みんな、いなくなってしまうでしょ?

 ソラクダは疲れなど知らんとばかりに飛び続けた。


 ときどき羊か牛のような鳴き声をあげる彼(彼女?)の背で、ウラシマとレムはまだ手を握り合っていた。


 二人の掌は、ソラクダの背の真ん中でぽこりと膨らむコブにそっと置かれている。


 コブは小高い丘のようだった。コブは温かく、レムの掌は冷たいままであった。


 飛空の高揚にも慣れたころ、ウラシマはレムの方を向いて問いかけた。


「ここはどうしてこんなに暗いの?」


 目が慣れたのか、墨のような漆黒は薄れてきたとはいえ、遠くのものは何も見えない。


「夜だからだよ」


 レムは前を向いたまま答えた。


「レムの部屋に入る前はまだ明るかったけど」


「ここはずっと夜なの。夜といっても、きみの知ってる夜とは違う」


「どういうこと?」


「この夜は、夜の中にある夜なんだよ」


「夜の中に、夜があるの?」


「そうだよ。きみは寝ているときに夢を見るでしょ?」


「うん。よく見るよ」


「夢のなかで夢を見たことはある?」


「ううん、ないよ」


「夢のなかで夢を見て、そのなかでまた夢を見て……って繰り返していったところが、この夜なの」


「よくわからないや……」


「うん、まあわからなくていいよ」


「でも……」


 しばらくソラクダの羽ばたく音だけが夜空に響いた。レムは今の話をしたくなかったのかもしれない、とウラシマは思った。


「そういえば」静寂を破いてレムが言った。「今日も手伝ってくれるよね?」


「手伝う? 何を?」


「いたずら」


 再びレムの言葉が躍動し始める。


「いたずら?」


「きみはここに来たらいつも、ソラクダに乗って、私と一緒にいたずらするんだよ」


「いたずらは得意だよ」


「知ってるよ、きみのいたずらはセンスあるから」


「一体どんないたずらをするの?」


「夢の交換」


「夢の、交換?」


「そう、みんなが見ている夢を交換するんだよ」


「どうやって?」


「見ててね」


 レムはそう言うと、右腕をひゅんと上部へ動かした。すると二人の前にボールのような白い球体が現れた。白いボールはソラクダが飛ぶスピードと同じ方向、同じ速さで暗闇の空を転がっている。


「丸の中を見ててね。夢を入れるから」


 ウラシマは息を飲んでボールを見つめる。レムは右腕を無造作に振り回した。するとボールの中が光って、球体の中央に太った女の人が縄跳びをしている情景が映しだされた。上手く飛べずに、毎回縄が足元に引っかかっている。


「これは、今どこかで誰かが見ている夢のひとつだよ」


「すごい。ボールの中に夢が映るんだ?」


「そう。じゃあ、別の夢も集めるね」


 レムはそう言って右手を動かした。すると縄跳びを映すボールのとなりにもう一つ、今度は紫色のボールがどこからか浮かび上がる。ボールの中で、象の群れがゆっくり歩いていた。


「かわいい」レムは言った。群れには子供の象もいたので、きっと仔象のことを言ったのだとウラシマは思った。


「じゃあ、二つの夢を交換します」レムの声が弾む。レムがもう一度右手をくるりと動かすと、二つのボールが互いに近づき、こつんとぶつかった。


「ボールの中を見てみて」レムは嬉々として言う。


 白いボールの映像を見たウラシマは思わず「うわっ」と声をあげた。


 ボールの中では、象が縄跳びをしていたのだ。象は二本足で立ち、前足で器用に縄を扱って飛んでいる。しかし何度チャレンジしても、鼻先に引っかかってうまく飛べないようだった。


「象の縄跳びだ! 面白い!」


「でも、もう片方のボールはイマイチかなあ」レムの口ぶりが曇る。


 紫色のボール内では、太った女の人が何人も四つん這いになって草原を歩いていた。太った女の人の群れであった。鼻をひくひくさせている。


「じゃあ次の夢、呼んでみようか」レムはもう一度手を動かした。


 黄色のボールが飛んで来て、きらりと光って二つのボールの近くで止まった。中には巨大な大仏が映り、大仏は両手を頭の後ろに組んで、腰を落としたり直立に戻したり、という動作を繰り返している。ウラシマは、父親がときどきやっているスクワットという動きを思い出した。


「ふふふ。大仏がトレーニングしてるみたい」ウラシマはおかしくて笑った。


「この夢とさっきの女の人の夢を交換したらどうなるかな」レムはそう言って、左手をピンと前方に振り上げた。つながれたウラシマの右手も同じように動く。


 黄色いボールが紫色のボールの上部にぶつかり、こんと音がした。


 ウラシマは期待して紫色のボールを覗き込む。スクワットする大仏の周りを、四つん這いの太った女の人がくるくると回り、鼻をひくつかせている。ウラシマはなんだこれ、と言ってげらげら笑った。レムも笑った。


 黄色いボールには、草原が映っていた。生い茂る草の上で、女の人の着ていた上着がぷかぷか浮いている。そっちは少し怖かった。


「きみもやってみたら?」


「うん!」


 ウラシマは左腕をくるんくるんと回してみた。青いボールと赤いボールがやってきてウラシマの前で止まり、妖しげに光る。中に映されたのはそれぞれ、宇宙船に乗って光線銃で戦う子供、そしてエビが油で揚げられて跳ねるシーンだった。


 三角形を描くようにウラシマが腕を振ると、赤と青、黄色のボールが一箇所に集まり、かちんとぶつかり合った。三つの夢が混ざり合う。


 青いボールでは、エビに跨った子供が草原を跳ね回る。


 赤いボールでは、サイズの大きなカーディガンが油で揚げられてパチパチと音を立てる。


 黄色いボールの中には、芝生で作られた宇宙船がいくつも浮かんでいる。


 ウラシマはひとつひとつのボールを順番に眺めて、おかしなところを見つけるたびに吹き出した。ボールに映るいろいろな場面は、いくら見ていても飽きない。


「もっといっぱいボールを集めよう」


「そうだね、それからどんどんぶつけちゃおう」


 それからしばらくの間、ウラシマとレムは夢交換に没頭したのだった。


 ロボットが虹色の果物を頬張る夢。


 たくさんの枕をテトリスみたいに動かして、空中に並べてゆく夢。


 砂で出来た塔を登って、卵を産む場所を探す夢。


 車の実る種を植えて、スポーツカーの花が咲いて喜ぶ夢。


 暗かった夜空にはやがて色鮮やかなボールが溢れ、星のように瞬いた


 人々の夢の欠片が呼応しあって輝く、満天の夢空。


 星々の間を、ソラクダは行くあてもないような軌道を描いて舞う。ウラシマとレムは手を繋いだまま、夢の隙間で風になった。


「楽しかったあ」


 レムは右手を夜空に突き出して伸びをしながら、噛みしめるように言った。カラフルな光が微笑する横顔を照らす。


「こんなに楽しいのは初めてだよ。面白い夢がたくさんあったなあ」ウラシマもまた、言葉を噛み締めた。


 レムがウラシマの方を向いて言う。


「また一緒にやれたらいいね、夢交換」


「そうだね」


 こんなに楽しいことなら、永遠にやっていたい。ウラシマはそう思ったけれど、口には出さなかった。


「でも、どうしてレムは夢交換をしてるの?」


 レムは微笑んだまま、前を向き直して星々を見つめた。ソラクダの羽ばたく音だけが夜空に響き渡る。


「みんな、いなくなってしまうでしょ?」


 レムはぴくりとも動かずにそう言った。細いけれど何かを突き刺すような声だった。ウラシマはじっと耳を傾ける。 


「誰もがいつか、いなくなるの」


「死んじゃうってこと?」


 レムは答えなかった。


「大事な人が先にいなくなってしまうこともあるかもしれない。それはとても、とてもつらいことなんだよ。ほかの誰とも痛みを分け合えないし、癒されることもない。自分がいなくなってしまうまで」


 再び、ソラクダの羽ばたく音が静寂に漂う。


 ウラシマは、胸のなかにざらざらしたものが入ったような気がした。 


「でもね、いなくなっても、その人が見た夢は消えないの」


 静寂を切り裂くようにレムは言った。


「だからここで夢を交換して、混ぜ合わせて、重ねたり離したりして、この夜に放つのよ。そうすると、誰かの夢のかけらが、別の誰かの夢にとけてゆく。そうやって、夢はずっとつながってゆくの。夢は遠くにもいける。未来にもいける。この夜空とおなじように途切れることはない」


「それが、レムが夢交換をする理由?」


 これまでで一番長い沈黙が流れて、ウラシマはその間に二回唾を飲み込んだ。


 レムはウラシマの手を強く握ると言った。


「なあんてね」


 レムの表情には少女のあどけなさが戻っていた。


「違うの?」


「言ったじゃん。いたずらだって」


「げえ、だまされたー」


「夢交換をしてもできあがるのは変な夢ばっかりだしね」


「ふふ、たしかに」


 二人は少し笑った。


 ウラシマはなぜだかとてもさみしい気持ちになっていた。


 きっとレムも同じ気持ちになっているのだと、そんなふうにウラシマは思った。


「こうやって話したことも、きみは忘れちゃうんだろうなあ」


 レムはからかうような口調で言った。


「今度は忘れないようにするよ」


「ありがとう」


 最後の声は、とても遠くの方で聞こえた気がした。何かが途切れたと感じた。


 右手にあったつめたい感触が消えて、それに気づくと同時、ウラシマは何かに強く背中を押された。


 声を上げることもなく、ウラシマは夢の星きらめく夜空の淵へと落ちてゆく。もう一度、ソラクダとレムを探そうとして顔を上げる。


 上空には、色とりどりの輝きがどこまでも広がっていて、それ以外には何もなかった。

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