愚者黙示録 オウジ

 保身、崇拝、不安、恐怖、裏切り……様々な思惑が絡み合ったエルリーゼ幽閉事件は、結果だけを見れば比較的マシな落とし所に落ち着いた。

 加担した各国の王や貴族は全員エルリーゼの温情によって許され、彼女を幽閉した事による大きな弊害も出なかった。

 王都襲撃という危機はあったが、それも終わってみれば……結果論ではあるが、エルリーゼを幽閉した事で魔物の一斉攻撃を誘い、一網打尽にする事に成功した、と見る事も出来るだろう。

 もしもあの襲撃がなければ魔物達はああして纏まっての攻撃に出る事なく、今も各地に潜んで人々の脅威として残っていたはずだ。

 しかし結果よければ全てよし、とはいかない。

 あの事件は関わった者達の心に大小の差はあるが、傷跡を残した。

 王都防衛線で命を落とした戦士達の家族の心の傷が癒える事はない。彼等はこの先ずっと、アイズ国王を恨み続けるだろう。

 レイラは、エルリーゼが魔女との戦いで死んでしまう恐怖と次の魔女になってしまう不安に耐え切れず主を裏切り、今も罪悪感を抱えている。

 加担してしまった他の騎士も同じだ。アイズに言葉巧みに不安を突かれて乗せられてしまったといっても、裏切りを決めたのは自分達自身なのだ。

 貴族として王に逆らう事は出来なかった。逆らえば自分だけではなく家にも迷惑がかかる。最悪取り潰されて家族が路頭に迷う……全て言い訳だ。

 真に主を想うならば、損得も何もかも投げ捨てて主の味方をするべきだった、とレイラは悔い続けている。

 しかし彼女達はまだマシだ。あの事件の裏側では、もっと酷い、そして救いようのない裏切り行為を働こうとし、そして人知れず消えていった愚か者がいたのだから。

 その名をウコン王子、アミノ王子、そしてマカ王子。

 アイズ国王の血を引く、愚かな王子三兄弟だ。

 彼等はあろう事か、エルリーゼの警備が手薄になった隙を突いて聖女を手籠めにしようと企てていた。

 結局それは未遂に終わり、彼等はエルリーゼの部屋に近付く事すら出来ずサプリ・メントによって捕縛され、事件後は問答無用の処分を受けた。

 これは泥棒で例えるならば豪邸に盗みに入ろうと企てて自宅から出た瞬間に掴まったようなもので、未遂も未遂だ。そもそも彼等がそのような事を企てていた事すらエルリーゼは知らない。

 しかしそれでも大罪は大罪。今のこの世界でエルリーゼに手を出そうとするのは、それだけで全ての人類を敵に回してもおかしくない愚行中の愚行だ。

 そんな愚かな三人に下された処分は追放だった。

 一番若くて気が弱く、二人の兄に付き合わされただけだった末弟のマカ王子は、まだ情状酌量の余地ありとし、聖女教会での六年間の下働きという比較的軽い刑で済んだ。

 ここでしっかりと心を入れ替えれば、まだ王族に復帰出来る目もあるだろう。

 ここまで軽い刑で済んだのは、アイズ国王に他に跡継ぎがいないという点、そして高齢でもう子供を作れないという点も考慮されたからだ。

 マカ王子自身はもう、王位を継ぐ事は出来ない。それは絶対に認められない。

 だが彼が王族に復帰して妻を娶り、子が生まれれば、その子供が王位を継ぐ事が出来る。

 これも本来ならばあり得ない温情中の温情だが、そうした例外を用意しなければならないほどに、ビルベリ王国の跡継ぎ問題は深刻であった。

 そして残る二人……ウコン王子とアミノ王子。こちらは残念ながら情状酌量の余地なしだ。

 完全に自らの意志で事に及ぼうとした彼等は、親であるアイズですら庇おうとしなかった。

 一応王族であった事と未遂であった為に死罪はかろうじて逃れたものの、下された刑は実質死罪に等しい。

 ――地下施設での終身強制労働。

 王族を追放され身分を剥奪されての、奴隷落ち。それが二人の末路であった。

 しかもこちらは、マカ王子と違って期間がない。死ぬまでずっと奴隷のままだ。当然マカ王子のように王族への復帰の目などない。

 愚かな王子二人は一時の欲望の為に、二度と這い上がれない地獄へと叩き落されたのだ。



 地底百m……っ! 強制労働……っ!

 日の光も差し込まぬ穴倉の中……男達は休む事も許されず働く……っ!

 砂と塵が舞い……喉と肺を汚す愚者の終着点……っ!

 衛生環境……最悪……っ! 地獄……圧倒的地獄……っ!

 そんな救いようのない場所が、二人の王子の仕事場であった。

 彼等の役目は、穴を掘り、地下トンネルを作る事。

 このトンネルが何に使われるかも彼等は知らない。一説では各家庭で出た汚物を流す為の下水道になるとも言われている。

 聖女エルリーゼならばこんなトンネルなど魔法で、ほんの数分で作ってしまうだろう。

 しかしそれを頼まないという事は、少なくとも聖女にやらせるべき仕事ではない、という事だ。

 その証拠に、ここで働いているのは例外なく脛に傷を持つ者ばかりであった。

 過去に盗賊をしていた者、食料欲しさに殺人を働いた者、自分の事だけを考えて領民全てを飢え死にさせてしまった領主……そして聖女に邪な欲望を向けた愚かな王子。

 ここでは皆がある意味で平等だった。平等に最底辺だった。

 人としての最下層。いや、人としてすら扱われない。死ぬまで働き続ける終身奴隷。

 死んでも誰も気にしない。いや、むしろ死んでくれた方がいい。

 本来死刑になる所を、どうせ死ぬならせめて少しは役に立てと放り込まれたのがここだ。

 故にここで働く者達に不平不満を述べる権利はなく、元々が貴族だろうが王族だろうが関係ない。

 ある意味での究極の平等だけがここにはあった。


「全員、起床!」


 穴倉の一日は朝の七時、見張りの兵士の大声から始まる。

 この時起きる事が出来なければ蹴られ、酷い場合は剣の鞘でブン殴られる。

 ウコンとアミノはここに来て、今日までに二十回は殴られた。もしかしたらその数倍の回数殴られているかもしれないが、二十より先は数えていないのでよく分からない。

 ろくに清掃もしていない小汚い部屋に敷き詰められた藁の寝床からモソモソと這い出し、愚か者たちは臭くて汚い作業着を着る。


「朝食三十分! 食べてよし!」


 起きてから仕事開始まで三十分の時間が与えられる。

 ただしこの三十分には仕事の支度も含まれるので、実際に食事に使える時間は半分ほどだ。

 これを過ぎて完食していなければ取り上げられてしまうので皆、詰め込むように食べ始めた。

 出されるのは主に水でかさ増しした味のない麦粥とジャガイモだが、この穴倉で提供されるジャガイモは色が悪かったり小さかったりする、不良品ばかりだ。

 ただ、これでもジャガイモが出るだけ以前より遥かにマシになっている、とウコンは聞いていた。

 朝食が終わり、七時半からすぐに作業開始。皆が黙々と穴を掘り続ける。


「酷い……酷すぎる……どうしてこんな……こんな事……こんな事……俺達が……っ!」

「地獄……圧倒的地獄……っ!」


 ボロ……ボロ……と涙を流しながら元王子二人は必死に穴を掘る。

 王子として温い生活を続けてきた二人に、ここでの重労働はただ、辛い。

 全身は筋肉痛で動かすだけで痛いし、息も切れる。おまけに空気が汚くて臭い。

 汗の臭い……何日も洗っていない体臭……汚れが染みついた作業着の臭い……誰かが垂れ流した汚物の臭い……っ!

 劣悪極まる環境の中……労働……労働……っ!


「働け……働け……奴隷共……っ! コココ……っ!」


 動きが悪ければピシ……ピシ……! と看守に鞭打たれる。

 十二時になればまた三十分の食事休憩が与えられ、それが終わればまた働かされる。

 クタクタになりながら働き、夜の九時になってようやく解放されれば夕食に三十分、水浴びに三十分の時間が与えられる。

 ただし水浴びといってもその辺の川から汲んで来た水を乱暴にぶっかけられるだけだ。

 その後一時間、十一時になるまで一日で唯一の自由時間が与えられる。


「終わった……一日が、ようやく終わった……!」

「だが明日になればまた始まる……」


 ウコンとアミノは床に倒れ込み、束の間の自由時間を満喫する。

 起き上がる気にはとてもなれない。

 明日からまた始まる仕事の為に、今は少しでも身体を休めなければ。


「よお、兄ちゃん達。あんた等、何してここに放り込まれたんだい?」


 休もうとしていた二人に、馴れ馴れしく話しかける男がいた。

 髭面の、いかにもな悪人面の男だ。

 歯は何本か欠けていて、残った歯も黒ずんでいる。


「へっへっへ。まあ、ろくでもない事やったのは確かか。こんな所に放り込まれるくらいだもんなあ」

「……あんたは何をやったんだ?」

「俺かい? 俺ぁちょっと盗みと殺しをな……へっへっへ。貴族共ばかり腹一杯食ってるのが気に入らなくてよ。城壁の外に出た馬車なんかをよく狙ってた」


 馴れ馴れしい男は、なかなかの悪人のようだ。

 しかし彼のような罪人は別に珍しくない。エルリーゼ登場以前はどこにでもいたし、誰もが腹を空かせていた。


「俺達は、エルリーゼ様を手籠めにしようと企てて……そんでここに入れられた」

「ふっ……若き過ちというべきか」


 外の世界で口にすれば、その場で叩き殺されてもおかしくない罪だ。

 未遂とはいえ、それでも許されない。

 だがここなら……自分達と同じような罪人だけがいるここなら、曝け出せる。

 傷の舐め合いをして心を癒せる。底辺だからこその平等がここにはあるのだから。


「いや、ないわ。お前等世界でも滅ぼしたいのか? 引くわ」


 馴れ馴れしい男は心底呆れたような顔をし、二人から離れた。

 最後にペッ、と唾を吐き捨て嫌悪感を露わにするのも忘れない。

 万一にもこの二人の企てが成功する事など在りえなかったのだが、もしそれでエルリーゼが心に深い傷を負って『もうこんな世界助けない』という結論に達したらどうする気だったのだ。


「…………」

「…………」


 二人はその日から、心なしか他の囚人から冷たく当たられるようになった。



 劣悪極まる地下労働施設だが、全く遣り甲斐がないわけではなかった。

 人は鞭だけでは、心が擦り切れてしまう。

 やる気を失い、動かなくなる。

 だから少しは必要……飴……っ!

 この地下労働施設では、働いた日数によって給料が与えられる。

 勿論、外の世界で使われている一般的な金ではない。

 この地下でしか使えない、魔物の骨から加工されたチップだ。これを支払う事で様々な恩恵を得る事が出来る。

 いつもより少しだけ豪華な人並みの食事……甘いサツマイモ……よく冷えた酒……一日休日……綺麗な水で身体を洗う権利……!

 それどころか、チップを特定の枚数まで溜めれば現場監督にもなれる。

 監督になれば、他の罪人より少し上に立てる。少しだけ多く寝る事が許されて、少しだけ食事がマシになり、少しだけ自由時間が増えて、何より自分の身体を動かす仕事が減る。

 ウコンとアミノもその権利を手に入れるべく日々、必死にチップを溜め続けていた。

 だが忍び寄る……悪魔の誘惑……っ!


「さあ、今夜も始めよう……チップの奪い合い……!」

「勝つ……今日こそ……っ! 俺は勝つ……勝って手に入れる……ほんの少しの自由……!」

「勝たなきゃ……取り戻せない……昨日までの負け分……!」


 与えられたたった一時間の自由時間。

 その時間を使い、何人かの罪人が円となり、欲望にギラついた眼を輝かせる。

 これから行われるのは、この労働施設での命とも呼べるチップを賭けたギャンブルだ。

 用いる道具はチップのみ。ルールは単純。投げたチップの裏表を予想する。それだけである。


「五枚!」

「ろ、六枚!」

「……八枚だ!」


 参加者が競うように、多くのチップを賭けていく。


「始まったか……」


 フラリ、と吸い寄せられるようにウコンが賭けの場へ向かう。

 ウコンの現在の手持ちチップは十枚。本当は三十枚あったが、連日の賭けでここまで減ってしまった。

 残り僅かなチップを入れた袋を大事そうに掴み、幽鬼のような足取りで歩む。


「兄上、いけない。もう賭けは止めましょう。これではただ奪われ続けるだけだ。やはりここは、コツコツと……」

「……あ~?」


 まだ若干理性的なアミノが兄を止めるが、そんな弱気な弟をウコンが血走った眼で睨んだ。


「馬鹿……っ! ここで勝てなきゃ……取り戻せないだろ……っ! ここで下がったら、マイナス……! 奪われっぱなし……!」

「しかし……」

「負け犬……っ! ルーザー……敗者……弱虫……っ! その……奪われたからもう止めようという発想がもう駄目……っ! ずっと負け犬……這い上がれない……一生……っ! 俺は勝つ……勝つ……勝って手に入れる……自由……! 必ず這い上がる……!」


 弟の忠告に耳を貸さず、ウコンは賭けに参加した。

 ここで勝って、まずはこの罪人共の上に立つのだ。そしてこいつ等を完全に支配し、上へ上へと成り上がり、必ず王族に……あの輝かしい場所へ戻ってみせる。

 そうとも、俺は王子……選ばれし者! たかが聖女一人をちょっと手籠めにしようと企てたくらいで、こんな目にあっていいわけがない。

 ウコンはそう考えながら、賭けに参加し――。


「弟……頼む……貸してくれ……っ! チップ……!」

「ふざけるな……この無能……貸すか……誰が! これは私の! 私のチップ……!」


 ――僅か数分後、ウコンはチップを全て失った上で借金までしていた。

 たまらずアミノに泣き付くが、いくらアミノだってこんな馬鹿に貴重なチップを渡す義理はない。

 ゲシゲシと兄を蹴り、軽蔑したように距離を空ける。

 しかし数日後、彼は思い知る。娯楽のないこの施設でのギャンブルの魔力を。

 気付けば兄同様に賭け、そして全てを失う自らの愚かさを。


 この兄弟が這い上がる日は、どうやら永遠に来そうにない……。

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理想の聖女? 残念、偽聖女でした!(旧題:偽聖女クソオブザイヤー) 壁首領大公(元・わからないマン) @supaikusi-rudo

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