第6話

 シャルロッテ殿下の家庭教師となって数日経ったある日。

 路地裏に潜んでいる俺は、洋服店から出てきたシャルロッテ殿下とメイドが、店先に止めていた馬車に乗り込むのを見届けていた。


 ――あの日、破滅する未来を夢で見たと言ったシャルロッテ殿下はこう言った。

 三日後、自分を乗せた馬車が野盗に襲撃され、身代金目当てに攫われてしまうけど、無事に助け出されるのでそれを見届けて欲しい、と。


 とはいえ、自分で雇った者達に襲撃させれば無事に帰れるのは当然だ。だから俺は、これが茶番である可能性を疑っている。

 だが、そうじゃない可能性もある。

 それを見届けるために、俺はこうして路地裏から彼女の馬車を見張っている。


 すると、なぜか一度乗り込んだメイドが下りて店に戻ってしまった。どうかしたのだろうかと考えていると、馬車はそのまま動き出してしまう。

 不審に思いながらも、俺は魔術屋根の上に飛び上がる。そうして周囲からは見られないように気を付けつつ、屋根の上を伝って馬車を追い掛けた。


 人通りが少ない道に入ったあたりで、路地から子供が飛び出してきた。それに驚いた御者が慌てて馬車を止める。

 だがそれは、シャルロッテ殿下を攫おうとした者の計画だったのだろう。停まった馬車に数名の男達が群がり、一人は御者を無力化。

 残りの者達が馬車に乗り込んだ。


 ――ちらりと見た限り、御者が傷付けられた様子はなかった。おそらくは魔術で眠らされたのだろう。すぐに目が覚めることはないが、放っておいても命に別状はないだろう。

 続いて、馬車から大きな布袋が運び出された。

 俺の位置からはちらりと見えたが、シャルロッテ殿下が布袋の中に詰められている。動かないところを見ると、御者同様に意識を奪われたようだ。


 あっという間の出来事で、周囲に行き交う者達はシャルロッテ殿下が攫われたことに気付いていない。それどころか、馬車が襲撃されたことにすら気付いていない。


 ただのごろつきとは思えない手際の良さだ。

 誰かに雇われたプロであることは間違いなさそうだが……だが、その雇い主がシャルロッテ殿下自身というのは……どうだろう?

 もし自演だとしたら、自分を布袋に入れて運ばせるだろうか?


 分からないが、彼女の言うようにいまのところ誰も怪我はしていない。もうしばらく様子を見ようと屋根の上を伝い、彼女を連れ去る男達の後を追跡する。


 ほどなく、彼らは街外れにある廃墟のような建物へと入っていった。

 俺は周囲の屋根を移動しつつ、窓からシャルロッテ殿下が運び込まれた部屋を特定。身体強化の魔術で視力を強化し、屋上からシャルロッテ殿下の様子を観察する。


 部屋にいるのは誘拐犯の男が三人と、シャルロッテ殿下。

 布袋から出されたシャルロッテ殿下はまだ意識がないようだ。無抵抗なまま両手をヒモで結ばれ、安っぽいベッドに拘束されてしまった。


 その不穏な光景に嫌な予感がよぎる。

 ……落ち着け。シャルロッテ殿下の言うとおりに身代金目当てなら彼女が殺されることはないし、そもそもシャルロッテ殿下の自作自演である可能性が高い。

 だから大丈夫だと自分に言い聞かせる。


 それからほどなく、シャルロッテ殿下が目を覚ました。ひとまず、パニックになるようなことはなく、落ち着いているようだ。

 自作自演か予知夢かはともかく、自分が攫われることを知っていたのだからこれは当然だ。


 そんなことを考えていると、シャルロッテ殿下が男に向かってなにかを話し始めた。声は聞こえないが、唇の動きを読んだ限りでは誘拐の目的を聞いているようだ。

 彼女自身が身代金目当てだと言っていたはずだが……予定調和と言うことだろうか?

 ほどなく、同じ部屋にいた男達の一人が手紙を持って部屋を出た。その者はそのまま建物から出て、何処かへと歩み去っていく。


 流れ的に、身代金を要求する脅迫状を送るメッセンジャーかと思ったが、歩いて行く方向に城はない。どこか別の場所へと向かっているのなら、雇い主への報告……か?

 気になるが……シャルロッテ殿下の言葉が真実だった場合、俺が余計な動きをすることで未来が変わる可能性がある。それに、なんとなくここを離れない方が良い気がする。

 そんな予感に後押しされて、俺は引き続き窓から中の様子を見守る。


 シャルロッテ殿下は無事に帰れると言っていたが、この状況からどうやって助かるんだろうか? 御者が目を覚ませばシャルロッテ殿下が攫われたことは発覚するが、あの手際の良さから考えて目撃者を探すだけでも一苦労なはずだ。


 ……いや、仮にも一国のお姫様なのだから、こういったケースでの対策の一つや二つはあるはずだ。そう考えれば、既に救出部隊が向かっているかも知れない。


 どうなるのか、成り行きを見守っていると、中で動きがあった。残された男二人がなにか口論を始める。それからほどなく、片方の男が吐き捨てるように部屋を出て行った。


 嫌な予感がする――と、そんな予感ほど当たるようで、残された男がベッドの上に寝かされているシャルロッテ殿下ににじり寄った。

 ベッドに拘束されている彼女がその身をよじる。


 ……おいおい、どうなってるんだ?

 無事に帰れるんじゃなかったのか? ここから、さっきの男が戻ってくるのか? それとも救出隊が間に合う? いや……いまのところ、近くにそれらしい気配はない。

 まさか、命に別状はないがその身は陵辱される、なんて馬鹿なことは言わないだろうな?


 いや、ない。さすがにそれはない。考えられるのはシャルロッテ殿下の自作自演で、危なげに見えても実際には杞憂で終わるパターン。

 もしくは、さっきの男が戻ってくるかの――どれでもなかった。


 シャルロッテ殿下の上に乗った男が、彼女のドレスに手を掛けて引き裂いた――刹那、俺は身体強化を最大まで引き上げ、放たれた矢のごとくに窓を割って部屋に飛び込んだ。


「なんだ、おまえは――っ」

「そいつに、汚い手で触れるなっ!」


 強化した拳で男をぶん殴る。

 不意を突かれた男は壁に叩き付けられ、そのままピクリとも動かなくなった。更に念には念を入れ、男を拘束してしまう。


「ノ、ノエル先生?」

「いま助けるので、少しだけ我慢してくださいね」


 腰から引き抜いた短剣でまずはベッドと彼女を繋ぐ縄を断ち切る。そうして彼女の身を引き起こして、両手を縛り上げる部分も切り裂いた。

 そうして自由になったシャルロッテ殿下の肩に、脱いだ上着を掛ける。


「それを使ってください」

「あ、ありがとうございます」


 引き裂かれたドレスから胸元が少しだけはだけている。それに気付いた彼女は頬を染めて上着を掻き合わせた。もう少し早く助けるべきだったと、俺は唇を噛んだ。


「それにしても……どういうことですか? 無事に帰れるんじゃなかったんですか?」

「それが……私にもどういうことか分からなくて……」


 夢では襲われることもなく助けられたらしい。それなのにあんなことになって、理由が分からなくて困惑しているようだ。


「一つ気になったんですが、メイドを別行動させたのも夢の通りですか?」

「いえ、あれは違います。事情を知らないメイドに怖い思いをさせたくなかったので、わがままを言うフリをして、店に戻るように仕向けました」

「……ふむ」


 なんとなく想像がついた。

 夢ではメイドがいたから、シャルロッテ殿下は無事だったのだろう。

 同時に、夢で見た未来は変えられるという証明でもある。……って、いつの間にか、彼女の予知夢を肯定しつつあるな。まぁ、いまのところ疑う理由はないんだが。


「おい、さっきの音はなんだ?」

「ノエル先生、後ろですっ!」


 バンと扉が開いて男が飛び込んできた。


「気を付けてください、ノエル先生! その男は凄い手練れの冒険者で、騎士達が数人がかりで捕らえるのがやっとなんです!」

「ほう? 俺のことを知ってるのか? 察しの通り俺は冒険者でな。身体強化の魔術ならAランクまで使える。おまえが何者か知らないが、降伏した方が身のためだぜ?」


 Aランクの身体強化を使える冒険者だと? 勝てないことはないが、シャルロッテ殿下を守りながらだと少し厄介だな。

 早めにけりをつけるかと、俺は自分の背後に魔法陣を隠して展開する。


 無詠唱なだけだと魔法陣が丸見えだが、こうやって背後で描くことで正面の敵に不意を突くことが可能なのだ。

 ただ、速攻を掛けるつもりなのは相手も同じようで、詠唱と同時に魔法陣を展開する。それは、三つの記述を組み込んだ魔法陣が一つ――ってどう見ても中級じゃないか。


「遅いっ」


 男の魔法陣が完成するのを待たずして懐に飛び込み、その腹に拳を叩き込んだ。男はなにが起きたのか理解できなかったようで、驚きの表情でくずおれた。

 意識が飛んでいることを確認して、さきほどの男同様に拘束する。


 それから念のためにと建物内の気配を探るが、他に敵はいないようだ。何処かへいった男がそのうち帰ってくるかも知れないが、それにはもう少し時間が掛かるだろう。


「さあ、もう大丈夫ですよ。よく頑張りましたね」


 シャルロッテ殿下の頭に手のひらを乗せて優しく撫でつける。


「ふぇっ!? あ、あのあの、ノエル先生?」

「あっと、これは失礼しました」


 フィアリスに似ていても、彼女は一国のお姫様だ。さすがに頭を撫でるのは不味かったと手を引っ込める。すると彼女はなぜか物足りなそうな顔をした。


「シャルロッテ殿下?」

「あ、いえ……その、もっと撫でて欲しいなんて思ってませんよ?」


 撫でて欲しいらしい。だがそれは、不安から来る言葉のようだ。よく見れば、彼女の身体が小さく震えているのが分かる。

 だから俺は少し失礼しますと断って、シャルロッテ殿下の小さな頭を抱き寄せた。


「ふわぁ……ノエル先生が、私をぎゅ……ぎゅーって、して……はわわ」

「大丈夫ですよ。シャルロッテ殿下は俺が護るから」

「はう、ズルイです! この状況でそのセリフは卑怯です!」


 なにを言っているのやら。もしかして恐怖で混乱しているのだろうか? 大丈夫ですよと、あやすようにシャルロッテ殿下の頭を優しく撫でつける。

 やはり、なんだかんだと言って怖かったのだろう。俺が撫でるにつれて、彼女の強張っていた身体がほぐれていく。そうして彼女の震えが止まるのを待って身体を離した。


「……もうおしまい、ですか?」

「もう十分でしょう?」


 さっきまでの震えはすっかり止まっている。ただ、少し頬が赤くなっているので、もしかしたら恐怖で熱でも出たのかも知れない。

 やはり、早く屋敷に連れ帰った方が良さそうだ。


「皆も心配しています。早く屋敷に戻りましょう」

「じゃ、じゃあ……屋敷に戻ったら、また私の頭を撫で撫でしてくれますか?」

「……いまはそんなことを言ってる場合じゃないと思いませんか?」

「ダメです、約束してくれるまでここを動きません!」

「仕方ありませんね。ただし、帰っただけじゃダメです。なにかを頑張ったら、そのときはご褒美に頭を撫でてあげましょう」

「約束ですからね!」


 シャルロッテ殿下はそう言って立ち上がり、頑張って屋敷に帰ると言いだした。

 ……いや、さすがに屋敷に頑張って帰っても、褒める対象にはならないと思うぞ――と、そんな風に思っていると、シャルロッテ殿下の表情がいきなり曇った。


「今度はどうしました?」

「えっと……その、夢が現実になるって証明できなかったな、って」

「あぁ……」


 たしかに、無事に帰れるという彼女の予言は外れた。

 だが、これが彼女の自作自演である可能性は低い。少なくとも、襲われるという彼女の予言は当たったと判断するべきだろう。

 だから――


「まぁ……少しくらいは力になれるかも知れませんよ」

「……え? せん、せぃ……?」


 不思議そうに俺を見上げる彼女は、本当になにを言われたか分かっていないようだ。

 俺は権力者が嫌いだ。権力者を全て一括りにするつもりはないが、出来れば関わり合いになりたくないとは思っているが、師匠には返しきれないほどの恩と借りがある。

 それに、シャルロッテ殿下のことは特に嫌う理由はないように思える。

 だから――


「俺の役目はシャルロッテ殿下の求めに応えること、ですから。将来破滅しないように協力して欲しいと願うなら、それに応える――ということです」

「じゃ、じゃあ……私を護ってくれるんですか?」

「――ああ、俺が護ってやる」


 シャルロッテ殿下はきゅっと俺が掛けた上着を握り締め、まっすぐに俺を見つめた。それから恋する乙女のような顔で――いや、この状況でそんな顔をする理由は分からないんだが。

 まるで恋する乙女のような顔で「良いことを思いつきました!」と微笑んだ。


「良いこと、ですか?」

「はい。惚れっぽくて、一度惚れたら融通の利かない私が、学園で一目惚れをして、嫉妬に身を任せて破滅しなくて済む、とてもとても素敵な方法です」


 あれだけ一目惚れを回避できないとか言っていたのに、どういう心境の変化だろうか? まるで見当がつかないが、相当な自信がありそうだ。


「良く分かりませんが、それは良かったですね」

「はいっ! ……ただ、それにはノエル先生の協力が不可欠なんですけど……えっと、その、こ……ぃを、私に、お……教えて、くれます……か?」


 上目遣いで、不安と期待が入り交じったような顔で問い掛けてくる。よく聞こえなかったが、協力するくらいはやぶさかではない。


「俺に出来ることなら協力しますよ」

「……本当、ですか? あとから、やっぱりダメ、とか言いませんか?」

「ええ、本当です」

「じゃあじゃあ、まずは私のことをシャルって呼んでください」

「シャル殿下、ですか?」

「違います、シャル、です」

「それは……」


 さすがに不味いのではないだろうかと思うが、彼女はシャルと呼んでくださいと詰め寄ってくる。上着を握っていた手が離れて、引き裂かれたドレスから可愛らしい下着が覗いている。

 俺は思わず視線を逸らした。


「わ、分かりました。では……シャル」

「やったぁっ! ありがとう、ノエル先生!」


 いきなり抱きついてきた。普通なら余裕で抱き留めるところだが、視線を逸らして仰け反っていた俺は受け止めきれない。

 足をベッドサイドに取られてしまう。倒れ込みながらシャルを庇うが、そのままベッドに押し倒すように倒れてしまった。


「だ、大丈夫ですか?」

「いたた……だ、大丈夫……で、す……」


 俺に組み敷かれていることに気付いたシャルが目を見開いた。そのまま甲高い悲鳴が上がることも覚悟したのだが、彼女は恥ずかしそうに目を細めて視線を彷徨わせた。


「わ、私、授業で習ったことはあるけど、その……実際のけ、経験はないから、もう少し段階を踏んでくれると嬉しいかな……って」

「な、習った? 経験?」


 なにを? いや、ほんと落ち着け。違う、色々とおかしい。俺はシャルが破滅する未来を回避させて、大人になれるように協力するだけ。

 こんな展開は想定外だ。


「べ、別に先生が嫌だって訳じゃないですよ? 私のこと信じてくれたし、強くて優しいし、その……格好いいですし……どっちかって言うと」

「いや、だから、なにを取り乱しているか知りませんが、少し落ち着いてください」

「わ、私はその、もう少し段階を積んだ方が良いって思うんだけど……その、たしかに私が破滅しないでオトナになるためには、それもあり、かな……って」


 ……あぁ。ここでオトナになってしまえば、未来の婚約者に惚れることもなく、嫉妬で破滅することもないから無事に大人になれるってことね。

 ――下ネタかっ!


「シャル、落ち着いてください。いまのはただの事故ですから」


 俺は彼女の鼻頭をぎゅっと摘まんだ。

 さすがに驚いたようで、シャルはふえっと可愛らしい声を上げて我に返る。


「冷静になりましたか?」

「あ……ぁう。その……すみませんでした!」


 今度は真っ赤になって涙目になる。


「いえ、俺の方こそすみません」


 事故とはいえ、一国のお姫様を押し倒したのだ。それこそ責任問題になってもおかしくはない。シャルが謝ってくれているあいだにさっさと退こう。

 そう思った刹那――


「姫様、ご無事ですか――ふえぇっ!?」


 空いたままの扉から飛び込んできたのは、店先で置き去りにされたはずのメイドだった。彼女は俺に押し倒される、顔が真っ赤で並みダメなシャルの姿を目の当たりにして硬直する。

 ……詰んだ、人生詰んだ気がする。

 あぁもう、どうしてこうなったっ!

 

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