恋路天狗にご用心

江藤公房

プロローグ "私"の長い前書き

皆様におかれては、恋路天狗というものをご存知だろうか。


何? ご存知ない? それも無理はないだろう。なにぶん、この私でさえ存在を知ったのは、つい最近のことであるのだから。


恋路天狗とは妖怪であるらしい。


らしいと言うのは、未だに私もよく理解していないからだ。


知っての通り、日本には古来より天狗と呼ばれる妖怪がいると伝えられている。


物の怪の類か神の使いか、果ては昔の人が日本の外から来た人を見間違えたのではないかという説もあるが、この際真偽はどうでもいい。


まず私が知り得た恋路天狗についてを語る前に、皆様と私との間で所謂一般的な天狗についての認識を共有したいと思う。


天狗と聞いて我々が想像する姿といえば、恥ずかしさの余り赤面する……ではなく、怒り狂っているかのような赤ら顔。そして思わず「ご立派!」と叫びたくなるような長い鼻を持っていることだろう。


そして着ているものと言えば山伏の装束であるが、学のない私には些かピンと来ない。足回りのダボダボっとした感じを見るにアレは、建築現場で見かける作業服を改造したものであるに違いない。さしづめ改造ニッカポッカと呼んでいいだろう。


赤い顔に長い鼻、そして改造ニッカポッカ。これが私が想像する天狗像であるが、概ね皆様と差異はないであろう。


さて、続いては恋路天狗についてであるが、先に記した通り妖怪であるらしい。


なにぶんこれは、恋路天狗本人の主張であり(正確には妖怪ではなく天狗であると言っていたが、その二つにどれほどの差があるのか私には理解出来ないのでここには妖怪と記しておく)、実際の恋路天狗は我々の知る天狗とはかけ離れていた。


恋路天狗とは天狗に有らず、恋路天狗なり。


これは何を隠そう恋路天狗その人がこう述べていた。しかし、この言葉は案外的外れでもない。


天狗には我々が思い浮かべる「鼻高天狗」の他にも「烏天狗」、更には「木の葉天狗」なる種類がいるそうだが、烏天狗と木の葉天狗も天狗のバリエーションは何故か鳥ばかり。鳥ばかりの天狗業界に一石を投じる存在が、かの恋路天狗であるらしい。


ではやはり天狗ではあるまいか! と叫び出すのはやや早い。恋路天狗の奇妙……珍妙さは、まず見た目から始まるのだ。


烏天狗も木の葉天狗も皆同じ、改造ニッカポッカを纏っている。残された文献にニッカポッカなる文字は恐らくないだろうが、似たような格好をしていることは間違いない。


しかし恋路天狗ときたら、その様な分かりやすい見た目姿をしていないのだ。街中で赤い顔のニッカポッカとくれば、仕事終わりに一杯引っ掛けた勤め人か、さもなければ天狗であり、その上鼻が長ければ酔っ払ったピノキオか天狗である。


そのいづれもでないのが恋路天狗の恐ろしさである。


恋路天狗は街中に溶け込み活動するため、天狗であることを悟られぬよう、テンプレートな衣装は一切着ない。


聞くところによれば、恋路天狗は時に疲れ果てたサラリーマンの風体をしているらしい。また別の者は若気盛りの大学生に成り済ましていると言う。


ここからは、私が遭遇した恋路天狗の特徴について皆様にお伝えしていく。


私の知る恋路天狗の容姿は疲れ果てたサラリーマンでもなければ、若気盛りの大学生でもなかった。それはどう見ても年頃の思春期を迎えたうら若き娘、女子高生のようであったからだ。


もちろん私はただ若い娘を見ただけで年の頃や、ましてや高校生かどうかを見分けることは出来ない。


金と性欲を持て余し、夜な夜な池袋北口に繰り出す男共の一部ならば、きっとそのような特殊な目利きに長けているのだろうが、私は違う。そのような才など欲しくもない。


では何故私が女子高生ではないのかと判断に至ったのは、それは偏にその者が高校の制服を着ていたから。それに女だったからだ。


無論このご時世、女性ものの制服を着るのが高校生だとも限らないことは知っている。まだいける、まだいけるとかつて青春を共にした制服を数年ぶりに取り出して、友人達と遊園地に赴き隠しきれない時間の経過をやや厚めの化粧とハイテンションで誤魔化す輩を私は知っているし、初老も近かろう紳士が路地裏で的な振る舞いをする際の衣装にしている光景も見たことがある。


故に若い娘が高校の制服を着ていたからといって女子高生と決めつけるのは早計であるのだろうから、私は「女子高生のような」と申し付けるのだ。


ましてや天狗である。女子高生であるはずがないのだ。


さて話は脱線していたが、繰り返すが私の知る恋路天狗は若い女で、高校の制服を着ている。肩口にまでかかった黒い髪には艶があり、顔から受ける印象は笑顔を絶やさない明るく活発な女の子。元気な美少女と一言書けば済む話であるのだろうが、それはあまりにも俗っぽくて好きになれないし、見た目から受ける印象というものは往々にしてアテにならない。


恋路天狗の見た目は確かに他の同じ年ごろの娘と比べてやや垢抜けているように見えなくもないが、自分の股間に正直な連中と違い、私は理性的であるのだ。


理性的な私はその美少女の見た目に惑わされず、言動に警戒したのだ。理由は言わずとも分かるだろう? 己を恋路天狗だなんだと自称する人間を快く歓迎できるだろうか。いくら可愛くても、脳みそだけを取り出して電子レンジのマイクロ波を5分間しっかり浴びせてから元に戻したような人間と交流なんぞはご免蒙るというものだ。


これが私の遭遇した恋路天狗の特徴である。情報が全然足りていないと言われようが、しょうがない。


何故なら恋路天狗というものはほとんど概念のようなものであるからだ。自分から名乗っているのに概念も何もないだろうが、むしろ私が遭遇した個体が特別な例であり、だからこそこうして記録に残すことが出来たのだ。


そろそろ皆様もいい加減に恋路天狗とは何なんだと言いたい頃だと思われるので、お伝えしよう。


恋路天狗とは、その名の通り恋路に関わる天狗である。


かの有名な都々逸どどいつに「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」というものがある。


まったくどこのどいつが言い出したか知らないが、酷い言い草ではないか。特にこの「死んじまえ」という表現は気に入らない。少し乱暴過ぎではないだろうか。


それに邪魔者が現れる度に蹴り殺しに出張する馬の気持ちも考えるべきだと私は常日頃そう思っている。


だが現実に邪魔者が馬に蹴られて殺されたという事件を私は聞いたことがない。いや、現実に起きていたら街中そこらで馬が人を蹴り殺す阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されることだろう。パニック映画さながらではないか。


そう、牧場にいるならまだしも市街地で馬に蹴られるなど現実ではありえないのだ。


故に恋の邪魔者は決して馬を恐れない。


だが我々は知らぬのだ。世に潜み恋の邪魔者を見つけ出しては、馬の代わりに正義を下す執行者が。


その名も恋路天狗。


世の恋の邪魔者よ、その名を恐れよ!


彼の者達は人の恋路を守り導くものぞ。


彼の者達は恋の邪魔者に鉄槌を下すものぞ。


恋路天狗は我々のすぐ側に潜んでいる。


この手記は恋の邪魔者たる私と、私が遭遇した恐るべき恋路天狗との激闘の記録である。


この言葉を同志である恋の邪魔者達に贈る。


願わくば、恋路天狗にご用心。

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