第16話 覚悟と決心

 春音と藤光が暮らす屋敷に着くと、照彰達は客間に通される。

 藤光が用意した座布団に照彰は腰を下ろすように促される。頭を布で抑えたまま、照彰はそこに静かに座った。

 春音が茶色い木箱を持ってきて照彰の正面に腰を下ろす。茶色い木箱は救急箱のようで、様々な道具が入っている。春音はてきぱきと手当を終えていき、照彰の頭には真白の包帯が巻かれた。


「ありがとうございます」

「かまわんよ。しかし無茶をするもんだ。若い者は皆がそうなのか?」

「いやこいつがおかしいだけだ」

「おかしくないやい!!」


 春音の質問に答えたのは環で、彼の返答にすかさず照彰は訂正を入れる。


「確かにあれは一歩間違えば死んでおったじゃろうな。もう少し自分の命を大切にした方が良いと思うのじゃが」

「…あの時は必死で、つい後先考えずに動いちゃったんだよな」

「だが、あそこでお前が命を落としていれば悲しむ者がいるだろう。誰かを悲しませては、神印を守れても意味がないぞ」

「あ……ごめんなさい…」


 照彰は正座した膝の上で両の拳を強く握りしめた。照彰は、自分が傷つくことで誰かが傷つくと考えていなかったのだ。もしあそこで照彰が命を落としていれば、元の世界に帰れない。そしてやがて祖父が照彰の不在に気付き、両親に知らされる。そうなれば、大切な家族を悲しませてしまう。

 そして、照彰が怪我をして心配しているのは如月もだ。如月は撃たれそうになった照彰を助けようとしていたし、身を案じてもいた。今も側で寄り添ってくれている。

 自分の行動で如月や流星への影響を考えていた環と比べて、照彰はショックを受けた。


「照彰殿…心配しました。もう、あのようなことはして欲しくありません…」

「うん…ごめん、如月…」

「…ですが、あそこではああするしか術が無かったのも事実です。私に、力が無かったから…」

「それは違うぜ。俺がさっさと六深弥を倒せていれば良かったんだ。アイツを圧倒する実力がなかった」

「環…」


 各々が自らの力不足を悔いた。如月も環も、助けたいという気持ちがあったのだ。だが、それはできなかった。桜貴が来なければ今頃照彰はどうなっていたか分からない。


「ごめんなさい!!」

「え?」


 突然、魅桜が頭を下げた。床に膝をついて、畳に頭をつけている。何故謝られたのか、照彰には分からなかった。


「本当にごめんなさい…私はあの時、怖くて怖くて動けなかった…私には…神印や代表を受け継ぐ資格がない…自信もない…あなたに怪我まで負わせて…簡単に神印も奪われて、都を危険に晒すところでした…」

「魅桜さん…」

「僕もです…魅桜の為なら何でもできると思っていたのに、僕は何もできませんでした…恐怖でただ見ているだけで…踏み出す勇気がありませんでした…本当にすみませんでした…」


 二人は揃って深々と照彰に頭を下げた。


「ちょ、そんなことされても困るって!!俺だって、二人が結婚しようとしてるのに神印を貰おうとして…どっちかは諦めることになるのに…」

「何のことじゃ?」


 照彰が慌てていると、桜貴が「はて?」と首を傾げた。


「……え?」


 照彰はキョトン、と固まった。如月と環も桜貴の顔を不思議そうに見ている。

 そんな雰囲気を無視して、桜貴は心底おかしいという風に大きな笑い声を上げた。その様子から桜の女神というイメージが、照彰の中でガラガラガラと音を立てて崩れた。


「え?え?なになに??え?」

「すまんな。少々意地悪をしておったのだ」

「意地悪?」


 笑っている桜貴の代わりに春音が答えた。しかし、「意地悪」とはどういうことだろうか。全員が意味を理解できていなかった。


「あたしらはな、お前達の覚悟を見たかったのだ」

「覚悟…」

「そこで、夢幻屋に恐れず立ち向かうそなたの行動力は信頼するに値すると判断した。よって神印を押してやろう」

「まぁもとよりそのつもりではあったがな」


 桜貴と春音が並んで照彰の前に立つ。二人とも優しい微笑みを浮かべている。

 照彰は驚いた表情でその場から動けなかった。こんなにも嬉しいことがあるのか。これで、照彰の目指すものに一歩近づけた。心の底から湧き上がる嬉しさが、これほど心地良いとは思わなかった。


「本当に…良いんですか…?」


 いつもより小さな声が震える。それに二人は揃って頷いてくれた。それを見た照彰は表情を輝かせ、背負っていたリュックを素早く下ろして、中から流星より預かった紙を丁寧に取り出す。

 紙を広げて二人に渡すと、二人はそれを受け取った。


「ほれ、藤光。神印を返さんか」

「…はい」


 藤光から神印を受け取り、春音と桜貴はどっちが先に書くか話し合っている。ただ八つの欄があるだけで、特にどこに書いて押すかは決まっていない。結局、春音が「もうめんどくさいから桜貴が先に書け」と言うので、桜貴は「最初は緊張するんじゃが…」と言いながら先に書いて神印を押した。

 特に緊張感が漂うわけでもなく、照彰は「スタンプラリー感が凄い」と漠然と考えていた。


「これで良いか」

「ありがとうございます!!!」

「本当にありがとうございます」

「うむうむ」


 二つの欄が埋まった紙を受け取り、照彰と如月は立ち上がってペコーッと頭を下げた。照彰はそれを大事に大事に仕舞い、リュックへと戻す。環はその様子に口を一切出さなかった。文句を言うわけでもなく、共に喜ぶでもなく、ただ眺めていた。


「あの〜、藤光さんと魅桜さんの結婚については…」


 照彰は、自分だけが嬉しい気分というのが嫌だった。それが、誰かの幸せを犠牲にしたものなら尚更。


「安心しろ。二人への試練というのは嘘じゃ。元々は照彰、お前の覚悟を見るだけで、二人の結婚は私も春音も反対してはおらんのじゃ」

「え!?じゃあ…!」

「私と藤光は…!」


 藤光と魅桜は緊張した面持ちで、答えを待つ。

 

「二人の幸せがあたしらの願い。邪魔をするつもりはないさ」

「じゃが、自分の役目を忘れてはならぬぞ」

「はい!!」

「ありがとうお母様!春音様!」


 二人は涙を流して喜んだ。そして藤光は自分を育ててくれた祖母に、魅桜は厳しくも娘として愛情を注いでくれた母に抱きついた。強く強く。抱きつかれた二人もその時は「代表」ではなく、一人の「祖母」「母」として二人の結婚を喜び、愛する孫と娘を優しく抱きしめた。

 しばらくして、藤光と魅桜は手を握り合い、互いの体を強く抱きしめた。

 見ていた照彰も嬉しくなって涙が出てしまい、如月は優しく微笑む。環は笑ってはいないが、その表情は穏やかだ。


「なんか…良いな…ああいうの…」

「ええ。二人にはいつまでも幸せに生きていただきたいですね」

「きっと大丈夫だよ、あの二人なら…支え合って生きていける…」


 優しく見守る照彰と如月は、どうか二人が嬉しい時も苦しい時も、互いに側にいて仲良く日々を過ごしてほしいと願う。


「環。お前、二人見てどう思うんだよ」

「はぁ?なんでそんなこと聞く」

「だって、俺から二人の神印を守ってたじゃん」

「あれはお前の邪魔の為で、あいつらの為じゃない」

「でも、それって環がどう思おうが二人の幸せを手助けしたってことだろ?別にお前が刺客になって二人から神印を奪って逃げ回っても良かったのに」

「一応依頼だったからだ。それに、そんなことしたら憎まれるだろ。…憎むのは辛いことだ。誰であろうと、憎しみを抱かせることはさせたくねぇんだよ」

「…それって、お前が憎しみを抱いてる存在がいるから?お前も辛いの?誰かを憎むことが」

「………」


 環は答えなかった。さっきまで藤光と魅桜を見つめていた視線は横へと流され、照彰と合わせようともしない。

 そこへ、魅桜がとことこ、と環に近寄る。


「あの…ごめんなさい!」

「ああ?」

「最低とか鬼とか馬鹿とか言っちゃって…それから、頭も叩いてしまって…」


 魅桜は環に言った言葉や殴ったことを謝罪した。ビクビクと肩が震えており、相当怖がっているようだ。


「ほら環、こんなに可愛い女の子が謝ってんだぞ。それに、先に酷いことを言ったのはお前だからな」


 お前も謝れ、と視線で言っている照彰に、環は心底うざそうに舌打ちをする。しかし、環は視線を魅桜に向けた。


「あー、俺こそあんたの気持ちも考えないであんなこと言って悪かったな」

「それから?」

「は?」

「あるだろ、他に言うこと」


 謝りはしたが、照彰はまだ何かを望んでいる。環は考え込むと、やがて何かに気付いた後、言うか言わないか悩んだ末に一つ言葉をかけた。


「…結婚おめでとさん」


 少し恥ずかしそうに頭をかきながら、祝福の言葉を魅桜に贈った。彼女は驚いた表情をしたものの、可愛らしい笑顔を見せた。周りには嬉しさからか、魅桜からハラハラと桜の花びらが舞っている。

 退治屋が妖霊の結婚を祝う、普段ならば考えられない状況だが、環は自然と頬が緩むのを感じた。

 幸せそうな魅桜を見て、全ての妖霊が人に害を与える存在ではないことを、環は認めざるを得なくなった。人と幸せを共有し、神流の神に結婚を誓う場面をこの目で見たのだ。自分の妖霊に対する認識が変わったのを、環は自覚した。


「さぁ祝いじゃ!今日は宴をするのじゃ!!」

「ならば準備をしなければな。それから都中に知らせを出すか」

 

 既にお祝いムードで、都中に知らせを出したり、屋敷の人々に宴の準備をするよう指示を出したりと忙しくなる。


「いやその前に!」

「なんじゃなんじゃ。せっかく二人の結婚を祝おうとしておるというのに」

「いやまぁお祝いは必要だけど!その前に手紙ってさっき言ってましたよね?それっていったいなんのことなのかなぁ、って気になって…」

「あ、確かにそれは知りたいです」

「ああ、そういえば言ってたな。忘れてたわ」


 桜貴と春音が来た時、「手紙を見て」と言っていた。そのことが気になっていた照彰はここで聞くことにした。今でないと忘れてしまう。環は既に忘れていたようだが。


「…そのことじゃが、実は少し前に私に手紙が送られてきたのじゃ。送ってきたのは夜楽じゃった」

「え!?夜楽から!?」

「うむ。その手紙に、この都に夢幻屋が入り込んでいるとあったのじゃ。それで駆けつけたというわけじゃな」

「奴らの噂は知っておるからな。好き勝手されては困る」


 意外な人物からの手紙と知り、照彰達は驚いた。照彰がやろうとしていることに反対していた彼が、危機を知らせた。


「あいつ…なんでそんなこと…」

「おそらく神印が彼らの手に渡ることを良しとしなかったのでしょうね。神印はとてもとてもとーっても大切な物ですし」

「ああ、そういうこと…」


 神印を守った。だが、照彰はそれだけではないのでは、と感じていた。

 もしかしたら助けてくれたのでは、と。


『応援はしてるよ』

 

 あの時に言った言葉から、本当は願っているのでは。

 人間と妖霊が互いに助け合って生きていくことを。


「では気を取り直して、宴の準備を進めるか」

「やったー!藤光!いっぱい食べていっぱい飲んでお祝いするのよ!!」

「もちろんだよ!ああそうだ!式をいつにするか決めないとね!」

「本当ね!だけど私、なんとなくこの日が良いなぁーっていうのはあるのよね!」

「本当かい?実は僕もあるんだよ!」

「そうなの?いつなの?」


 二人は式の日をいつにするかで盛り上がっている。藤光が魅桜に耳打ちして、希望の日を伝えたようだ。すると、魅桜は「偶然!私もその日が良いと思っていたの!!」と言った。


「二人で一緒の日が希望日なんて本当に運命なんだな。で、いつ?」


 照彰は興味本位で聞いてみる。運が良ければ式に呼ばれたいという思いもあったのだ。初めて誰かの結婚式に参加するならばこの二人が良い、そんな気持ちだ。


「ふふふ。それは皆が集まる宴の席でお知らせしたいの!」

「だから今は内緒です!」

「えー!そうかぁ、じゃあ楽しみにしてる!!」

「ええ!」


 今すぐ知りたいとは思ったが、この後知れるなら問題ない。

 近いうちだろうか。だとすれば自分は呼ばれた場合に参加はできるのか。

 そんなことを考えていると、気づけば照彰は宴の準備の手伝いをしていて、大量の椅子や机を運んでいた。如月は料理を、環は照彰と共に会場を駆け回っていた。知らせを聞いた都の人々も会場に集まってきて、酒や料理を持ち込んでいた。

 照彰が人々を観察していると、団子屋の店主もいて手には少し大きめの木箱を持っていた。彼は照彰に気づくと、ヒラヒラと手を振ってくれた。それに照彰も笑顔でブンブンと大きく振り返す。

 その後ろでは、環が数人の人々に囲まれていた。


「お兄さん、あの夢幻屋と戦ってたんだって?」

「すっごい強くてかっこよかったよー!」


 笑顔で話しかける人々を環も無視できないのか、返事は適当だがしっかりと返している。そんな彼の足下に二人の子どもが現れる。その二人は環の羽織りをくいくいと引っ張る。環は子どもに目線を合わせようとその場にしゃがみ込んだ。すると、二人が畑で見かけた人間と妖霊の子どもであることに気づく。


「これどうぞ!」

「どうぞ」

「あ?」


 人間の子どもが色とりどりの花で作られた冠を差し出してきた。その表情は子どもらしい無邪気な笑顔だ。その後ろには妖霊の子どもが恥ずかしそうに隠れているが。


「なぜ俺に?」

「だってあの夢幻屋と戦ったんでしょ?おかげで藤光様と魅桜様が結婚できたって皆が言ってるよ!」

「その…お礼です…」

「あ、これは僕が積んだ花でこっちの桜理が作ったものだよ!」

「い、言わなくていいよぉ…!」


 環は冠をじっと見つめる。戦いはしたが実際に追い払ったのは桜貴ではあるが、二人が環の為に作った物だ。環はその可愛らしい花で作られた冠をそっと受け取ると、小さく微笑んでそれを頭にのせた。


「ありがとな。俺に似合うかね?」

「うん!」

「とても似合ってます…」


 二人は満足して、環に手を振りながらその場から去って行った。その先に藤光と魅桜がいたことから、二人の知り合いか親戚なのだろう。

 男に花の冠とは、と環は思うものの悪くないなとそのまま被ったままにする。おそらく照彰や如月に何か言われるだろうが、感謝の品だ。存分に自慢してやろうと誇らしい気分だった。


「…守れたんだな」


 環はすっかり紅く染まりだした空を仰ぎそう呟いた。

 こんなにも心が穏やかになれたのは久しぶりだった。「あの日」からずっと、環の頭には負の感情ばかりが存在していたのだ。誰かを助けて誰かに感謝されて、誰かの役に立てた、助けることができた。そのことが、環は純粋に嬉しかった。


『助けてあげてくださいね』


 流星に言われた言葉を思い出す。結局、彼女が言ったこの言葉の意味を、環は正確には理解できなかった。

 しかし、環は流星にこう報告することができる。


「助けたぜ。皆」


 腰の刀に触れながら、流星に向けてそう言葉を発す。

 だが、環はここで満足するつもりはない。夢幻屋を圧倒する力は環には無い。それを今回実感した。

 強くならなければ。

 環は後ろを振り返り、慌ただしくも懸命に宴の準備をする照彰を眺めた。二人のお祝いをしたい。そんな思いが見ていて分かる。

 照彰は真っ直ぐだ。環はそんな照彰が気に入らなかった。何も知らないが故の真っ直ぐさ。この世の不幸、辛さなんて知らない。だから妖霊と共存できるなんてことが言える。

 だが、彼だからこそ今の状況がある。


「………」


 環は照彰を見つめる。そして、何かを決心する。過去ばかり見てこの先を何も考えていなかった環の、最初の一歩がここから始まる。









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カミナガレ 桜 龍 @sakuraryuu

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