婚約破棄

 シーラはすっかり疲れてふて寝していた。

 普段はデイオリア付きの女性が食事を運んでくれた。カーラでなかったことが、不安だった。その時、大暴れしたけれど、簡単に押さえ込まれてしまい、逃げ出すことはできなかった。

「食べたくないっ!」

 と叫んだけれど、体は正直。お腹がすいていた。

 奇妙な逃亡劇の間、シーラは何も食べていなかった。それは、カールも一緒で、食事しながらもカールのことが気になった。

 女性が食事を下げに来た時、今度は神妙にしてカールのことを聞いてみた。だが、やはり有無も言わさず、返事もせず……だった。

 女性が扉を締めた時、思わず枕を投げつけた。

 そして、シーラのできることといえば……やはりふて寝だった。


 コンコン……とノックの音。

 

 ふて寝し続けてどれくらい経っただろう? シーラは、やっと訪れた外部からの刺激に飛び起きた。だが。

「入ってもいいか?」

 ノックに続くデューンの声に、思わずむかっとした。

 ずっと待っていた時には、現れてくれなかったというのに、今更何をいいに来たのだろう?

「入る」

 シーラの返事を待たずに、デューンは言った。

 思わず「ダメ!」と言ってやろうかとも思ったが、さすがに人恋しくなっていた。シーラは、返事の代わりにもう一度ベッドに横になり、毛布を深くかぶって寝たふりをした。

 扉の開く音がして、デューンが部屋に入ってくるのを感じた。

 だんだん近づいてくる。シーラは緊張したが、わざとゆっくりと呼吸し、狸寝入りを決め込んだ。

 今に毛布に手をかけるのでは? と思われるくらい気配が近くなった。

 デューンは、ベッドの淵に腰を下ろしたらしい。かすかにベッドが沈み込むのを感じた。

「シーラ、眠っているのか?」

 返事なんかしない。だいたい眠っている者が返事するはずはない。シーラはぴくりとも動かず、デューンを無視した。

「それとも……眠ったふりか?」

「ね、眠ったふりなんか、するもんですか!」

 思わず飛び起きて叫んでしまった。


 ――し、しまった!


 薄暗闇の中、デューンが小馬鹿にした顔で、見つめているような気がした。

 だが、それはシーラの勘違いだったようだ。デューンの声は、からかうような抑揚はなく、淡々としていた。

「まるで敵の目から逃れようとしている獲物のような気配だ。眠っているようには思えなかった」

「ね、寝たふりなんかじゃないわ。ただ……」

 シーラは、真っ赤になりながら、弁明した。

「ただ、無視しただけよ。私をあなたが無視したようにね」

 ふわっとベッドが持ち上がった。デューンが立ち上がったらしい。

「無視? 私があなたを無視していたと思うのか?」

「思うわよ!」

 ベッド横のろうそくに火が灯り、あたりが明るくなった。

 デューンの顔を見て、シーラははっとした。

 眉間に皺を寄せるのは、どうも癖らしいのだが、それにしても疲れている顔だった。目の下には隈も作っている。

 デューンは、何も言い返さなかった。だが、到底、シーラの言葉を肯定したようには見えない。

「……だ、だいたい私を閉じ込めて、どうしようっていうのよ? カーラはどうしたの? なぜ来ないの? カールはどうしたの? まさか、殺したんじゃないでしょうね!」

 デューンが言い返さないので、シーラは怒鳴るしかなかった。そうでもしなければ、今日半日の幽閉状態の自分が報われない。

「いい? 今回のことは、カールは何も悪くないの! 当然、カーラも何も悪くない! 二人を処分したら、私、あなたを許さない……」

 ふわっと抱きしめられて、シーラの言葉は途中で途切れた。

 包み込むような温かさが、人恋しくてたまらなかったシーラに、麻薬のように染み渡った。思わず目をつぶって、ぬくもりを味わった。

 ――ドキドキする。

 心臓の鼓動が響いてくる。お互いの鼓動が響き合っているようだ。

「あなたが無事でよかった」

 胸がキュンとした。

 だが……。

「今更知らない! そう思わなかったくせに! 私をぶったくせに!」

 デューンの言葉がうれしいくせに、同時に腹立たしく思えてきた。


 ――だって、私。

 デューンが探してくれて、あの時に会えて……ほっとしたのに。


 その言葉を、あの時に言ってほしかった。

 死んじゃうかも? と、不安におののいて彷徨い疲れたあの時に。

 シーラは、デューンに会いたかった。会って、抱きしめてもらいたかった。今のぬくもりが、欲しかったのだ。

 ――なのに。


「私をぶった! カールを殴った! デューンなんて大嫌い! こんな家に連れ戻されたくなかった!」

 シーラは興奮して泣き出した。

 ばたばた暴れるシーラに手こずりながら、デューンは言った。

「あなたは、我が婚約者だ。連れさらわれて、見つかったからといって、それで済む話ではない。モアラ家の名誉にかけて、それ相応の処分が必要だった」

「何が名誉よ!」

 シーラは、ついにデューンの手を振り払い、ベッドから飛び降りた。そして、扉のほうへと走り出した。

「何がモアラ家よ! 何が王族の名誉よ! そんなの、私はもうたくさん! 牧場に帰る!」

 扉に手をかけて、シーラはますます腹を立てた。デューンは入って来た時に、鍵をかけたのだ。

 苛々と扉を叩き、蹴飛ばし、今度は引っ張ってみた。が、当然ながら、扉はびくともしない。

 シーラは、くるりとデューンのほうを向き直した。

「とにかく! 私、あなたの婚約者なんて嫌! 耐えきれない! そうやって、家やら親の都合やら、何やらかにやら利用されるなんて!」

 デューンが、つかつかと歩みよった。

 顔は無表情なまま。眉間に皺をよせたまま。

 こういう時のデューンは、たいてい腹を立てているのだ。あの時、ぶたれた時もそうだった。

「またぶつつもり? ぶちなさいよ! 私、あなたとの絆なんて、これっぽっちも感じていない!」

 デューンが、いきなりシーラの肩を両手で押さえつけた。赤い目の奥には、怒りの炎が燃えているように感じた。

 シーラは目をつぶった。

「ぶちなさいよ! 私、あなたの妹じゃない! 選ぶことのできない血の絆じゃない!」

 本当にぶたれると思った。

 ぶたれるくらい嫌な子で、どうしようもなくて、それでいて、婚約者だなんて嫌だ。

 目をつぶっても、突き刺さるようなデューンの視線を感じた。

 そして、かつてのデューンの言葉を思い出した。


 ――あなたは、親を選んでいるか? 姉を選んでいるか?

 自分で選べなかったといって、嫌う理由になりうるか? 否、たとえ嫌なところがあったとしても、それで絆を断ち切れまい。


 確かにデューンの言うように、血の繋がりならば選ぶことは出来ない。でも、婚約者は血の繋がりでも運命でもない。


 選べるのだ。


 ――私の相手は、私が決める!

 デューンだって、そうするべきなんだわ!

 そんな絆、断ち切ってやる!


 シーラは、歯を食いしばった。目をぎっちりつぶった。

 だが、待てど暮らせど、頬に熱く感じる痛みはこなかった。

「妹なら……いいか?」

 突然、デューンが言い出した。

「……え?」

 意味が全くわからなかった。

 デューンは、シーラの肩をつかんだまま、ゆっくりと言い直した。

「私が兄ならば……少しは絆を感じてもらえるか?」

「それって……どういうこと?」 

「婚約者が嫌なら、妹になればいい」

 

 ――妹?


 シーラは耳を疑った。

 デューンの口からは、常に「婚約者」という言葉が、いとも簡単に吐き出されていた。それが、とても嫌だった。

 だが、妹と言われると……。

 デューンは、この婚約話が、妹の死から立ち直るきっかけとなった……と言ってはいなかっただろうか?

 シーラは急に不安になった。

 そもそも、大人はデルフューン家とモアラ家が繋がりさえすれば、養女でも何でもいいのだ。

 もしかしたら、デューンにとって、シーラが妹でも婚約者でも差はないのかも知れない。

 いや、むしろ、妹と繋ぐ絆のかわりの婚約なのだから。


 ――私。

 何のためにここに来たの? 

 今までのことは……何だったの?


 シーラが言いよどんでいるのを、デューンは理解できていないと判断したらしい。はっきりと言った。 

「婚約は破棄だ。それで満足か?」

 それは、シーラが望んだことでもあったのだが。

「……え……え。満足だけど……でも」

 なぜか胸にずんときた。

 今まで何でも許してくれていたデューンに、見捨てられたように思えた。でも、に続く言葉は、シーラの口から出なかった。

 デューンは、まったく違う解釈をしたようだ。

「我々の間では、話は簡単だ。だが、家同士はそうもいかぬ。特に、このような事件があったあとではな。今、あなたをデルフューン家に返せば、駆け落ちのせいで破談になったと思われる。となれば、我が家の名誉上、カールをそのままにはしておけない。妹でもよいから、このままモアラ家に留まってほしい」

 婚約者を誘拐されたというのに、何の処罰もなし。この事件が明るみに出たら、モアラ家は世間の笑い者だろう。

 名誉を重んじるウーレン族にとって、このような屈辱はない。

「わ、私があなたの妹になれば、カールは助かるの?」

「妹でも婚約者でも」

 カールを助けるための何か手段だのだろうか? と考えたシーラの想像はあっけなく否定された。

「カールの疑いは晴れた。あなたの喧嘩相手が、洗いざらい白状したから」

 シーラはきょとんとした。

「え? あいつ、死んでなかったの?」

「それくらいで死ぬわけがない」


 ――じゃあ……あの逃走って……。

 何だったの?


 全く意味のないことに、命をかけていた二人がバカバカしくなった。

 シーラは、へなへなとその場に座りこんだ。

 だが、デューンに笑顔はなかった。

 そのバカバカしい事件が残した爪痕は、意外と大きい。今後に影響がないように、根回しが必要だった。

「あなたはまだ子供だ。誰が、駆け落ちなどすると、本当に信じるだろうか? 全員揃って口を塞げば、噂は直ぐに消える」

 それでもおかしな噂を吹聴しようとする輩は、斬って捨てればいい。ウーレン王族には、その権利が認められている。


 カールが無事なのは、ほっとした。

 だが……シーラの胸は、ぽっかりと穴があいたようだった。

 ――私はただ、デューンに……。

 贈り物がしたかったのだ。

 たとえ遠く離れてしまっても、自分を思い出してもらえるような何か――確かに繋がっていると感じることができる何かを。


 ――それが、どうしてこんなことに?


「婚約破棄といっても……結局は、同じことじゃない! ここの家から出られないなんて。で、いつか、そんな言葉なんか忘れて、家の都合でそのまま結婚させられるんだわ!」

 なぜ、そんなことを言ってしまうのかわからない。

 ただ、怒鳴りたい。わめきたい。

 そして、「ごめん。今のはなかったことにしよう」と、謝ってほしい。

「あ、あなたの言葉なんか、信じない!」

 その瞬間、デューンの表情が少しだけ曇った。怒鳴り返されるかと思ったが、彼は小さなため息をついただけだった。

「十五歳になったら、あなたは自由だ。好きな人を選んでいい」

「……信じない」

 なぜか涙が出てきそうだった。

 デューンは、すっと剣を抜いた。それは、ウーレンの神聖な誓いのためだった。

「この剣にかけて誓う。この婚約は破棄された。以後は、あなたの自由な意志を守ると」


 ――剣の誓いは絶対。

 破れば、その剣の露と消えても、文句はない。


 デューンは、本気なのだ。

 本気で、シーラとの婚約を取り消すつもりだ。

「……じゃあ……デューンは、私が別の人と結婚してもかまわないの?」

「あなたが望むなら、祝福する。兄として」

 確かにこの婚約には、シーラの意志が反影されていない。シーラは、自分の結婚相手を自分で選びたかった。

 でも、これがずっと追い求めていた結末なのだろうか?


 ――私……もう選んでいた?

 デューンを選んでいた?


 でも、婚約を否定された今となっては、デューンとの将来はもうありえない。

「じゃあ私……別の人と結婚するの……?」

 シーラは震えた。そんなことを、全く考えられない自分に戸惑った。

 デューンは苦笑した。

「そうならぬよう、最大限努力する。あなたが私を選ぶように……」

 シーラは、目をぱちくりさせながら、ゆっくり言葉の意味を理解しようとした。


 ――え? え? ええーーーっつ!


 つまり……。

 そういうこと。

 シーラはほっとした。

 と同時に、シーラは腹立たしく思った。デューンにからかわれたと思ったのだ。

(わ、私の気持ちを、はかったのね!)

 だが、その誤解はすぐに解けた。デューンの手には、まだ、剣が抜き身のままあったからだ。


 ――あなたが誰を選んでもかまわない。

 だが、あなたが私を選ぶように、私は最大限努力しよう。


 それが、デューンの誓いだった。

 親同士の約束は二人の間には存在しない。ただ、新たに撚り合ってゆく絆があるだけだ。

 シーラは、やっと気がついた。

 親同士が決めたことであろうが、運命であろうが、出会い方はどうでもいい。その後に育った気持ちを大事にすればいい。

 一緒に過ごしてきた日々が、思い出された。

 ませているとはいえ、まだまだ幼いシーラに合わせるのは、もうすぐ大人の仲間入りをするデューンにとって、世話の焼けることだっただろう。

 秘密をわけあったこと、馬の練習、ポニーの火葬、そして、今回の騒動――何一つ、適当にあしらわれたことはなかった。

 シーラは、初めてデューンの優しさに素直に感動した。 

 だが、残念ながら、態度も素直になるほどに、シーラは素直な性格ではななかった。

(やっぱり、気持ちを計られたようで、何だか腹立たしいし)

 うれしいと言うかわりに、つんと上を向き、口をとんがらせた。

「わかったわ。お・兄さま。私、いい妹になってあげる」

 デューンの表情がやや緩んだことを、シーラは見逃さなかった。

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