姫殿下は先生に教わりたい ~最強賢者は教え子に敗北しました~

緋色の雨

第1話

「ノエルさん、ノエルさんってば!」


 繰り返し呼ぶ声にハッと我に返る。周囲から冒険者達の喧噪が聞こえる。ここは冒険者ギルドのカウンターで、ちょうど達成した依頼の報告をしていたところだ。

 カウンターの向こう側では、このギルドでも人気の受付嬢がふくれっ面になっていた。


「……どうした?」

「どうしたじゃありません。手続きが終わりましたよ?」

「あぁ……悪い。少しぼーっとしていたようだ」

「無理もありません。Aランクのワイバーンを単独討伐ですからね。貴方はこの国で唯一賢者の称号を与えられた冒険者なんですから、決して無理はしないでくださいね?」

「ああ、分かってるって」

「本当ですか? 貴方になにかあったら……その、悲しむ人がいるんですからね?」

「ははっ、そんなヤツはいないけど気を付けるよ」


 受付嬢の気遣いに礼を言って踵を返す。

 背後から「もうっ、分かってないじゃないですかっ」と批難の声が聞こえてくるが、応じるとお小言が長くなりそうなので、聞こえないフリをして冒険者ギルドを後にする。



 ちょうど夕暮れの帰宅時間と重なったようで、王都の通りはせわしなく行き交う人達で賑わっていた。そんな人々の間を縫って街にある家へと帰還する。


 16歳で実家を飛び出してから数年、俺はこの街で冒険者として暮らしている。

 実家の影響で幼少期から戦う術を身に着けていたこともあり、俺はすぐに冒険者として頭角を現すことが出来て、こうして家を持つことが出来た。


「まあ同居人はいないんだけどな」


 冒険者はわりと過酷で、そもそも家にはあまり帰らない。だが、今回はレッサードラゴンを単独で討伐した。報酬を独り占めなのでしばらくはのんびり出来るだろう。


 ……ってあれ? あの受付嬢、ワイバーンの単独討伐とか言ってなかったか? 俺が倒したのはレッサードラゴンだぞ? もしかして、間違えられてないか?


 ……いや、Aランクのとも言ってたはずだ。

 ワイバーンはCランクだから、やっぱりレッサードラゴンの言い間違いだろう。確認すれば分かることだし、もし振り込まれる報酬が間違っていたら問い合わせよう。


 そんなことを考えながら帰宅した俺は家の鍵を開けて――息を呑んだ。

 部屋に誰かいる。

 気配を隠そうとしているので、何者かが忍び込んでいるようだ。

 俺が帰還したことに気付いたからか、侵入者は気配を押し殺して扉の側面へと移動した。どうやら、俺が部屋に入った瞬間に襲うつもりのようだ。


 室内でも使いやすい短剣の柄に手を掛け、侵入者に気づかないフリをして部屋へと踏み込む。刹那、侵入者が動こうとした瞬間、その首筋に短剣を突きつけた。


「――って、師匠!?」


 その人影の正体はエルフの女性。恩師であることに気付いて慌てて短剣を引く。


「……師匠、冗談は止めてください」

「冗談が過ぎたわね。でも……また一段と腕を上げたようで嬉しいわ。あたしではもう、ノエルに敵わないかもしれないわね」

「それこそご冗談を」


 身分を隠しているが、師匠はかつての英雄の生き残りである。その実力は折り紙付きというか、エルフという長寿な寿命を持つ種族であるがゆえに当時よりも強くなっている。

 ハッキリ言って、俺の敵う相手ではない。


「あら、別に冗談のつもりはないわよ?」

「見え透いたお世辞は結構ですよ。それより、人の家に忍び込んでどういうつもりですか?」

「ちょっとノエルを脅かしてみようかな、と」


 師匠が悪戯っぽく笑うので、俺は思わず溜め息をついた。それから買い込んだ荷物を置きつつ、師匠には椅子に座るように勧め、二人分のお茶を入れてテーブルに並べた。


「……まったく、師匠は変わりませんね」

「エルフだからねぇ。貴方がおじいちゃんになってもあたしは美少女のままよ」

「自分で美少女とか言いますか、子持ちのくせに」

「あら、子供どころか孫もいるわよ」


 孫という言葉に息を呑み、テーブルの下で拳を握り締めた。


「……ごめんね、余計なことを言ったわ」

「いえ、俺の方こそすみません」


 彼女の孫――フィアリスの件は、俺にとっても忘れられない出来事だ。彼女のことを忘れたことはないが、こうして話題に出すと悲しみが甦る。

 そんな重苦しい雰囲気を切り裂くように、師匠が口を開く。


「あたしがここに来た理由だけど、あなたに誕生日プレゼントをもって来たのよ」

「……俺に誕生日プレゼント、ですか?」


 たしかに俺はもうすぐ誕生日だが、師匠から誕生日プレゼントをもらったことなんていままでなかった。急にそんなことを言い出すなんて、なにやら胡散臭く感じてしまう。


「一体、なにを企んでいるんですか?」

「企むなんて酷いわね。あたしの誕生日プレゼントを受け取れないって言うの?」


 師匠には返しきれない恩と借りがある。

 そんな師匠になら、厄介事を押しつけられたとしても断れない。ましてや誕生日プレゼントともなれば断れるはずがない。たとえ、嫌な予感がしたとしても。


「くれるというなら受け取りますが……なにをくれるんですか?」

「隣国のフレイムフィールドで家庭教師をやりなさい」

「……いや、意味わかんないです」


 家庭教師のどこがプレゼントなのか分からないし、しかもやりなさいって強制だ。せめてツッコミどころは一度に一ヵ所までにして欲しい。


「貴方、ずっとソロで無茶な依頼をこなしてるそうね? 生き急ぎたくなる気持ちは分からなくないけど、このままじゃ死ぬわよ?」

「だから、家庭教師でもしてのんびり暮らせ、と? そんなのはお断りです」

「……ノエル」


 師匠は強制する出なく、けれど引き下がるでもなく、静かに俺を見つめた。俺はこの目が苦手だ。フィアリスと同じで、俺のことを心配しているって言うのが分かるから。

 だから、俺はなにを言うべきか視線を彷徨わせ……ほどなく溜め息をついた。


「分かりました、引き受けます。引き受ければ良いんでしょう」

「そう、助かるわ。実は借りのある相手の娘でね。優秀な冒険者を紹介して欲しいと頼まれて、どうしようか考えていたんだけど、貴方なら安心ね」

「……まぁ、なんでも良いですけどね」


 結局のところ、彼女の本意がどこにあるかは考えても無駄である。

 きっと俺を心配したのも本当で、だからこその誕生日プレゼントで、その友人の頼みを聞いてあげたかったというのも本当だろう。師匠はそういう人間なのだ。


「それで、家庭教師ってなにを教えれば良いんですか?」

「それが……冒険者を家庭教師にしたいと言うだけで、具体的な内容は教えてもらえなかったのよね。来年からこっちの学園に留学する予定だから、その関係の授業も求められるかもしれないけど……貴方なら問題ないでしょ?」

「まぁ、そうですね」


 16歳になって家を飛び出すまでは様々な教育を受けていた。この王都にある学園で学ぶような知識なら、いまでも大体は覚えている。


「……って、王都の学園に通うような子供? 俺が教える相手はどこの誰なんですか?」

「フレイムフィールドよ」

「いえ、フレイムフィールドの、どこの誰なのかを聞いてるんですが……」

「だ か ら、フレイムフィールドよ。正確にはフレイムフィールド国王の末娘ね」

「王族じゃねぇかっ!」


 思わずテーブルに手をついて立ち上がった。

 権力者と関わるのは俺にとってタブーに近いからだ。

 だが、それについては師匠も同じである。それを思いだした俺は怒りを抑えて座り直した。


「……権力者と関わって、フィアリスがどうなったか忘れたんですか?」

「大丈夫よ。ノエルが懸念してるような相手じゃないわ」

「どうしてそんなことが言い切れるんですか?」

「依頼主を良く知っているからよ。姫殿下も真面目で良い子って話よ」


 師匠の話はおおむね事実だが、ときどき当てにならないことがあるんだよな。この話が、そのときどきに当てはまらないことを期待したいところだが……


「もし問題があれば辞めれば良いじゃない。その場合の責任くらいは取ってあげるわよ」

「……分かりました。一度引き受けるって言いましたからね」


 こうして、俺は隣にある小国のお姫様の家庭教師を引き受けることとなった。


 後から考えれば――つまりは教え子となる姫殿下がなにを教わりたいのか知ってたら全力で断ったんだが、このときの俺は知らなかったのでしょうがない。

 まぁ……真面目で良い子って部分は事実だったんだけどさ。

 

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