棒立ち(太宰へ)

新出既出

思ひ出に

 一人暮らしを始めてすぐ、僕は歪なガラス製品だったり、安物の紙風船だったり、ヒビが入ってしまったビーダマ、おはじきなどを見つけると、つい買ってしまう癖がついた。それまではそういった類には全く興味がなく、そういった静物を撮影した絵葉書を書店で眼に留める程度だった。

 高校のころの部屋には、本とノートしかなく、装飾的といえるものは、本の装丁だけだったが、作者、内容によって並べただけだったので、インテリアコーディネートとしては0点だった。妹が、真鍮の飛行機模型や、アンティークの郵便測り、各種鉱物見本を保管する古道具の薬箱や、漫画をかくためのおびただしい量のペンやサインペン、時折手をだすフェルトマスコット作りのための、生地やボタンに、年代物のミシン、ピアノにバイオリン。それらの楽譜と譜面立て。シャーロックホームズを愛するあまり、収集した聖典と、パスティーシュ一式などを、雑多でありながらも乱雑に見えないように並べてあったのとは雲泥の差だ。妹は多趣味でそれがみな自身の糧になっていた。だから彼女の部屋は彼女そのものといってよかった。一方で、僕の部屋は他人の言葉で埋め尽くされていたわけだ。時折書いていた創作文も、結局は他人の言葉でしかなかった。

 

 引越しにあたっては、本を減らすことを第一に考えた。それで、文庫本を十数冊と、単行本を10冊前後に厳選した。太宰、芥川、漱石、鏡花、露伴。梶井、足穂、三島、川端、横光。新しいところでも、明生、埴谷。龍、春樹と川西蘭。そんな感じだ。

 テレビも電話も用意しなかった。音楽を聴く習慣はなかったが、一応CDラジカセを用意していた。


 4月の初旬だった。ユニーで食材などを買った帰りに有鱗堂に立ち寄るのは冷凍食品が心配だったのでパスして、レンタルCD屋に立ち寄った。とくに聞きたいものもなかったが、高校の文化祭で同級生がコピーをしていたパンクバンドを思い出し、そのグループの曲が収録された日本のパンクバンドのオムニバスを借りて帰った。パスタをゆでている間に聞いてみたところ、低音のうめき声が途切れなく続いた。どうやら中身を間違えたようだ。音楽に趣味がなかった僕は、歌詞の意味が耳障りでなければ気にならなかったので、それを聞きながらシーチキンのペペロンチーノのようなものを食べたが、6畳の1DKの部屋が、一層狭く感じられた。皿を洗っていると、一人暮らしスタート以来、始めてチャイムがなった。

 僕は、あわてて玄関を開けた。あけながら、「無用心かも、どうせ新聞の勧誘かなにかだろう」と思っていた。扉の前には、くっきりとした二重で、短髪だが、軽くパーマのかかった若い男が立っていた。背は僕よりも20センチほど低かったが、肩などはがっしりしてた。

「すいません。あの、間違えたCDを渡してしまって」

 彼はそういうと、青い袋を目の前に差し出した。室内では、うめき声に対抗するように、バスドラムがドスドスなっている。

「あー、あのCD屋の」

「そう。渡してから、違っているのに気がついて。会員データみたら、このアパートの人だったんで、あ、俺あと30分であがりだったんで、店長に、俺渡してきますからっていって、それで持ってきたんです。」

 男は「高橋です」と名乗った。

 高橋からCDを受け取り、うなり声とドラムのCDを取出した。パンクのCDをかけるのはやめて、FENを流した。

「時間あったら、コーヒーでもどう?」

 CDを手渡しながら、自分でも思いがけず、僕は高橋にそう声をかけていた。

「ありがたい。だけど、僕はコーヒーが飲めないんだ」

「そうか。あとは、ミルク、紅茶、静岡の緑茶くらいかな」

「じゃ、紅茶で」

 高橋が靴を脱ぐのに手間取っている間に、僕は湯沸しポットを流しの下から取り出し、水をくんだ。

 「ここ玄関狭いよね」といいながら高橋は室内に入った。

 僕は流し台に思い切りくっついて高橋を通した。背後にはトイレ兼用のユニットバスがある。その扉は外開きだが、流し台にあたってしまうので、全開にはできない。その隣には洗濯機が並んでいる。

 部屋は畳の6畳で、引き戸の左隣に押入れがある。ユニットバスと洗濯機スペースの奥行きの差を押入れに使っているわけだ。左の壁には本棚にしているカラーボックスを三個ならべ、一番窓側にライティングビュローを置いてある。そこに座ると、右手に掃きだし窓がきて、字を書く上ではあまりよくないのだが、僕の部屋は角部屋で、反対側の壁には二階へあがる階段に面しているので、なんとなくそちらむきには座りたくない気がした。右の壁のなかほどには、角部屋の特権でもある小さな出窓がある。そちらの壁にはガラスや陶磁器などを並べておいてある。普段は、座卓を真ん中において食事などに使い、寝るときは布団を敷く。六畳とはいっても、いわゆるアパート六畳なので、窓に平行にベッドをおけば、ベッド越しにしか窓に触れることはできないし、垂直におけば、部屋の半分がふさがってつねにベッドへもたれかかる生活となるだろう。

 高橋は、部屋に入るなり、「広いね」といった。彼は窓と平行にベッドをおいているという。しかも、ロフト的な物置や洋服賭けが組み込まれたパイプ式のもので、天井一杯まで収納できる反面、物置にいるようになったのだという。同じ間取りがどのように違って見えるものか、後から見せてもらうことにして、僕は、座卓の上に、高橋のための電気ポットとティーパック、自分用にコーヒーサイホンを並べた。

「珍しいね、これ」

 と高橋が言った。

 このコーヒーサイホンは、母親の持ち物だったようだ。父がコーヒーをたしなむところを見たことがないことから類推したのだが、母の実家は裕福ではなかったから、もしかしたら、父からのプレゼントだったのかもしれない。象形文字の柄のはいったカップアンドソーサーが5客あり、これもコーヒーサイホンと同じ場所にしまってあったものだ。このカップアンドソーサーは、コーヒーと紅茶の兼用の形状だが、それにしては薄作りだ。僕は、最近、古い硝子製品を偏愛していたが、同じように、磁器に対する嗜好も芽生えていた。たまたま実家から持ち込んだこのカップアンドソーサーの窯印が、有鱗堂で購入したアンティーク陶磁器百科にのっていたことから、存外筋のよいものではないかと思っていた。

 しかし、そもそもアンティーク陶磁器百科を購入したいと思った理由が我ながら謎ではあったのだが。

 一人暮らしをしたために何かが急速に空っぽになり、そこを埋めるものとして、ガラスや陶磁器が入り込んできたのかもしれない。なぜ、それらが入り込んだのかを突き詰めるには、退行催眠療法が必要だろう。確かなことは、こうした新たな嗜好は、みづはと、みづはの親友となるかほりが持つ嗜好と、完全に一致していたということだ。そして、時間をもてあました僕が夜間の散歩を好むようになったことで発見した新たな嗜好もまた、彼女たちに受け入れられるための大きな要素となったことも付け加えておかねばならない。

 高校の選択から、先生との出会いと、つかの間の別れ。そしてこの大学への推薦入学によって、小学校の頃に少しかじっただけのトランペットへの執着から、吹奏楽部へ入部を決めたところに、みづはがいた。そして、みづはもまた、推薦入学組であって、僕達はすでに3月の下旬の懇親合宿の際に一度顔を合わせていた。小学校と中学校で完全に孤立していたからこそ、僕はあの高校を選択できたのであり、すると、孤立の原因となった、幼稚園卒園と同時の引越しのおかげで、僕はみづはと出会えたということになる。その引越しの原因は、当時の父親の仕事の関係で……

 いつしか退行しはじめていた思考を、沸騰する湯の音が引き戻してくれた。ロートに粉をいれ、アルコールランプを少しずらして、ロートをセットする。再びアルコールランプをサイホン下に戻すと、沸騰した湯が上昇し、コーヒーと混じりあった。コーヒーの香りが室内に広がる。

「おお。上がった上がった」と高橋がサイホンに顔を近づけている。

 僕は、浮かんだ粉をスプーンで軽くまぜ、口のなかでゆっくりと20数えてから、再び混ぜる。今度は口の中で15数えながら、くるり、くるりと、スプーンをまわす。少し開いたサッシから、雨の音が聞こえ始めてた。

「雨?」

「ああ。ここに来る途中に、もう、少し降ってた。春雨だね」 

 高橋は紅茶をすすりながら、カラーボックスに並んだ本のタイトルを眺めていた。「村上春樹好きなの?」

 僕は「そうだ」と答えた。

「どこがいいと思う?」と聞かれて、「Tシャツの絵がはいっているところだ」と答えると、高橋は妙な顔をした。

「一時、変な本ばかり買いたくなったことがあって。トリストラムシャンディとか、石蹴り遊びとか。いわゆる奇書のガイド本にあるみたいなもの」

「村上春樹は奇書かい?」

「少なくとも、僕がそれまで読んでいた本とは、まるっきり違っていた。これでいいのか、と思ったよ」

 高橋は本棚の『風の歌を聴け』を人差し指でつついて、「で、すきなの?」と再びたずねてきた。

「手放しで好きだね。<僕>のありさまが、なんともいえず良いね。なんだか、漱石の『草枕』みたいで」

 僕は漱石の『草枕』から、『それから』にいたるライフスタイルが好きだった。村上春樹の<僕>が、『言いたいことの半分しか言わないように心がけたら、言いたいことの半分しかいえないようになっていた。壊れた冷蔵庫をクールと呼びうるのなら、僕だってそうだ』というようなあり方が好きで、日記などがみんな村上春樹風の文体になっていたくらいであり、そういう日記を書くために、日常生活における目線や感想などにも偏向をかけていた。

 ガラスや陶磁器への嗜好は、村上春樹というよりも、『それから』の大介に通ずるものがあったのかもしれず、梶井基次郎や、稲垣足穂を持ち込んでいたことからも、ある種のフェティシズムの素養は備わっていたのかもしれない。それらを実際に収集するようになることは、つまり一人暮らしの時空をどのように満たすか、という問題であり、この夜の高橋との会話もまた、その範疇に属する問題であった。

 高橋は、僕が村上春樹を好きな理由に納得したようだった。そしてその隣にあった、『限りなく透明に近いブルー』を取り出した。

「で、こっちは?」

 僕はコーヒーに口をつけながら、「ん」と息をついて答えた。

「村上春樹と村上龍とは、同じ講談社の黄色い背表紙で隣あって並んでいた。似た名前だったから、ついでに買って読んでみた。18才で、ハッシッシで、米軍で、ベタベタのドロドロで。それでいて読後感が、土砂降りが止んだ朝、まだ陽が登る前の透明なブルーだったっていうのが、信じられなかったな。だって、本当にドロドロのベタベタなんだから」

 そして、コーヒーを飲み干してから

「ただ、本当にすきなのは、『ピンボール』と『海の向こうで』の方なんだ。どっちも二作目だね」

「ああ、こっちね」

 高橋は僕のつけたしにはあまり興味をしめさず、稲垣足穂の『一千一秒物語』をパラパラとめくっていた。

「これ、貸してくれないかな?」

 と高橋は言った。

「いいとも」

と僕はいった。

 それから、高橋は、ライティングビューロー上のワープロに眼を留めた。NECの文豪mini5という機種で、14インチのブラウン管テレビほどの大きさがある。FDDを二基搭載した、先鋭機種だった。

「あー。いいな。こっちを買ったんだ。俺はハンディタイプの方にしちゃったからなぁ」

 大学入学手続き書類のなかに、ワープロの注文票が同梱されていた。高いほうがよいのだろうと思って、こちらを注文した。高校時代に英文タイプの授業があったおかげで、ワープロによって文字を打つ速度が思考する速度を上回る快感を得ることができた。だが、そういう文章はたいてい、新味に欠けていて上滑りだった。だが、時折、自由連想から突飛な結び付きが生じることがあり、それは才能と呼べるのではないかなどと、思ったりもしていた。

「ワープロに慣れると、手書きがまどろっこしくなるね。字を書いている間に、考えていることを忘れていっている気がして、焦る」

「俺はまだ、そこまで早くは打てないからなぁ。でも、小説とか、書いてるの?」

 僕が、キーボード部分をおろし、電源を入れ、システムフロッピーを読ませている間中、高橋は興味深そうに画面の推移を眺めていた。

「昔手書きしてた文章を、今は、入力しているところかな。我ながら判読不能箇所が多いから、結局、書き直しているようなものだけど」

 僕はデータフロッピーを読ませて、カツ、カツとつんのめるようなFDDの音が続くなか、ファイルのリストを出した。

「まぁ、大体は、日記に毛の生えたようなものばかりだよ。あとは見た夢のノートかな。夢を見るのが楽しみで、この春休みは、僕は寝てばかりいた」

 へぇー。と高橋は簡単に相槌をうつと、突然ワープロにも、僕の文章タイトルにも興味を失ったという風に、先ほどまで座っていた座卓の前に胡坐をかいた。そして、紅茶を飲み干してから天井を見て、ニヤニヤと笑った。

「偶然ってのは、おもしろいね。というか、偶然で片付けていいものかどうか勘ぐりたくなるよ」

 高橋は、コーヒーの粉が、夜の沙漠の一部を切り取ってきたかのように隆起するコーヒーサイホンを爪ではじいた。

 僕は高橋の背後をまわって、出窓を背にして座り、ほとんど残っていないコーヒーを啜った。冷めたコーヒーの苦味が、現実の在り処を示しているような気がした。

「最近、仲間と同人誌を出す相談をしててさ。原稿を書ける人と、版下を作れる人を探してたんだよね」

 高橋はこちらに身を乗り出して、早口で言った。

「同人誌?」

 僕は、同人誌というと、妹が高校で作っていた漫画しか思い浮かばなかった。それも書き文字原稿のコピー本がほとんどで、文化祭の時にだけは、日本語ワープロで打ち出した文字を切り貼りし、オフセット印刷にかけるといった手の込んだものも製作していた。軽印刷とはいえ、費用はけっこうかかり、これを個人で負担するのはよほどの趣味人だろうというのが、僕の印象だった。

「僕は漫画は全くかけないけど」

 と僕は続けた。だが高橋は笑いながら首を横に振った。

「漫画じゃないよ。いや、漫画の人もいるんだけどね。俺は詩を書いているし、仲間はホラー小説専門だっていってた。エッセイでいいなら、という女子もいる。タイトルも決まってるんだよ。ベルベルっていうんだ」

「ベルベル人とかと関係があるのか?」

「ベルベル人? うん。そこにひっかけるのもおもしろい。それもいいかもしれない。ただ、こっちのつづりはBell Bellだからね。鈴とか鐘からきたんだ。絵を描けるやつが、何人か引っ張ってきたんだけど、そいつが、大学へ入学早々「土鈴の会」っていう風土研究会を立ち上げてね、とりあえずそこをBell Bell同人誌の部室に使わせてもらうことになってる。それにしても、あいつ、ああ、美作っていうんだけど、行動力がある奴なんだな。土鈴の会は、先輩のいない同好会として、連日、部員勧誘に明け暮れているんだから」

 僕は、入学してまだ一月もたたない間に、同人誌を発行するメンバーを大勢集めている高橋も、美作という男に負けず劣らず行動力があるものだと思った。そして毎日、時間をもてあまして散歩をしたり、図書館で本のページをめくったりしている自分が、どれほどの時間を無為にしていたかを思い、倦み疲れた。

「僕は、老人のようだな。君たちにくらべると」

「せっかく大学に入ったんだからな。楽しいことしようぜ」

 このように、僕は、Bell Bell同人として迎え入れられた。主な仕事は原稿のワープロ打ちになる予定だった。

「こういう偶然って、面白いよね」

 と帰りがけに高橋が言った。そして

「あ、俺の部屋のぞいてく?」といわれたが、僕は途方も無く疲れを感じていたため、またの機会にしてもらった。

「じゃ。あ、電話番号教えてといてくれない。連絡とかするから」

「ごめん。うち電話ないんだ。伝言あったら、新聞受けにメモいれといてくれる? それか、大学なら、多分放課後は吹奏楽部の部室にいるから」

 高橋は、電話ないのか。そりゃ不便じゃないの? とか、吹奏楽? 楽器とかできる人ってうらやましいよね。とか興奮気味に合いの手をいれてきた。僕はそういう高橋を嫌いではなかったが、ともかく、熱にあてられて疲れていたので、それじゃ、と扉を閉めると同時に、玄関先にしゃがみこんでしまった。

「偶然は偶然だよ。高橋くん」

 僕はそうつぶやいて、洗い物に取り掛かった。カツカツと定期的にアクセスするFDDの音が耳についた。唐突に、ワープロを抱え上げ、窓をあけて、雨に濡れたアスファルト道路に、投げ捨てたくなった。だが、その重量の記憶が、そんな衝動を萎えさせた。

「僕は、自分が書いた文章を、先生にしか読んでもらったことはなかったんだ。というより、僕は先生に読んでもらいたくて、日記みたいなものを、書き続けていたんだ」

 僕は、一人でいることを寂しいと感じた。


 一人暮らしを始めすぐ、僕は対馬奈美から封書を受け取った。この部屋に最初に届いた私信が、対馬奈美からだったことが、僕には嬉しかった。意外だったからではない。むしろ、彼女から便箋5枚にわたる長い手紙を受け取ることは、全く自然なことだと思われたからだ。

 対馬奈美は、先生を除いて(先生は全く別格なのだ)最も興味を惹かれた同級生だった。クラスにいくつかの小グループが生まれ、それらが結合したり、離反したりしながら、クラスの雰囲気が醸造されていく時期に、いわば酵母菌のように熱く働きかけていたのが、彼女だった。そうして、クラスが安定を見せ始めた時、彼女はどこのグループに対しても、招かれざる客となっていた。それでも、彼女は困ったことや、面倒なこまごまとしたことに世話を焼くことを厭わず、二学期ごろには、成績をずいぶん落としていた。もはや彼女はクラスには不要な存在となっていた。彼女が最優先事項は、みんながまとまった仲のよいクラス、だった。問題は、彼女自身も、そのクラスの一員だったことだろう。彼女にとって高校生活はイバラの道となりかけていた。なぜ、そこまで人のため、クラスのために尽くそうとしていたのかを、僕は入学早々の印象から感じ取ることができた。

 彼女は、周囲の光を反映することでしか輝くことができない。僕は彼女の隣の席だったが、授業中、いくども彼女の姿を見失った。彼女の周辺の空間が彼女の輪郭を侵食し、景色のなかに溶けていってしまうのだ。そんな折、最後まで姿をとどめていたのは、彼女の大きな瞳だった。その瞳には、幽かな光が垣間見えた。それはつまり、彼女の内省の光だ。それは空疎な彼女の内面にむなしく灯る蛍の光だ。そして、彼女の巨大な瞳は、ただ周辺を不確かに反射するだけの義眼にすぎなかったのである。

 僕は彼女のその義眼を偏愛し、彼女の消失によって生じる破綻を待ち望んでいた。高校2年になって、彼女は生徒会長に立候補して当選した。その時僕は担任から、内申書を粉飾するために生徒会活動を推奨されていた。僕は書記として生徒会に入り、それから2年間、僕と彼女とは、放課後の大半を生徒会室で過ごしていたのであるが、そこでの彼女は、クラスをまとめようと奔走していた当時のままに熱心で、それなりの手ごたえもつかむことができていた。クラスから学校へと彼女を映し出す世界が広くなり、彼女自身の影もまた大きくなった。それが僕にはおもしろくなく、生徒会室に立ち込める熱気が、ただ胸苦しいだけだったことを覚えている。

 対馬奈美との対話は、従って、高校1年のころで尽きていた。僕にとって彼女の存在は虚勢でしかなく、その虚勢を保ち続けるストレスが彼女を壊す瞬間を見ていたかったのだが、結局、彼女はその虚勢を、自らに取り込むことに成功したようだった。自分が自分であるための闘争として、これほど苛烈な挑戦もないものだと思うのだが、彼女はそのように暮らしてきたし、今後のそのように過ごしていくのだろう。

 そのようなあり方を僕は好まなかった。今思えばそれは、自己実現にむかう意思に対する羨望とでも言うべきものだったのかもしれない。だから、受けとった手紙に「みんないなくなってしまって寂しい」と書かれていたことに、僕は残虐な悦びを感じ、「僕は全く寂しくないのです」と宣言した上で、彼女の寂しさと僕の寂しさの不在について検証する、とても長い返事を書いたのであった。その返事を書いている間中、僕の目の前で、対馬奈美はあの大きな義眼を、沙漠のような単調な景色に無防備に晒したまま、静止していた。その官能こそ、僕が高校1年の頃に待ち望んでいたそれであった。できうれば、そのまま、何の表情も浮かべないままの彼女を、犯したかった。僕にとっての彼女との関係性は、それによって終結しただろう。もちろん、現実にそんなことは起こらなかったし、今後も起こることはない。なぜならば、その状態は、彼女が孤独である場合のみ発生するものだったからだ。目の前に僕がいるなら、彼女と僕との間に起こる反射の輻輳によって、彼女は生きるからだ。さらに残念なことに、これは僕だから発生する状況ということではなく、相手が誰であっても彼女はそこに生きる空隙を確保することが出来るしたたかさを備えていた。僕が食傷するのは、そのしたたかさに対してだったのだ。彼女は残像だった。しかし消えない残像は実体を超えるのである。


 僕がみづはさんに興味を抱いたのも、彼女の眼が最初だった。彼女の姿が視界に入ったのは、オリエンテーションの夜だったと思うが、和室の薄暗い蛍光灯の下にあっても、彼女の瞳が持つ特徴は際立っていた。彼女の瞳は右は緑がかった黒色で、左目はごく薄い茶色だ。それは、カフェオレのような不透明な黄土色ではなく、全く透き通った薄い茶色だったので、その瞳を覗き込むと、彼女の瞳を通して脳内にうつる映像が見えるのではないかと思われるほどであった。

 僕が彼女自身にそのことを継げた梅雨明け間近の頃だった。サークル活動の帰りの夜道でだった。戸塚駅から僕の部屋の途中に彼女の部屋があった。そしてその道を使うのが、僕と彼女だけだったという偶然から生まれた会話であり関係だった。

「そんな風にいうのは郁夫だけだよ」

 とみづはさんは照れたように笑った。そして、実際のところ、そのオリエンテーションの際にも、またその後の大学生活においても、彼女の瞳を話題にする人間は、皆無だった。

 みづはさんの瞳は、対馬奈美のものとは違って義眼ではない。彼女の左の瞳はきちんと外界を写し、彼女自身の内省の光が漏れ出るということもなかった。だがそれは入り口ではなく出口だったという点に僕は強く惹かれた。

 当初は、みづはさんの瞳の特異性がどこからくるのか、僕には分らなかった。それで、左右ではっきりと異なる瞳のアンバランスに、魅了されたという程度のことだと考えていた。いわば身体的な特徴の一つとして捕らえていたのである。だが、彼女と長い時間を共有するようになって、彼女が何を見て、何を見えていないのか、いや、何を見ようとしていないのかを知ると、その左の瞳が外界からの光を捕らえるために開かれているのではなく、むしろ彼女が認識している世界を映し出すスクリーンとして機能しているのだということが分ってきた。彼女は、右の眼で外界を捉える。と同時に、左の瞳に投影されている彼女自身が検閲を施した世界を、いわば二重露光させているのである。視ることは視られることでもある。僕の高校時代は、一方的に視ることに全力を傾注してきたが、みづはさんはむしろ、いかにして視ないか、を追求した結果、その左眼を手に入れたのだ。外界は見ないわけにはいかない。だが、視たものが何であるのかを判断するのは脳である。彼女はいわば、さかさまに視ているのだ。つまり、彼女の左眼的世界こそが、彼女が生きている世界なのである。左眼的世界とは、信じられないような暴力に虐げられる猫の世界だ。息をつめて身を潜め、じっと眼を閉じてやり過ごすことしかできない、絶望的な世界だ。そのまま踏み潰されるかもしれない。見つかってなぶり殺しにされるかもしれない。動けないまま飢え死にするかもしれない。助けはこない。だが、救いはある。それこそが祈ること。運命を受け入れ、全てを捧げて祈ること。みづはさんの左眼的世界に希望は無い。それは絶望とも違う。望みそのものが、はるか以前に忘却された世界。みづはさんの世界認識とは諦観に他ならなかった。僕はそこに惹かれ、その諦観に身を浸してみようと思った。

 泥沼に一緒に沈むことは、愛なのか。それとも、沈んだ相手を思いながら行き続けるべきなのか。共に手をとりあって這い上がる、という選択肢を最初から拒んだまま、僕とみづはさんとは交流を始めたのだということに気づいたのは、その交流が終わる時だった。そしてその時泥沼にはまり込んでいたのは、僕のほうだった。


 大学に入って周囲に人が増えた。みな一様にきょろきょろして、声をかけるときの思い切ったような表情が、僕には好ましかったが、それは感情を傍観する楽しさで、僕から思い切ることは無かった。それでも、休講掲示の前で、カフェテリアで、ゼミの後で、声をかけられる機会は多かった。

「○○学部○○学科の○○っていうものですけど」から始まる探りあいは、互いを初心に戻した。

 休講の掲示板の前では、より慎重になった。突然に生じた空白の90分間の過ごし方に直結するからだ。声をかけて気が合う相手であれば、今後の学生生活の足しになるだろうが、合わなかった場合には、ひじょうに気まずい別れかたをせざるをえなくなるだろうし、そのくせ、おなじ講義をとっていることは明らかなので、必ず今後もかかわりが出てくるのである。だから、休講の場合、僕はさっさと吹奏楽サークルの部室へ行って、講義をさぼっている誰かしらと話をしたり、黙って本を読んでいたり、置いてある落書き帳を斜め読みしてみたりすることにしていた。サークル内にも、気詰まりな相手はいる。だが、どうしたって関わりあわなければならない人たちであるのならば、そこに身を置くことで、自分がいる状態に慣れてもらうという効果も、あると考えていたからである。

 Bell Bellの事務所として使っているという「土鈴の会」へは足が向かなかった。高橋と話した後、顔を合わせる機会がなく、昨日、高橋の部屋で一緒に飲んだ折に、表紙のイラスト案をいくつか見せてもらって、話は立ち消えてはいなかったんだ。と思ったくらいだ。僕は同人誌の中心から遠く離れた場所にたたずんでいるだけであった。美作という男とはまだ顔をあわせておらず、一体どのくらいの規模の同人なのかも、問わず終いのままだ。高橋を質問攻めにすると、そこまで興味を抱いているのならと中心部へ招かれてしまうかもしれなかったからだ。別に、招かれてもよさそうなものだが、僕は、あらゆる関係が曖昧な今の状況が気楽だったのだ。構内を歩いていて、三十分で1人くらいの知り合いとすれ違って、手を上げて「次は何?」「フランス語なんだよ。助けてくれよ」「お大事に」といったやり取りをしながらすれ違う。

 僕はどこにいても、間違った場所にいる、招かれざる客だった。周囲との無関係さが気楽で、環境の変化は人的なものではなく、ひとえに風景の変化だけのことだった。確かに周囲に人は増えた。しかし、僕の内側には一切誰も入ってこなかった。その意味で、僕は僕自身にとっても、招かれざる客であり、間違った場所に立っていた。大学に入りたての男としての役割を最低限演じながら、僕はその役にはまり込むことすらできないでいた。


 ゼミ関係の知り合いについては、講義にたいする感想だったり、勉強方法だったり、共通の興味は多かったので、もう少し立ち入った会話が成立する。

 たまたま隣り合わせた男は、中村という、大きな団子鼻をもった男だった。がっしりとした背中は少し猫背で、その姿そのものが巨大な団子鼻のような男だ。いつも笑った眼をしていて鼻をクツクツと鳴らしていた。必殺仕事人をこよなく愛し、とくに初期の中村主水が好きだといった。「渋いんだ。最近の中村主水は枯れちゃってるけどさ、最初の方はギラギラしてて、一撃じゃなくてね。けっこう無様に立ち回りするんだよ。ふんどしヒラヒラさせて、必死なのがいいんだ。ずるいし、女好きだし。あれが本当だよ」

 その中村と一緒にいたのが、女の子のように尖った鼻と顎をした、少し吊り目の男だった。映画マニアで、オールナイトの映画をよく見に行くという。「古いのがとくに好きっていうんじゃないんだぁ。なーんていうのかなー。オールナイトがいーんだよ。ほとんどお客さんがいない映画館のシートに、ふかーく腰掛けて、大きなスクリーンを見てると落ち着くんだぁ」と右斜め上に黒目を固定したまま話すこの男は、篠原という。髪を明るい茶色に染めていて、服装は「それなんのコスプレ?」と尋ねたくなるほどトータルだ。右耳には緑の小さなピアスが光沢を放ち、少し鼻にかかった甲高い声で話す。

 ある時、僕達三人が、ゼミの課題のやっつけ方を、講堂前の小さな噴水の前で話しているところに、ひょろりと背が高くさらさらの髪を耳の上できちんと刈り込んだ男が、だぶだぶと太った色の白い男と連れ立ってやってきた。

 背の高い方が、斉藤といい、太ったほうが流山といった。斉藤は肌がひじょうに薄い感じのする男で、目の縁や頬あたりは、皮膚がすけて赤らんでみえた。何かのアレルギーがあったのかもしれない。右の犬歯が八重歯になっていて、ちょっと韓国人の俳優のような雰囲気があった。九州出身で、あまりしゃべらなかったが、いつも口元に笑みを湛えていた。流山は、蛭子さんにそっくりな体系で、顔は色白の字にー大西に似ていた。クラスのでグループを作るとき、かならずあぶれるタイプだ。ここでは、斉藤もあぶれたのかもしれない。なにしろ彼は会話に入ってこなかった。

「さっきのゼミで一緒だったよね」と流山が話しかけてきた。中村が「そうだよ。君たちもあのゼミとってたの?」と尋ね、篠原が「背高いねぇ。どのくらいあるのぉ」と斉藤に話しかけた。「185くらい、か、な」と斉藤が小さな声で答えているのが聞こえた。すると背後から「待った? すまんすまん。なんやずいぶん大勢になってまんなー。みなさんおそろいで。斉藤、お前めずらしいなぁ。もーこんなぎょーさん友達作ってからに」と斉藤と同じくらいの背の高さの男が現れた。僕は180センチあって、背が低いほうだとかんじたことはあまりなかったが、僕よりも大きな男が二人現れて頭ごなしに間の悪い会話を続けているのを聞いていると、あらためて、新しい環境に着たんだなと実感させられた。大阪弁の男は原田という。斉藤とは旧知というわけではなく、ゼミが始まったときに隣わせたから一緒に講義をうけるようになったのだという。原田も目の縁がぼうと赤くなっているが、斉藤のような繊細さではなく、酔っ払いのように思われた。半円形の眉毛に半円形の瞳がならんで、口も上向きの半円形。大きな白い歯がいつも見えていて、黙っているということがない。「へえへえ。君が中村クン。出身は? へえ、習志野の方? 方てそれ習志野でええんちゃうの? ほんで習志野てどこいらへんや? 流山クンは? 君運動嫌いやろ? 何、卓球? 地区予選3位? てまた微妙な成績やなぁ。なあ、篠原クン。君、女の子みたいやなぁ。さっき見かけたとききになっとったんやけども、ひょっとしてこっちか? ああ、そっちか、ってあほか。はははは。ほんで、錐島くんいうたか」

 僕は黙ってうなずいた。

「家、近くやそやないか。せっかくしりおうたんも何かの縁や。今夜飲も。ぱぁーと。なあ。みんな、ええよなぁ」


 僕達はみな同じ社会学部の新入生で、偶然にも社会経済学をとって、早くも後悔している組だった。

 大学から徒歩10分の僕の部屋に集合し、インスタント焼きそばや、チャーハン。途中の酒屋でビールやスナックを調達して深夜2時まで大騒ぎをした。焼きそばを焼いたフライパンを洗うまもなく焼きうどんやチャーハン。それを直箸でつつきあう。実家から送られてきたダンボール一杯の保存可能な食料はあらかた空となり、道路に面したテラス窓に、「うるさいっ!」の声とともに缶が投げつけられてから小一時間で、会はお開きとなった。始発が動き始めるころまで雑魚寝をして、シンとした早朝の空気に気恥ずかしさを感じながら彼らは部屋を出て行った。シンクに収まりきれないほどの食器類、何かの汁やノリが飛び散った本棚。飲みかけのまま倒れている幾本もの缶ビール。そしてタバコの煙。脚が一本完全にブラブラになったコタツテーブル。

 そのような惨状を呈した部屋でも、朝の光が差し込めば、なんとはなしに浄化された景色にみえた。それは時が止まっているように見えたからだ。祭りの後をそのまま廃墟へ焼き付ける朝の光は、僕の内に絶え間なく居座っていた倦怠をも追い出してくれた。まず、片付け。それからコーヒーメーカをセットして、熱いシャワーを浴びる。そして、きちんと髭をあたって、新品のヘインズのTシャツをおろそう。そんな気分だった。昨夜の騒ぎは、あっという間に風化し、全てが霧散していた。僕はあの中に友人はいなかったのだと確信し、bellbellのことを思った。


 僕は友人を求めてサークルへ入会したわけではない。そもそもサークルに所属するつもりはまるで無かった。だから構内のあちらこちらで行われている勧誘合戦を、ただ煩しく感じながら歩いていた。

 陸橋の手前で、吹奏楽という文字が目に飛び込んできた時、ふと、「トランペットが吹きたいな」という気が起こった。楽器が弾ける人生への憧れが頭をもたげたのだった。幼稚園のころにいやいや習っていたピアノが、中学校の体育大会の応援合戦の折に僅かばかり役に立ったこともあった。そして、トランペットは、小学6年生の鼓笛隊で1年だけ吹いていた。トランペット担当になる前は、シンバル担当で、シンバルには楽譜もなく、教師に指をさされたら間髪いれずに叩く。という乱暴な扱いをうけていた。そこからトランペットへは、いわば大きな出世といえた。だからトランペットにはよい思い出しかない。候補者数名にプラスチック製のマウスピースが配られ、一ヶ月後の試験の際、マウスピースで、音階をふければクリア。ともかく音さえ出れば採用されたのだが、僕はとても気分がよかった。そんな記憶が、ふと蘇ってきて、なんとなくテーブルへ近づいていったのである。

「おー。三人目の入部希望者様の到着だぞー」

「菓子、もってこい。あ、お茶でよければどうぞどうぞ」

「やあ、いらっしゃい。吹奏楽興味ある? あ、経験とかは?」

 テーブルにいた、数名に次々とまくしたれられて、僕は一切の思考が停止した。

「あ、ありがとうございます。いただきます。いえ、吹奏楽は経験ありませんが、トランペットを少し吹いたことがあります」

「トランペット希望ね。うん。今日はトランペットが大人気だね。じゃ、ここに住所と名前とかね。はい。仮入部ってことで、深く考えなくて大丈夫だからね。じゃ、もう少し詳しい説明するから、教室の方へ案内するね。おい。彼、えーと、錐島君を、教室へご案内。ご案内して。失礼のないように」

「じゃあ、こちらへどうぞ」

 色黒で眼鏡をかけた女性の後ろを黙ってついていった。周囲で勧誘している声が遠のいていき、僕は目の前にいるはずの女性すらともすれば見失いそうな気がして、じっと女性の足元を見つめながら付いていくことに集中していた。

 校舎へ入り、階段を上って扉を開くと、まるで高校の教室のような部屋に、十名ほどがいて、思い思いのグループで、楽器を吹いたり、話をしたりしていた。僕は帰りたくなったが、なぜか、引き返すことができない、と感じていた。

 ホテルのロビーで行われている版画展に、「絵に興味ありますか?」と勧誘されて入ってしまったことがある。それから、1時間、僕は椅子座って、勧誘した女性と1対1で、一枚の本物の版画がいかに生活の潤いとなるか、その本物の版画が一日一杯、コーヒーを我慢するだけで自分の部屋に飾ることができる、という説明をうけた。一人暮らしを始めたばかりの頃、始めてでかけた横浜あたりでのことだ。それと同様の心理的な障壁が、僕を支配していた。

 トランペットの音が聞こえる。流れるような音階で、ハイトーンが奏でられている。

「あ、いらっしゃい。君もトランペット希望だってね。こっちおいでよ」

 眠たそうな顔をした長身の男性にニコニコしながら手招きされた。僕には断る理由がない。黒板の近くに固まっているグループの中には、びくと、かをりがいた。かをりは、肌も髪も目もとても薄い色をしていて、大きな目はやけに大きな鼈甲柄の眼がねの縁に隠れている。短髪が似合って低めの鼻に愛嬌がある。ジーンズの腰周りは案外ふっくらとしていたが、ジージャンからのぞいたボーダーシャツの膨らみは控えめだった。先ほどの美しい音色はかをりが奏でている音だった。そして、天然パーマのだめ親父みたいな男が、北欧系の面立ちの男に小突かれたりして、笑っている。僕は手持ち無沙汰になり、「これ吹いてみる?」と長身の男に示されたトランペットを、5年ぶりで手に取った。

 何とか、音は出た。だがそれが音楽とは程遠いということは、かをりの音と比べるまでも無かった。

「お、出せるね。全くの初心者じゃないな」

「はい。でもものすごく久しぶりで、基本もなにもできていません」

「ふーん。誰か好きなラッパ吹きとかいる?」

「あまり詳しくなくて。ルイ・アームストロング、日野皓正とか」

「ジャズ系かぁ。いいね」

 じゃ、自由に吹いてて。あとここにあるものたべちゃっていいから。もう少ししたら、説明会始めるからさ。ああ、紹介すると、彼女は海野かをりさん。トランペット経験者。で、あいつがブル、じゃなくって鈴木。年食って見えるけど入部希望者だよ。じゃ、仲良くやってよ」

 紹介されるとかをりは、トランペットを口からはなして、笑顔でヨロシク! といい、ブルは、でぇへへへへ、まあ、よろしくたのむよぉ。といい、隣の男に気持ち悪いんだって、と頭をはたかれていた。

「錐島郁夫です。どうぞよろしく」

 僕達の挨拶が済むのを見届けて、男は教室をでていった。

 それからこの部屋で何があったのか、僕は覚えていない。ただ唇がひりひりとして頬が痛くなったことと、近づいてきた先輩らしい男性から、「希望する楽器があるなら、ちゃんと主張しないと、外にまわされちゃうぞ」と小声でアドバイスを受けたことを覚えている。

 希望楽器について、僕はほとんど初心者であることと、身体が大きかったことから、外へ回される候補になっていたことを後から聴いた。僕はトランペット担当となり、翌日から吹奏楽部の部室へ出入りする身となった。そして、そこにはみづはさんもいた。みづはさんはパーカッションの経験者だった。


 一人暮らしを始めて突然始まった安っぽいガラスに対する偏愛癖について何かの折に口にした際、共感を示したのは、かをりだった。

「あ、私もガラス好き。なんかさぁー、冷たいとか固いとかの感じじゃなくて、逆に、暖かくて、やわらかい感じのやつね」

 その好みは僕も一致していた。

「この間、ビー玉を煮てね」

「ああ、ヒビを入れるんでしょ。やったことあるある」

「そう。完全に割れないで、いい具合にヒビが入ると、光の反射がいいんだよね」

「そうそう」

 それはトランペットパートの練習時間の休憩中のことだった。同学年の小僧こと林は、「なぁにいってんすか、この人たちわ」とあきれたように横をみた。そこにはにやにやしたブルがいた。

「僕も熱いのをたらされるのは好きだけどね、げへげへ」

「変態!」

 とかをりがブルの頭をはたき、ブルは「もっともっと」という。そこで林がぽかぽかと殴りつけているところに、後方から走ってきた先輩がブルの背中にとび蹴りをくらわす、というのが一連の流れだ。

 僕はそういうやりとりを見ているのがとても楽しかった。と同時に、みんなが自然に役を割り当てられ、それを過不足無くこなしていることをうらやましく感じていた。

 ともかく、僕のガラスなどへの偏愛は、かをりの知るところなり、かをりはみづはとそういう趣味の話を共有していたことから、僕とみづはさんもまた言葉を交わすようになっていったのだった。


 晩春の雨の夕方。練習を終えた僕達は目黒駅にむかって歩いていた。

 大学の校舎は二つに分かれていて、1年と2年の講義は戸塚キャンパスで、3年と4年は白金キャンパスなのだが、練習は白金で行うことが多かった。僕は生まれて初めての定期券を戸塚-品川で購入し、ラッシュの東海道線の凄まじさをおもしろがったりしていた。

 

 細かな雨は、静かに傘をぬらした。西の空はほんのりと赤く染まっているように見えた。雲が切れたら、黄金色の陽光が濡れた地上の一面を輝かせるだろう。僕はそんなことを考えながら列の最後尾を歩いていた。当時僕は歩く速度がとても遅かった。歩くたびに変化していく風景が楽しく、ふっと香る様々な匂い、ところどころに残る温度が異なる空気の塊などを感じることで、自分が豊かになるように感じられたからだ。

 少し先の、8車線の道路を斜めに渡る横断歩道の前で、みづはさんとかをりが、歩道の植え込みの中を覗き込んでいた。まだ雨はかすかに降っていたが、二人は傘をとても邪険にしながら、腰をかがめてツツジのような葉や枝をつまんでは、何かしゃべっている。

「何か落としたの?」

と僕が尋ねると、二人ははっとした顔で僕を振り仰いだ。

「あ、錐島」

とかをりが言った。

「あれを拾いたいんだ」

と指差した先は、かがみこんだみづはさんの後頭部だった。

「みづはさんを?」

と再び尋ねると、今度はみづはさんがこちらを見ないで首を振る。肩に付かない長さで切りそろえられた髪が左右にゆれて、白いブラウスの襟からうなじが見えた。

「あの、根元に落ちている、透明な、水晶みたいな、綺麗な石をね、拾おうと思ったんだけど」

「以外と、枝が痛くってさぁ。錐島」

 かをりの声のトーンが少し変わる。僕は、濡れたツツジの枝の中に腕をつっこむことを厭わなかった。みづはさんに対して点数を稼ごうというつもりもなかったし、当時はまだ僕自身みづはさんにたいする恋慕の情にも気づいていなかった。ただ、みづはさんの姿や物腰はとても落ち着いていて、いい子だなとは思っていた。だから、もし外の誰かがその石を彼女のために拾ってあげたと聴けば、おそらく嫉妬したことだろう。

 僕は右腕にいくつかの擦り傷をつくり、指先を泥でよごし、頭から雨を被ることになったが、二人の期待通りのものを摘み上げて、みづはさんに手渡した。

「ありがとう。よごれちゃってごめんね」

とみづはさんは、自分のハンカチを取り出し、なぜか、「あ」と躊躇った。僕はあわてて自分のタオルを取り出して腕を拭った。

「いいっていいって。でも、こんなところにある石、よく見つけたね」

 僕がそういうと、かをりとみづはさんとは顔を見合わせて笑った。

「錐島がそういうこと言う?」

「これを見つけるなら、多分錐島さんかなって、話してたんだよね」

 信号は赤になり、集団から完全に取り残された僕達は、それからしばらく最近みかけたり、収集した、心惹かれるものについて話し合った。

「さっき傘についていた葉っぱ」

と僕は手帳に挟んだ葉っぱを披露した。それはこの季節に似合わず、緑色から朱色への不定形なグラデーションと、緑色から黄色への同心円状のグラデーションとが複雑に組み合わされていた。

すると、みづはさんは、「ああ」とうれしそうにティッシュを取り出し、そこにはさんであった葉を見せた。それは僕が拾ったものと同じくらい美しかった。

「それもいいね」

「錐島さんのも」

「私はこれあるから」

 と、かをりは僕が拾った透明の石を手のひらで転がして見せた。

 信号が青になり、ピヨピヨという音が鳴り響く中、まっすぐに続く道路の向こうで雲がきれ、黄金色の光が当たりを輝かせた。

 

 僕達は、というのは僕と、かをりと、みづはさんのことだが、ある種共通の雰囲気を好んでいることを知り、その共通点はそのまま互いの調和を約束しているのだと分っていた。その調和は「魂」に関するものであり、自分たちの存在意義の全体を裏打ちするものだった。

 安っぽいガラス細工、繊細な陶磁器、時々刻々と移ろう自然の一コマ一コマ。猫。イルカ。坂道。雨。ギリシア神話。ドイツ哲学。暗号。クラッシック音楽。印象派絵画。歌劇。散歩。夜。月。星。


 みづはさんは、梅雨入り前に、上倉田の新築アパートへ越してきた。駅と丘の上にある大学との中間地点。そこから上り坂が始まるという三叉路の二階で、一階は酒屋だった。

 僕とかをりとは、引越しの荷物がだいたい片付いたという日の夕方にみづはの部屋へ集まることになった。

 僕とみづはさんとは、その日の夕方から駅前にあるサンテラス戸塚というショッピングセンターで買物をした。かをりはここのマクドナルドでアルバイトをしていて、16時まではバイト中だったから、買物帰りに連れ立って帰ることにしてあった。

 みづはさんは、夕食のメニューをこまかくメモしていて、一つ一つ材料を的確に選んで歩いた。彼女が選んだ野菜や肉は、僕が普段買い物籠へ放り込んでいるものより、瑞々しいように感じた。

 僕がカートを押して、みづはさんの後ろをついていき、みづはさんは真剣に野菜などを手に取り見比べ、小さくうなずきながら、後ろ手で、カートへ入れていった。こちらを見ないで買ったものをカゴにいれるしぐさは、そこに僕がいることを確信してくれているようで、なんだか嬉しかった。時折、こちらを振り向いて、「次はワインを選ぼう」などというときの笑顔が、心に沁みて、彼女が振り返ってくれるのを心待ちにしながら、肩の上で切りそろえられたみづはさんの髪を見つめた。

 買い物を終えて かをりと合流した。両手に買い物袋を提げた僕を、かをりは、

「お、仕事してるね。感心感心」

とねぎらい、肩を二三度叩いた。

「外にご用命があればなんなりと」と言うと、

「あ、ごめんね。ひとつ持つよ」とみづはさんがあわてたように言った。

「気にしないで大丈夫だよ」

と、僕とかをりとが同時に言って、ひとしきり笑った。

 雨上がりのアスファルトヘッドライトが反射していた。普段よりも青白い夕暮れは少し肌寒さを感じた。僕の前を二人が歩いている。

「みづはさんは、寒くは無いだろうか」と僕は思っていた。


 みづはさんの部屋は、淡いグラデーションの中に広がっていた。そのグラデーションは、北欧家具の木目と、淡いピンクのファブリックと、壁と天井の白い壁紙とからなっていた。壁と天井との境界線は、カスミ草や、スターチスや、バラなどのドライフラワーで暈され、床と壁との境界線は、生成りをベースとした布製のカバーで目隠しをされた本棚や、物入れでやわらげられていた。

 間取りは、6畳の1DKで、僕の部屋との違いは、フローリングであることと、ユットバスが若干広めな分、収納が半分になっていることが違っているだけだ。

 本格的な上り坂の始発点に位置する部屋の二階からの眺めは、南の空に向けて高く開けていたが、西半分は、変形土地に建てられたこのアパート自体の壁面が張り出していて、垂直に切り落とされていた。だが、壁面のタイルは明るく、むしろ遠近感が強調されて、より広々とした印象を与えていた。

 窓の向こうは小さな三角形のベランダで、洗濯機が置いてあるのだが、窓際にある大きなスゥエーデン家具風の白木のベッドを乗り越えなければ到達できない。この導線は、僕の部屋の隣人の高橋のところと同じだったが、みづはさんのベッドを覆っているキルティングのベッドカバーのおかげで、うまい具合に周辺に溶け込んでベッドの存在感をやわらげていたので、障害物だという感覚は無かった。

 

 みづはさんとかをりとは、道すがら、料理に最適なフォーメーションについて綿密なミーティングを済ませていたようだった。部屋に入ると、僕はまず、流しできちんと手を洗うよう促され、それからベッドの前の座卓へ、ベッドを背にして座るように指示された。そして、目の前に、皮むき器や、シート状のまな板とナイフ、大小のボール、小皿、ミキサーなどが手際よくセッテングされた。

 二人は、台所の入り口でそろいのシンプルなエプロンをして、背中で紐をキュッとしめると、「よし、やるか」とうなずきあった。

 流し台のサイズは、僕の部屋と同じだ。ぎりぎり二口あるガスコンロは、大降りのフライパンと両手鍋を並べて火にかけることが不可能だ。従って、ハンバーグとソースと、スープを良いタイミングで仕上げるための段取りは大切だ。そのためには、計画的な下ごしらえが重要なのであり、その一端を僕が担っていた。かをりが次々と運んでくるじゃがいもや、たまねぎや、にんじんや、かぶ、などの皮をむき、なるべく指示されたとおりのサイズに刻み、指示された野菜をミキサーに投入した。

 みづはさんがかをりの後ろをすり抜けて、居間へやってきた。そして座卓の上にならんだ色とりどりの野菜を見て、にっこりと微笑み「上手だね」と言った。僕はみづはさんの顔をぽかんと見つめているだけだったが、みづはさんは特に返事を待つことも無く、物入れの前から、ワゴンを一台引き出していった。生成りに淡い茶色で不思議な国のアリスのキャラクターがちりばめらた布のカバーで覆われた下の段には、コーヒーメーカーや、紅茶用のポットなどが収納してあった。シンクの横の作業調理スペースは、ほぼまな板の幅しかなく、ワゴンの天板を臨時の作業台に使用するためだ。かをりも菜箸をもったまま居間へ入ってきて、みづはと入れ違いになった。座卓の上の野菜を見て、かをりは、「錐島、ナイス」と親指を立て、すぐにみづはに続いて台所へ移動した。みづはがワゴンをコンロの前に流しに直角にセットすると、玄関までの導線は完全に塞がれた。

「ベッドとワゴンに閉ざされた、暖かな部屋」と僕は思い、「ミキサー回してぇ」というかをりの声に我ににかえった。

「ふた押さえないと飛び出すから」

「オーケー」

 ところで、僕はミキサーを使ったことがなかった。どの程度の強さでどのくらいまでやればいいのかもわからないまま、僕はスイッチをいれ、ゴムのこげるような匂いに驚いて、スイッチを切った。みづはさんがエプロンの縁で手をぬぐいながらやってきて、ミキサーにむかって腰をかがめると、真剣に見つめた。

「あと、20秒くらいかな」

「オーケー」

 フライパンで肉が焼ける音と匂いがしてくる。僕は流しの方の壁の上についているうすいピンク色の四角い時計を凝視し、秒針が12のところにきたところでスイッチをいれ、10秒、15秒と小さく声に出して読み上げながら、4のところで、正確にオフにした。

「20秒やりました」

「サンキュー」

 かをりがミキサーの上半分を外して持ち去る。僕は、目の前の材用が全てなくなったことに気づいて、空いた食器とミキサーの下半分を流しへもちこんだ。コンソメや何種類かのハーブ、そして、デミグラスソースの濃厚な香りが層を成していた。みづはさんが流しの上に掛け渡したまな板の上で、キャベツを刻んでいて、そのすぐ横で肩をぶつけながらかをりが鍋をかきぜていた。

「何か手伝うことはある?」

と尋ねると、かをりが

「ない!」

と鍋から目をはなさずに言った。それに続いてみづはさんが、

「もりつけたら、お皿を運んでもらおうと」

と申し訳なさそうに言った。

「じゃ、ベランダで一服しているから」

というと、目の前に台布巾が突き出された。かをりがニッと笑っていた。

「テーブルを拭くとか、どお?」

「オーケー」

僕は座卓を丁寧に拭きあげ、ベッド越しに暮れ行く空を見た。

「電気つけるよ」

と言って、返事をまたずにスイッチをいれる。濃紺の空にわずかに残るオレンジ色の夕空に、半透明の室内が映りこんだ。僕の背後で楽しそうに笑いながら作業をする二人がいた。僕はこの場にこうしていられることに感謝した。


 ブラジル豆のコーヒーを飲みながら、夕食とみづはさんの新居を堪能した僕達は、手分けして後片付けを済ませた。その間、僕はほとんど自問自答をしていなかった。

 みづはさんとかをりと共に過ごしている間、僕は独りだと感じる瞬間がただの

一度もなかった。それは久しぶりの感覚だった。もしかしたら、生まれて初めて

のことだったのかもしれない。

 僕はずっと集団から疎外された存在だったし、それでこそ僕自身の存在が保た

れているのだと考えてさえいた。


 高校1年の春、これまでとはまるで異なる、豊かな出会いだと感じていた先生と

過ごした期間でさえ、僕は常に独りであることを意識していた。いや、先生の前

ではより強い「個」でいようとしていたし、そのために虚勢を張ることもあった。

 僕はみづはさんとかをりといる時のように、先生と一緒の時を過ごせたらどれ

ほど幸せだったかと思った。しかし、すぐにそれは成立しないのだと思い直した。

 僕にとって先生は、自分が今現在、理想からどの程度隔たっているのか、前進

したのか、後退したのか、誤った方向を向いているのではないのか、などを示し

てくれる存在なのだ。僕の魂の理想が先生の魂のあり方であり、常に師を仰ぐこ

とで、僕は自分の位置を知ることが出来た。実際に先生と接していなくても、先

生ならどのように感じるであろうか、という回路が、先生と過ごした1年足らずの

期間で、僕の魂に組み込まれていた。だから、僕が自問自答するときはたいてい、

先生の存在を感じながら、ということになる。

 自省をせず、感じたことを感じたまま口に出して、それがその場の関係性を損

なわないという状況を、僕は経験したことがなかった。大学に入って数名の他人

を知ったが、僕はやはりその交流に埋没することはできなかった。

 だが、それこそが人と人との一般的なつきあいというものなのかもしれない。

 部屋で夜通し飲み明かした時も、吹奏楽の練習の合間に談笑する時も、同人誌

の企画を語りあう時も、僕は常に傍観者だった。

 「ここも僕の場所ではなかった」という口惜しさと、諦めてしまった後の清清

しさ、または、こんなくだらない場所が居場所でないと分った安堵と、それが他

人と交流する術を知らない自分の歪んだいいわけに過ぎないのではないかという

焦り。僕は先生といるときは、理想と一体となろうとする困難を感じ、それ以外

の所では、共感できる仲間をもたない寂しさを感じ続けていた。だが、ここには、

それがあった。理想もなく、寂しさもない。絶対的な安らいの場が。


 三日月の下、販売中止ランプが並ぶビール類の自販機横を歩いて、僕達はア

パートの南西にある公園にくりだした。酒屋の前からだらだらと上り始める細い

道は、雑木林とみかん畑の隙間に分け入って大きく北にむけてカーブする。その

手前を左へ下る小道の突き当たりに公園はあった。大雨の場合には貯水池として

の機能をもつという公園には、滑り台と砂場そして鉄棒が数基あるだけだ。僕達

は声を殺して話し、そういう話し方がおかしくてたまらなくなって、身体を折り

曲げて笑いを堪えながら、しっとりとした深夜の公園に降り立った。

「歩いていると、身体と魂とは別物だと感じるよ。夜、歩くと、なおさらだね」

鉄棒につかまりながら、僕が言うと、滑り台へ向かっていたみづはさんとかを

りとが「うん」とうなずくシルエットが見えた。

「歩くのは好きだな。小さいときから、歩きなさいっていわれて、それで歩く

のが好きになった」とみづはさんが言う。

「意外だね。運動はあまり好きじゃないと思ってた」

「体力あるんだよ、みづはは。マラソンとか得意だっていってなかったっけ?」

「持久力はけっこうあるんだけど、膝が外れるから」

「え?! それ結構大事じゃん?」と、滑り台の上に立っているみづはさんに、

滑る方向から上り始めた かをりが言う。

「そうなんだけど。年に1回か2回だから」

「何? そんな頻度で外れるの?」

「あと、顎も、時々外れるの、私。全体的に関節が悪いみたい」

「やっぱり、運動しないほうがいいって」

両手で滑り台の側面をつかみ、両足をつっぱりながら上っていた かをりがよう

やくみづはのところは到着した。僕は、ちゃんと梯子から滑り台を上った。

 三人ですべり口に立つと、互いに肩が触れあうくらいの円陣となった。僕は

「いい公園だね」

と言い、かをりは、

「いい部屋だよ」といった。

みづはさんは、ただ、大きくうなずいて、空を見た。三日月は西の山の稜線

近くに傾きつつあった。それでも周囲に灯りがないので、公園は三日月が作り出す

陰影に浮かび上がっていて、夜空には一面に星が瞬いて見えた。

「あれが、オリオン座。こっちがカシオペヤ座。北極星は、あれかしら」

「北斗七星は山のむこうかな」

 みづはさんと、かをりが夜空を指差しながら言う。

「山のあなたの空遠く」

ふと思い出して、僕はつぶやいてみる。すると、

「そんなに遠くでは、なかったかな」

みづはさんの小さな声が返ってきた。

「錐島は、夜だねって、言ってたんだよ」

唐突に、かをりが言った。

「私は、月で、みづはは、星。だったら錐島はなんだろうね、って話」

「それで、僕が夜ですか?」

「そう。月も、星もね、夜がないと光らないから」

と、みづはさんが空を見上げたまま言った。かをりが、「どう?」という顔で僕を見る。

「たいへん光栄です」

と僕は答えて軽く頭を下げた。

「これからどうぞ、よろしくお願いします」

と、かをりとみづはさんとが調子を揃えて答えた。

 西から風が通ってきた。木々がざわつきシャッターが音を立てた。深夜1時になると吹く風がある。天候はおどろくほど律儀に巡ってくる。僕達は、そっと滑り台をすべり、

みづはさんの部屋の前まで戻った。

「じゃ、僕はここで」

「うん。じゃまた明日ね」

「おやすみなさい。また明日」

 そこからだらだらと坂を上る道すがら、三日月はすでに西へ傾き、湧き出した雲が

星星を隠していった。

 僕を「夜」と称したあの二人は、僕を過大評価しているのだとの思いが心に重かった。僕は夜などではなく、単に彼女たちを太陽から隠す遮蔽物に過ぎないのだと思った。三人でいた時空に、僕は安住の地を見た。そして、僕のこれまでの選択、非選択の全てが、この場を示していたことを確信できた。さすがにそこが終着点だとは思わない。なにしろ僕達はまだ親掛かりの大学1年生なのだから。それでも、安住の地であることに間違いはないと思いたかった。

 だが、結局、安住の地も、耕さねば荒野と化すのだと知ることになる。それは、

「人は変わる」からではなく、むしろ「人は変わらない」からだということを、後に僕は思い知ることになるのだった。


 僕を「夜」だと言うにいたった二人の心情の経緯に思いをはせたのは、二人から遠く離れた後のことだった。

 そういわれた直後、湿度を増していく闇夜の坂を上って行く道すがら、僕は二人から受け入れらた喜びよりも、自分がその称号に値しない存在だとの思いばかりが募っていた。そしてそれでも、僕のことをそのように買いかぶってくれるのであるなら、自分の能力の限りに、その期待に沿うよう努力すべきだと考えた。僕といるとき、二人は本来の自分を素直に表に出して輝くことができる。僕はその二人の輝きに照らされて、寂しさを感じずに済むのだと。

 寂しさ?

 しかし僕は、対馬奈美からの手紙に、「僕は少しも寂しくない」と返信したのではなかったか。それは彼女に対するあてつけだったのだろうか。彼女に対して虚勢を張ることで、自らを鼓舞していたと? だが、そもそも「寂しさ」とは何なのだろう。

 寂しさとは、先生を感じられなくなることだ。

 なるほど。それならば、僕は高校1年生の頃から、寂しさを感じるなどということは無かったはずだ。僕は先生から「良心回路」の移植を受け、その魂は常に先生に抱かれていたのだから。

 では、別の寂しさがあったのではないのか?

 例えば、塊の寂しさだ。

 崇高なる精神は崇高なる魂に宿るが、その魂をもってしても肉体という塊を御することは困難である。なぜなら塊は塊の増殖のためだけに存続していたからだ。

 あらゆる行動は生殖につながる。僕はみづはさんとセックスをしたいとは、当時は思っていなかった。ただ、ひじょうに好ましい存在で、もっと話をしていたいと感じていた程度だったはずだ。

 かをりは、当時すでにサークルの先輩と交際を始めていた。僕はそのことを知っていたし、彼女も隠してはいなかった。しかしそのことがなくても、僕はかをりに対して性的な衝動を起こしたことはなかった。

 かをりは自分が抱えている困難を、表に出さなかった。だからかをりに接するとき、僕はかをりと純粋に「趣味」の領域においてだけ交流することができた。かをりはみづはさんには恋愛のことなどを相談していたらしいが、それが僕に知らされることはなかったし、そこに露呈するはずのかをりの弱さを視姦したいという衝動も起こらなかった。傍らにみづはさんがいたから、というのがその本当の理由だったのかもしれないが。

 僕を「夜」と呼んだのは、僕を二人の仲間だと認定してくれたからだ。そしてその時彼女たちは僕が一切の光を持たないことを、既に見通していたのだ。僕は外からの光を舌なめずりして待ちうける覗姦者であった。そのためには、僕自身が光を放ってはならなかった。そして、僕がかをりをでなく、みづはさんに惹かれた理由も、そこにあるのだと気づいた。

 かをりは、「月」であった。月は太陽の光を反射する存在だ。その意味で、彼女は常に「太陽」を必要とした。それは交際相手である。彼女はいかなるときも「太陽」によって存在した。一方、みづはさんは、自らが光を発する「星」であった。その輝きは非常に弱弱しく、周囲を照らすことはなかった。つまり、みづはさんは、僕の脅威にはならなかった。むしろ、僕という暗箱の内部に閉じ込めることで、彼女の特異な左目が放つ世界を、より克明に覗姦できるのだ。僕にはその左目的世界が、病的に歪んだ世界であることを予期していた。

 かをりは、僕自身を露呈させる。みづはさんは僕を脅かすことなく僕に満足を与えてくれる。そんな打算が当時の僕にあったとは思えないが、結果的に僕はみづはさんに急速に接近していくことになる。みづはさんも、可能な限り、僕のそばにいられるよう行動していたように感じられる。

 みづはさんが、僕を選んだ理由とは、僕が暗闇であったことだろうと思う。みづはさんにとって、外界とはストレスの嵐であったに違いない。そしてそれらから逃れることは「悪いこと」だの行動規範が、みづはさんを苦しめていたのである。

 僕が外界の全てを「絵空事」としか認識できないでいるように、みづはさんが受け入れられる外界にも歪んだバイアスがかけられていた。その世界に浸ることを赦す存在が、僕だったのだろう。

 みづはさんの世界に僕は簡単に巻き込まれてしまうだろう。もともと僕には確固たる基盤などなかったのだから。闇から闇へ渡り歩く眼が僕の本質であり、それだけだったのだから。 

 誰の言葉も響かず、誰の成せる業も掠めなかった。僕は何も語らず、何も成さず、ただ見ていた。しかし、「我」無きままに見るなどということは不可能だ。無垢な世界をエゴによって切り取る。そんなイメージこそが幻想だ。自分と無関係な世界など、どこにもない。従って、誰の声も届かず、誰の手も触れることの無い世界とは、単に距離の問題にすぎず、例えば僕だけが別の事象限に在る、などという意識こそが、無知の証左なのであった。


 10月の雨上がりの夜、みづはさんの言葉を聴き、みづはさんの指先を慈しみ、みづはさんの貝殻のような骨を感じ、みづはさんの吐息を吸う。一度目はこの胸に抱くことが適わなかったみづはさんの身体を、この体で包み込む。そのあまりの近さは僕の眼から焦点を奪い、やがてその肌を、全身の触覚でむさぼることの夢中になった。盲獣のような営みのさなか、僕は僕の組み敷いている無抵抗な柔らかな肉の名前を失念し、同時に僕の名前も捨て去っていた。

「どうして?」とみづほさんは問う。

 僕は、思考停止の状態のまま、最も陳腐で、最も無責任で、最も都合が良い、それでいて最も真実らしい返事をする。

「愛してるから」

 この言葉を合図に、二つの機械の歯車が、回転を始める。まだ、全ての歯車の歯数と回転方向を検証し尽くしてわけではなかったし、互いの機械の中ほどには、無数のブラックボックスが存在する。滑らかに運動を始めた歯車が、いつなんどき、不調を来たして、分解してしまうかもしれないというのに、二つの機構は一つに組みあわされ、運動を始めてしまった。

「愛しているから」これは、何かの説明のために使ってよい言葉ではなかった。

 それでいて、この言葉は「説明のための言葉」でしかなかった。


 僕はみづはさんの魂を好ましく思っていた。それは「愛」で良い。プラトン以来の理性的な在り方の一つであり、「師弟愛」に属するものだったろう。そこには、尊敬と謙譲とがある。「師」と「弟子」という固定した関係性のみならず、互いを「師」と感じる関係もまた、この範疇に含まれる。それは「同志愛」と呼ばれることもあるだろう。

 だが、「性愛」となると、これは獣欲の範疇だ。「獣」という言葉に反感を感じるならば、「本能」と言い換えてもよい。性愛は子を作るための自然の摂理がもたらした情動である。

 「性愛」において、二つの存在は互いに一つになりたいという欲求に突き動かされる。二つの個体は融合できないからこそ、一つになることを望むように仕向けられる。様々な変態性欲の原理の一つとして、この融合への欲望がある。融合したい対象や、融合の仕方のバリエーションで説明されるフェチシズムは枚挙に暇が無い。(この欲望に、古来人間は一つであったという半球体仮説が生じる理由がある。ただし、それは男女間のみにではなく、全ての存在が一つであったためというべきである)

 「師弟愛」「同志愛」は、互いの存在を尊重するものであり、その意味で、やはり二つの個体は融合することはない。だが、思想、観念は融合しうる。ここに「魂」と「塊」との違いがある。だから、「塊」同士の融合が暴力性を持つのに対し、「魂」同士の融合には未来があり、和平がある。

 「塊」の擬似融合の行き着くところは、子供だ。そこに二人の融合を見出さそうとする。だがそれは、単に、三つ目の塊なのだ。1+1=1ではない。1+1=3なのである。

 「魂」よりも「塊」を重んじるこの世界において、制度上の融合が婚姻だ。あらゆる塊的欲望(すなわち盲獣的欲望)を「人間的」「理知的」「文化的」だと言い張るために、この世界の全ての社会制度はある。人間の皮を被った獣の世界がこの世界だ。その皮をかぶっていれば、性欲も純愛に見えてしまうのである。


 僕はみづはさんの身体を全身でむさぼった。それは視姦することなんら変わるところは無かった。僕の身体全体が眼になっただけのことだ。そしておそらく、みづはさんは、ずっとその眼を閉じていた。「塊」から「魂」を慰撫するという方法は幻想だ。「塊」は「塊」のために快楽を与える。薬物が精神を破壊するように、「性愛」もまた精神を鈍磨させる。みづはさんは、むしろそれを望んでいたのかもしれない。この世界は、これまでのところ、彼女の魂にとっては「生き難い」環境だったろうから。


 同人誌bellbellは、ようやく原稿が揃ってきた。ページレイアウトも上がってきていたので、僕はだんだんとワープロ入力を始めていた。何人がワープロを担当するのかは知らなかったが、各社のワープロ間でデータのやり取りをするのが難しいことも考えると、あまり大勢には発注できないはずだった。僕のように大学入学を機に、生協でワープロを購入した者同士であれば、NEC文豪シリーズ間でのやりとりとなるはずなので、おそらくそういった人選がなされているのだろう。また、短編やコラムのように、他ページとの書式の整合性にさほど神経をつかわないものであれば、むしろ冊子の中でのメリハリといった観点から、別書式の原稿となったほうが、効果的かもしれない。そのあたりのことは、割付担当が、編集会議で熱い議論を戦わせたことだろう。僕は相変わらず、土鈴の会の部室には顔を出したことは無く、スタッフ紹介のコーナーにも、学生名簿以下の情報しか書くつもりはなかった。

 大勢の人間と、一つの目的にむかって協同で作業する、というスタイルに、僕はあまり魅力を感じたことがない。だから、吹奏楽にしても、一つの曲を全員で完成させるという部分にはまるで興味はなかった。運動会でも、文化祭でも、作り上げる過程においては、「たいしたものが出来上がるわけではない」と思い、完成した時には「製作過程にたいして携わったわけでもない」と思った。いづれもがどこかヒトゴトであり、そういう心境は、僕自身の生活そのものにまで、浸透していた。

 僕の生活は、まるで僕の生活ではなかった。僕はいつも、間違った所で、間違ったことを、間違った方法で、やらされている。

 小中学校での不遇の時代から逃れるために選んだ高校で、僕は先生に出会い、この大学への道筋に乗ることができた。そして、唐突に吹奏楽とbellbellとみづはさんに遭遇した。それは全く「運命的」といえなくもない展開だった。これまでの人生の一切が無駄ではなかったと錯覚させるに十分な収穫物ではあったのだが、そうした果実を味わう僕の舌は、まるで、僕の舌のようではなかった。電車に乗ると、いつも一車両向こうの乗客達が、奇妙に大きかったり、小さかったり、電車の振動とは別の、もっと大きな波のような揺れ方でブレていることに眩暈を覚えたりした。思い切り吹き鳴らしているはずのトランペットの音が、ひじょうに遠くから、半音もズレて聞こえてきた。ワープロを打っていると、いつの間にか、原稿とは全く違う文章を入力していて、その間違った文章が全く日本語の意味を成していないことに気づいても、平然と行消去を繰り返していたりした。僕は、懸命に眼を開き、耳を済まし、手を伸ばした。しかし、僕は、僕自身がこの世界に生きているのだという実感を感じられずにいた。あと一週間ほどで訪れる前期試験の準備は手に付かず、ドイツ語はほぼ全滅だ。僕は勉強の仕方そのものを全く忘れてしまっていた。高校まではそれだけしか役立つ技能は無かったというのに、共通一次試験を回避する(つまり、この大学の特別推薦枠を受ける)という選択をした時点で、僕は試験勉強を乗り切るテクニックを忘れていたようだった。何かを覚えることが出来るなどと信じることは出来なかった。一心不乱にワープロ入力をし、全文消去を繰り返した。初心者練習室で、ひたすら練習今日を吹き続けた。ゼミでは必ず一番前の席に座ってノートを取った。それらは全て、時間を飲み込むための手段にしかならなかった。


 みづはさんとかをりと僕との交流は、高校生の頃の先生との交流に並ぶかけがえのないものだった。と同時に、僕とみづはとの関係が肉体的なものとなり、次第にその比重が高くなっていったことが、みづはにとっての僕の存在意義を失わせていった。

 僕は自身の精神性によって彼女らに受け入れられ、その精神性が結局のところ借り物であったことが露呈すると、それまでの過程の一切が通俗へ堕した。さらに救いようのなかった点は、僕自身が、僕の精神性を借り物だなどとは思ってもいなかったことだった。そして、その借主が、外でもないみづはさんその人だったのだから、始末が悪かった。みづはさんが、最終的に「あなたといてもどこにもいけない」と告げたことは、全く正しい。僕はみづはさんの、歪なコピーでしかなかったのだから。

 かつて津島奈美が、自分を取り巻くあらゆるものに対するリフレクターとしての性能を、如何なく発揮して頃、僕はその本体を極めて精巧な義眼であると評したが、僕の反射鏡は、せいぜい、こちらに出てきてからなぜだか無性に心を捕らえ始めた安ピカモノのガラスに過ぎなかったのだった。その歪みや、曇り、ところどころに紛れ込んだ気泡から生じる反射などが、みづはさんにとって魅力的にだったのだろう。いや、結局、当時の彼女が求めていた存在こそ、双子の姉、のようなものなのではなかったか、と僕は考える。

 初めから、未来の無い出会いだったのだ。たとえ僕がプラトニックな愛を貫いていたとしたら、僕は彼女の結婚式に招待され、彼女の子供の名付け親になっていたのかもしれない。「将来、歳をとって独りになったら、また一緒に過ごしたいね」というみづはさんの言葉は、おそらく本心だ。肉欲の枯れた老人が、木漏れ日の中で思い出をついばんで過ごす相手として、僕達は実に似合いだ。彼女は疲れていた。彼女には休息が必要だった。そのための、暗がりが必要だったのである。

 僕は今はみづはにたいへんに申し訳ないと思っている。2年に満たない期間、彼女の時間を、紛いもので埋めてしまったことを。

 あの頃の僕達を振り返るとき、こうした言い訳をせずにはいられないのは、もはや取り返しがつかないところまで自分がやってきてしまったとの自覚があるからだ。人生に精神の崇高性を求めるのなら、おそらく僕は高校卒業前に現世を絶っておくべきだったのだが、当時はまだ、自分というものを信じていた部分が残っていたのである。


 「共依存」は、僕が人との繋がりを持とうとする場合にとりうる唯一の関係性だった。人が人を求める理由は、自らの欠落を補間したいためだ。相手に何を与えられるか、相手から何を得ることができるか。本能的欲望から社会的価値観にいたる欠損は、喪失感として感受され、この喪失感によって、人は他人を求めるのである。

  我々は、この社会にあって、根源的な喪失感と、物資的な喪失感とを区分する術を見失っている。さらにいえば、根源的な喪失感とは、単に生殖衝動から発する。また、物資的喪失感は、それを埋めることのできる相手に好ましさを感じさせ、それにより生殖衝動をも満足させる結果をもたらす場合も多い。両者は渾然となって、他者がもたらしてくれるはずのものを求める衝動を形成している。

 人間の交流とは元来「共依存」的である。特定個人に、自らの欠損を100%埋めてもらえたなら、他の人間は不要だ。二人の交差する眼差しに、互いに己の姿を見出し、そのライン上で完結する、互いは互いの囚人であり、幸福な終身刑に服する。100%が、90%になり、85%になり、30%になっていく過程で、ユートピアは無間地獄となっていく。幸福な終身刑から幸福が失われた時、そこに残るものは、単なる終身刑だ。

 なぜ、分かれないのだろう。互いに得るもののない関係を終わらせることすら、気力が必要だ。おそらくそれまでに払ったコストに縛られ、習慣によって規制された脳の回路が、関係性を固着させてしまっているためだろう。ましてや、相手を支配することを望んだ相手と、支配を苦痛と感じる相手との間の場合、一方にとっては有用な関係性を、もう一方だけの努力で断ち切るということは並大抵ではない。支配と被支配の関係は、暴力を伴わなくとも、普遍的に存在する。

 「共依存」は、歩く力の弱い相手にリハビリをさせることなく、かいがいしく介護し続けることで、歩けなくさせ、支配と被支配の関係を存続させることである。介護し続ける側のメリットの我執性は、時として「無償の奉仕」を偽装する。相手に何かを与えることでしか、他人と関係を存続できないと考える人間にとって、自分が与えられるものの品質が、得られる相手を決定する。だから、劣等な品質のものしか与えられないのであれば、そのレベルを求める相応の相手を探すか、または、相手をそのレベルにまで弱らせればよいのである。

 僕は人に求められることでしか、存在価値を見出すことが出来ない。小学生のとき、重たいものを持つのを頼まれたり、中学生のとき、試験範囲の難しいところを解説したり、高校のとき、閉鎖されている屋上への経路を教えてあげたりすることで、僕はその人との関係性もつことができた。ただそれはその時限りであり、問題が解決すれば、つまり、僕が持っているもので、欠落が補填されれば、関係も消滅した。だから僕は何の目的も無い、雑談というものを成立させることが一切できなかった。


 大学に入って、前期試験が終了したあたりで、僕は大学を辞めようと思っていた。夏休みにふと、「夏祭りの縁日のような、仮設建築のある風景」に心を捉えられたからである。具体的には、僕は建築に対する興味に目覚めたのであった。それも、永遠性ではなくて、イベントの時に現れ、終了すれば消えていくという、仮設のあり方に。

 それならば、イベント会場設営とか、企画の会社が最もふさわしいと思うのだが、僕はなぜか、「建築」へ向かい、「建築」に向かったために「仮設性」からはずれていった。商業建築や、インテリアプランナーなどであれば、スクラップアンドビルドのサイクルの中で、「仮設」という選択肢は有用に生かせただろう。そもそも、「夏祭りの縁日」とは、虹の下に市が立つ。というバザールへの憧れであり、祝祭日空間への羨望であり、カーニバルを待望する思いの現れであったはずだ。移動遊園地、移動動物園。コンサート。地に根付かず、それでいて人々の意識の深層に刷り込まれるハレの舞台に、僕は憧れていた。だが、それを最大限に楽しむためには、異邦人であらねばならない。 

 ふと立ち寄った町で、ふいに聞こえる太鼓の音。提灯行列。突然現れ、夢のように消えるもの。サーカスの非日常を楽しむ客と、その非日常を提供するために日々鍛錬を積む団員との間の隔たりは大きい。一般の人々に不可思議な時空を提供するため、団員達はみな、現実から浮遊していなければならない。団員の現実が、一般人の非現実なのだから。

 ずいぶん昔の、トリックスター論を陳腐に引用するだけの文章はこのあたりにしよう。僕はカーニバルを作る側に立とうし、永遠のカーニバルを構築するために建築を目指した。後期から、大学の授業に出ることはなくなり、図書館で建築論や都市論についての本を渉猟し、首都圏の有名な建築家の手がけた建物を見て回るという日々をつづけた。両親にも、みづはさんにも、特別推薦枠を用意してくれた高校にも言わなかった。それはについては、事後承諾でよいと考えていた。僕は自分の人生そのものを、ある種のカーニバルであると思っていたようだ。ハレの世界は一過性のもので、永遠ではない。だから、計画的な人生設計を考えることはできなかった。「建築」を生業とするために効率的な道を選ぶのではなく、大学から「建築」へ乗り換えるもっとも簡便そうな道を探した。端的にいって、入学試験が簡単なことである。費用については、大学生活4年分を支払う予定をしているはずの両親が払えるだけであれば、むしろ安く済むのだから問題はないという理屈をつけた。「大学卒」の資格を捨てたことを悔やむのは、それから30年近く後のことである。

 当時すでに、僕はみづはさんの部屋で半同居の状態だった。一日のうちで、自室に戻るのは大学への行き帰りのついでだけで、洗濯や掃除をして、着替えと翌日の講義に必要なものを用意して、みづはさんの部屋へ戻るという生活を続けていた。だから、僕が講義に出なくなっていることはみづはさんには早々に気づかれることとなった。朝はみづはさんより早く部屋を出ることはなかったし、みづはさんが部屋に戻る時間までには部屋に戻るようにしていたからだ。それは、みづはさんを独りにしておくのが不安だったためでもある。半同居を始めてから、僕はみづはさんが頻繁に鬱状態に入ること、そこから派生する自律神経系の失調による、過呼吸や、不眠、抑うつからくる軽度の自傷(睫や髪を抜くなど)が見受けられたからだ。サークルではパーカションを担当し、常に朗らかに振舞っていたが、その状態は、彼女にとってはブースターの発動状態であり、一人になってからは疲労困憊し、暗澹たる抑鬱状態のなかで不眠に苦しむのが常だった。一方で、早朝覚醒する日と、ベッドから起き上がることが出来ない日とが、ランダムにやってきた。みづはさんは可能な限り1限に講義をいれていなかったが、それは翌日の朝、自分がどのような状態にあるか分らないためでもあった。

 僕は彼女の横にいて、苦しければ背中をさすり、もとめられれば、肩を抱き、共に泣いたりもしていた。僕はみづはさんの不安に対処できない自分のふがいなさに泣き、そういう僕をみたみづはさんは自らの悲しみを一時棚上げすることができた。それがよりみづはさん負担になっているという可能性も考えてはいたが、泣いているみづはさんに対しては、どんな慰謝より、共に泣くことの方が、みづはさんの気持ちの回復が早いということを、僕は経験から知った。

 みづはさんは、例えば、魚の缶詰をかったおまけについてきた、プカプカ浮かぶ魚の風船が、外出中におそらくベランダに面した窓から風に吹かれて外へ出て、そのままどこかへ行ってしまったことに気づいた時に、激しく泣きじゃくり、「ごめんなさい」と謝り続けたりした。それは、僕に対しての謝罪ではない。たった一人で、外界へ放り出されてしまった魚の風船に、向けられた謝罪なのであった。そんな時に僕はみづはさんの気持ちと同調し、一緒に泣いた。風船を探しに行くとか、別の風船をもらってくるとかいう建設的な解決方法は、みづはさんの悲しみにはなんの効果もない。みづはさんの悲しみや不安には、具体的な原因は存在しないからだ。一見してその原因らしき要因があったとしても、それは単に悲しみや不安が発動するきっかけにすぎない。基本的に、彼女の内面は、悲しみと不安によって成り立っている。その根源には、この世界における生き難さがあった。

 「生き難い魂」とは、高校時代、先生が僕に言った言葉だ。閉鎖された校舎の三階で、先生とコーヒーを飲みながら、僕は自分が間違った場所にいると感じ続けている、というようなことを、一方的にしゃべりまくっていた。そういう時、というか僕の話し方はいつでも、相手に向かって何かを伝えようとするのではなく、いや、話したくなった時には、自分の考えを相手に聞いてもらいたいという気持ちで始まるのだが、話続けるうちに、その脈絡を見失ったり、反証を思いついたり、それまで話した一切が、まるで検討はずれだと気づいてしまったりするので、訂正を繰り返す羽目になり、結果、相手に理解してもらいたくて始めた話は、自分が何を考えているのかを探そうとする独白に取って替わってしまう。

 先生のすばらしさは、僕が僕自身の考えに埋もれ、迷い、ほとんど聞き取れないほど小声で早口になってしまった場合でも、「それってつまり」とか「考えがまとまったらまた聞かせてね」とか「難しいのね。でも大丈夫」とか言って、その思考を切断するような態度を一切みせず、ただじっと傾聴してくれる、というところだった。

 この世のあらゆる事物に、「確定」という状態はありえない。というのが、その歳までに僕が掴み取った唯一の事実だった。だから僕はあらゆる事について「だと思う」「かもしれない」「今のところは」という言い方しかできなかった。土曜日の翌日が何曜日かと聞かれたときも僕は「日曜日だと思う」と答え、決して断定することができなかった。何よりも、僕は僕自身の存在自体に、疑いを抱いていたし、この世界の継続性についても信じていなかった。

「あなたはこの世では生き難い魂を持っているけど、生きているってだけで、それはすばらしいことなのよ」

 僕が自身の思考に踏み迷い、諦めてこの世に帰還した時、先生はそう言った。

「その、生きているという事に確信が持てないんです」と僕が言うと、先生は、

「我思う故に我有、ね」と言って微笑んだ。

 僕はそういう先生の魂こそ、この世にそぐわない純潔で誠実なものであると思っていた。純白の睡蓮の華は泥から高く顔を出したところに咲くのだが、先生は、泥沼の只中にあって、清廉な華を咲かせているのだ。なぜ、そんなことが出来るのか、僕には分らなかった。

 みづはさんは、「生きていくことは、汚れていくことだ」と思っていた。しか

し、汚れることは決して、悪いことではないとも考えていた。それは僕も同感だ

った。

 この世界で生きていくためには、どこからか、なんらかの手段で必要なものを奪

わなければならない。しかも、その必要なものは有限で、なおかつ、それを必要と

判断するのは、自身の欲望にほかならない。誰かが取れば、誰かが失う。それがこ

の世界で生きるということだ。

 繰り返して言えば、それは悪いことではない。それが悪いことだというのなら、

生まれてきたことが悪い、ということになる。生まれてくることは避けようのない

事件であり、キリスト教における原罪や、仏教における業などは、この生命として

避けることの出来ない存在の「悪」としているが、道義上も律法上も「悪」ではな

い。

「生まれてすみません」と嘯く姿勢は論外として、生命が多くの犠牲の上に成り

立っていることから眼を逸らすことは赦されない。

「汚れていく」とはつまり、自らの手についた他者の血のぬくもり、べたつき、

そして匂いなどを感じ取っている証であり、しかもそのことを「悲しむ」感情の存

在を表している。

 この場合の「悲しみ」とは、「汚れちまった悲しみ」などではない。自分という

生命が喰らってしまった他の生命の不憫さと、そうすることが避けがたい宿命を悲

しむのである。悲しんだところで、喰らうことを止めることはできない。いや、止

めてもいいのである。それは「死」を意味しており、確かに、他の何かを喰らう必

要はなくなるのである。だが、「死」によって、誰かに喰らわれることもなくなる

という点を忘れてはならない。生きていくということは、喰らい、喰らわれる関係

性を続ける、ということなのだから。

 みづはさんは、なるべく少なく喰らい、そして多くを喰らわれるライフスタイル

を選択してきたと思う。それは自らを生贄をする精神に似ていた。問題だったのは、

喰う側にとって、みづはさんは単なる食い物でしかなかったという点である。彼女

は空気のように喰らわれ、何の歯ごたえも与えられないまま、慰みものとされ、

しゃぶりつくされる経験に、消尽しきっていた。

 そうした例は、数限りなくある。資本主義の世の中にあっては、貧しい者は買い

叩かれ、すり減らされ、不味い不味いといわれながら食い散らかされる。そのよう

に扱われることは「生命の尊厳」を踏みにじられることと同じである。

 この世界において、経済と生命とはほぼ等価である。


 「汚れないと生きていけない」とみづはさんは言った。それは「強くありたい」と

いう決意でもあった。「汚れ」に敏感な分、その決意には悲壮感すら漂っていた。


 先生は汚れない人だ。いや、先生自身もこの世界に暮らしていれば汚れること

はあるだろう。その汚れが先生自身を侵していかないのである。みづはさんは、

自分が汚れていくことを憂いていた。それは自分が悪く変質してしまうことに対

する絶望感からくる憂いだ。

 先生は汚れない人だ。色即是空を体現する、というのも奇妙な言い回しだが、

この世で先生を構成しているモノの集積は当然汚れるのである。しかし、それらの

モノを集積させている流動体は汚染されないのである。汚れとはモノの汚れであり、

その影響はモノにしか及ばない。だから、みづはさんは、汚れを恐れる必要は無

かったのだ。

 この世界は、モノとモノを構造化する流動体からなる。そして重要なのは、この

流動体の方であり、流動体は汚れることは無い。みづはさんの不幸は、自分の存在

を、この世の存在のレベルで捕らえることしかできなかったところにある。そして

そのことは、この世の大多数の人間達にも当てはまる。

 少数の人が、自らの本質が肉体とは異なるところからきているのだという感覚を

常に保持している。同時に、この世のあらゆるモノをそれぞれの仕方で構造化して

いる運動は、ただひとつのものであるということも感じている。

 たとえば、非常ににごって、落ち葉や枯れ枝やゴミが漂う川の流れがある。それ

は濁流の渦として視認できる。だが、その濁流から、濁りの原因を取り除くことは

可能だ。そうしあらゆる濁りの原因を取り除いたときに残る水流は透明である。こ

れは不完全な喩えで、水流は、水と地形というモノの性質に依拠してその構造が決

定するが、先ほどから言っている「流動体」は、それによってモノの性質を決定し

うる、より根源的なレベルにある。原子、分子の組み合わせによって性質が決まる、

のとは順番が違う。まず動きがあり、それによって原子、分子が構成されるのであ

る。

 先生も汚れるが、汚れない部分に近いところからこの世を感知することができる。

というのが少しだけ真実に近いのかもしれない。

 先生は、「生きていることは、それだけで、素晴らしいことよ」と言った。

「生まれてきたこと」でも「生きること」でもなく、「生きていること」が、

「それだけで」素晴らしいことだ、と。


 『この世に奇跡はない。この世があることこそが奇跡なのだ』

(柄谷行人氏の著作からの孫引き)


という。だがその奇跡性は、この世があるという事実によってのみ現れる類のもの

だ。全てが奇跡であるなら、もはやそれらはごくありふれた当たり前の事象であり、

生まれて死ぬこともまた、当たり前の事象なのである。


 入り口と出口が不明瞭なまま、腸の蠕動運動によって肛門にむかって押し出されて

いく排泄物のように、我々はこの世に存在している。

 排泄物は自身の来歴を知らず、末路も知らない。ただ、真暗な中を搾り取られつ

つ押し出され、不要物となって排泄されるだけだ。その時、身体に取り込まれる部

分が、いわゆる「霊性」であるのなら救いはあるのかもしれないが、私はその立場

を採らない。なぜなら、栄養エネルギーの偏在は、モノの存在を示しており、モノ

があるということは、「一」の世界ではないということだからである。


 先生が感受する「素晴らしさ」は、おそらく私たちが定義する素晴らしさとは全

く違うはずだ。僕はその素晴らしさについて、話を聞いてみたかった。

 西武新宿線沿いの田園地帯の一角に、先生の勤め先がある。その中庭で僕は先生

と待ち合わせた。


 7-1

 都合の良い日は、手紙で尋ねた。電話だと出会いが濁りそうだから。いわずも

がなの片言隻語が間を薄めてしまうような気がして。

 急ぐ用事はない。とっくに単位など、取るに足らんものになったし。サークル活

動が始まるまで、学食でサラダ食べて、スープ飲んで、腹ごなしに図書館まで散歩

する。沈没船のような、沈没船が沈む深海のような、光の届かぬ畸形の巷に、押し

つぶされた気泡はやがて、次第に浮上し、どんどん膨らみ、飛び出し潰える瞬間に、

世界と一つに溶け合える、なんて希望は持たない。

 僕とみづはに、未来はなかった。この出会いを宿命と信じあえた時、互いの時計

を止めたのだから。

 永遠に続く今。僕がみづはにできることは、ただ時を止めることだけだった。

 なんというエゴイズムだ。

 互いが互いの瞳に映る合わせ鏡に広がるゼロの無限にもぐりこんで。互いに手を

とり吹きすさぶ風に抗うように、ぐるぐるとその場で回り続けるばかり。

 生き難い魂とは何だ。

 生きることに倦んだ魂を生んだ魂胆はどこにある。

 頭が痛い。腹が痛い。胸がつかえる。息ができない。腰がいたい。脚が動かない。

咽が渇く。眼が破裂しそうだ。心臓がバコバコする。重力が斜めっている。あの人が

私を蔑んでいる。あの人が私を憎んでいる。理由もなく嫌っている。もう飼えない。

だからリリースした。あの人とは分かり合えない。分かり合いたい気持ちはあるのに、

あの人が心を閉ざしているから。無理やり抉じ開けることなんてできない。赤ちゃん

ポストにまた独り。闇。一瞬のきらめき。そして闇…

 人の塊は冷たい溶岩のように鬼押しされて、これまで訪れたことの無い番号の見慣

れた階段を上がると、少しだけ風通しのよい空間に出た。これが本当の空だ。

(20151220)


7-2

 雨が耳の中にまで降っているような午後。道路脇の畑の土は黒々して、散乱するキャベツの白が生なましい死を思わせた。

音が飛沫とともに僕を追い越すと、それは単なるワンボックスカーだった。10トントラックの轟音も、スクーターがスピッツのように喚いていくのも、分厚い雨の向こう側の出来事だった。

 ビニール傘は嫌いだ。でも、安くて惜しくないから使っている。それでいて、もう1年以上も同じビニール傘を使っている。愛着はわかない。どうでもいいものに囲まれて生きていく。愛着は疲れる。

 背後から強風が吹きつけ、先生のところまで飛ばされる。まだキャベツと、ビニール傘のことしか考えてない。

 生き難い魂とは何だ。

生きるというのは結局、貧しさを怖れる所業じゃないのか。

生まれてから死ぬまで夢の中にいる男を知っている。親からの遺産を食い尽くしたところで生きるのを止めた男の話だ。

「労働を夢とし、夢を労働だと言い切る立派な人達に、僕はなれそうもありません」

「芸術はもともとそういうものだったようね。ギリシアには奴隷がいたから、芸術に打ち込むことができた」

「今、大半の労働は奴隷の側に立つことではないでしょうか」

「パンがなくとも花を飾ろう、という姿勢を尊いと思ったこともあったけど」

「パンがなくとも、粘土のためにストープの火を絶やさないようにしよう、というエゴイストがいましたね」

「高村光太郎ね」

「僕は寺山修司の意見に賛成です。東京には空が無いという千恵子の悲痛な訴えを、たんなるたわいのない話と切り捨てた」

「男女の役割の違いと、男尊女卑との区別が無い時代に、才能を与えられてしまった女性は、とてもたいへんだったでしょうね」

「やはり才能はギフトだと思いますか?」

「そうね。周囲を巻き込む力なんだと思うわ。そして周囲に理解があることが大切なんだろうな。でも不世出の天才っていうのもあるな」

「それって、結局、見出されたから、不世出、なんていわれるわけじゃないですか」

「死んでから有名になる。時代が早すぎた天才の話ね。その時代が求める才能って、あるんだと思うけど。認められなければ不幸かっていうと、そういうのとも違うような気もするのよね」

「認められないと困るのは、貧乏な場合でしょう」

「お金があっても、名誉欲がつっぱっていたら、不幸でしょうね」

「貧乏で名誉欲が突っ張っていたら、最悪ですね」

「なんだか、そういう人って、天賦の才があるって気はしないわね」

「天才は、変革を怖れないです。凡人は替わることを怖れる」

「君子豹変す。はまた違うけど」

「それとブレないってこととはまた違うんでしょうね」

 子供たちがころころと転がる、読み聞かせの部屋は緑の絨毯で、ゆるやかなすり鉢上になっている。僕は先生と二人、その一番高い部分の壁際で、少しだけつま先に力をこめて体育座りとしながら話をした。新しい靴下にしてきて良かったけれど、雨で少し濡れているのが気になった。先生はストッキングの上に、萌黄色でレースの縁取りがついた短い靴下だ。くるぶしのあたりにカスミソウのような刺繍がついている。カスミソウはみづはが好きな花だ。(20151227)



7-3

 ちゃんと食べて、ちゃんと眠る。の値段はプライスレスだけどデフレ誘導だと

テレビが答えた。

インターネットは便利で、地球に優しい手軽な通信方法だと思ったら、四六時中

もガンガン冷房使いまくり。エコ? 地球のためにできることなんて何一つ無い。

一個しかない羊羹の時空を細切れにしてみんなで長く飢えるか、丸齧り組と食べ

こぼし組とに分かれるかの違いだけ。歴代人類総計で羊羹一本平らげることに変わ

りないし。羊羹を一本作るのに、羊羹5本が必要なんだそうですね。

 大きくなって、自分がどんな仕事をしているか。父親がどうやって毎月お金を

もって帰ってきたか。一度きりの人生をお金のために売り飛ばすのはもったいない、

と駅前で歌うエアバンドに、ギターくらい習ったら? と言って500円硬貨を投げ

与える冷酷さは、10年以上英語を勉強しても、観光客に駅までの道順を教えること

さえできない人の諦めね。この島に入ってきたらにはこの島の言葉で話せよと、エ

ネルギー資源の95%を輸入に頼っている島民の苛立ち。

 まとめるとだいたい、そんな会話をしている奥様方。


 転がる子供。ころころと転がり落ちる位置エネエルギー。母親が受け止める。若

く見える、妊娠中も赤ん坊と羊水以上に太らないようにカロリーコントロールを完

全に成し遂げ、出産前と替わらぬ服に身を包んだ母親が、推定15キログラムが転が

りおちてくる衝撃を片手で捕球するパワーは、昼下がりにいただいた美術館カフェ

のマーマレードのためかもしれない。


 「お茶でものみに行きましょう」と先生が言う。

 「ぜひ」と僕は答える。 

 立ち上がると、足下に、すり鉢の底が遠く見えた。ぐらぐらと揺れる。はるか下

方から蜘蛛のようにワラワラと這いつくばる子供たちの群れが見える。細い糸が眼

前をただよう。一瞬世界の周辺が細かな赤青紫の点描へ分解されていく。すり鉢の

底がにわかに近づき、僕はそのまま奈落へ滑り始める。冷たい何かが僕の腕を挟む。

「錐島くん」

 見上げると先生が中腰で、僕の左肘を両手を輪のようにして抱えている。

「先生」

 僕は先生を見上げる。ずるずると落ちる。

「先生、手を話してください。先生まで落ちることはないんだ」

「錐島くん。しっかりして」

 僕と先生は、繋がったまま、ずるずると落ちる。

「離してください。先生を道連れにはできない」

「何いってるの」

 もう、半ばまですべってきた。子供たちの嗤い声。母親たちの内緒話。

 そのまま、二人で扉の前まですべって降りた。

「あーあ。とうとう先生まで奈落に引きずりこんでしまった」

「びっくりした。突然倒れかけるから」

 ご心配をおかけいたしました。と部屋の人達に頭を下げて、先生と僕とはカフェへ

向かう。

 僕の世界いまだ、点描のままだ。(20160104)


7-4

 「何者でもない、という自由さ、でしょうか」

 「何者かでありたい、という志は、わるいものじゃないけど」

 「何者でもない、という不安、でしょうか」

 「自由って、とても孤独なものなのかもしれない。だけど、周りの人達を慈しむ姿勢を、不自由だとは、呼びたくないな」

 「何者でもないことを、自由だと感じることのできる強さ」

 「頑なにならないようにって、私はずっと気に留めているんだけど。でも、なかなかうまくはいかないの」

 スコーンにティー。チーズとマーマレード。アッサムだったり、ダージリンだったり。ミルクorレモン?

 午後3時の喫茶室のざわめきは、談話室に磁器が加わり、調理場からの湯気に包まれている。

 あの日、滝の下で先生と話した。

 入水した僕に、先生はただ立ち尽くし。

 滝が額を打ち、あっというまに岸へ戻された僕を見下ろす先生の青白い顔の向こうの、緑のドーム、木漏れ日。

 それは美しい思い出だった。

 中学校のグラウンドの、フェンスの破れ目から、こっそりと

 先生と入り込んだ。崖を下る僕達は自然と手をつないで、互いを支えあって、下っていった。

 蝉の声があまりに蝉の声すぎて、夏の世界には響かなかった。思い出す夏に聞こえる蝉の声は、BGMじみている。

 夏の記憶もまた、フリー素材「夏」の一つでことたりる。

 だから、あの夏休みに、先生と二人で行った滝つぼの思い出は、「夏」の思い出に括られてはいないんです。

 と、そんなことを話していた。

 先生は、ずっと笑いながら、崖の斜面の急だったこと、幹に鋭い棘をいっぱいに備えた樹におどろいたこと、シダの香り、しっとりとした土の感触、滝の音や水しぶきのことなんかを語っていた。

 僕は先生の記憶が、「夏」とか「教師時代」とか、そんな一般的な括りをもっていないということに気づいた。当たり前のように、先生は一回限りの生を生き、一回限りの経験をそのままに通り過ぎていく人なのだと、気づいた。先生にも記憶や思い出はある。でもそれは僕が持つ記憶のようなインデキスを持たない。そう気づくと、僕のこれまでの思考の全てが恥ずかしかった。(20150110)


7-5

 失いたくないものばかりなのは、その隙間の形が自分だからなんです。

 隙間。わかりますか?


 みづはさんが言った。ベッドの中。月明かりが、カーテンの隙間をまばゆく埋める夜だった。北欧家具のカタログにありそうな、セミダブルのベッドは、独り暮らしを始めるみづはさんのため、彼女のお父さんが買って、汗だくで、半日がかりで組み立てた。その軋む音が、耳に障る。僕はみづはさんと結婚する未来に続く道を進んでいるのだと思っていた。


 「隙間……」

 先生はその言葉を、ミルクティーに溶かして味わっているようだ。少し渋みを増したアッサムミルクティー。くるくると立ち上る湯気。

 「僕は、人というのは、川の淀みにたまったゴミの集まりのようなのではないかと考えています」

 僕は、かつて先生と3階で語り合ったあの調子を取り戻しつつあった。先生の前で、素直になろうとしても、それは不自然なポーズでしかなかった。むしろ、僕は言葉で組織した繭玉をこしらえて、先生に紡いでもらいたい。そして、煮殺されたい。

「生きていると、いろいろなことに出会うよね。その一つ一つが私の力になるし、指針になる」

「みづはさんの感じている現実も、たぶん同じなんだと思います。だけど、立ち位置が間逆なんです」

「今、ここに、こうしている、ってことは、変わらない」

「はい。僕はこうして先生と交流することができる。みづはさんも、自分の不安を、僕に伝えることができた」

「独りじゃないって、信じられることが幸せなのよ」

「みづはさんは、なんというか、非暴力不服従なところがあって」

 スコーンを齧る。先生の前歯は小さくて、かわいい。そして何かを口にするときの先生は、いつも真剣な面持ちをする。命をいただいているのだという、原理的な認識が、捕食者としての人間であることの罪の意識が、先生を常に優しくするのだろう。

「隙間、埋めてしまってはだめなのね」

 不意に先生がつぶやく。僕はその唐突さに、言葉を失う。たくさんの記憶の場面の、みづはの姿が白抜きになる。クエスチョンマーク。

「不可侵な場所なんです。みづはさんはそこに誰かを受け入れたいのかもしれない。でもそこはブラックホールなのかもしれないという恐れが彼女にはあって、そこの入り込んだ物と一緒に、自分も引きずり込まれてしまうかもしれないという恐怖がある。「頭山」みたいな話です」

「自分の在り処、か……」

 先生が最後のティーを注ぐ。右手にポット、左手にミルクピッチャー。その慣れた手つきに、僕はなぜだか嫉妬心を感じた。みづはさんが、毎朝お香を立てるときのしぐさの慣れた様子を見るときにかすかに感じる気持ちと似ていた。(20160116)


7-6

 「錐島君はいつも、自分に、真正面から、向き合っていたね」

 そう言う先生の視線は、僕の頭のてっぺんから上に逸れ、喫茶室の壁と天井との境目の辺りが、まるで透徹しているかのように、彼方へと放射していた。先生の視線の描く、緩やかな傾斜に僕の視線を合流させてみる。すると視界は僕の頭上を背後に超えて、広々とした草原へと開けた。その景色は、あの中庭のそれと酷似していた。四辺を校舎に囲まれて、先生が再発見するまで、見下ろす者さえいなかった、打ち捨てられた中庭。井戸の底からの眺めのようだった空も、今は、無辺の広がりを見せているではないか。「山のあなたの空遠く」

 と僕はつぶやいていた。

「涙さしぐみかへりきぬ」

 と先生が続けた。

 僕は、先生が泣き出すのではないかと、疑った。そして泣き出した先生が、みづはになり、そして先生とみづはとが並んで笑っているのを、僕が呆然と眺めているのだった。

 僕は、彼女らとの決定的な違いを、示されたのだ。先生とみづはさんとだって、もちろん違う。だが、その違い方は同じライン上のあちらかこちらか、といったものだ。

 僕は、まずそのラインを自ら引かなければ、いけなかった。咳き込みながら、石灰をつめて、目が痛くなり、あちこち白くして、ようやく一杯にしたラインマーカーを、ひきずり、そこかしこに、石灰の点や、山をぶちまけながら、スタートラインを設定し、そこから最終ラインまで。だが、どこを起点とし、どこを終点とすべきなのかも、実はわからない。そして、注意深くヨタヨタとラインマーカーを押す。引いたほうが上手に引けるんだ、という体育教師は、小学生時の教師だった。僕はノースリーブの体側服と、半ズボンで、靴下をはかず、紅白帽を律儀にあご紐までかけて、ヨタヨタとラインを引く。振り向けば、全てを消し去りたいほど、歪んでいる。みなが笑っている。途中なのに石灰が無くなる。予鈴が鳴る。焦る。もう間に合わない。

「自分について考えるより、他人のことを大事にすることを考えるべきだったんです」

 僕は搾り出すように、答えた。(20160124)


8 時計(仮)

8-1

 そんな気持ちが起こったことに、僕は戸惑っていた。

闇雲に、メープルシロップをパンケーキにかけ続け、皿の中の10枚の小さなパ

ンケーキは、煮すぎたナスのようになってしまった。

「郁夫。それはさすがに、かけすぎじゃない?」

 とみづはが呆れ顔をしている。レジの脇からウエイトレスが、僕の手元に凝視し

ていた。

 ハニー、メイプル、ブルーベリー、レンゲ、というラベルのついたガラスのポッ

トと、チョコ、ストロベリー、ラズベリーのラベルがついた陶器製のジャムポット

が、二段に整然とならべられた銀の器は、濃縮された糖分で、くもってベタベタだ。

 大学をやめた僕は、この4月から、六本木にあるデザイン学校に通い始めていた。

図書館で建築図面を見て美しいと思ったというだけの理由で、建築科があって、入

試が簡単なところを、建築雑誌を買い漁って探した結果見つけた学校だ。

 そこは2年間で卒業する各種学校だ。つまり、入って卒業するだけでは何の資格

も、また受験の条件となる実務期間の短縮措置も無い、ということだ。僕は、大学

から別の場所へ移ることだけを考えていて、そういう条件を重要なことだとは考え

ていなかったのだった。

 みづはさんの、吹奏楽の練習が無い金曜日の夜、僕達は、家から20分ほど歩い

て、このファミリーレストラにきていた。パンケーキがおいしく、生クリームが盛

大に載っていて、そして、シロップ類がかけ放題だからだ。僕もみづはさんも、甘

いものには目が無かった。家には、常時、お得用のチョコパイが常備してあり、僕

の実家から、かりんとうの仕送りは続いていた。

 芸術系だから、ということで、髪を伸ばしていた僕は、太りつつあって、繊細な

アーティストというより、ハードロックバンドのドラム、といった風体に近づきつ

つあった。

「でも、このあと歩いてかえるわけだしね。運動していないわけじゃないからOK

だよ」

 春先の夜は、途切れ途切れの生暖かさの隙間から、冬の名残が肌をなでる。それ

が襟元や袖口から、巧妙に侵入してくるのが癪だった。

「今夜の月は十六夜月だ。上ってくるにはもう少しだけ時間がかかる」

「月に背中を押されて歩くのは、とっても楽なのにな」

「月の光も、この辺り(と首の後ろあたりを指差して)に差し込んでくるやつにこ

そ、用があるんでね。by 稲垣足穂」

「浄化の感覚」

 ヘッドランプが追い越していくときの、唐突さ、有無を言わさぬ乱暴さ、照らし

出される僕達二人は、いつも一塊で、二人で二本の腕、三本の足、いびつな頭を

もった、異形の物に見える。幸せな化け物として、この世に生き永らえることなど

儚い。(20160131)


8-2


 現実の侵食を食い止めようとする努力もしないまま、僕はみづはさんと共にいることに慣れていった。すでに、みづはさんが求めるものを搾り出す努力も忘れ、みづはさんも、今更僕の搾りかすなど役にも立たないと感じていて、そう感じることに後ろめたさを覚え、「やっぱり郁夫は特別なんだ」と信じることが出来る何かがあるはずだという、分の無い賭けをし続けている。僕はそのことを知っていた。だが、彼女の賭けを締め切る権利が、僕にはなかった。そもそも、僕には手札そのものが配られていなかったのだから。

 それでも僕はみづはさんと共に暮らしていくものだと思っていた。彼女から別れを切り出されるまでは、泥濘の底に抱き合って沈んでいくのだと思っていた。それは覚悟などといった大層なものではなかった。出会ったころ、僕はみづはさんを泥沼から救い出したかに見えた。だが、僕は彼女の泥沼に自ら入り込んで、彼女をきつく抱きしめて眼を閉じて、キスをしていただけだった。彼女はただ、僕を呼吸することで、かろうじて窒息を免れていたに過ぎない。気づいた時には、自分の息だけでは抜け出すことが出来ないほどの深みに落ち込んでいたのだ。

 だから、僕は今後もずっと彼女と暮らしていくものだと思っていた。彼女はよく「人生の選択肢」と言った。それは、大学入学の春に、特別推薦者ミーティングで僕を見出し、そして吹奏楽部の入部希望者として近づくこと。同じ地区で独り暮らしを始めて、駅からの往復を共にするようになり、やがて、結ばれること。それまでに抱え続けていた興味や傷の全てが、そこに結実するのだと、みづはさんは夢を見るような瞳で語っていた。窓からの陽射しが彼女の左の瞳を照らし、そこだけが薄茶色になった水晶体には、その時彼女の脳裏に映り行く記憶のかたはれが、流れていた。

 僕も、高校で先生に出会ったことが、まず第一の達成であり、そこからこの大学への道が開けて、みづはさんに出会ったところが終着点であると、考えていた。そう結論するより他に説明がつかない奇跡だと思っていた。もちろん、結論から振り返ったとき、全ての選択は必然になる。そんな当たり前の指摘が耳に届かないくらい僕達は、互いのかたはれだと信じられた。

 彼女が求めていた形と僕がもてあましてきた僕自身の形が合致するという事実。僕はそのからくりについて検証することさえ怠っていた。今になって、判ることは、僕には、そもそも形などというものが無かったのだということだ。相手が臨んでさえくれれば、僕はある程度の形に変形することができる。しかし、そこにはかならず隙間やズレが生じる。なぜなら、僕には存在の強度が無いからだ。だから、僕はみづはさんの身体を求めながら、挿入射精には至らないまま終えなければならなかったのである。

  みづはさんの狭い内部に、性欲を押し込むこと。その痛みだけが、僕にとってリアルだった。僕が感じるものではない、みづはさんが感じるであろう痛みであったのに。

 それは、子供という存在のリアルに対する恐怖だったのかもしれない。僕は現実にアンカーされたいと思いながら、実はこの浮遊しているような感覚のまま暮らしていたかったのである。現実は僕からはいつも遠く、絶望的に広かった。

 みづはさんは、現実に生きる人だ。彼女の唇を、僕はぶよぶよとした粘膜越しにしか感じることができなかった。僕の涙は、自らの皮膚を守るためにのみ流された。結局、僕は自分のかたはれ、と信じることができると、信じていたみづはさんでさえも、守ることができなかったのか。いや、僕という存在からすれば、「相手」はみな現実の彼方をすれ違う影のような存在でしかなく、みづはさんのような大切な人だと認識すると、今度は彼女を僕の中に取り込んでしまうのだ。彼女がもちこむ現実から自らの内部を守るための粘液塗れにして。

 「自分について考えるより、他人のことを大事にすることを考えるべきだったんです」

  僕は搾り出すように、答えた。(20160207)


8-3

 「しかし、一緒に沈むことが、優しさでしょうか?」

 僕は尾花友希のことを思い出す。彼女には、生みの父親の他に父親が3人いて、目下4人目となりそうな男が実家で、母と暮らしている。そして、めったに実家に戻らない彼女の代わりに、どこからから迷い込んできた二十歳そこそこの女性を住まわせているのだという。僕は一度、その子と在ったことがある。友希がめずらしく時間をつくって、実家に戻ったとき、たまたま僕も地元に戻っていて、連絡がついたからだ。

「めずらしくこっちで会ったりしない?」

「いいね」

「じゃ、迎えに来てよ。うち引っ越したから目印教えるよ」

 当時、僕は既にみづはさんと離れた後だった。すでに、みづはさんは新しい彼がいた。駅前の本とCDレンタルとコンビニを任されている雇われ店長で、歳は僕達よりも10歳くらい上の、中肉中背のがっちりした男だ。大学に入ったばかりのころ、必殺仕事人が好きな知り合いができて、彼は「八丁堀」と呼ばれていたが、その彼と、雇われ店長の顔の区別が、僕にはつかない。どちらも、気の弱そうな、良い人だという印象を受けた。

 印象? そう。僕は雇われ店長に会っているのだ。みづはさんと彼とが結婚した後、僕は彼女たちの新居にお邪魔をして、2歳にならないみづはさんの娘をあやし、庭先でバーベキューをごちそうになったりした。その当時で、その一戸建てには、30匹の猫がいた。

 猫だ。結局僕とみづはさんとを最後まで結び付けていたのは、猫だった。数年前、というのは、僕が地元に戻り、15年余りを経て、高校時代の同級生と結婚をし、それから両親を次々に亡くして、親の介護問題が顕在化する前に帳消しとなってから3年が過ぎたころのことだ。突然、みづはさんから、メールが届いた。それは、誕生日のプレゼント交換を自重するようになり、クリスマスのプレゼント送付も、妻からの指摘で打ち切ってから4年ほどの月日が流れた後のことだ。

 「猫の多頭飼破綻。黒猫30匹の引き取りてを探しています」というツイートに、みづはさんが反応し、それが僕の地元だったことから、何とかならないかとメールをしてきたのだった。僕は、そのツイートの発信元を調べ、それが事実であることと、その午後からNPOが動き出していること。従って、即座に殺処分に回される恐れはないことを確認した。当時内には、4匹の猫がおり、餌代や、毎年の予防接種代金の負担を惜しいと思っていたし、毎晩、家からの出入りのたびに、起こされたり、何かというと抱いてもらいたがる最も年上の雄猫に、作業を中断させられるのでうんざりしているところだった。

 「ボランティアが動いているようです。うちには猫が4匹いて、これ以上引き受けることはできません」と返信を送った。この通信が年賀状を除き、最後のやりとりなったのだ。

 互いを互いのかたはれ、と信じ、出会えたことを軌跡だと涙ながらに抱き合った二人の最後は、猫に身を捧げる覚悟の差によって訪れたのだった。猫4匹などという理由をみづはさんが受け入れられるはずは無かった。そのころ、彼女の家には、98匹の猫がいたのだから。

 僕が、尾花友希と地元で会ったのは、大学をやめて、デザイン学校を2年で卒業した後、その学校で講師をしていた一級建築士の事務所の所長に声をかけられてそのままその建築事務所に就職をして1年が経ったころだった。まだ、尾花友希は、子宮頸がんの疑いもかけられておらず、もちろん乳がんの兆候もなかった。(20150214)


8-4

 新興住宅地の一角の二階建てが、尾花友希の実家だった。実家とはいえ、彼女はそこに住んだ思い出をもたない。彼女は常に、日帰りから一泊程度の客として逗留するだけだ。三頭いるスピッツの雌も、彼女にはよそよそしい。しかし、彼女が所用の間ソファーに座っていると、三匹のスピッツが先を争って、僕の膝へ飛び乗り、一生懸命で股間に鼻を摺り寄せてきた。フローリングの床には転々と、犬達の粗相の跡が続いた。

流し台の脇にある扉の幅しかない壁の扉が突然開いて、シミーズ一枚の老婆が現れた。彼女の祖母だと思う。彼女はじっとこちらを見ていたが、なんとなくその眼がスピッツ達の眼に似ている気がした。

「ばっちゃん。だぁーめだよ出てきちゃ」 と目がねをかけて、少々小太りの若い女が声をかけた。どうやら隣のへやで、ゲームをしていたらしく、ヘッドホンから漏れ聞こえる電子音が、雨の音のようだった。彼女は、明細のスエットの上下をゆるくきていて、チェ・ゲバラのイラストのついたよれよれのTシャツが見えていて、裸足の裏は汚れていた。

「あ、どうも」

 今気づいた、とでもいうように彼女が会釈する。そして向かいのソファーに座って、テレビのリモコンをいじっている。ワイドショーや再放送のドラマや、田舎訪問番組などがめまぐるしく切り替わる。スピッツ達は、彼女が現れてから、流しの近くに並んで、こちらを眺めている。

「ごめん、お待たせ」

 と尾花友希が現れたときには、30分が経過していた。その間、僕は冬の或る夜、みづはさんの実家に泊まったときのことを思い出していた。みづはさんには弟が二人いて、どちらも学業優秀であり、長男はバイオリン、次男はチェロをたしなみ、母は声楽をやっていて、父は尺八と水墨画の師範免状をもつ公務員であった。全員が当然のようにピアノを弾き、今の中央には学校においてあるグランドピアノが置いてある。僕は炬燵にはいると、グランドピアノの後ろ足に背中をもたれさせる姿勢になった。みづはさん自身は、吹奏楽部ではパーカッションだが、フルートとピアノと声楽を習っていた。

 そんな中で僕の付け焼刃の知識など、木っ端微塵にされるのは明らかだ。技能での知識でも、この家で僕が披露できるものなど何もなかった。ただ、こたつにはいり、なついてくれた老猫を撫で、であったことの無い家族の、日常を、驚きと、若干の気づかれと共に垣間見ていた。もちろん、長女が突然つれてきた男に対する不信感もあっただろう。それでも彼らは社交的であり、気難しいと聞いていた長男ですら、しばらくの間は、一緒にこたつに入り、クラッシック関連の雑誌を拾い読みしたり、学校での出来事を話したり、休日に予定についての細かな調整などを、僕の存在を気にせずに、普段どおりに、ふるまおうとしているようだった。

そんな空気に、僕は慣れていた。中学校に入るまで、父の実家へ呼ばれるたびに、僕は黙って、エビフライをつまみ、サトイモをつきさし、ポテトサラダをすくっていた。見たいテレビも読みたい本も、全て保留していた。考えることまで、封印されていた気がした。話しかけられても会話は続かなかった。父の弟の家族は、本家としょっちゅう行き来していて、一つの家族のように見えた。私の家は、母がこの実家の小姑と折り合いが悪く、自然足が遠のいていたので、年末年始と、夏に召集される池の水替えの時の年間数日だけ、この軟禁状態に耐えていたのである。

 そんな感覚は、小学校、中学校の6年間の学校生活でも同じことだった。だから、高校に入るころには、そういう場所でも苦痛を感じない方法を身につけていたし、そのための、三階だったのである。

「いや。ぜんぜん」

 僕は、友希にうながされてソファーから立ち上がった。

「ゆきちゃん、でかけるの?」

「うん。ちょとと出てくるよ」

「晩御飯は?」

「外で食べてこよっかな」

「買い物たのまれてるから、何人分作るかわかんないといけないからさ」

「そっかそっか。うん。私のは、いいや。じゃいこう」

 そんな会話のさなか、三匹のスピッツがおしっこをもらしながら、僕の足元でじゃれまわった。

「まぁ、すっかりたらしこんだね」

「来るものは拒まないんだ」

「へぇ~。私は拒んだじゃない」

「判りやすくしてくれないと、判らんのだよ。そうすれば僕の高校時代はばら色だった」

「そりゃ、醸す空気が、よくなかったのだよ。錐島クン」

 僕達は、雨のなかを車まで小走りして、車で10分ほどのところにある、ファミレスへ入った。僕は地元に戻って人にあうとき、たいていファミレスを選んだ。金も無かったが、長時間話すことが多かったから、気兼ねがいらず、ドリンクバーのあるシステムがありがたかったのである。二人とも当時はヘビースモーカーだった。彼女はセーラムピアニッシモを、僕はキャメルの両切か、ホープを吸っていた。嫌煙権もさほど広まっておらず、ファミレスはもうもうたる煙にかすんでいることが多かった。

「金のない文学や芸術系の学生が、一日中入り浸っていたっていう、喫茶店とか、映画館ってものを、一度見てみたいもんだね。そんなもの都市伝説だと思っているけど」

「おごってくれる人を探すのは、わりと簡単だよ。女には」

 そんなところから始まる話だった。東京で話すのとは違う、野放図さが、二人の間を親密にしていた気がする一方で、故郷を離れた者同士の連帯といった感覚は薄れていた。雨のせいだと僕は考えたかった。

「先生は、鈴木さんのことをまだ悔やんでいるようだった」

 と僕は言った。鈴木さんは、高校3年の冬、閉鎖されていたはずの屋上から飛び降りた生徒で、友希の美術部での先輩だった。

「あんときさぁ。たいへんだったんだよ。屋上へ行くの」

 自殺のあと、美術部には鈴木先輩の書いたカンバスが残されていた。それは屋上から眺めた冬の風景画のようにも見える、というひどく厚塗りの抽象絵画だった。友希はそれを、なんとかして、先輩が描いていた場所に置いて、実際の景色と絵画とを並置してみたかったのだ。

 当時、屋上への行き方をしっているとされていたのは、僕と、結果的には鈴木さん、そして、三階を使用していた中島かえの先生の三人だけであった。屋上へ行く3つの経路を鈴木さんに教えたのは僕だった。だから、先生は間接的に僕は鈴木さんを自殺に追い込んだ理由を僕が知っていながら、止めなかったのではないかと考えており、その考えを僕は否定も訂正も肯定もしていなかった。

 僕は、屋上でその絵を眺めるということに興味はない、と友希の希望を蹴って、先生に聞いてみたら、と勧めたのだ。その後、実際に友希が屋上へその絵を持ち込んだのかどうかを、僕は知らなかったのだ。

「へえ。身体一つなら簡単だけどね。絵を持ち込むのはなかなかたいへんだっただろうね。たしか、ひどく厚塗りの絵だったんだよね?」

「そぉーだよ。だから、美術部有志を募ってさ。ロープやら滑車やら。物理の豊ちゃんまで巻き込んでさ」

 物理の豊島は、新任の中島かえのの世話係とでもいうべき立場の教師だった。先生は放課後など、よく物理準備室に立ち寄って話をしていたようだった。そこでどんなことが話されていたのかを、僕は知らない。また知りたいとも思わない。

「物理室の窓から? そこが最短距離だろうけども。けっこう命がけだったんだろうねそりゃ」

 物理室の窓は通りに面している。窓の上の庇というオーバーハングさへ克服できれば、屋上までのアクセスはたやすい。僕はこの経路を一度も使ったことは無い。そして、鈴木さんが落下するために昇った経路は、最も過酷なものだったようだ。僕はその経路の壁から突き出た錆びついた支持金物に、鈴木さんが着用していたマフラーの毛くずと、かすかな血痕を見て取った。見上げると、屋上は遥かに高い。「よく、ここを」と僕は感心したものだ。そこが最も人目に付きにくく、もっとも堅実に、一歩一歩、昇っていける経路ではあったのだが。

「で、どうだったの? 風景」

「うん」

 友希はめずらしく口ごもった。

「うまくいえないんだ。だから、漫画にしてるんだ。なかなか終わらないんだけどさ。錐島君。書けたら読んでくれる?」

「もちろん。君の作品なら、500円以上で買い取るさ」

「500円? ああ。あの手帳の値段かぁ。あれは破格だったよね。物好きにもほどがあるよ」

「才能には金を惜しまないことにしているんだよ。僕につぎ込むくらいなら、あなたに賭ける」

「それは、どうも」

 コーヒーのおかわりを取りに席を立った尾花友希の後姿は、まっすぐだった。唐突に、僕は、もう東京にいても何もすることがないことに気づいた。



 翌週、僕は実家に戻った。(おわり)




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

棒立ち(太宰へ) 新出既出 @shinnsyutukisyutu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る