終章 新しい約束

新しい約束

 小春日和ののどかな日だった。

 漆黒の馬が草原を飛ぶように駆け抜けていった。

 馬は、モアラの村の入り口で、ゆっくりとした歩様になり、やがて止まった。

 既に十日前に兵学校へと戻るはずだったデューンは、愛馬ノエルから飛び降りると、馬上のシーラに手を伸ばした。

 いかにも少女らしい白い下衣に緑がかった水色の長上衣。ややたっぷりめの裾が、馬から下りるときに風になびいて翻った。

 馬止めに馬を繋ぐと、馬車の男たちの世間話が止んだ。

 デルフューン家の悪口やシーラの駆け落ち騒動。そのような話を、モアラ家の御曹司が耳にしたら、彼らはその場で切り捨てられただろう。

 聞こえただろうはずの会話の断片を、デューンは無視して、男たちに一瞥を投げた。それだけで充分だった。


 それに。

 彼らは、新しい噂の発信源になる。

 ソリトデューン・モアラとその婚約者の、まるで兄妹のような仲睦まじい様子の。


 今日のシーラは、先日の男の子のようではない。

 まるで小さなお姫様だった。

 幼い頃、デイオリアが着ていた服は、シーラによく似合った。カーラが整えてくれた髪は、馬の疾走で多少乱れたものの、豊かで栗色に輝いていた。

 つんとして馬を降りたものの、シーラは、かつて喧嘩をふっかけた二人組を見て目を丸くした。そして、一人のおでこの傷を見て、くすりと笑った。

 その愛らしい笑顔に、男たちはコクコクと慌ててうなずくだけだった。


 今日は、朝から楽しいことばかり。シーラははしゃいでばかりだった。

 朝は、おしゃれから始まった。

 デイオリアが、いろいろと服を持ち出して、カーラがああでもない、こうでもないと、着せ替えた。

 二人は、けして背伸びしない、シーラの年齢相応の装いを選んでくれた。

 シーラは戸惑いながらも、鏡の中で変わってゆく自分に、ドキドキした。

 おしゃれに命をかけている姉のシュリンの気持ちが、少しだけわかったような気がした。

 そして、デューンとの遠乗り。

 川を飛び越え、草原を走り抜け……。馬が大好きなシーラは、興奮がさめやらなかった。そして、夢を思い描いた。

 夏には、きっと馬を並べて走れるはず。


 二人は、その後、モアラの村へやってきたのだった。お忍びのはずだが、多くの村人に目撃された。

 デューンは、シーラの手を取って歩いた。

 村の様子に興味津々で、シーラはあたりをキョロキョロしたが、デューンの手の中から飛び出していくことはなかった。

 やがて、シーラは恐る恐る聞いた。

「ねえ、デューン。こんな楽しい時間を過ごす事が、本当にカールを救うことになるの?」

「あなたが心から楽しいと思えば」

 デューンはほがらかに言った。

 別の男と駆け落ち……などという噂は、幸せそうな二人の姿を見れば、たちどころに下火になるだろう。

 だが、シーラには、意味が分からなかった。

 ただ、デューンも楽しそうだと思った。いつもは、厳しい顔をしていることの多い彼だが、今日は心から笑顔だった。

「それに、我が妹がここまでかわいいとは思わなかった」

「あ、あら!」

 シーラは、真っ赤になりながらも、つんとして見せた。

「わ、私だって、我が兄がここまでおべっかを言う人だなんて、思ってもいなかったわ!」

 デューンはそれには答えず、ニコニコと笑うだけだった。

 そして、足はシーラがかつて行こうとしていた雑貨屋に向かっていた。


 雑貨屋は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような場所だった。

 こちらの人形に目が止まったかと思えば、あちらの壁飾りがシーラの目を呼んだ。と思えば、そちらの花飾りがシーラの目を引きつけて、どうしようもなくなった。

 おそらく、あの日無事にデューンへの贈り物を探しにこの店に入ったとしても、夕方までに帰れなかっただろう。

「あ、これかわいい! まぁ、ちょっと、これも……ああ、あれ見て! ねえねえ、素敵だと思わない。キャー! それ、それ……」

 さすがに、デューンはつきあいきれずに無言だった。


 親が決めた婚約者――その縛りがなくなっただけで、シーラはとても楽になっていた。

 自分の気持ち、自分の自由を連呼しながら、実は、親の期待を裏切ってしまう……と恐れ、縛られ続けたのは、シーラのほうだったのかも知れない。

 新しい誓い・約束は、シーラを本当に自由にした。

 あれだけ反感を感じていたデューンの冷静さですら、どこか居心地よく感じてしまう。そして、この人と一生をともにすることが、実に自然に思えてきてしまう。


「本当にかわいい婚約者だこと。お似合いですわね」

 お店の人の言葉に、シーラははっとした。

 目先の物に目を奪われて、すっかりこの店にきた目的を忘れていた。

 シーラが贈り物をしたかったのだ……という話を聞いて、デューンがお互いに贈り物をして、それぞれ持っていようと、提案してくれたのだ。

 出発は遅れたが、デューンが学校に戻るのは変わらない。シーラとは、しばらくお別れになる。

 シーラがはしゃいでいる間、デューンは店の人におすすめ品を見せてもらっていた。


 ――お似合い……なんかじゃないわ。


 シーラは、はしゃぐのをやめた。

 ケースを開けて、小物を見ているデューンの横に並ぶと、一緒に品物を見始めた。

「これは、いかがですか? 対の指輪です。同じ物をしていると、心が繋がると言われておりますし……」

 銀でできた飾りのないものだったが、裏にお互いの名を彫れる。男のデューンが身につけていても、おかしくはないだろう。

「銀は、邪悪を寄せ付けない働きもある。これがよさそうだ。シーラ、どう思う?」

 シーラは、指輪をじっとみた。そして。

「嫌!」

 お店の人は、はっきりと言い切ったシーラの反応に困ってしまったようだ。

「あ、あの……嫌って……その……」

 シーラは、隣にあったかわいらしい花の形の指輪を指差した。

「私、こっちがいい!」

「は?」

 店の人は、あきれて立ちすくんだ。

 珍しいことに、デューンが声をあげて大笑いした。


 ――結局。


 シーラはかわいらしいお花の指輪をデューンから贈られた。

 中央に水色の石があしらわれた、実に女の子らしいデザインである。だが、そのかわいらしさゆえに、対になる男物はない。デューンには、何も当たらなかったのだ。

 シーラが贈り物を……と考えたのに、結局は、シーラに贈り物となった。

「だって……向こうの指輪は、ぜんぜんかわいくなかったんだもの」

 帰り道、ぶつぶつとつぶやくシーラに対して、デューンはずっと笑い続けていた。ここまで笑うデューンを、シーラは初めて見た。

「あなたらしいな。でも、贈るならあなたの気に入ったもののほうがいい」

「ごめんなさい……」

 先日の、カールを本当に斬り殺すのでは? と思えたデューンはいない。おだやかな少年がいるだけだ。

 太陽の光を、まぶしそうに見上げ、目を細めている。そこには、時々見せる緊迫した表情はなく、どこかのんびりしてさえ見えた。

 今後、長い人生の中で、デューンはどのような新しい顔を見せてくれるのだろう? シーラは、ぼんやりと想像した。

 

 全然お似合いなんかじゃない。

 私は、こんなに子供で、デューンはもう大人ですもの。

 ――でも……。


 デューンは、真っ赤な瞳をまっすぐにシーラに向けた。

 膝をついて釣り合うほど、二人の背の高さには差がある。対等に恋をするほど、二人はまったく近しくない。

「あなたがモアラ家にいてくれるだけで、私には充分の贈り物だ。それに、思い出の品など必要ない。どんなに遠くに離れても、ずっとあなたのことを思っている」

「え? ええ! お、お兄様」

 シーラは慌てて返事をした。

 兄でもいいと言ったくせに、デューンは時々大真面目な顔で、ずいぶんと恥ずかしい台詞を吐いてくれる。

 デューンは、笑いながらシーラを馬に乗せ、自分もその後ろにまたがった。

 デューンの腕の中で、シーラは花の指輪に口づけして誓った。


 ――私も最大限努力するわ。

 あなたにふさわしい人になれますように。



=一幕・終わり=

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絆〜エーデム・アナザー わたなべ りえ @riehime

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