空想しない街

品羽藍太郎

【空想しない街】





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古びた、茶色いシミだらけの本を手に取った。


【人は空想しないと

生きていけない生物だ】


最初のページには、その文字だけが書かれている。


それ以降は、ひたすら余白のページが続く……。


ヘンテコな本なのに、僕は最初の1ページしか文字の書かれていないこの本が、欲しくて、欲しくて堪らなかった。


学校帰りにぶらりと寄った、今にも潰れそうなボロボロな書店で、運命的な、衝撃的な出会い。


14年この街で生きてきて、この店の存在に気付いたのは今日が初めてだったが、入ってみて良かった。


この店の本は裏表紙に値札シールが貼ってある。


だから値段を聞くのはおかしい事だが、この本にはそれがない。


レジでぼんやりとしているお店の人に、この本はいくらかと訪ねたが、少し間を置いて、やると言われた。


どうせ来週には店を畳んでしまうのだからと、お店の人は付け加えた。


そうしてお店の人はまたぼんやりと空を見つめた。


誰もが忙しなく働くこの街で、こんなに怠けている人を見るのは珍しい。


そんなに怠けていて、じっとしていられるなんて、すごいと感心する程だ。


しかしそんなことよりも、僕は衝動に駆られていた。


変なものを手にいれたこの事件を友達に伝えて回りたかった。


そしてなにより、空想という聞き慣れない言葉の意味を調べたかった。



【空想しない街】



表紙にそう書かれた本を通学用バッグにしまい、お店の人に礼を言って、足早に自分の家へ帰った。



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例の本を手にしてから、僕の頭はおかしくなったみたいだった。


白紙のページを見つめていると、いろんな事が頭に浮かぶ。


僕は美術部だったから、その何も書かれていないページに絵を描いた。


この本を書いた人には申し訳無いが、白いキャンバスは画家にとって、我慢できないご馳走の様なものなのだ。御免。


……丁寧に、丁寧に、筆を滑らす。


翼を生やした、睫毛が長く秀麗な眼差しの、一本一本が美しい毛並みの、銀色の馬の絵。


プロが見たら大した絵ではないのだろうが、それでも描かずには居られなかった。


心が踊り、自分の想像が、現実の範疇を超える事にわくわくした。


結局空想という言葉の意味は、どの辞書にも乗って無かったし、友達も知らなかった。


しかしきっと、この不思議な想像が、空想なのだろう。


そう、なんとなく思う。


僕はこの感動を誰かに伝えたかった。


この感動を知らないまま生きていたのが不思議だった。


次の日、僕は学校にその本を持って行った。



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「見てくれよ。これ、こんな生き物がもしいたら、素敵じゃないかな。」


昼食後の昼休み。


眼鏡を掛けた、同じ美術部に所属する友達の教室へ、押し掛ける。


変な本自体の話より、自分の空想を見せびらかしたい気持ちの方が強くなっていた。


僕は自慢げに、そして何故か少し恥ずかしそうに、本に描いたその絵を見せた。


友達は一瞬黙り、そして笑い出した。


渾身の絵を馬鹿にされたのかと思って、僕はむっとした。


友達は笑いながらも、校庭が見える窓を指差した。


窓の外を見てごらんと言う。


良く晴れた青い空に目をやる。


翼の生えた馬が、気持ち良さそうに飛んでいる。


それも睫毛が鬱陶しい、銀色の。


友達がまだ笑っていたが、僕は顎が外れそうな程唖然としていて、それどころではなかった。


「馬に翼があるのがそんなに素敵なのかい。いつもそこら辺に飛んでるじゃないか。でも、巧く描けてるよ。」


友達は腹を捩りながら必死でそう言った。


眼鏡を外し、Yシャツの袖で涙まで拭っている。


その日1日、友達のせいで僕は、とてもユニークなギャグを突然披露したやつになった。


腹立たしいが、そんな事よりもあの馬。


誰に問いただしても、馬は翼が生えて空を飛ぶもので、毛色は銀色と決まっていると言う。




これでは空想が、空想じゃなくなってしまうじゃないか!



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次の日も、僕は本に絵を描いた。


夜の街に現れる、クジラの絵。


それも空を飛ぶ。


これならどうだと、僕はにんまりと笑みを浮かべた。


馬はもともと陸で暮らしてるし、ちょっと頑張れば空も跳べるかも知れない。


けれどクジラはそうはいかないだろう。


気分が乗ってきたので、設定も付け加えよう。


「夜になると、たまに街の上空に現れて、朝になると消えてしまう……月が出てない時は、代わりに光ってくれる……なんて素敵じゃないかな。」


一人言を唱えていると、妙案が浮かんだ。


せっかくだから、今回は名前もつけてしまおう。


「ソラクジラ…よし…ソラクジラだ、これ以上ないくらいピッタリだな。シンプルイズベスト。」


描いたクジラの絵の下に、僕は【ソラクジラ】と文字を付け足した。


筆を置いて、一息きつき、おそるおそる部屋のカーテンをめくって窓の外を覗いてみる。


「居ないよな……クジラは海の生き物だ。」


僕は呟きながら、本を見つめてみる。


こうして絵を描いていって、この白紙のページを全部埋め尽くしていったら、面白いじゃないかと、ふと思った。


空飛ぶ馬の事は忘れて、そんな愉快な空想に胸が膨らんだ。


愛しそうに本をパラパラとめくると、ある事に気付き、僕は本日2度目の唖然で、今度こそ顎が外れるかと思った。


描いた筈の銀色の馬のページが、消えている。


そればかりか、先程描いたばかりのソラクジラも、消えている。


僕はやるせなくて、身体の力が抜けて、床に勢い良く座り込んでしまった。


数秒か、数分か、ぼんやりと空を見つめていた。


夕飯の仕度が出来たお母さんが僕を呼びに来て、部屋の真ん中で座ったまま途方に暮れる僕を見て、どうしたのと声を掛ける。


「…………僕の空想が、消えちゃったんだ。」


「空想……?なにそれ、なに言ってるの。ごはん出来たからね。」


お母さんは僕が訳の分からないことを言ってると思った様子だけど、特に気にせず、追及しなかった。


僕はそのまま放心状態で、夕食を食べた。


お米と、お野菜と、お肉と、お味噌汁。


僕は野菜が嫌いで、お肉が好きなので、お肉にばかり箸が伸びるのは仕方のない事だと思う。


しかも今日のお肉はなんだかいつもと違う気がして、美味しい。いい仕事をしている。


少し元気を取り戻した僕の様子を見て、お母さんがそんなに美味しいかと聞いてきたので、お肉を頬張りながら頷いた。


「いつもと同じ、ソラクジラなのにねえ。」


お母さんが小さく、そう言った。



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僕は夕飯を残してしまい、お母さんに責められながら部屋に戻った。


部屋の明かりを付けるスイッチが、いつもより重い。


机の上には、閉じられた、茶色い染みだらけの本。


その表紙には、夜を泳ぐクジラの絵と【ソラクジラ】という文字が書かれていた。

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