最終話 妖怪です。

 いつものようにアパートの外階段を下る。


 昨日は夕方に昼寝ならぬ夕寝をしてしまったため、寝付くまでにやたら時間が掛かってしまい、今日は何だか少し寝不足気味だ。


「ふわぁー」

「あ、阿坂あさかさん、おはようございます」

「!」


 ちょうど欠伸あくびをしたタイミングで、階段の下にいた大家さんに声を掛けられ、一気に欠伸と共に眠気が引っ込む。


「お、おはようございます、大家さん」


 若干の照れと動揺を何とか飲み込み、俺は大家さんに(少し引きつった)笑顔で挨拶あいさつを返す。


「お疲れですか?」

「いえ、まぁ、何というか、少し夜更かしをしてしまって……」

「まぁ。ダメですよ、夜更かしは。阿坂さんはまだまだ成長期なんですから、夜はしっかり寝て朝は元気に起きないと」

「はい。そうですね。出来る限り、気を付けます」

「はい。そうしてください」


 俺の返事に満足したのか、大家さんが満面の笑みをその顔に浮かべる。


 いや、ホント、一周り以上年の離れた女性を捕まえて、こういう表情は失礼であると重々承知しているのだが、あえて言わせてもらおう。可愛かわいいと。


「じゃあ、俺は学校があるのでこれで」


 大家さんとの会話は楽しくて、もう少しこうしていたいのは山々なのだが、あまりここで会話を長引かせてしまうと、これから合流予定の桜子さくらこを待ち合わせ場所で必要以上に待たせてしまう事になるので、この辺で会話を切り上げる事にする。


「あ、そうでした。それでは、今日も一日頑張がんばってきてくださいね」

「はい。頑張ります」


 今日も今日とて笑顔の大家さんに見送られ、俺はアパートの敷地を後にする。


 道路に出て、数メートル行ったところで俺は、ようやくそいつに先程からひそかに気になっていた疑問をぶつける。


「というか、なんでまだ付いてきてるんだ? お前は」

「え? いけませんでした、もしかして」

「別に、いけなくはないけど……」


 モモ曰く、座敷わらし本来の力を完全に取り戻した現在の座敷は、〝幸福力こうふくりょく〟が十全にたくわえられている状態で、今までのように俺の側にいなくてもいいはずというか、むしろ座敷わらしが外をうろついている方が不自然というか……。


「うーん。自分でもよく分からないのですが、阿坂さんの隣にいる方が何だか落ち着くので、私としては当分このまま、取りかせていただこうかと思うのですが……」


 そんな台詞せりふを吐かれた上に、探るような上目づかいをされては、さすがに俺もそれ以上の追及は出来ず、


「ま、少し前の状態に戻っただけだし、お前の好きにすればいいよ」


 そういう他なかった。


「ありがとうございます、遼一りょういちさん」


 そう言って、座敷はにこりと微笑ほほえんだ。


 昨日の夕方の一件以来、座敷の調子は良く、俺と会う以前の記憶もすっかり元に戻ったようだ。ただ――


「それに、こうしていると、何か思い出せそうな気がするのです」

「そうか……」


 その代償、というわけではないだろうが、俺と出会ってからの記憶が今の座敷には全くない。


 モモは、大量の記憶が一気に戻った影響で、記憶が一時的にパニックを起こし、思い出せなくなっているのではないかと言っていたが、本当のところは彼女にも分からないらしい。


「すみません」

「ん? 何が?」

「いえ、遼一さんが私と話す時に度々寂しそうな顔をするのは、私に記憶がないせいですよね」

「気にすんな」


 暗くなりかけた空気を打開するために、座敷の頭を少し強い力でで回す。


「痛い、痛いですよ、遼一さん」


 そう言いながらも座敷は、決して抵抗はせず、俺が手を離すまでずっと、頭を撫で回され続けていた。


「お前はお前だろ? 記憶があろうがなかろうが」


 座敷の頭から手を離し、俺はそう彼女に告げる。


「遼一さん……」


 それに、正直うれしかったのだ。俺との記憶をなくし、更に問題が解決した今、座敷が俺の側にいる必要は最早もはやないはずなのに、それでも俺の側にいたいと言ってくれた事が何よりも。


「遼一さん、今変な事考えましたね」

「え?」

「昨日も言った通り、私は私の意思で遼一さんの元に残ると決めたのです。そりゃ、遼一さんが出ていけと言えば、今すぐにでも出て行きますけど」

「そんな事! ……言うわけないだろ」


 思わず大声を出してしまい、途中で慌てて小声に戻す。


「じゃあ、私は遼一さんの元にいます。自分の意思で」

「……」


 何だか座敷にさとされたようで、納得がいかない。


 おかしいな。さっきまで俺が座敷を諭していたはずなのに……。


「遼一さんは、思っている事が顔に出やすいので気を付けてくださいと、前にも言ったはずですよ」


 確かに、以前もそんなような事を言われた記憶が……。


「ん? 今、お前なんて」

「ほら、早く行きますよ」


 違和感を覚えて立ち止まった俺を、数十センチ先に浮かぶ座敷が振り返り、呼ぶ。


 仕方ない。疑問は後回しにして、今は先に来て、俺の事を待っていてくれているだろう桜子の元に、わずかでも早く向かえるように足を前に動かすとしよう。


 再び歩き始めた俺の隣に、座敷が並ぶ。


 ふと空を見上げる。

 空は澄み渡り、太陽はまぶしくて、雲は適度に大地に日陰を作る。

 うん。今日もいい一日になりそうだ。


「今、遼一さんが考えている事、当ててあげましょうか?」


 言いながら座敷が、悪戯いたずらっぽい表情をその顔に浮かべる。


「いいぜ。やってみろよ」


 出来るものならな。


「空は澄み渡り、太陽は眩しくて、雲は適度に大地に日陰を作る。うん。今日もいい一日になりそうだ」

「エスパーかよ!?」


 俺の表情から思考を読んだにしては、あまりにも的確過ぎる座敷の答えに、俺は再び、自分が住宅街にいる事を忘れ、大声でツッコミを入れてしまう。


 そんな俺の様子を見て、座敷はにやりと笑い、


「いいえ。私は座敷わらし。いわゆるひとつの、妖怪です」


 いつかどこかで聞いた台詞せりふを満面の笑みで言うのだった。

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いわゆるひとつの、妖怪です。 みゅう @nashiro

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