一万メートルの女王

相楽山椒

一万メートルの女王

 これはとある国のお話。


 この国では四季をつかさどる四人の女王がいました。


 女王たちはそれぞれ決められた期間、『廻季かいきの塔』の頂上にある部屋に交代で住まうことになっています。


 四人の女王が分担して三か月の間、塔で季節を作り出すのです。それが彼女たちの仕事です。そうすることで世界に季節が滞りなく廻って来るのです。


 幾年も幾年も、親から子、子から孫の世代に移り変わっても、毎年毎年季節は巡ってきていました。大地を温める母の手のような春、父の双腕のように力強い日差しの夏、老人のようなに穏やかな木漏れ日の秋、雪原を眩しく照らす、きらきらした無垢な少女のような冬。


 季節を司る女王は、太陽を動かして季節を変えているのです。そのため『廻季の塔』はとても高く作られていました。


 村の物見やぐらよりも、いいえ町の時計台よりも、いえいえお城の塔よりも、もっとずっと高かったのです。地上から見上げてもその先の頂上が見えないほど。


 雲のずっと上の塔の先端に、女王の間はあります。


 ですから塔に登るのはとても大変な作業でした。


 この塔が、いつ誰の手によって建てられたのかも人人は知りません。


 塔の頂上に至ることが出来たのは、唯一四人の女性達だけでした。同じく、彼女たちが一体どこで生まれ、いつからそこにいるのかは誰も知りませんでしたが、この塔と女王達が季節を統べているのだと理解していました。

 ですから人々は、季節を司る彼女らのことを、それぞれの季節を冠して『女王』と呼んだのです。


 もっとも、塔に登り慣れている女王たちとて、無理をせずに登るには三か月もの時間がかかったのです。


 つまり、次の季節を司る女王は、その前の季節が始まると同時に塔に登り始めなければ、季節の変わり目に間に合わないのです。


 ところがある年、いつまで経っても冬が終わらなくなりました。

 

 冬の女王が塔の部屋から出てきて、春の女王と交代していないのです。春の女王は冬が始まると同時に塔を登り始めましたから、もう頂上の部屋についているはずなのにです。


 これはいったいどうしたことでしょう。


 国土は一面雪に覆われ、このままではいずれ、秋のうちに貯めておいた食べ物も尽きてしまいます。


 困った王様はお触れを出しました。


 冬の女王を春の女王と交替させた者には、好きな褒美を取らせよう、と。


 人々はそのお触れを見るも、互いに首を振りあい諦め顔です。

 

それというのも、今まで女王達以外に塔を登り切った者などいないのです。


 廻季の塔とは、階段も梯子もなく、ただ巨大な垂直にそびえ立つレンガに似た石積みの円柱でした。

 これに登るには、垂直の外壁にハーケンを打ち、ザイルをかけ、一日百メートル前後という速度で、延々と雲の高さを超えてゆくのです。

 もっとも、大量の荷物と共に、多くは持ち運ぶことが出来ないハーケンはここぞという時にしか使えません。節約するため、ほとんどは塔の石積みに出来たわずかな隙間や出っ張りに、第一関節にも届かない指先をひっかけ、全体重と三ヶ月分の生活に必要な荷物を引き上げるという登攀であり、とても常人が真似を出来ない技術と身体能力が要求されていました。


 そして、頂上に近づけば近づくほど気温が下がり、登攀者の命をじわじわと追い込んできます。

 体力が尽きれば身動きが取れなくなってしまったり、寒さのために凍傷にかかり先に進めなくなってしまいます。

 さらに上空は吹き荒れる強風と薄い空気のせいで、塔に取り付いているだけでも体力が奪われてゆきます。また気圧の影響で脳を犯され気が触れる者もおり、おおくの若者が、我こそは村一番、国一番であると謳いながら、その屈強な肉体を塔の壁面で散らしてゆきました。


 塔に登るには、人並みを遙かに凌駕した、有り余る体力と精神力、そして上空の過酷な 環境に耐えうる強靱な肉体が必要だったのです。

 けして普通の人々は頂上に辿り着けなかったのです。


 この塔に登れるのはたった四人の女王たちだけ。


 人々が落胆していると、そこへ巨大な荷物を背負い、黄色いドレスを着た筋骨隆々の、褐色の美女。

 夏の女王がやってきました。


「うっおお、寒っ! なんだよ、もう立春の時期だから、そろそろと思って来たのによぉ」


 女王は皆、三か月分の食料と野営具一式を担いでいます。すごい荷物です。彼女たちはこの荷物を担いで塔を身一つで、垂直の壁をよじ登ってゆくのです。そのため双腕は丸太のように太くたくましく、筋骨隆々たる身体を支える両脚は肉食動物のそれのようにしなやかで、力強く地面をつかんでいました。


「いいところへおいでなさいました、夏の女王様。春の女王様は今冬、塔に間違いなく登られましたので、もう頂上には着いておられるはずなのですが……」街の若者が申し訳なさそうに夏の女王に言います。


「はあ? だったらなんで季節が変わらないんだよ」


「それは私共ではわかりかねます――あの、夏の女王様……何とかあなた様のお力をお借りできませんでしょうか」若者は乞うような目を夏の女王に向けた。


「はン、そりゃあ聞けねぇ相談だな。オレら季節の女王が三か月もかけて塔を登るのは、塔の高さによる気温や気圧に体を慣らしてゆきながら登るためなんだ。それ以上無理しちゃ途中で倒れちまう。ちょっと行ってぶん殴ってくるなんてことは出来ねぇよ」


「……ぶん殴らなくてもいいとは思うんですが――――やはりそうですか……もしこのまま冬が終わらなければ、到底国は持ちこたえられません」


「フッ……だろうな」

「そうですよね……いくら王様から褒美が出るといっても、これでは……」


 夏の女王はその逞しい腕を組み、若者の悲痛な声をよそに、物憂げな瞳で厚い雲に覆われた空を見上げていました。





 どんどんどん、どんどんどん。


 ところ変わって、塔の頂上の部屋の扉を叩くのは春の女王でした。


「ねえ! ここを開けてよ! ねえったら!」


「f――だめだ」


 中から拒む声は冬の女王の静かな声。


「なんでよ! 意地悪してるの? あたしが可愛いから意地悪してるんでしょ! ねえっ!」


 春の女王はピンクのかわいらしいドレスを纏いながらも、塔の登り降りですっかり逞しくなった腕でドンドンと扉を叩きます。ですがいくら強靱な腕を持つ女王といえど、部屋の扉はうち破ることは出来ません。


「うるさい!」中から冬の女王が一喝します。


「なんでよ! 私が地上の人に愛されているから嫉妬しているんでしょう! あなたは疎まれる存在、私は待ち焦がれられる存在。地上の人はあたしのことを待っているのよ!」


「――私は冬をつかさどる女王だ、この国に冬をもたらす存在だ。それ以上でもそれ以下でもない。まして貴様が地上人にどう受け入れられてるかなど私には関係がない!」


 ドアの向こう側で、冬の女王は冬の女王らしく、冷たくぴしゃりと言い切ります。


 かわいそうに、冷たくあしらわれた春の女王は泣き崩れてしまいます。


 二人がドアを挟んでこんなやり取りを始めて、もう一週間になります。ほんとうなら今頃は春の女王が部屋に入って、春の季節を司っているはずだったのです。


 女王は『廻季の塔』の頂上の部屋に入らなければ季節を動かすことが出来ません。


 春の女王は残り少ない食料のパンをかじりながら、極寒の塔の頂上で飢えと寒さに耐えていました。『廻季の塔』の中は不思議な空間で、その中では食料や必要なものは何でも手に入るようになっていました。塔の中に入ることが出来ればこのようなひもじい思いをしなくてもよいのです。


 雲を遙か下に見る、空の青よりも深い藍色の空間の中、ただため息ばかりが漏れて、流れてゆきます。


「おなか減ったなぁ……ねぇ、このままじゃあたし凍えて死んでしまうよ。なんで入れてくれないんだろ、私が遅れたから怒っているのかしら。遅れたっていっても三週間くらいよ? いつものことじゃない。それに太陽をコントロールするのって結構重労働なのよね、地上のヒトは季節の移り変わりだー、って簡単に言うけどさ。毎年毎年やってるこっちの身にもなって欲しいわよ。正直面倒だなぁ……」春の女王は思わず独り言をつぶやいてしまいました。


 それをドアの向こう側で聞いていた冬の女王が、冷たい声で春の女王に語り掛けます。


「春の女王よ、貴様はいつでも遅刻をする。決められた日に来たことがないな」


「えー、今更じゃないですか。それに私が少し遅れたくらいで誰も怒らないわ。私はいつでも待ち望まれているのだもの」


「ぬるい季節に生きている貴様には判るまいよ、もう少し頭を冷やすがよい」


 それ以降冬の女王は口を閉ざして、春の女王との会話をやめました。


 それからさらに三日が経ちました。

 春の女王の食料は尽き、ただただ空腹と寒さに耐え忍ぶ時間だけが過ぎてゆきます。さすがに消耗してゆく体力とともに、時折フラッシュバックしてくる幻覚の数々。途端に春の女王は不安になってゆきます。


 高度一万メートルの塔の上はマイナス五十度の極寒です。春の女王は、さすがにこのままでは自分は死んでしまうと思い、最期の力を振り絞りドアを叩きます。


「ねぇっ! おねがい! このままじゃあたし死んじゃうよ! 意地悪しないで開けてよ! ねえったら!」


 春の女王が流した涙は氷の粒になりぽろぽろとこぼれ、垂らした鼻水は一瞬でつららになりました。


 やがてドアの向こう側から「では訊こう。貴様は季節の尊さを知っているか?」と冬の女王が静かに訊いてきました。


「え? ええ、もちろんよ!」春の女王は応えます。


「それは嘘だな。私たちは一年のうちに一つの季節しか知らない。三か月は自分の担当する塔の上、六か月間は塔の登り降りに費やされる。私たちが地上で過ごしているのはたった三か月間だけだ。そうとも、私は夏を地上で過ごしている。貴様は秋だったな……」


「そ、そうよ! それがどうしたっていうの?」


「私たちは季節を司っている。だから季節の尊さを本当の意味では知らないのだ」


「そんなこと……?」


「地上の人々は毎年毎年、私たちの作る季節の中で生きているのだ。季節に合わせて生活を変えて生きて、暦を見て季節の変わり目を予想して、新しい季節を迎える準備をしているのだ。だから貴様が塔に登って来るのが遅れるたびに、民草は苦しんでいるのだ。なぜ貴様はいつでも立春の日に登ってこないのだ!」


「そ、それは……」


「私は夏に地上に居る。そこで聞く言葉はいつも“暑い暑い”ばかりだ。口を開けばみんな暑いと言う。早く涼しくなればいいのにって、夏などなければいいのにって……ふ、貴様の口ぶりなら、どうせ私の冬も同じようにいわれているのだろうな」


 春の女王は冬の女王の厳しい口調に胸を痛め、一転してさめざめと泣き出しました。


「いったいどうすればいいの……人に罪はないわ。暑い日には暑いと言うし、寒い日には寒いと言う。それは自然なことなのよ……ねぇお願い! ここを開けて……」


 その言葉を最後に、鍛えた体を持つ春の女王でも、とうとう飢えと空腹のため、一言も話さなくなりました。


 あれだけ毎日のように訴えていた扉の外側が静かになってしまい、とうとう冬の女王も扉を開きました。


 這うようにして春の女王は部屋に入りました。そして冬の女王に誘われるままテーブルにつきました。


 冬の女王は温かいシチューを用意してくれていました。たどたどしくスプーンをとる春の女王の手は凍えて、ガチガチと食器とふれあい音を出しました。


「どうだ、美味いか?」


「ええ、とても……凍えた体が生き返るよう。扉を開けてくれてありがとう」


 冬の女王は春の女王の顔を覗き見て、口元だけで静かに笑いました。


 春の女王様は頬を桃色に染め、はにかむようにかわいらしく笑いました。


「貴様が来るのが遅れれば遅れるほどに、私はこの塔を離れられない。すなわちそれは冬が長引き、春が訪れないという事だ。貴様がちゃんと立春をめがけて塔に登ってくれば人は飢えずに済む。どうだ少しは地上の民の気持ちが解っただろう……」


 冬の女王はプイとそっぽを向くと、背中を向け帰りの身支度を始めました。


 春の女王は鼻水をすすりながらこくんと頷きました。


「私の寒い冬があるからこそ、人々は貴様の春を愛でるのだ。厳しい夏があるからこそ秋を祝うのだ。人々は季節が廻りくることに感謝しているのだ。けして誰かひとりの女王が讃えられるべき存在でなどないのだ」


 春の女王は涙を流しながら、冬の女王の作ったシチューをすすりました。そして何度も何度もウンウンと頷き、泣きはらした笑顔で冬の女王が部屋を出てゆくのを見送りました。


 地上に春が訪れます。

 塔を降りる途中の冬の女王にとっては、まだマイナス数十度の青い虚空が広がる世界でしたが、太陽は春の日差しを確実に降らせていました。

 冬の女王は、ちらとそれを仰視し眩しさに顔をしかめます。

 続いて地上に広がる美しい世界を俯瞰する。そこここに見受けられる緑に思わず微笑みがもれました。


 しかしその視野の片隅に、なんと下から塔を登って来る人影を見つけました。



「うっああ! なんだよ、もう交代しちまったのかよ!」


 驚いたことに、それは夏の女王でした。

 春の女王と交代してからわずか三週間しか経っていません。普通なら夏の女王と途中ですれ違うのは、塔のもっと中間地点で、時期はあと数週間は先のはずです。


「あ、ああ……ちょっとひと悶着あったがな……しかし、夏の女王よ、貴様来るのが早すぎやしないか?」


 塔の頂上まであと三分の一といった地点での予期せぬ遭遇でした。


「いや、女王を交代させたら王様が褒美をくれるって言うもんだからよぉ。急いで来てみたんだがちょっと遅かったな。はあぁ、頑張って損したぜぇ! ――まあ、早く着いちまったら、そっからオレが代わればいいだろ?」


「なっ! そんなことをすれば春が短くなって夏が長くなるではないか!」


「まっ、いいんじゃあねえの? 夏はバカンスの季節でみんな待ち焦がれてるから、早めに来たら歓迎されるわ、って春の女王も言ってたしさ! そいじゃま、そゆことで、また来年な! あばよっ冬の女王!」


 そういって意気揚々と塔を登ってゆく夏の女王を見送りながら、冬の女王は憎々しくはるか先の塔の上を一度睨みつけ、そしてこの国の今後の季節を憂うのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

一万メートルの女王 相楽山椒 @sagarasanshou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ