書肆ベテルギウスの見た夢

金澤流都

書肆ベテルギウスの見た夢(上)

 小さいころは、おじいちゃんの店の名前が読めなかった。おじいちゃんは、小さい子供が無理に文字を覚えるのは良くないと思っていたらしい。小学校にあがってはじめて、

「これは『しょしべてるぎうす』と読むんだ」と教えてくれた。


 おじいちゃんの店――書肆ベテルギウスは、とてもごちゃごちゃした店だ。分厚い、革の表紙の古い本がぎっしり並んでいて、タイトルは読めない外国語のものが多い。試しに一冊引っ張り出して開こうとしたら本に噛みつかれて悲鳴を上げざるを得なくなった。


 ベテルギウスが星の名前だと聞いて、なんでそんなものすごい名前をつけたのかおじいちゃんに訊いた。おじいちゃんは、「ベテルギウスは和名を平家星って言うんだ。僕は『タイラ・イエホシ』だろ?」と説明してくれた。つまり名前をそのまま店の名前にしたのだ。


 平家の人間はおじいちゃんとわたしだけ。おじいちゃんは一人でこの「書肆ベテルギウス」を回している。

 書肆ベテルギウスの店内には、本だけでなく得体のしれないものがたくさん、ごちゃごちゃと置かれている。たとえば古いサビだらけの天球儀や、よくわからない実験器具、鉱物の標本、イッカクの角、鳥の剥製……なんでこんなものが本屋にあるのかはよく知らない。おじいちゃんはときどき、自分を魔法使いなんだと言って笑う。魔法使いなんてそうそう簡単にいちゃいけないが、おじいちゃんの言うことはなんとなく分かる。


 わたしは平七瀬。ごくごく普通の小学四年生。でもほかの子より、ちょっと背が高い。

 書肆ベテルギウスの店内で、ヴィンテージのビスクドールをオモチャにして育った。書肆ベテルギウスはちょうどいい遊び場だ。おじいちゃんに友達は入れちゃいけないと言われているので、ずっと一人遊びをしている。学校にいけばそれなりに友達はいるし、いたって子供らしく過ごしているけれど、友達の親はわたしが書肆ベテルギウスの子だと知ると、友達に「七瀬ちゃんを家に呼んじゃだめよ」と言うのだそうだ。


 きょうもランドセルを背負って家を出る。表ではおじいちゃんが書肆ベテルギウスのシャッターを開けている。やっぱりどう見てもあやしい店だ。そりゃあ出禁にもされるわけである。


 学校について、いつも通りランドセルの中身を机につっこむ。友達はなにやら選ばれし魔法使いがどうの、みたいな児童文学の話をしている。本当に面白い本は噛むんだぞ、と教えてやりたかったが、教えたところで笑われるだけだ。


 書肆ベテルギウスで暮らしていると、世の中がずいぶんつまらなく感じられる。学校で習うことが、すごく退屈だと感じられる。

 もしおじいちゃんが本当に魔法使いなら、弟子になりたい。いやそんなものにほいほいなれないのはクラスメイトが児童文学の選ばれし魔法使いの話をしているのを聞いている段階で御察しなのだし、魔法使いなんてものを本気で信じるのは、書肆ベテルギウスの常連客、安喰先生くらいだろう。


 安喰先生はオカルティストで怪奇小説作家である。

 きょうもいつも通り、掃除までぜんぶこなして家に帰ると、おじいちゃんが本棚から重たい本を抜き出していた。安喰先生に頼まれて資料を集めているのだ。安喰先生はというと、奥の椅子にかけておじいちゃんがサイフォンで淹れたコーヒーをすすっている。


「こんにちは、安喰先生」

「やあ七瀬ちゃん。こんにちは。学校はどうだい」

「んー退屈! おじいちゃん、わたしもコーヒー飲んでいい?」

「いいよ。飲んだら宿題をやるんだよ」

「はーい」というわけでコーヒーを飲む。おじいちゃんのオリジナルブレンドだ。あまり酸味のないまろやかな味。


「はい、安喰先生。頼まれていた資料はこれで全部ですね」

「ありがとう家星くん。さすがだね」


 ……どう見てもおじいちゃんのほうが年上なのに、なんでこういう会話になるんだろう。商売人と客だから? 違う気がする。

 安喰先生はお財布から一万円札を何枚も出し、その頼まれていた資料とやらを抱えて帰っていった。わたしはマグカップのコーヒーをちびちびすする。


「ねーおじいちゃん、なんで安喰先生はおじいちゃんにあんなに横柄なの?」

「横柄かい? そんなことはないよ」

 おじいちゃんもコーヒーを飲む。ついでに戸棚からアーモンドチョコが出てくる。


「でも安喰先生の言うことを鵜呑みにしちゃいけないよ。安喰先生はオカルティストだからね。無根拠に魔法を取り扱う異端だ」

「いたん……」


 よく意味が分からないので言葉をよく咀嚼する。おじいちゃんは辞書を渡してきた。いたん……「その社会において正当と考えられているものと反対の学説・信仰」。アーモンドチョコをがじがじ噛みながら、首をかしげる。結局意味はあんまり分からない。


「あ、いかん。夕飯の買い出しを忘れてた」

 おじいちゃんは立ち上がった。あたしに店番を頼んで、おじいちゃんは自転車で出かけた。


 店番を頼まれてしまったので、奥の机にノートを広げて宿題をする。やっぱり学校の勉強は味気ないものだ。アーモンドチョコ三個目を口に放り込む。


「あれ? 家星くんは?」

 ……狙いすましたように安喰先生がやってきた。

「夕飯の買い出しですけど」そう答えると安喰先生はわたしの向かいに座った。

「じゃあ来るまでお喋りしようか」

「宿題やらなきゃいけないんですけどー」

「学校の宿題なんて大人になってなんの役にも立たないものだよ」

「それ学者が言うことです?」

 我ながら生意気な口を利いたもんだと笑えてくる。安喰先生は、

「学者といっても大学や企業に属してる科学者や文学者じゃないからね。私はオカルトの研究者だ」と、そう答えた。


 ふーん。

 あんまり興味もないのでそう答えて宿題を続ける。

「七瀬ちゃん、魔法使いや魔女が、どうやって生まれてくるか知ってるかい?」

「知らないです、っていうかそんなものいるわけないじゃないですかぁ」

 そう答えて、作文の宿題を終わらせ、算数ドリルに取り掛かる。


「魔法使いや魔女は、自然発生するんだ。自然発生説はパスツールによって否定されたが、魔法使いや魔女はこの世の仕組みとは違うところから生まれる。まさに、超越者なんだ」

「……へえ」小さくつぶやく。ちょっと面白いことを話しているのは分かる。

「その説に従えば、家星くんは君のおじいさんでなく、お兄さんだ」


 派手に噎せてしまった。しばらくけほけほして、スカートのすそをひっぱる。安喰先生はなにを言っているんだ?

「魔法使いは一人前になるとある日突然弟か妹を受け取るんだ。家星くんは君をそうやって受け取った」


 つまり、おじいちゃんは、本当に魔法使いで、わたしも魔女になれる、ということか。

 宿題をやっつけて、ランドセルに押し込む。心の中がザワザワしていた。おじいちゃんに、ちゃんと訊いてみなければ。安喰先生に、


「なにをお探しです?」と声をかけると、

「そうだね――さっき買ってった資料に抜けがあってね。それを探してる」

 安喰先生はそう答え、本棚の物色を始めた。しばらくして適当に一冊抜き出し、わたしに、


「お釣りで流行りのゲームソフトでも買いたまえ」と、一万円札を渡していった。

 それからしばらくして、小松菜の煮びたしの材料をかかえたおじいちゃんが返ってきた。


「あれ、本が一冊減ってるな。誰か来たのかい?」

「安喰先生」そう答えて、わたしはおじいちゃんに訊ねる。

「おじいちゃんは、本当はお兄ちゃんだっていうのは本当なの?」

 おじいちゃんは面食らった顔をして、しばしわたしを見つめたあと、

「それは安喰先生に吹き込まれたのかい?」と訊ねてきた。


「それはどうでもいいの。おじいちゃんはお兄ちゃんなの? それでわたしは、魔女になれるの?」

 素直に、そう訊ねた。おじいちゃんはどう答えたものか分からない顔をしていた。そんな顔をするおじいちゃん、初めてみた。おじいちゃんはいつだって明快な答えを持っていたからだ。


 七瀬、とおじいちゃんがわたしの顔を覗き込む。おじいちゃんの目の奥に、記憶が吸い込まれていく。安喰先生と話した変なお喋りの内容が、ずるずると引きずり込まれていく、わたしはそこで、

「いやだ! 忘れたくない!」と叫んだ。


 おじいちゃんの目から吸い込まれそうになったことが、その声と同時に戻ってきた。

「もう、術を……」おじいちゃんはそうつぶやく。

「ねえ、本当に、真面目の真面目に聞いてるの。おじいちゃんは魔法使いなの? そしてわたしのお兄ちゃんなの? わたしは魔女になれるの? ねえ、教えてよ」


 わたしはそう言い、おじいちゃんは苦い顔をした。こんなに困っているおじいちゃん、初めてみた。おじいちゃんはいつだってなんでも知っていた。それが、こんな難しい顔をしている。


 わたしはもし自分が魔法使いになったら何ができるか考えた。まずはアーモンドチョコを食べても食べても減らないようにしたい。それから友達のお父さんお母さんの考えを変えて、友達のお家で普通のお家のおやつを食べてゲームがしたい。それから学校の給食に出る、おいしくない「イカ団子スープ」を出ないようにしたい。それから……


「七瀬、魔法使いって、悪いんだよ」

 わたしの考え事を遮るようにおじいちゃんはそう言うと、洟をずっとすすった。

「魔法で、なんでもやりたいことをできるわけじゃないんだ。アーモンドチョコを減らないようにしたり、人の考えを無理矢理変えたり、給食のメニューを変えることはできないんだ」


「うそだ」素直にそう言う。魔法使いはなにもないところに銀の大皿料理を出したり、言うことを何でも聞いてくれる魔神を呼び出したり、そういうことができるのではないのか。そういうものが魔法使いだと、わたしはずっとそう思っていた。


「七瀬、おじいちゃんの言うことは信じられないか?」

「おじいちゃんじゃないんでしょ、お兄ちゃんなんでしょ?」

 おじいちゃんがお兄ちゃんだったら、すごく面白いのに。そう思ってそう言うと、

「お兄ちゃんなんかじゃない。おじいちゃんだ」と、おじいちゃんは答えた。


「じゃあお父さんは? お母さんは? それならわたし、普通のお家に生まれたかった。普通のお家で、友達と遊んだり、オレンジジュース飲んだりショートケーキ食べたりしたかった。お父さんもお母さんもいないで、おじいちゃんと一緒に暮らしてるせいで、友達のお家にもいけないし、友達も呼べないし、おやつはコーヒーだし、お子様ケータイ持たせてもらえないし」


「それは……」おじいちゃんは言葉に詰まった。そこから、おじいちゃんは、

「とにかく、魔法使いは悪いものなんだ。七瀬をそんなものにしたくない」

 と、そう言った。

「つまりわたしは魔法使いに、魔女になれるってことでしょ? 魔女になって、もっとやりたいことをいっぱいやりたい!」わたしは、そう叫んだ。

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