蝶はいない。

 ウラシマは少し体制を崩したが、うまく溝を跨いで遊歩道に出た。夕日が足元に影をつくっている。鳥の鳴き声や木々のざわめきに、子供達の嬌声が混ざる。


 蝶はいない。


「へんなかんじ」は終わってしまったようだった。残念なような、満足したような、へんてこな気分だった。


 それは、いつもの「へんなかんじ」が終わった時と同じだった。


 急に走りたくなって、ウラシマは駆け出した。遊歩道の緩やかなカーブに沿って軽快に足を前へ運ぶ。すると肺のなかへ風が入り込む。


 景色が線に変わって後方へ流れてゆく。疾走感がたまらなく心地よかった。  


 帰ったら何をしよう、とウラシマは考えていた。ゲームの続きか、漫画を読むか、兄ちゃんとサッカーをするか。その前にお菓子を食べたい。カルピスも飲みたい。


 やがてすぐに、ウラシマは遊歩道の終点に辿り着いた。あとは階段をくだって横断歩道を渡れば朧ヶ丘一丁目の住宅街である。


 道は左右と正面の砂利道の三方向に分かれていて、ウラシマの家へ帰るためには、横断歩道を渡ったあとまっすぐ行くか、もしくは右に曲がるという選択肢がある。


 今日はどっちのルートで帰ろうか。階段を一段抜かしで降りながら迷う。


 この時間ならビートがいるかもしれないから、右に曲がろうとウラシマは決めた。ビートとは帰路の途中の家で飼われている犬の名前で、愛嬌があってウラシマは彼のことが好きだった。


 ジャンプして階段をくだりきると、ウラシマは勢いそのままに横断歩道をダッシュした。


 日差しが眩しい。


 そのとき凄まじい音がして、景色が反対になり、そして消えた。


 断線。空白。


 もう一度、暗闇の中に弱々しい光が生じたとき、ウラシマの視界が捉えたのはオレンジ色の空と、無機質な電柱と、そこに巻かれた「通学路 減速」の標識、あとはフロントガラスの割れたゴミ収集車だった。


 小さいころ持っていたミニカーに似ているな。消えゆく意識の中でウラシマはそんなことを思った。


 そして無垢な夢を見たあと、静寂の世界に沈んでいった。


 声がする。途方からだ。


「生きるついでに死ぬ男よ。死ぬついでに生きた男よ。散りながら咲き、咲きながら散るときがきた」

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