書肆ベテルギウスの見た夢(下)
その日はもうおじいちゃんと口を利かなかった。おじいちゃんは淡々と書架を整理し、わたしは予習復習に励んだ。小学生は忙しいのだ。予習復習を終えた後、わたしは住居にひっこんでDSで少しゲームをした。Aボタンがなんか渋い。
おじいちゃんは早めに店を閉じて、夕飯を作り、二人無言のまま食べた。わたしはあることを決めた。明日家出してやるのだ。おじいちゃんが食器を洗っている隙に、ランドセルにピクニック用のマットを突っ込む。場所は決めてある。学校の裏山だ。さすがに九月も終わりだ、もう寒いかもしれない。でもどうしても決行すると決めた。
翌朝無言で家を出て学校に向かった。給食はおいしくないイカ団子スープだった。その日も一日普通に過ごして、まっすぐ帰らず学校の裏山に向かった。
裏山には宅地造成のために近く工事を始めるという看板が立っている。
適当なところにピクニック用のマットを広げ、座り込んでそこで宿題をする。帰るもんか。謝るもんか。絶対に帰らないんだから。
学校の裏山から見る夕焼けはきれいだった。夕陽が沈みきると、ぞくりとする寒さが襲ってきた。
寒いので、ブラウスの上になにか着たいと思った。しかし着るものなんてなんにもない。
ちょっと後悔していたけれど、ここで諦めたら負けだと思った。少なくとも、お子様ケータイを持たせていいと思うくらいまでおじいちゃんを反省させなくてはならない。わたしだって、友達とメールアドレスを交換して夜中まで噂話をしたい。流行りのアイドルの男の子を待ち受けにしたい。それくらいの権利はわたしにだってあるはずだ。
うう、寒い。なにかあったまる方法を考えるべきだった。それにお腹がぺこぺこだ。お家に帰りたい。でもここで帰ったら負けだ――。
おじいちゃん、わたしのこと探してるかな。
やっぱりお子様ケータイを持たせなかったことを後悔してるかな。だったらいいな。
そうやってだんだんと薄暗くなる裏山に三角座りして考えた。時計なんて持っていないが、遠くに建っている高校の校舎の明かりが消えた。もう結構遅い時間だ。
寒いしお腹ぺこぺこだし、次に家出するときはもっとプランを考えねば。そもそも、おじいちゃんが書肆ベテルギウスみたいな怪しい店をやっているせいで、友達の家にかくまってもらうことができないのだ。反省しろジジイ。
がさごそっ。藪が鳴る。びっくりして振り返ると野良猫だった。狸とか狐とかだったら面白いのに。薄暗くてよく見えない山の中で、わたしはげんなりしながら座り込んでいた。
次のアタックには――なんでも登山家は山のてっぺんに挑むことをアタックというらしい――、セーターとお弁当をもってこよう。あ、お弁当ならスーパーの値引きのやつが三百円くらいで買えるはずだ。三百円かあ、うまい棒三十本ぶんだ……。
だんだん心細くなってきた。山は静かで、なにも動きはない。
このまま死んじゃうのかな。
そんなことまで考えた時、山のちょっと開けたところで、まばゆい燐光が瞬いた。
きらきら光る燐光は、輪をつくってくるくる回っている。まるで星が下りてきたみたいだ。光るキノコとかそういうやつかと思ったが、動いているのでキノコではない。川でもないので蛍でもない。
しばらく、その燐光をじっと見ていると、かっ、と懐中電灯の灯りがわたしを照らした。
「やっぱり、ここにいた――」
おじいちゃんだった。
「お、おじいちゃん? なんで分かったの?」
「魔法さ。魔法で七瀬を探したんだ。七瀬、ランドセルにつけてる猫のぬいぐるみがあるだろ?」
「う、うん」猫のぬいぐるみを見る。目がらんらんと光っている。
「それに、道をたどる魔法をかけてあるんだ。お子様ケータイなんか持ってなくても、場所がすぐわかるんだよ」
「じゃあ、じゃあなんですぐ助けに来てくれなかったの?」
「だってあんまりすぐ見つけちゃあ、七瀬も気が済まないだろう?」
ぐうの音もでないのだった。ぎゃふん。
◇◇◇◇
家に帰ると、温かいカフェオレが用意してあった。たっぷり砂糖も入っている。
それを飲んで、へくしゅんとクシャミをして、置いてあったケーキを食べる。
わたしはおじいちゃんに、不思議な燐光を見た話をした。
「やっぱり七瀬はそういうものへの感受性が強いんだなあ」
おじいちゃんはしみじみとそう言うと、眉間をぐっと押さえて、
「七瀬、安喰先生の言ったことは本当で、おじいちゃんは本当はお兄ちゃんだ」
と、まるでカツ丼を奢られた刑事ドラマの犯人みたいな口調で言った。
「七瀬には魔女になる素質がある。というか、魔女として生まれてきた。魔女になれる」
「魔女……」
「魔女は迫害される。魔女狩りに遭う。そういう目に遭ってほしくなくて、魔女じゃないふつうの人間に育てようと思ったんだ。だけれど――もうここまで魔法のことを知ってしまったなら、魔女になる以外の道は残されていないな」
「本当に、魔女になれるの?」
そう訊ねるとおじいちゃんは頷く。
「なれるとも。でも多分、七瀬の想像する魔女とは、ちょっと違うと思う」
おじいちゃんは、本棚から本を出してきた。日本語の本だ。「魔女狩り」について書かれている。魔女はひっそりと、その正体を明かさず生きねばならないようだ。
「おじいちゃんは安喰先生に弱みを握られていて、……要するに魔法使いであるということを知られていて、それでああいう力関係になってしまった。七瀬、それでも魔女になるかい?」
「――わたしが一人前の魔女になるころには、安喰先生、死んでるでしょ」
そう言うとおじいちゃんはカフェオレを噴いた。
「ハハハハ。その通りだ。――おじいちゃんは、七瀬が一人前になったら、賢者の石を手放そうと思っているんだ」
「……つまり、死ぬってこと?」
「魔法使いはこの世界に本来存在しないものだから、寿命を超えて生きている場合賢者の石を手放すと消えてしまう。そりゃもうあっさりと。おじいちゃんのお姉さんがそうだった」
「それって悲しい?」
「悲しいよ。でもすぐ慣れるさ。一人前の魔法使いなら、自分の心をだますなんて簡単だ」
……。
「どうだい、魔女になるなら、いろいろ教えなきゃいけないことがたくさんある。忙しくなるよ?」
「大丈夫。いまどきの小学生は忙しいから、タスクが少々増えるくらい大して変わらない」
「……七瀬は難しい言葉を知ってるなあ」
◇◇◇◇
あれから時間は流れて、おじいちゃんが賢者の石を手放し、わたしは大人になった。
子供時代は、夢のようにあっという間に過ぎていった。
きょうもいつも通り、書肆ベテルギウスの開店の時間だ。シャッターを開け、店頭に読書会のポスターを貼る。
さすがに安喰先生亡き後、魔法書の販売だけでは食べていけないので、ドールの撮影会や、コスプレの撮影会、それから読書会なんかを開催してどうにか食い繋いでいるという塩梅。
安喰先生は最後の最後まで上客だったし、わたしの人生を切り開いてくれた人だ。あの家出のことはもう懐かしい思い出である。
安喰先生が亡くなって、頼れる親族がいないとかでおじいちゃんと遺品整理に向かったらロリコンを思わせるエロ本が多数出てきたのはさすがにヤバかったな、と思った。でもそれくらいだ。
おじいちゃんがいないことにもすっかり慣れた。
さーて、今日も暇だぞ~。おじいちゃんの遺品のコーヒーメーカーでコーヒーを沸かす。
コーヒーを沸かす支度をしていると、不意打ちでドアが開いて、近所の中学生の男の子が駆け込んできた。そういえばきょうは土曜。中学校はお休みだ。
その中学生は書肆ベテルギウスの妖しい雰囲気が大好きらしい。
「あのっ、なんか妖精拾いました! 助けられませんか!」
なんだなんだ。近寄ってみるとその中学生は手のひらに弱り切った妖精を乗せている。
「こりゃー魔力不足だ。街にうっかり降りてきて、魔法の供給を絶たれちゃったんだな」
呪文を唱えながら、妖精に触れる。自分の指先から魔法のエネルギーが流れ出ていくのを感じる。じわじわと回復した妖精は、目を開けてキラキラと輝いた。
「山に連れていって。妖精は山じゃなきゃ生きられない」
「山」
「そう山。ああ、もうあの山は宅地になっちゃったんだっけな……」
家出したときに見た不思議な燐光は、妖精の仕業だとおじいちゃんに教えられた。あの山はもう宅地だ。つまり妖精は別のところから来ている。
「じゃあ、その妖精の出どころを探そう。きょうは書肆ベテルギウスは休業!」
軽トラを出してきて中学生と二人で乗り込む。あ、妖精も含めて三人。
「あの、七瀬さん」
「んー? どうしたんだい?」中学生にそう言葉を促すと、中学生は、
「俺、中学卒業したら、書肆ベテルギウスでアルバイトしたいっす」
と言ってきた。わたしは少し悩んで、
「給料ショボいよ?」
と答えた。読書会やコスプレ及びドールの撮影会など、一人じゃ手の回り切らない仕事も出てきた。でも人を雇う余裕はあんまりないのが正直なところである。
「そこはどこでバイトしても高校生は最低賃金なんで大丈夫っす。ちょっと小遣いが欲しいだけなんで」
「ふむ。それで構わんなら進学したら先生からアルバイトの許可証もらってきなさい。どこ高いくの?」
「竹橋高校っす。私立なんでバイトOKなんすよ」
「なるほど。よしよし、学業に支障がない程度なら、ぜんぜん構わないよ。ただし、キミは人間だ。魔法だけは教えられない」
そんなことを言いながら軽トラのハンドルを切る。
いつの間にか人を教え導く立場になっている自分に驚く。いや、魔女というのは教養をもって術を成すものだ。ある意味当然。
ふと、おじいちゃんの顔を思い出した。
わたしもおばあちゃんになる日が来るのかな。
書肆ベテルギウスの見た夢 金澤流都 @kanezya
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