シーン 11 【集いし刃】PART2

 『人間万事塞翁が馬』という故事ことわざがある。

 一見不幸マイナスに見えた事柄が幸運プラスに繋がったり、その逆に幸運プラス不幸マイナスを呼び込む様に、人生における幸不幸バランスは予測が難しいという意味の言葉だ。

 それは今の隆文の状況を表すのに、最も相応しい言葉かも知れなかった。


 突如として世界の滅亡などという特大の厄ネタに巻き込まれたのは紛れもない不幸。

 その事態を解決する方法を知っているという謎の少女に出会ったことは……おそらく幸運。

 少女の導きによって飛ばされた場所で、感じ取った“ワーディング”の気配に駆けつけてみれば、オニ達に襲われる直前の少女達という状況に遭遇したのは不幸。

 なんとかオニ達を殲滅し、少女達を無傷で護り切れたことは間違いのない幸運。そして──


 (今、この状況は──不運だよな……?)


 心の中で特大の溜息を吐きながら、視線を向けた先には──


「うぅ……、ちちうえ、あねうえ、ふがいないながせをおゆるしください。……ぐすん」


 膝を抱え、幼児こどものように涙ぐむ黒髪の少女の姿があった。


―――――――――――――――――――――――――――――― 

 

 数分前。隆文によってオニ達が殲滅され、まずは自己紹介……という流れが始まろうとした時、新たな問題が発生した。赤髪の少女によって守られていた幼い少女──おそらくは巻き込まれた民間人の子供──が凄まじい勢いで泣きじゃくり始めたのだ。

 

 無理もない。どうやらあの少女、“ワーディング”へ僅かばかりの耐性があるようで、オニ達に包囲されている間も意識があったようだ。先程までは感情が閾値リミットを超えて泣くことすらもできなかったが、当面の危機が去ったことで恐怖がぶり返してきたのだろう。

 少女の泣きっぷりは凄まじく、放置しているワケにはいかない──そもそも、このままでは騒音で話もできない──ので、赤髪の少女が彼女を連れて親御さんを探しに行った。


 そんなこんなで現場に残された二人。泣く子もいなくなったし、とりあえず自分達だけでも自己紹介を……と振り向いた隆文が見たのは新たに発生した泣き虫さんだったというワケだ。


 「えっと……、その……大丈夫か?」

 

 涙ぐむ少女を放ってはおけない──それに、このまま赤毛の少女が戻ってきたら、あらぬ誤解を受けてしまうかもしれない──ので、恐る恐る声をかける。

 少女は膝を抱えたまま、ゆっくりと涙で濡れた瞳をこちらへと向けてくる。


 その顔立ちは想像以上に幼い。戦いの最中、遠目で見た際は刃のような張り詰めた空気を纏っており、どこか大人びた雰囲気を感じていたが、こうして涙ぐむ姿をよく見てみれば背丈も小さく手足も細い。平安時代の人々は現代よりも小柄だったらしいが、それを加味しても歳は十三、四歳くらいなのではないだろうか。

 その幼さを残した容姿に反して、身に纏う衣服はフィクションや歴史の教科書で見るようなきっちりとした狩衣姿であり、どこかアンバランスな印象を生み出している。


 「……申し訳ありません、見ず知らずの方にお見苦しい姿をお見せしてしまいました。改めて、感謝と謝罪を。貴方のご助力が無ければあの死地を切り抜けることは叶わなかったでしょう」


 散々泣いて、ようやく落ち着いたのだろうか。目元を袖で強く拭い、膝の泥を払いながら少女は立ち上がる。先程までの子供のような泣き声ではなく、凛とした声で隆文へと語りかける。


 「私は流星ナガセ。末席ではありますが、武家の一門に与するものです」

 

 「志島隆文。あー、……旅人、みたいなもんかな」

 

 黒髪の少女──流星という名らしい──の堂々とした名乗りに対し、隆文の返答はどこか弱々しい。

 それも仕方のないことだろう。気軽に『この時代より千年近く未来からやってきた』などと伝えられるはずもない。簡単には信じて貰えないだろうし、仮に信じて貰えたとしてもそれはそれで厄介事トラブルの種になりそうだ。故に隆文は『旅人』という曖昧な表現を選ぶしかなかった。


 「……旅人、ですか」


 案の定、隆文の言葉に流星は疑問を覚えているようだった。

 それも当然か。高校の制服に黒いパーカージャケットを羽織った隆文の装いは、現代のN市においてはありふれたものだが、この平安京じだいにおいては異質にも程がある。付け加えるなら、ツンツンに固められた金髪や携えた武器──遊無鉄刀ゆないてっどという名前も装飾も特徴的なイカれた刀──も隆文がただの旅人などではないことを主張している。


 「まあ、そういう説明は──」


 これからの説明の難しさに頭を痛めながら、隆文は振り返る。


 「──“彼女”の自己紹介も終わってからにしようぜ」


 二人の雰囲気を察したのか、どこか気まずそうにこちらを伺う赤髪の少女の姿がそこにはあった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――


 生来、明葉は人を疑うことがあまり好きではない。

 人と人の絆は信頼から生まれるものだと信じているし、例え主義主張が違うとしても同じ人間ならば、話し合いの余地もない悪人はそうはいないだろうと考えているからだ。

 ましてや、それが自らの命の恩人の言葉であるのならなおさらだ。その言葉を信じないのは、恩知らずと呼ばれてもおかしくない行為だろう。

 だけど──


 「えっと……、“旅人”ですか」

 

 「……あー、うん。一応、旅人とはいっても日ほ……国内からではあるんだけど」

 

 目の前に立つ青年──志島隆文さんと名乗った──が嘘をついているという事には気づいていた。

 

 明葉が気付いた理由は3つ。 

 まずひとつ、隆文の衣服があまりにも異質な物であるという点。

 足の形状に合わせた細身の下衣。白い上衣は精巧な造りをしており、複数の円形の留め具で閉じられている。その上に羽織った光沢のある黒い上着に至っては明葉の知識では素材すら判別できない代物だ。

 どれもこの平安京では──いや、書物や絵巻などで見た異国の衣装にも似た物は存在しなかった。少なくとも、隆文が語った「国内から来た」という部分は嘘であることは間違いない。


 もう一つの理由は、先程隆文が見せた凄まじいまでの戦闘能力だ。

 先程のオニは、ここ数年で検怪異使が対応した鬼でも最上位に入る戦闘力を持っていた。もし保護対象の少女が存在せず、そのまま戦闘を行っていたとしても、明葉だけでは太刀打ち出来なかっただろう。 

 そんなオニ達を、彼は奇襲とはいえ一方的に、そして一瞬で殲滅してみせた。間違いなく、明葉とは比べ物にならない程の実力──明葉が知る強者達、“焔太刀”名雪や“今晴明”玉響に勝るとも劣らないほどの。

 それほどの実力を持つ人間でありながら、彼は先程明葉が名乗りの際に口にした“検怪異使”という言葉を知らなかった。

 例え僻地から来た人物だとしても、ここまでの実力者が京における退魔の要──検怪異使を、噂でも聞いたことがないとは考えにくい──それこそ彼がこの国の外からやってきたのでもなければ。 


 そして、最後にして最大の理由は──

 

 「えっと……、どうしたもんかな……」


 自己紹介が始まった時から、あからさまに挙動不審となった隆文かれの姿である。

 明葉達から露骨に視線を逸し、気まずそうに後ろ頭を掻き続けている。まるで、悪戯を親に叱られた童子こどもが必死に言い訳を考えているような様子。おそらく、彼は嘘を吐くことが極端に苦手な人間なのだろう。

 

 そこまで考えて、今一度彼を凝視する──前髪越しにで。

 検怪異使の中でも高い知覚能力を持つ明葉の眼は、時に通常では見ることのできない物まで見通すことができる。それは例えば、意志なき霊体や妖気の流れ、そして──他者の感情すらも色として、抽象的にだが見抜くことができるのだ。

 

 明葉の視界の中、隆文から放たれる感情の光は“白”く輝いている。

 白い光が表すのは“他者への義務感、保護欲”──つまり、隆文は明葉を守るべき対象と考えていると推測できる。“敵愾心”や“反抗心”などといった色は見つけられなかったことから、少なくとも彼の嘘は悪意からくるものではないのだろう。

 

 「……わかりました。僕は貴方の言葉を信じます」


 隆文と視線を合わし、静かに告げる。

 信じると決めたのは彼の言葉ではなく──志島隆文という人間をだ。

 

 オニの殲滅後、泣き出してしまった貧民街の少女に彼は心から動揺し、そして心配していた。どうにか涙を止めようとしゃがみ込んで視線を合わしたり、不器用に頭を撫でて逆に泣きじゃくられてもいた。

 例え、彼が素性を嘘で偽っているとしても、その時に見せてくれた優しさは、きっと嘘ではないはずだ。


 そう思ったのは、明葉だけではなかったようだ。


 「ええ、私も信じましょう。貴方は私達の恩人ですから」


 明葉に続き、流星ナガセも穏やかな笑みを浮かべ、彼への信頼を告げる。 

 流星には明葉のように隆文の感情を読み解く能力はない。だが、それでも彼がどういう人物なのかは、なんとなく理解していた。 


 つい先程まで、情けなく──本当に恥ずかしい──童女のように泣く自分に、隆文は戸惑いながらも寄り添ってくれていた。呆れるでもなく、見捨てるでもなく。どうにか泣き止んでくれないかと頭を悩ましているのが、流星にも伝わってきていたから。

 

 二人の少女から向けられた純粋な信頼に、隆文は照れくさそうに頬を掻き、


  

 ──刹那、瞬時に飛び退った三名が立っていた地面が、によって弾け飛んだ。


 

「──なるほど。隙だらけのガキなのかと疑っていたが、この程度の奇襲には反応できるってワケか」


 各々の武器を構え、臨戦態勢となった隆文達の耳に、愉しげな声が聞こえてくる。中性的な声──男か女かせいべつはおろか、大人か子供ねんれいすらも判別できない。


 耳を澄まし、声の出処へ視線を向ければ──


 「兵隊達てしたどもが蹴散らされたと思って来てみりゃあ、ちっこい嬢ちゃん達に珍妙ヘンテコな服の坊やときた」

 

 廃屋の屋根に腰掛ける少女の姿。

 

 黒味がかった血のような赤髪。

 肉食の獣を思わせる鋭い瞳。

 手足や顔に刻まれた複雑怪奇な入れ墨。

 

 そして、なによりも──

 

 「で? 彼奴等をヤッたのはどれだ?」

 

 その額には一本の角が──人ならざる"鬼”の証が聳え立っていた。

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~千年恋歌~ 奇譚 大江山鬼草子 丹下ステラ @kyoka

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