きみの嘘、僕の恋心

終末のガイア

きみの嘘、僕の恋心

 夕陽の差し込むあの日の廊下に、その女性ひとは居た。陽を受けて輝くショートの髪。窓枠にもたれ掛かって何かを眺める後ろ姿に、僕は初めて恋というものを知ったのだった。


「ケイ、どしちゃったのさ黄昏て」


 その女性は今、僕の隣に居る。僕らは彼氏彼女の関係にあるから、別に咎める人なんていない。


「いえ、夕陽が綺麗だなって」


「ふふ、君らしくないなぁ。悩み事かい?お姉さんが聞いてあげよう」


 そうやって夕陽を浴びてように笑う彼女は、どんな銃口よりも冷ややかに見えた。



「へぇ、君、二高出身なんだ」


 そう言って声を掛けてきたのは、あの日から恋い焦がれてきたその女性。待ち望んでいた展開だけど、僕は緊張のあまり声が出なかった。高校と違い髪をロングに伸ばした彼女は、殊更に綺麗だった。


「同じ高校のよしみでさ、少し話さない?」


「あ、はい」


 僕は彼女に連れられてベランダへと出る。穀雨らしく微妙に湿った空気に触れながら続きを待った。


「初めまして、綾野圭あやのけいくん。僕はね、如月彩きさらぎさやって言うんだけど。もしかしたら聞いたことがあるかな?」


「あー、はい。存じてます。すっごい聡明な美女が居たって」


「あはは、面と向かって言われるのはちょっとくすぐったいな」


 そう言ってはにかむ彼女に僕の胸はドクドクと高鳴っていて、不審がられないようにするので精一杯だった。


「同じ高校だから言えた口じゃないんだけどさ、ここに入れるのって珍しいからさ」


 通っていた高校は地方の公立校。そこから国立でもハイレベルなこの大学へ進学できるのは、実際数年に一人くらいだ。


 そう。あの日、高一の夏休み前の日。ある教師に遅れて課題を提出する途中で見かけた彼女に、僕は初めての恋をした。

 二学期の頭にある学園祭で開かれたミスコンに彼女の姿を捉えて以降、さながらストーカーのように彼女の情報を集め出す。

 そして彼女がこの大学へ進学したという話を聞いて、僕はここへ進学することだけを考えてきた。


 視線で理由を問う彼女に、僕は回らない頭で考える。

 まさか貴女に会いたくて何て言えない僕は、結局適当に誤魔化した。

 もしそんな度胸があったなら、高校生の頃に告白できただろう。


「ふーん、そっか。偶々か」


「はい」


「ん、じゃあ問題無いかな」


「問題、ですか?」


「ああ、ちょっとお願いがあってね」


「何ですか?」


「僕が卒業するまでの間、彼氏をして欲しいんだ」


「…へっ?」


「ふふ、変な顔」


 当然僕が断る筈もなく、こうして変な関係は始まった。



 彼氏をやるというのは、付き合うという依頼では無い。彼女は最初にそう置いて始めた。


「君もさっき入ったあのサークル、ルールはもちろん知っているよね」


「『まどろみ』のことですよね?トラブルを起こさない、それだけだって代表がおっしゃられて居ましたけど」


「ああ。もちろんそこには恋愛方面のも含まれていてね。自分で言うのもなんだが、僕はモテるんだ」


 そう一度切ると、ジュースを口にして続けた。


「だから、僕が望んでなくても勝手に拗れたりすることがある。でも、僕はそういうのはまだ興味がなくてね。で、去年までは二つ上の先輩に頼んで彼氏のフリをしてもらったんだ」


「…えっと、つまり彼氏のフリをすれば良いんですよね?」


「ああ。ただ、やっぱりどこにも行かないとかだとおかしいから、休日を少し拘束してしまう」


「それは良いんですけど、俺、付き合ったことなんてありませんから上手くできるか」


「それは心配しなくていい。僕が行きたいところに連れて行くだけだから」


「はあ…で、何で俺なんでしょうか。先輩ならもっと格好良い人も引っ掛けられるでしょう」


「ん?それは君が後輩だからだよ。気が楽って言えばいいのかな。それに、あくまで彼氏のフリだからね。一線を越えさせる気は無いのにそのフリをさせるんだから、赤の他人よりは地元の人間の方が信頼しやすい」


 呆気からんと言う彼女に、ちょっと期待を抱いていた自分が恥ずかしくなりながら、でも関われる嬉しさに僕は渋々なんて表情を装って引き受けたのだった。

 でも、それこそラノベみたいに、最後は彼女に振り向いて貰えたらいいな、なんてそんなことを思った。



 そうして1年半が過ぎた。都合が合えば出かけたり、サークル『まどろみ』でただ駄弁ったり。確かに、側から見れば仲の良い二人組で、上手くいっているカップルといったところだろうか。


 結局一線を越えるどころか、甘い話題すら交わすことがなかった。彼女からすればやはり気のおけない後輩で、僕の恋心なんて気付いても無いだろう。冷ややかな彼女は、そのまま切り出した。


「ねぇ、ケイ。別れよっか」


 卒業まではまだ、時間があった。


「……付き合っては無いでしょう?」


「ふふ、そうだねぇ。いや何、単純に気になる御仁がいてね」


「そう、ですか」


「…うん。だからね、別に君も悩まなくていい」


「……へっ?」


 言われたことに数秒の時間を要して理解し振り返ると、既に彼女はそこに居なかった。片手を挙げてサッと部屋に戻る彼女は相変わらず綺麗で、僕にそれを追う勇気などなかった。


 相変わらずのヘタレ具合に反吐が出るが、僕は何も行動を起こせなかった。彼女にとって僕は使い捨てのマスクと同じで、他の男の予防でしか無い。無害だと判断されたから選ばれた、それに過ぎない。


 あまりにも呆気なかった関係の希薄さに、俺は二十歳を過ぎたばかりの慣れない自棄酒を飲んで、二日酔いに数日を費やした。



 酔いから回復した俺は、ひょんなことから彼女が出来た。

 というのも、過去に何か手助けしたことがあるらしく、そんな僕を追いかけて入学した後輩の子だった。


 入学したら先輩と居たから、声を掛けるに掛けれなかっただとか。

 失恋に暮れる僕は、優しく接してくれた彼女にすっかり入れ込んでしまったらしい。自分でも軽薄だと思った。


 そんな僕たちは、馬鹿ップルとしてクリスマスを過ごしていた。遊園地からディナーのレストランまで、ちょっと奮発した甘い日だったはずだ。


 その夜、イルミネーションの下で、僕は先輩を見かけた。先輩も連れが居るのだろうか。隣の彼女に引っ張られて先へ進むうちに、言いようのない胸騒ぎがこみ上げてきた。なんでだろうか。見られてもおかしくはないし、もう終わったことなのに。


 僕は咄嗟に振り返った。先輩の姿は見えなかった。




 先輩が卒業して二年。僕が最高学年の年になった。生憎、院へ進む予定はない。いつものように卒論を進めるべく、僕は『まどろみ』を訪れた。といっても、僕の在所率の高さから代表にもなっているんだけど。


 僕と後輩の恋路は未だ健在だ。ただ、彼女が離してくれないと言ったほうが正しいかもしれない。僕も彼女以上に深い仲の女性が他にいないから、この関係性に甘んじているわけだし。


 そんなことを思い浮かべながら『まどろみ』に到着すると、遠いあの日の残像をそこに見た。

 夕暮れの中、ベランダの柵に寄っ掛かる先輩。

 目を瞬かせて数瞬、それが妄想ではないことに僕は気づいた。


「どうしたんですか、彩先輩」


「ん…?ああ、ケイ」


 もう忘れてしまった距離感と恋心を背に、僕は彼女に声を掛けた。


「いや、夕陽が綺麗だなぁって」


「先輩らしくないですね。悩み事なら聞きますよ、後輩のよしみで」


「ふふ、懐かしいね」


「てっきりお忘れかと」


「酷いこと言うねぇ、君は」


「それほどでも。……また、髪短くしたんですね」


 そう僕が言うと、彼女は儚げに笑った。


「やっぱり。君はほんっとうにヘタレだね」


「へ?」


「ふんっ、いいさ。確かめたいことはもうわかったし」


 急に怒り出して行ってしまった先輩は、やっぱり綺麗だった。

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