りんごほっぺは赤色を望み、赤色に挑み始める
バッ、と校舎のほうからひとかげがあらわれた。
「りんご!」
かなきり声は、えーちゃんのものだった。うしろにはむすっとして、でもあきらかに走ってきたカンジで息切らせたるかがいる。
「りんごーっ! よくぞごぶじでーっ……!」
えーちゃんはあたしにガバッとだきついてきた。あっつい、てか汗べったりだし汗くさい。あたしは、はっ、って小さく笑っちゃった。
「……来るわけないと思ってたよ」
「えっ、なんでよっ」
えーちゃんはあたしからガバリと離れた、けどそのかわりあたしの両肩がっちりつかんでる。えーちゃん目ぇうるうるさせちゃってさ、
「……たんじゅんなんだから。えーちゃん。さっき、あたしが呼び出しくらったとき、止めもしなかったじゃん……」
「あっ、その、あの、そのあのっ、あのときはこっちも気がドーテンしててですな! だってるかとガチゲンカはじめちゃってさ! ウチみたいな平和主義者からするともうオロオロでしてな!」
「……あはは。もう、いいよ、えーちゃん。……るかもさ。そんな、あたしのこと、にらまないでよ……ブスッとしてやんの」
「はぁ!? ひとがせっかく駆けつけて謝ってやろうっていうのに、なにそれ!?」
るかはどなったあと、はっしまった、みたいに口をおさえた。口をかくしたまま、気まずいカンジで視線をウロウロさせた。
「……ま、……その、な。その、なんだ? いちおー、りんごのこと、あたし、マブダチって思ってる、わけだし? そーゆー、マブダチに、なぐりかかったのは、まぁ、……悪かったかなって。ごめん。いやでもゆっとくけど、そりゃ私なりにユージョー表現なんだかんな!? 知ってっか、例の先週号ではさぁ――」
「はいはい。オタクトークここではやめてね、るか」
あたしはそう言いながら、ズル、とくずれおちた。
……思ったより、疲れてたみたいだ。
気づけば、ギャル系はギャル系で、かたまって、はげましあってる。とくに、サエキはまだ立ち上がれないみたいで、高橋加奈世とルリとリンではげましてる。
……公子ちゃん、は?
公子ちゃんは――ひとりで、そこに、立ってた。
どっちにも、よらずに。
……どっちのことも、見ないで。
ただ、空を見上げてた。
きもちよさそうに。
泥まみれなのに。
ただ、きもちよさそうに……ほんとうに空がきれいで風がきもちよくってたまらない、みたいに。
きれいに。
……絵だ、と思った。
なんでそう思ったのかは、あたしは自分でもよくわからない。
けど。
公子ちゃんは、絵なんだ。
絵を描くがわじゃ、ないんだよ。……そういうのはサエキにでもまかせておけばいい。公子ちゃんは、サエキは画家には向いてないって言いたかったんだろうけど。
けどね、公子ちゃん。
公子ちゃんがなんと言っても――公子ちゃん、は。
ここを泥だらけにしたチョーホンニンなのに、いま、あたしたちのことも見ないし、ギャル系のことも見ない公子ちゃんは。
……絵だよ。
「公子ちゃんは……絵なんだ」
あたしはそうつぶやいて、空を見上げた。えーちゃんとるかが、はぁ? って反応してくるけど、……かまわない、いまだけは、公子ちゃんのまねっこ、するんだ。
これでぴっかり青空なら、まだ、なにかをナットクできたかもしれないけど――空はくもりのあいまいな灰色だった。風も、吹いてなんかない。ここは校舎裏で……ただ、じめっとしてるだけ。
公子ちゃんは、ただ、泥にまみれてるだけ。
……事実は、それだけ。
あたしは、首をむりに曲げて空を見ていた。
やっぱり、灰色の、つまんない空だった。
あたしは、手をのばした。
太陽なんかどこにもなかったけど――公子ちゃんには、なにが見えてるのかな、って……
「――あっ、りんご!?」「おい! ……りんご!」
……だめだ。やっぱり。あたし、疲れすぎた、みたい。
背中からいっちゃう。
ふっ、と軽くなる。……ごめん、えーちゃん、べつに支えきれなかったえーちゃんが悪いわけじゃないんだよ。
あたし、るかほど体重はないし、えーちゃんほど身長はないけど、でも、……もう小五だから重たいのってしかたない、から。
あたしは、くらい意識のなかだけで思っていた。
公子ちゃんは、そこにりんごみたいな太陽を描いてくれるのかな、って。ううん。……ちがう。
この灰色のくもり空に、公子ちゃんがりんごみたいなばかみたいなまっかな太陽を描いてくれれば……あたしは、すこしは、
おとなになれるのかなって、……自分でもよくわかんないことずっとずっと、おもってたんだ。
……なれた、においがする。この頭のやわらかい感覚も。
公子ちゃん……じゃ、ないよな。どこだろう。ぐらぐらする……車? 公子ちゃんの家のお手伝いさんの車、ではない。え? じゃああたし、なんで?
「なんでっ?」
あたしはさけんでガバッととびおきた。
「はあ? なにがよ。なんでじゃないでしょっ、このばかにこっ。お母さんの仕事早退させて、あたしだって高校早退してさっ」
あたしの頭をバシンとはたいたのは――お姉ちゃんだった。なんのことはない。あたしは、家の車に乗っていたのだ。右どなりには、お姉ちゃん。運転席にはお母さんの背中がある。
あたしは「いってえー」と男子みたいに頭をかかえて、むーっとすねた顔して、お姉ちゃんを見上げる。お姉ちゃんは制服のまま。外はなんともう暗かった。というかこの道は学校のほうの道じゃない。おっきな道路。いつもごちそうの百円回転ずし屋に行くときの道路だ……。
運転席からお母さんが話しかけてくる。
「なに、笑子、起きたの」
「うん……。もう、いまって、夜?」
「夜ねえ」
「そうよ、夜よ、このばかにこっ、時間までわかんなくなっちゃった。やだ。もう。ばかにこがもっとばかになっちゃう。……あたし、あたしねえ、あんたがこのままずっと目覚めなかったらどうしよう、って……」
「
「なによっ、あたしより泣いてたのお母さんじゃないっ」
「……あたし……どうしたの……? 公子ちゃんが……」
「笑子」
お母さんがふだんの優しい声で言う。
「もう、あの子とかかわるのは、やめなさいね。あの……天王寺さん、といったかしら。ほら、大財閥のお嬢さん」
「あの子って……公子ちゃんのこと? え……なんで?」
「……あの子はね、うちみたいな庶民とは住む世界が違うの。お互いかかわりをもたないほうがいいのよ」
「すーごかったんだから、あの家、天王寺家、たしかに有名で金持ちだけどさあ、あの菓子折り、ねえお母さん、なんであんなすっげー大金断ったわけ?」
「……ああいうお金は汚れているのよ。あんたたちも、わいろを受け取るようなおとなにだけは、なっちゃ駄目よ」
……話が、よく、わからない。
あたしはなんとなく窓の外の景色をながめた。
店の明かりがぽつぽつあって、でもやっぱ暗くて。……中途半端な道路。
なんだかリアルなかんかくがなくて……
「……きょう、百円ずし?」
とんちんかんなことを言ってしまった。
信号でとまって、お母さんがふりかえる。
きれいで、優しい、あたしのお母さん。
「まだ、笑子のお祝いしてなかったでしょう。お母さんも異動でバタバタだったからねえ」
「お祝い?」
「やだ、にこったら、お赤飯のことよお」
お姉ちゃんに、つっつかれる。
車が発進する。
「……お姉ちゃん。お願いが、あるんだけど」
あたしはいまたぶんちょっとほほをそめている。だって、あっついから。
「なによお、殊勝にさ、キモい」
「ナプキンの、つけかた、教えて。……あと、ナプキン、かして。あたし、まだよく……わかんなかったから」
あたしは。
天王寺公子ちゃんに、教わったから。
あたしの、友だちに、……それを教わったんだ。
「……しょうがないわねえ」
お姉ちゃんはそう言って、ふっ、と笑った。
お姉ちゃんの目は、よく見ると、泣きはらしたあとみたいに赤かった。
(「りんごほっぺは赤色に挑む」おわり)
りんごほっぺは赤色に挑む 柳なつき @natsuki0710
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