それは、枷でしかない。

奔埜しおり

才能も、相性しだい。

咲彩さあやって、天才だよね」


 私の言葉に、彼女は顔を上げる。


 パッチリとしたアーモンド型の瞳。

 透き通るような灰色の髪。

 柔らかな白い頬には、ほんのりと淡い色のチークが乗っている。


「そう、かもね」


 ふんわり笑った彼女は、それ以上なにを言うでもなく、台本に視線を戻す。


 真新しい台本は、少しだけ茶色がかっている。



 今話題の舞台役者。



 変装をしていてもまとう空気は隠せないのか、色んな人から声をかけられ、握手を求められている。


 最近は男性の役者が人気になりやすい中、珍しいタイプだ。



 天根あまね咲彩は、天才だ。


 幼稚園の頃のお遊戯会で、たまたま自分の子供を見に来ていた関係者の目にとまり、そのまま子役としてその関係者の劇団に入った。


 当時はそこまで有名ではなかった劇団なのに、彼女が入ってから徐々に有名になっていき、今は知らない人がいないほど大きくなった。


 彼女の演技は、すごい。


 脇役としてそこにいる。

 それだけでも、不思議と印象が残る。


 だからと言って、主役を食ったりなんてしない。

 うまい具合に、彼らを引き立てるのだ。


 だけど彼女が主役をすると。


 ひたすらに、惹き付けられる。

 一挙手一投足から目が離せなくなる。

 台詞も、すべて頭の中にするすると入っていく。


 それに導かれるように、他の役者の芝居も輝き始める。


 気づけば前半が終わり、休憩を挟んで、後半が終わりカーテンコール。



 芝居の神様がもし本当にいるのなら。

 きっと彼女のことをひたすらに愛しているに違いない。



 ……それも、かなり一方的に。



「〜〜♪」


 音が外れた鼻歌。


 それに次第に声がつき、歌になっていく。


「独特な音の並びだね」

「編曲、私」


 顔を見合わせて、私たちは小さく笑う。


 彼女は芝居の神様に好かれても、歌の神様には嫌われているようだ。



 だけど彼女は、歌に恋をしている。


 誰もが羨む才能を持っているのに……芝居のことは大嫌いだった。


 だからと言って、蔑ろにすることはしないし、それを他人に言うことも匂わせることもしない。


 身体を鍛えているし、台本もきちんと読み込む。

 健康にも気をつかっており、決して努力を怠らない。



 だけどそれはすべて、周りのためである。


 自分を、自分の才能を、好きと言ってくれる人達のため。



 部屋の隅。ベッドの近くにある小物入れには、病院で処方された睡眠薬が入っている。

 他の薬も、それなりに。


「なんで、私なんだろう」


 ぽつり、こぼれた声。


「あの子のほうが、お芝居が好きなのに。この役のことだって、このお話だって、今までのだって、すごく、すごく、好きだったのに」


 人気のない公園で、数時間前、彼女は練習をしていた。


 そこに、『あの子』がやってきた。


 いつも微笑みを浮かべていた子だった。

 誰からも好かれる、いい子。

 そして、彼女の一番の友人でもあった。


『あの子』は、得意な芝居の系統が彼女と被っているのもあり、外部、内部問わず何度も彼女と同じ役を奪い合っては、毎度彼女に役を奪われ続けていた。


 それでも笑っていた『あの子』は、いつも言っていた。


 咲彩は、天才だね。



『あの子』だって、努力家だった。

 彼女と同じか、それ以上の努力を積み重ねていく子だった。

 だけど、天才ではなかった。


 たぶん、限界だったのだと思う。


 公園に現れた『あの子』は、無言で彼女の台本をもぎ取ると、そのまま地面に叩きつけた。


 そして、一言も話さずに帰っていった。



 咲彩は、何事もなかったかのように台本を手に取り、ついた砂を叩き落として、空が橙色になるまで公園で練習をした。



「死神さん」


 彼女が私を呼ぶ。


 私は、じっと彼女を見る。


「嫌われたく、ないよ……」


 数年前までは脇役もしていたのに、最近は所属している劇団で常に主役を務めている。


 どんな役でもこなしてしまうからこそ、だった。


 客演に行っても、かなり美味しい役を貰ってしまう。


 周りからの目に耐えられなくなって、脇をやりたい、とそれとなく伝えたときも、嫌味か、と怒られた。


 憧れです、と言ってくれていた新人のキラキラとした瞳は、ドンドンと曇っていく。


 それでも、咲彩は前を向いて、立っていた。


 好きだ、と言ってくれる、観客たちのために。



 ずっとずっと態度を変えずにそばにいた『あの子』が、あんなことをするまでは。



『あの子』が、主役をやることになったのは、それから数日後のことだった。

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それは、枷でしかない。 奔埜しおり @bookmarkhonno

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