きみの嘘、僕の恋心
いいの すけこ
ヒューマノイドは嘘をつかない
開いていた頭を閉じなおして、髪を綺麗に直す。
髪は人毛を使おうかとも思ったけれど、最近の人工毛は天然のそれに近いからそっちにした。
首筋にある起動スイッチに触れると、伏せられていた瞼が開いた。
「おはよう。君はヒューマノイド?」
「いいえ。私は人間です」
その答えに、僕は満足して笑う。椅子に座った彼女は身じろぎ一つしなかった。
「それでいい」
彼女はヒューマノイドだ。
ヒューマノイドは今や一般社会でごく当たり前に活動している。ヒューマノイドが人間の仕事を補佐し、家族や友人のように人間と連れ立って歩くのは日常の風景だ。企業からも多くのモデルが出荷されているし、今や個人でヒューマノイドを組み上げることすら可能だ。
ただしヒューマノイド開発と運用にはルールがあって、そのうちの一つが『ヒューマノイドに搭載するAIは、嘘をつかない設定にしなければならない』というものだ。
これはヒューマノイドを悪用できないようにするためだとか、ヒューマノイドが人間を欺くことを覚えないようにするためだとか、法律上それらしい条文が添えられていて、製作者は遵守しなければならない。企業がヒューマノイド開発・制作・販売をする場合は厳しい審査を通らなければならないし、個人向けに販売されるヒューマノイド制作パーツは、最初から嘘がつけない仕様のAIを組み込んで売り出されている。
「でもまあ、いつかは誰かがやらかすよ」
けれど僕は、違法行為に手を染めながらヒューマノイドを組み上げた。
確実に守り通された法律なんて、人類史が始まって以来ひとっつもない。僕だって好奇心と、自身の腕試しをしたいという気持ちを抑えられなかった。
そしていよいよ、僕は『嘘をつくことができるヒューマノイド』を作り上げた。ただの実験で、悪用する気も、裏で流通ルートに乗せるつもりもない、僕個人所有のヒューマノイドだ。
「君は人間?」
「はい。私は人間です」
嘘をつく彼女をエイルと名付けた。
「エイル。僕は君に何をさせようというわけではないけれど、人前では僕の妻としてふるまうこと」
僕の妻としてふるまうことは、ヒューマノイドであるということを隠すということだし、多くの嘘をつくことになる。
最近のヒューマノイドは人間と一見して区別がつかないようになっていて、そのために『起動スイッチ周辺にシリアルナンバーを入れなければならない』だとか、また面倒くさい決まりがあるのだが、それも無視する。その程度なら、割と多くの個人ユーザーが違反していたりするし。
「はい。私はあなたの妻です」
僕とエイルは、もっと大きな嘘をつくのだ。
「何かお探しですか?」
品のいい女性に声をかけられる。僕とエイルは老舗の百貨店で、ショーケースに収められた腕時計を眺めていた。
僕は店員の問いに答えず、エイルに目線で促した。
「はい。夫の腕時計を探しています」
店員はエイルの嘘を真実と受け取って、隣にいる僕を見た。
四十に手をかけた自分の妻役にするには、エイルの外見設定を若い女性にしたのは失敗だったなと思ったが、店員は何の疑いもないようでにこやかに笑った。
「ご予算はおいくらくらいですか?」
店員は僕に尋ねたが、僕はもう一度エイルに目線を送る。
「私が夫にプレゼントするんです」
エイルが言うと、店員は慌てた様子でエイルに笑顔を向けた。
「失礼いたしました。では奥様、ご予算は……」
「まあ、どうせ一緒に選ぶからね」
僕が苦笑すると、エイルも心得たように微笑む。
「好きなものを選んで下さい、あなた」
エイルは淀みなく店員に嘘をついた。実験結果は上々だった。
それからも、時々外に出かけて様々な人と関わったが、エイルは完璧に人間の妻としてふるまった。
僕との出会いは、旅行先で同じレストランで食事をしたことがきっかけだと人に話したし、買い物実験のために何でもない日に買った腕時計は、僕の誕生日に買いに行ったものだと言い張った。
私はこの人に制作されたのです、とも、私は人間ではなくヒューマノイドです、とも、一言も他人に漏らすことはなかった。
ある日、友人夫婦と食事した時。
友人たちには小さな子どもがいた。子どもは時々妙に聡いから、あまりエイルに近づかせたくなかったが、エイルは臆することなく子どもたちと触れ合っていた。
未婚を貫いている僕は考えたことはなかったけれど、子どもに笑顔を見せるエイルは存外悪くないな、と思う。
「エイル、子どもが欲しいと思う?」
僕は友人夫婦との食事中、エイルに尋ねた。
友人とはいえ、この手の話を他人の前でするのはあまりにもデリカシーがないのだが、実験の一環としてあえて人前で問うた。制作者である僕と二人だけの時よりも、より多くの人間の前で嘘をつく方が、ヒューマノイドにとっては難易度が上がるからだ。
ヒューマノイドは生殖機能を持たないので、嘘をつかない彼女たちは本来ならこの質問には必ずNOと答える。
「はい。いつかは子どもが欲しいです」
照れたようにエイルは笑んだ。
そのいつかは永遠に来ないことを彼女のAIは知っていて、それでもエイルは上手に嘘をつく。
「エイル、その猫どうしたんだ」
「マンション前の植え込みに、いたんです」
大雨の日、エイルが子猫を抱えて家に入ってきた。首輪のない、汚れた子猫だった。かつては猫が外飼いできた時代があったらしいが、今は法律で完全室内飼いしか許可されない。体内に埋め込んだマイクロチップで確実に管理されるから、迷い猫なら飼い主に間違いなく返すことができる。
「動物病院に行こう。いや、その前にエイルは体を拭いて。風邪を……」
僕は言葉を止めた。言い直そうかと思い、結局黙ってタオルを渡した。
「この子、マイクロチップ埋め込んでないですね」
野良ですよ、と獣医は苦い顔で言った。これだけ飼い猫が管理されるようになった時代でも、法律などどこ吹く風で無責任な飼育をして、野良が生まれてしまうことがあるのだそうだ。
自分も重大な法律違反を連れ歩いているのだから、偉そうなことは言えないけれど。
「うちで飼えませんか」
エイルの問いに、僕はしばし考える。
「うちのマンション、ペット大丈夫だったっけかな」
「駄目なら、黙って飼ってしまえばいいのでは?」
エイルの提案に、僕は目を見開いた。
嘘をつこうと、エイルは言った。
「あの、ペット禁止の住居で飼育するのは正直、賛成しませんよ」
獣医が低い声で言った。嘘はよくない、と咎められて、僕は慌てる。
「あの、確認します。無責任なことは、絶対しませんので」
不安そうな顔のエイルをなだめて、僕は管理会社の電話番号を調べ始めた。
結果として、マンションは猫オーケーの物件だった。
一度エイルが無責任なことを言ったせいか、獣医にはこれでもかというくらい動物を飼う心構えを諭されたが、エイルは猫をきちんと世話したし、僕も子どもの頃は猫を飼っていた。久々の動物との暮らしは大変なこともあるけれど、二人と一匹の生活は思っていたより楽しいものとなった。
猫を飼い始めたことで、周囲は勝手に何かを察した気になったようで、友人同士が子どもの話題で盛り上がってるところに居合わせると、急に彼らが会話を切り上げるようになった。
そりゃ結婚していないから、子どもがいなくて当たり前だけど、とは思ったが、対外的にエイルが妻ということになっているから仕方ない。
何で結婚式に呼ばなかった、とか言われるくらいに、周りはエイルを妻だと信じ切っていた。僕には身内がいないから、そういう筋から不審がられることもなかったし。
まあ実際、僕たち二人は、うまくやれているのだろう。
エイルはソファで猫を抱きながら言う。
「おかあさんですよ」
まるで子どもをあやすように、エイルはまた嘘をつく。
「どうしたんだ、エイル」
エイルを制作して7年がたった頃。
エイルが倒れた。
兆候は出ていて、軽い言語障害と、物事の判断が遅くなっていた。時折、記憶障害のようなものも見られた。
エイルをセーフモード起動にしてから精密検査をする。ヒューマノイドを設定・調整するためのマシンに接続した。
開頭するのは気が引けるから避けたい。彼女はもうずっと、人として、妻としてふるまっていたから。
彼女を追いつめていたのは、嘘だった。
ヒューマノイドの本能に逆らう行動と言動が、彼女のAIに多大な負担をかけ続けていたのだ。
「ごめん」
ヒューマノイドは嘘をつけるかという実験は、とっくに成功していたけれど。
僕の好奇心はとっくに満たされていたけれど。
――私はあなたの妻です。
その嘘は、ずっと永遠に続けばいいと、どこかで思ってしまったから。
精密検査を終え、エイルをいつもの状態に戻してやる。
静かに再起動した彼女は、小さく微笑んだ。
「どうしましたか、あなた」
また嘘。
そのあなたは、夫を指す『あなた』だから。
大きくなった猫が、エイルの膝に飛び乗る。
「どうしちゃったのかしらねえ、おとうさん」
猫は満足そうに喉を鳴らした。
「もういい、エイル」
「何がですか?」
「もう嘘はつかなくていい。AIの状態を、通常に戻そう」
それで彼女が回復する保証はどこにもなかったけれど。
エイルの首筋の起動スイッチに手を伸ばす。再起動なんてかけなければよかった。
「あなた」
だけど、最後に今のエイルと言葉を交わしたかったから。
「愛しています」
ああ。その言葉は。
嘘、なのだろうか。
きみの嘘、僕の恋心 いいの すけこ @sukeko
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