第15話 皆の為

 バサリという音と共に、着物と羽織り姿から黒い軍服姿に変わる六深弥。その姿は熊神事件の時に見たもので、今回は髪を結わずに背中に流しているが、やはり威圧感がある。

 互いに同時に駆け出し、刀と刀がぶつかる音があたりに響き渡る。照彰は二人の戦闘を見守るしかない。それ以外にできることがないのだ。二人の間には誰も寄せ付けない雰囲気が漂っていて、近づけば危険ということが照彰にも分かる。


「ハッ、さすが達人と呼ばれることはあるな」

「…君こそ、自分にここまでついて来れる人間は初めてだよ」

「褒めてくれてありがと、よっ!」


 環がニヤリと笑って刀を横一文字に振るった。それを六深弥は軽やかに上へと飛んで避け、すぐ後ろの屋根に登る。


「屋根の上とは、怖くなったのか?」

「まさか。ちょっと欠伸が…ふわぁ…」

「ああ?欠伸?」

「そういやあいつ、前にも鈴流と戦った時も欠伸してたな…」


 左手で口元を押さえて欠伸をする六深弥に、照彰は彼の以前の様子を環に伝える。あの時も確か眠そうで、最終的には眠っていたのをニ哉が回収していったはずだ。


「戦闘中に欠伸とは。ちゃんと寝てんのか?夢幻屋ってのは休みもなく働かねえとやってけねぇ仕事なのかねぇ?」


 環を相手を小馬鹿にするように、首を右に傾けて笑う。

 照彰は環に対して「こいつめっちゃ馬鹿にしてるな」と焦った表情でそう思っていた。あまり挑発しない方が良いのでは、と照彰は環の顔を横からチラッと伺う。


「…うっわ、これわざとだ」

「ほー何がかなぁ?」

「うっわわわ」


 環は完全に相手を挑発する気満々で笑うだけ。それに照彰は呆きれたようにため息を吐いた。

 一方、相手はそれに対して表情に変化は特になく、翡翠の瞳が細められただけ。しかし、明らかに怒りの感情が感じられた。


「…家族を馬鹿にされると、怒っちゃうよ」

「家族?お前ら夢幻屋は家族なのか?」

「……」


 六深弥は何も答えず、屋根の上から冷たく見下ろすだけ。そして刀を強く握りしめると、ゆっくり頭上へと持ち上げる。左足が動き、屋根から飛び降りようとしているのが分かる。

 しかし、その時だった。


「お願い待ってーー!!」


 女性の声だった。照彰と環は思わずそちらを向いてしまい、六深弥から目を離した。それを狙われて、六深弥が素早く屋根から飛び降りた。そのまま彼は環の首を落とそうと攻撃する。


「くっ…!」

「環っ!!」


 間一髪で環は刀で首を守る。慌てて照彰は後ろへと下がった。近くにいれば確実に命は無いと感じたからだ。


「残念」

「へっ、俺の首はそんな簡単には獲れないぜ」

 

 額に汗を浮かべながら、環は笑ってそう言った。かなりギリギリであったようだ。


「よそ見は良くねぇなマジで」

「ほんとそれな。気をつけろよ環」

「お前もっと離れとけよ。死ぬぞ」

「びびって動けない」


 苦笑いの環に、引き攣った表情で固まる照彰。

 そこへ走ってやって来たのは、先程ここから去ったはずの魅桜、そしてその後ろから藤光、如月が続いている。


「あれ?戻ってきた」

「おいおい、今は取り込み中だから相手はできねぇぞ」


 走ってきた三人は今の現状に驚いているようで、その場に立ち止まった。その時、声を発したのは如月だ。


「何をしているのかと思えば…そちらも夢幻屋と接触していたとは」

「そちらもって、もしかして如月のとこにも…?」

「ええ。生意気なクソ餓鬼が来ましたよ」

「く、くそがき…?」 


 にこりと微笑んでそう言う如月。その普段と違う如月の様子に、照彰は困惑する。まさか如月が「クソ餓鬼」などという言葉を使うとは思ってもいなかったからだ。


「嫌だなぁクソ餓鬼だなんて。鬼が入る言葉を人間である僕に言わないでください」

「人の幸せを奪おうとしてるのですから同じですよ、クソ餓鬼くん」


 「クソ餓鬼」と呼ばれた少年は、先程まで六深弥がいた屋根の上に立っていた。その手には黒い拳銃が握られている。 

 どうやらこの少年を追いかけてここまで来たのだと、照彰は理解した。


「え?あの子どもが夢幻屋…?」

「年齢なんて関係ねぇよ。噂じゃ赤ん坊までいるとか言われてるしな」

「あ、赤ん坊!?」

「環、あなたもしかして余裕ですか?」

「悔しいが余裕じゃねぇな」


 六深弥の刀を受け止めたまま喋る環だが、刀を持つ手は震えており、気を抜けば首を持っていかれる。


「六兄、もう帰りましょう。妖霊側の神印はいただきましたので」

「……分かった」


 逃げられる、そう感じ取った環は六深弥の腹に蹴りを入れ、怯んだ隙を見て彼を民家の壁に押し付けた。

 ダァン、と大きな音がして、六深弥は僅かに苦しげな表情をした。


「まぁだ終わってねぇぞ」

「……七福、先に行ってくれるかな」


 今度は環の刀が、相手の首を狙う。それに焦りを見せない六深弥は、七福という少年を先に逃がそうとする。

 神印は今、七福の手にある。ここで彼に逃げられたら照彰の目的は果たされない。当然、藤光と魅桜の願いも。


「……そんなことさせるかああ!!」

「なっ…!」

「照彰殿!?」

「あいつ…!なにやってんだ!!」


 その場にいた全員が驚いた。屋根の上にいる七福の右足にしがみつき、そのままぶら下がる照彰の姿を見たからだ。

 照彰は置かれていた木箱を踏み台にして屋根まで飛び、七福の逃亡を妨げていた。

 七福は屋根から落とされないようその場に踏み止まろうと力を込める。しかし、まだ幼い少年である七福は照彰の重さに耐えられない。屋根から落ちるのは時間の問題だ。


「離してもらえませんか」

「嫌だ!神印は渡さない!!それは…二人の幸せの為に必要なんだ!!」

「二人の?あなたの、ではなく?」

「そうだ!俺の幸せじゃない。俺は、この世界の全てが幸せになれるように神印を集めてるんだ」


 ぐっ、と足を掴む腕に力が込められる。そして、七福に鋭い視線を向けた。睨まれた七福は鬱陶しそうな表情になる。


「俺の為じゃない。皆の為だ!それを奪わせはしない!!早く返せっ!!!」

「……みんな?…その中に、僕たち、は…」

「っ!?」

「入ってないんだろっ!!!」


 悲しそうな表情を浮かべた後、次の瞬間に鬼の形相へと変わった七福は手に握っていた拳銃で照彰の頭を力一杯に殴った。

 ガンッ、と鈍い音がして、照彰は苦痛に顔を歪めた。しかし、それでも照彰殿手を離さなかった。逃がしてなるものか、その気持ちだけで踏ん張った。


「照彰殿!!」


 如月が悲鳴のような声をあげた。照彰の頭からはツー、と血が一筋流れている。


「…へへ、へーきへーき。銃で撃たれてないだけマシだ…」

「なら、望み通りにしてあげますよ」


 如月を安心させようとしてそう言うが、その声はか細い。そんな照彰に追い討ちをかけるように、七福は銃口を震えている頭に押し付ける。


「げっ…まずい…」


 照彰が息を呑む。下では如月が弓を構える。しかし間に合わないだろう。

 七福はゆっくりと銃の引き金を引いた。その顔は酷く落ち着いている。


「そこまでじゃ」


 その声と共に、辺りの地面から木の枝が飛び出し、七福の腕に巻きつく。

 ドガンッ、と銃声が響いたが、弾は誰にも当たらなかった。当たる前に、枝によって銃口の向きが変わったからだ。弾は空へと放たれた。

 撃たれずに済んで安心した照彰は、体の力が抜けて掴んでいた足から腕を離した。それにより照彰の体は地面へと吸い込まれるように落ちていく。


「照彰殿!!」


 如月が名を呼ぶのが聞こえるが、照彰には遠く聞こえる。落ちると分かっていても、なんだか動く気分になれない。空が遠くなるのを自覚しながら、照彰は逆らうことなく地面に落ちた、かに思えた。


「…んー?」


 地面に落ちた衝撃は感じられなかった。代わりに、照彰の体を下から支えるように地面から生えた小さな低木のようなものがある。照彰は低木の群生によって無傷だった。低木からは微かに桜の花の香りがする。


「照彰殿!お怪我は!!」

「あー、無いよ」


 如月が慌てて駆け寄り、傷の確認をする。照彰は体を起こして低木から降りる。自力で立つことができることに、如月は安心したようだった。


「この木は…それにさっきの声…」

「これ…お母様の力だわ…」


 魅桜が低木に触れる。地面から桜の木の枝や低木を生やすことができるの者は、この都ではたった一人だけ。


「まったく…手紙を見て来てみれば…本当に夢幻屋がいたとはな…」

「うわっ!お、お婆様!?」

「手紙?手紙って?」

「さぁ…」


 突如、藤光の背後に現れた春音。照彰は手紙という言葉が気になるが、今はそれどころではない。


「夢幻屋よ、神印を置いて去るのじゃ。そうすれば今回は逃がそう」

「断れば?」

「その腕をへし折る」


 屋根の上には風に髪を靡かせ、静かに七福を見つめる桜貴がいた。彼女は相手が少年でも敵とみなせば容赦しないようだ。七福の腕に巻きついた枝はミシミシと小さく後を立てている。


「……七福。ごめん、限界っぽい」

「えーっ!もうですか!?」


 六深弥が小さく「限界」と零した。環が彼の表情を伺うと、六深弥は目を何度も瞬かせて、迫る眠気に抗おうとしているようだった。あれほど暴れていたというのにそれほどに眠いのか、と環は舐められているように感じられた。

 

「めっちゃ眠そうじゃん…」


 今にもかくり、と眠ってしまいそうな六深弥を見て、照彰は環と違って「寝る時間が本当にないのか」と敵ではあるが少し心配になる。寝ることは大事だ。照彰だって夜更かしをすれば授業中に居眠りをすることがよくあったのだ。


「あー今はまだ寝ないでください!分かりましたよ神印は返します!これで良いですか!」


 七福が神印を桜貴に投げつけた。桜貴はそれを難なく右手で受け止めると、本物であることを確かめる。そして春音と顔を見合わせて一つ頷くと、左手をひらりと払う。

 すると、七福の腕を掴んでいた枝がスルスルと離れて地面へと帰っていき、その場には穴だけが残った。


「良いか、今回は見逃そう。じゃが、また来た時は土の下へと引き摺り込んで血桜を咲かせてやるから覚悟するのじゃな」

「こっっわ」


 照彰は体をぶるりと震わせる。七福は相手が桜貴ではどうにもできないと理解して、銃を仕舞う。

 一方、環に視線を向けた六深弥は刀が下ろされるのを待っている。しかし、環は納得していないようで、刀を下ろす気配は無い。今なら厄介な夢幻屋を一人始末できる絶好の機会なのだ。


「環殿。今は我らに従ってはくれんか。この美しい都で血を流したくはない」

「……ちっ」


 春音の説得により、環は後ろへ下がる。しかし万が一を考えて刀は仕舞わない。

 六深弥は目を閉じて刀を納めた。足取りはふらふらで今にも倒れそうだ。

 

「ちょ、大丈夫なのか?」

「寝不足とは思えませんね…なんだか妙な感じがします」

「妙?」

「ええ、はっきりとは分かりませんが…流星様なら何か分かるのでしょうけど」


 照彰と如月が小声で話す。如月は何か感じ取ったのか、「妙だ」と言う。

 七福は大きくため息を吐くと、屋根から飛び降りて六深弥を支えて歩き出す。そして振り返ってこう言い残した。


「あなたの夢は叶いません。僕らが邪魔をし続けますから」

「えっ?」


 その言葉は照彰に向けられていた。照彰は一瞬何を言われたのか分からず、呆然としていた。

 気づけば七福も六深弥も、その場にはいなかった。


「消えた…」

「…ま、なんとか帰ってくれましたね」

「まぁ…うん。…神印も無事みたいだし」


 言われたことは深く考えないことにして、照彰はとりあえず自分達や神印が無事なのを喜ぶ。しかし、照彰は頭から少量ではあるが血を流している。


「お前は早く手当をしろ。いつまで血を流してるつもりだ」

「あ、そっか。そうだよな」

「なら私の家で手当をしよう」

「あ、ありがとうございます」


 刀を納めた環にそう言われて自身が怪我を負っていたことを思い出す。少し触れるとズキリと痛む。そこへ、春音が真っ白な布を当ててくれる。白い布はすぐに赤くなってしまったが、春音は「それやる」と言って照彰に布を渡す。


「…環、意外とすんなり逃がしたな。アイツらのこと」

「まぁ…絶好の機会ではあったが、俺は妖霊専門の退治屋で人を殺すのはなぁ…それに、都の代表に逆らうのはこの都を敵に回すということになる。そうなって困るのは俺や如月や流星だ」

「…へぇ、ちゃんと考えてるんだ」

「どういう意味だ、コラ」


 環の知らなかった一面を見た照彰は、妙な安心感を覚えた。環は自分の意思全てで流星や如月が困るようなことはしない。ちゃんと誰かを大切に思っているのだと知れた。それが照彰は嬉しかった。


「なに笑ってんだ。きもちわる」

「んー?べつにー?」

 

 嬉しいとどうしても顔に出てしまう照彰に、環は「けっ!」と顔を背けた。

 一同は春音の家に行くことになり、黙って固まっていた藤光と魅桜にも声をかけた。二人は何も喋らず、ただ泣きそうな表情でついて行くだけ。おそらく婚約は許されないだろうと考えているのだ。

 照彰は元気が出るように何か言おうとしたが、自分にはその資格はないだろうと黙る。二人の幸せを奪いに来ているも同然なのだから。


「何か良い案考えなきゃな…」


 青空を見上げながら、照彰はそう呟いた。神印を押してもらえて、二人の結婚も許してもらえるような案。そんな夢のような案はあるのだろうか、春音の家に着くまで照彰はずっと考えていた。










 



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