やがて白い空が割れて。
目を開ける。空が白い。
「派手に落ちたな。そんなことでは騎手にはなれないぞ」
声の方に首を曲げると、そびえ立つような佇まいで馬が見下ろしていた
どうやら自分は今、草原の上で大の字に寝転がっているようだとウラシマは状況を認識した。落馬して転んだのだろうか。
「また死んでしまう体験だった」
ウラシマは上体を起こし、自身の手足が大人の長さであることを確認しながら言った。
「小学校からの帰り道。俺はゴミ収集車に轢かれた」
「よりによってゴミ収集車か。縁起が悪いな」
馬はウラシマの沈痛を気にも留めず言い放つ。
「俺は一体、いつ死んだんだ。交通事故で? 濁流に飲まれて? 介護施設で?」
「なんと答えれば満足なのだ」
馬の問いに対し、ウラシマは何も返せなかった。
「走馬灯……」
「なんだ?」
「これは走馬灯じゃないのか?」
「走馬灯?」
「死ぬ直前に人生の断片が連続して見えるという話がある。そう考えると合点がいく。この冗談みたいに白い世界には、なぜか馬がいて、そいつに乗って走ると人生の局面が見える。そして馬の目は灯火のような色をしている」
その、灯火のような瞳で馬はまっすぐにウラシマを捉えた。灯は、ウラシマが執着した苦肉の結論を静かに否定していた。
「生きるついでに死ぬ男よ」馬が雷鳴のように低い声で語りかける。ウラシマもまっすぐに視線を合わせる。
「乗るがよい」
ウラシマは無言で立ち上がると、ゆっくりと頷いた。
馬に跨り、全身に風を受けながら、ウラシマは死について考えた。
自分にはいくつも死の体験がある。幼い日の交通事故。激流の底で見た絶望。介護施設で味わった、穏やかな、しかしとても長い死。
それらは独立していて、整合性と連続性に包囲された世界から隔絶しているように思えた。だが本当にそうだろうか。
ウラシマは今や忘却の果てに消えた自らの生についても思いを巡らせた。
生の体験は、三つの死に紐づいた短いものがあるだけだ。しかしウラシマはどういうわけか、生についていくつかの蓋然的事実を知っていた。
生はあらゆる可能性に満ち、あらゆる選択肢に囲まれ、あらゆる奇跡に祝福される。
しかし一方で、生の糸を辿れば必ず虚しさに行き着く。
あらゆる可能性と選択肢と奇跡は、最期の最期で徹底的に否定され灰となる。
生のはらわたは虚無である。
生は陽炎のように曖昧で、どこか幽霊じみている。
概念の中に閉じ込められていつも窮屈そうに、法則世界から逃れようとしては叶わない。生命活動という名の悲しき幽霊。
対する死は、死そのものが生物であるかのような確固たる存在感で、生き生きと生を喰らい生き続ける。
生は不可逆的であり、死は可逆的なのである。
やがて白い空が割れて。
目を開けるとそこは朧ヶ丘。仙台市◯区朧ヶ丘三丁目、ウラシマの自室だった。
時計を見ると午後の一時半を過ぎたところだったので、二十分もうたた寝をしていたことになる。昼下がりの陽気が眠りへと誘ったのだろう。
小窓から射す陽の光が白く煌めいている。静寂というスローバラードに、庭で鳴く鳥のソプラノが調和して神秘的な旋律を奏でる。虚無を彩る、途方もなく美しい一瞬。
とととと。小気味好い足音が近づき、背後で扉が開いた。
「パパあ」
鼓膜に蜂蜜を塗られたような心地よさ。甘い音色の声。
ウラシマはオフィスチェアをぐるりと回して声の方へ体を向ける。銀河中の愛しさをすべて集めたような笑顔を携えて、息子が飛びついてきた。
彼はウラシマの両膝の間からにょきっと顔を出すと、無邪気に笑った。ウラシマも笑う。
二人でげらげらと、理由もなく、ただ笑う。笑う。
この瞬間を切り取って永遠にループさせたいと、ウラシマは心底願った。
時計に目をやるがやはり秒針は動き続けている。時の処刑人は休まない。
「ねえパパ、ぼくお絵かきしたんだよ」息子は思い出したようにそう言うと、スケッチブックの切れ端を差し出した。
「おお、うまく描けた?」
ウラシマは受け取った絵を見て、全身の血管に稲妻が走るような戦慄を覚えた。
ウラシマはその絵を見たことがあったのだ。どこかで、何度も。
それは、不思議な部屋の丸いテーブルで、可憐な少女が描いていた絵。濁流によって流された絵。介護施設の自室で壁に飾られていた絵。
真っ白な草原を黒い馬が疾走する絵。
白夜の白昼夢 ユーキビート @beat1212
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