が、ジェルマンが歩くたび苦悶の声を上げたが無視した。


「ごめんよ、アティ。助けてくれてありがとう」

「……」


 アティと呼ばれた美女は豊かな髪を翻しながらそっぽを向いた。

 そうとうにお冠であるらしい。

 それも当然だろう。アンリエットという歴とした恋人がいながら、捕縛対象の魔女を彼女だと思ってひと月奉仕していたのだから。我ながら情けない。

 性的な接触がなかったのは不幸中の幸いだった。わずかであれ、魔女相手に違和感を覚えて触れ合わなかった自分、グッジョブである。

 それをアンリエットに信じてもらえるかは別として。

 もしもアンリエットが自分以外を恋人と思い込んでいたとしたら、と予測しかけて、ジェルマンは思考を断ち切った。

 自分であれば相手を殺している。

 有用な薬を作るからこの魔女は生け捕りにしなくてはならなかったのだ。


「ねえ、アティ」

「なんだ」


 正直、自分でもちょっと気持ち悪いなあ、と思うほどの猫撫で声が出た。


「君の世界一美味しい手料理が食べたいな」

「………」

「怒ってる君ももちろん素敵だから気のすむまで怒ってくれて構わないんだけど、怒るなら君の顔を見ながら怒られたいな」

「……バッ!」


 真っ赤に熟れたアンリエットがようやくジェルマンを見た。


「~~~! お前はっ! どうして恥ずかしいことばかり言うんだ! 恥を知れ! このばかっ!」

「ひどいな」


 苦笑だけを返してジェルマンは怒りに任せて歩みを進めていくアンリエットのあとに続く。

 アンリエットに良い所を見せようとして見事に失敗してしまった。

 うまくいっていれば今頃は報奨金でアンリエットに似合う簪を送って、喜ぶ顔を眺めていたはずだったのに。やはり人生は上手くいくことばかりじゃない。

 どうにも魔術耐性がなく、魔術には弱い。腕力になら自身があるのだが。

 今回はアンリエットがジェルマンにかけられた洗脳を解いてくれなければ、魔女を捕縛できなかった。だから報奨金は彼女のものだ。

 金は惜しくないが、面倒をかけてしまったのが申し訳ない。

 ジェルマンにほどこされていた洗脳は、アンリエット曰く「水場にこびりつく水垢のように厄介で、布に染みついたインクのように落としにくい、幼稚だが、だからこそ面倒な児戯」で、魔女捕縛に出かけたまま帰らないジェルマンを心配したアンリエット探しに出たその日から解呪を試みていたのだが、下手な解き方であればジェルマンの精神が壊れてしまうかもしれない危険なものであったらしい。つくづく迷惑をかけている。

 魔術に携わり、生業にしているものは大なり小なり人でなしだ。それを理解しているつもりだったのだが、初めて会った魔女がお人好しのアンリエットだったものだから、魔女に対する危機感が薄いのかもしれなかった。

 けれど、出不精で、なにかと理由を付けては日夜引き籠っているアンリエットがジェルマンを助けるためにわざわざ外に出てきてくれたと思うと顔が緩む。


「ありがとう、アティ。来てくれて本当に助かったよ」

「もう聞いた」

「報奨金をもらったら届けるよ。冒険者ギルドには行きたくないだろう?」

「金銭は必要ない」

「でもアティがいなきゃ捕縛できなかった。アティの手柄なんだからもらっておくべきだよ」

「……」


 なにがしか言いたげではあったが、アンリエットは黙ったまま歩いていく。渋々ではあるが、了承してくれたらしい。

 その隣に並んで、冴え冴えとした月のような横顔をながめながら歩きたいが、それには魔女にもつが邪魔だった。

 アンリエットと同じ魔女であるくせに、似ても似つかない性根の腐った魔女だった。比べることすらおこがましい。薬の調合法を聞き出したら用済みになるだけの肉塊。

 冒険者ギルドの連中が欲しがっている薬だってアンリエットが作ったもののほうがずっとずっと効き目が高い。アンリエットがジェルマン以外に使ったり持たせたりしないから他の人間は誰も知らないが。

 けれど、それはアンリエットの恋人であるジェルマンだけの特権だ。

 子どものころ、初めて出会ったその日から、焦がれて焦がれて、好きだと言い続けて、ようやく受け入れてもらったジェルマンだけの。

 アンリエットだけを愛し続けると誓ったというのにこの体たらく。不甲斐ない。

 ジェルマンは新たに誓う。この償いはぜったいにしよう。

 アンリエットを不安にさせないように、今まで以上にアンリエットに愛を伝えよう。大切な人間がそばからいなくなるのをひどく怖がっている彼女に、そんな暇など与えない様に。

 自分の考えに満足気にうなずくジェルマンとはうってかわって、アンリエットは背筋を襲う寒気に身を震わせた。またロクでもないことを考えていないだろうな。

 ジェルマンは脳みそに筋肉が詰まっているのかとアンリエットが半ば本気で疑ってしまうほどの荒誕こうたんさを発揮する場合があった。

 ちょっとした口ゲンカのさいに、勢い余って「顔も見たくない!」と言い放つと、ジェルマンはしばし考えたあと、ひょい、とアンリエットを幼子にするような気軽さで抱き上げた。

 なにが起こったのか理解が及ばず目を白黒させるアンリエットの耳元でジェルマンは朗らかにのたまった。


「これなら顔は見えないでしょう?」


 意味がわからない。

 たしかに顔は見えないが、ケンカ中とは思えぬ密着度であった。そのうえ、半日の間を抱き上げられてすごすはめになったのである。

 トイレにいきたくなったアンリエットがとうとう折れてその場はおさまったのだが、トイレにまでついてこようとするジェルマンにぶっちゃけ引いた。

 成人をとうに越した平均体重の持ち主であるアンリエットを半日持ち上げていてケロリとしている体力と腕力にも引いた。

 押しの強い幼児だなあ、と放っておいたのがまずかったのか、昔はあんなにかわいかったのに、「魔女さん、魔女さん」と慕ってくれていた子どもが、つんだ野花を両手で持ったジェルマンが、瞳を潤ませ、ほおを紅潮させて、「けっこんしてください!」と言ってきたころなんかは、最高にかわいかったというのに。

 いったいなにがどうなってその子どもと恋人同士などにおさまってしまったのか。

 今はアンリエットよりも背の伸びたジェルマンを盗み見る。機嫌が良いようだ。

 魔女となったアンリエットが寿命を迎えるにはあと三百年は必要だろう。ジェルマンは強いけれどただの人間だ。あと百年も生きられない。

 けれど、独り残されるとてもジェルマンを人間の枠から外そうとは思わない。

 人間ひと人間ひとのまま死ぬのが一番良い。

 ジェルマンを看取る覚悟はできている。

 そのまえに愛想を尽かされるかもしれんがな! と心の中で涙目になりながら、それでも虚勢を張って笑うアンリエットは、隣にいる見るからに善良そうな男が自分が死ぬときはアンリエットを殺してでも独りにする気がないとは露ほども知らなかった。

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