魔界の☆欠陥住宅

品羽藍太郎

第1話【魔界の☆欠陥住宅】


「いっけな~い遅刻遅刻~!」


古典美少女漫画風な独り言を喚きながら、幸子さちこは走っていた。


大学四年生の幸子。


彼女は就職予定先の会社の、入社前研修へと向かっている。


「まさか全部の曲がり角で、食パンくわえたラグビー選手とぶつかるとは……」


【回想】


「どすこい!」


「お前が咥えてんのかよ!」


【回想終わり】


幸子は人より少し(?)、幸が薄かった。


「でもそんなパッとしない人生もこれで終わり……私は就職して、優雅ゆうがな一人暮らしを満喫するのよ……!あー楽しみー!」


幸子の目の前に、目的地への最後の曲がりかどがやってきた。


(あの交差点を曲がればもうすぐ!……いや、待てよ……?)


幸子は交差点へ踏み出す前に停止した。


目の前を猛スピードでトラックが横切る。


ゴオオオオオオオオ。


運転していたのは、食パンを咥えたラグビーユニフォームの男だった__。


__走った幸子はギリギリ集合時間前に会社へと着くことが出来た。


そこは小さいビル。


看板には【住宅不動産】【住めばみやこ社】【本社】などと書かれている。


「面接は違う場所だったから初めて来たけど……ここが私の働く(予定の)会社の本社!ていうかやばい!急がなきゃ」


まじまじと会社を眺めてる余裕など無い事を思いだした幸子は、慌ててビルの中に入って行く。



ーーーーーーーーーーーー



【二時間後】


研修担当者が眠そうな声で喋る。


「はい。じゃあ皆さん合同研修お疲れ様でしたね。この後各々の研修店舗先を決めて、今日は各自その店舗に挨拶しに行って貰って終わりですからね」


研修の一つ目のプログラムが終わり、周りの研修生達は安堵あんどの雰囲気をかもし出す。幸子もその一人だった。座りっぱなしで固まった身体を、少し動かして見る。


(やっと終わった。今日は後、研修店舗先聞いて挨拶行くだけか~何店だろう研修店舗)


研修生達が次々と名前を呼ばれて行き、研修先店舗を告げられて、部屋を出ていく。


(宇都宮店かな~そしたら晩御飯は餃子ぎょうざかな……うへへ)


研修生はどんどん減っていく。


(横浜浜店かな~そしたら晩御飯は……中華かな……たまんねえな)


気付けば部屋には幸子だけしか居なかった。


「え~薄井幸子さん」


「は、はい!」


研修担当の人に名前を呼ばれて、幸子は現実に戻り、スーツの袖でヨダレを拭き取って返事をした。


「薄井幸子さんは~魔界まかい店ね」


「分かりました!(マカイ店?なに県だろう……)


「じゃあゲートくぐってね、そこにあるからね」


「ありがとうございます!(ゲート?潜ればいいのね……よっこいしょ)」


「行ってらっしゃ~い」



ーーーーーーーーーーーー



「騙されたーーーーーー!」



血で染められた様な空の下、植物が皆死んでる荒野の上で、幸子はひざまずいて泣いていた。


土で膝を汚したのは何年ぶりだろうと、泣きながら幸子は思い返す。


小学生の運動会、パン食い競争でパンを咥えた瞬間に足がつり、膝から地面に着地した時。


中学生のバレンタイン、好きな男子が「俺チョココロネがいっちゃん好き」とか言っていたから作って渡したらドンきされて、その場で膝から崩れ落ちた時。


それを見て更に引かれた時。


思い出す幸子の心の表面に、むなしさと同時に


(ていうかなんで全部パンがらみなんだよ……!)


というツッコミが浮かび上がった。しかし、


過去はかく、大事なのは現状だ。


余計な思考を振り払う様に頭をぶんぶんと横に振った後、幸子は折れた心と足をふるい起たせる様に、立ち上がった。


「マカイってそういう事?魔界ってこと?そうだよね?ゲームで見たことある……ここ絶対魔界じゃん……カラスめっちゃ飛んでるし……」


呼んだ?という風にカラスが「カーッ!」と鳴く。


「ていうかゲートっぽいのも無くなってるし……なに……どうやって帰るのこれ……」


波乱はらんの人生を歩んできた幸子であっても、流石に涙目になっていた。そう、本当はボケたりツッコンだりしている場合じゃないのだ。


「ん?あれは……」


途方とほうに暮れながらも手掛かりを探していた幸子の目に、荒野にたたずむ一軒の建物が留まった。


その建物は幸子の目的地。研修先店舗だった。



ーーーーーーーーーーーー



(ギィイイイイイ)


酷い立て付けの音を奏でながら、幸子は店のドアを開けた。


「ごめん下さーい……(うわぁめっちゃ古い木製のドアだな)」


幽霊屋敷ゆうれいやしきに探検に来た様な気分で、怯えながら幸子は店の中に入る。


店の奥の方に、スーツ姿の男が一人居た。


(男の人だ……しかも人間……良かった魔物とかじゃなくて……」


男は幸子に気が付くと、ぱぁっと笑顔になり、こちらに近寄って来た。


男は幸子と同じくらいの若さの見た目をしていて、黒髪くろかみの似合う好青年だった。


(わ……イケメン……かも)


「いらっしゃいませお客様。どうぞお掛けください!あ、荷物、鞄とか、隣の椅子いすに置いちゃって大丈夫ですので!」


幸子を客と勘違いした男は、きらきらしたトーンを背景に、もてなしの姿勢を見せる。


「いや!あの!違うんです!私……【住めばみやこ社】の研修で来てて、魔界店って……もしかしてここ……ですか?」


「あ?」


男の表情が一変した。


「んだよ客じゃねぇのかよ。カーッ」


そう言うと男は対面といめんの椅子にドカッと座る。


煙草たばこを取り出し、口にくわえ、ライターで火をつけた。


男が表情を変えてからこの間、わずか3秒程である。


あっという間に返された手のひら。


幸子は一瞬ポカーンと口を開けていたが、我に帰り、やっと困惑を口から漏らした。


「なにその変わりよう……サギじゃん……」


先程の好青年は何処に行ってしまったんだろう。きっと煙草という魔物に身体を乗っ取られてしまったんだろう……と幸子は思う事にした。


「愛想は有限だ。客の為にとっておいてるんだよ」


「そ、そうなんですね……(なにこの人……)私、研修生の薄井幸子です。よろしくお願いします」


幸子は一応ぺこりとお辞儀した。


男が煙草の煙をフーと吐き出し、幸子と男の間に白い煙が立ちのぼる。


「俺はこの魔界店を担当してる黒羽くろばだ。よろしくな幸子」


幸子が店の中を見渡した後、口を開く。


「あの、黒羽さんだけしか居ないんですかこのお店って」


「なんだよ、わりぃかよ」


「いや、居たら挨拶しなきゃなぁと……じゃあ挨拶も出来たので……私はこれで……」


一刻いっこくも早く帰りたかった幸子が、そそくさと去ろうとする。


「なに言ってんだ。今から仕事だ!研修内容は研修店舗に一任されてるからな!おら!行くぞ!」


「えーーー!」


「えーじゃねえ!」


そういうと黒羽は幸子の首根くびねっこを掴んで引きずる様に外に連れ出した。


拉致らちだー!」


「騒ぐんじゃねえ!助けなんて来ねえぞ!」


「セリフが完全に拉致犯ー!」



ーーーーーーーーーーーー


黒羽が手をもにょもにょさせると、ゲートが現れた。にごった汚い虹みたいな色の膜の中に入ると、二人は現実世界にワープした。


幸子は半ば強引に、仕事の現場へと同行する事になった。


(このまま逃走すれば逃げ切れるかな……)


移動しながら幸子は、遠い眼差しで空を見上げていた。目頭めがしらが熱くなる。


(お父さん、お母さん、私はもうダメかも知れません。魔界に飛ばされ、サギ師に騙され、これから私は何処に連れて行かれるのでしょうか?きっと如何いかがわしいお店か、内臓を綺麗に取る闇医者の所とかそんなです)


「おい、どこ見てんだ……。そんな緊張しなくても大丈夫だぞ。研修生に客の相手なんてさせねえよ……見学だ見学。俺の後ろで見てるだけでいい」


「緊張してるんじゃないです。途方に暮れてるんです。ていうか客の相手って……ひぃ!やっぱり私を売り飛ばすんですか!」


「お前うちの会社なんの会社だと思ってるんだよ……」


「なんの会社って……住宅専門の不動産を主に行ってる会社ですよね」


「そう!分かってんじゃねえか。物件を見学したいって客がいてな。今そこに向かってる」


「なるほど。住む家を探してるお客様に、実際に物件を提案して、見学して貰って、決めて貰うんですね!」


「そういう事だ。物件の良いところをアピールするんだよ」


(なんだ……普通のお仕事じゃん。心配しちゃった)



ーーーーーーーーーーーー



二人は、物件の近くで待ち合わせしていた客と落ち合った。


「どーもよろしくお願いします~」


黒羽が満点の笑顔で客に挨拶する。幸子と二人で話していた時とは最早別人である。


(サービスマン恐ぇー……)


黒羽が幸子の小脇を突く。


「挨拶……」


そう言われて幸子も慌てて挨拶する。


「あ!よ!よろしくお願いします!」


客は筋肉が目覚ましいマッチョの青年。名は田中。


「こちらこそお願いします」


そう言って田中は白い歯を見せて、にこやかに笑った。黒羽のそれとは違う、本当に善人。という笑顔だと幸子は思った。


(よかった~恐い人じゃ無さそうだ……でも身体大きいから怒って本気出したら強そうだな……黒羽さん細身だから一撃で粉砕されそう)


幸子の脳内で黒羽が粉々になって霧散する。ちょっとだけ見てみたい気もするかなと思った幸子だった。


幸子と黒羽、そして田中の三人は少し歩いて、物件にたどり着いた。


ごく普通に見えるアパートだ。田中に紹介する予定なのはここの一室である。


黒羽が玄関に向かいながら、田中に物件の説明をする。幸子はそれを後ろの方で大人しく聞いていた。


「こちらの物件なんですが、大変"特殊"な作りになっておりまして、こういう物件取り扱ってるのうちの会社のうちの店舗だけなんですよ~。なので大変珍しいオンリーワンな作りになってるとは思うんですけど~。田中様でしたら気に入って頂けるかと思いまして。」


黒羽が玄関の鍵を開けてドアを開き、田中を先に中に入れようとする。


「どうぞ田中様~」


「どうも~」


中に入っていく田中の姿が異空間に飲み込まれる様に消えていった。


「……黒羽さん……消えましたけど」


「ん?ああ。魔界と繋がってるからな」


(やっぱ全然普通の仕事じゃないわコレ……)



ーーーーーーーーーーーー


田中を追って、黒羽と幸子も中に入る。


入った先は玄関。広めに作られているようで、3人が入っても余裕があった。


玄関の先は部屋でも廊下でもなく、10メートル程の壁……いや……段差だった。


黒羽がさも当たり前の様に田中に語りかける。


「こちら玄関入ってすぐ。10メートルの段差になっております」


何か変な所ありますか?みたいな顔の黒羽。


「段差ってレベルじゃねえ!10メートルはもう、崖じゃん!」


幸子が叫んだ。


「黙ってろ幸子!つまみだすぞ!どうです?田中さん。因みにこの段差を越えないと絶対家に上がれません」


「欠陥住宅じゃねえか!」


「黙ってろ幸子!」


田中は言葉を出さずとも、込み上げる感情を押さえられぬ様子で、身体を震わせていた。


(やばいよ……田中さん怒ってるよ絶対。怒りに震えてるよ……黒羽さん短い付き合いだったけど今までありがとうございました)


幸子の脳内でもう一度、黒羽が粉々に霧散する。一度目より鮮明なビジョンで。


田中の口が、ゆっくりと動く。


「いい……」


田中が震えながら漏らした言葉。それは幸子の想像していた物ではなかった。


「え?田中さん……?」


「いい……すごくいい」


サービスマンモードの朗らかな笑顔で、黒羽が田中に問いかける。


「いかがでしょう。田中様。気に入って頂けましたでしょうか」


「私がボルダリングのプロ選手だと分かっていて、この物件を……」


状況がうまく読めない幸子は、おろおろと周りに目を向けた。すると、あるものが目に入った。


玄関の両サイドの壁には、天井までカラフルな石の様な物が埋め込まれていたのだ。


(ボルダリングって、こういう石のついた壁とかを登るスポーツだっけ……まさかこの壁でその練習が出来るって訳……?)


「もちろんです。全ては田中様に喜んで頂ければと……差し出がましい事とは思いましたが。元の物件をリノベーションして改築致しました。田中様、如何でしょうか?」


「ここに決めます!」


感涙を流し合い、黒羽と田中は何故か抱き合っていた。


幸子はそれを遠巻きに見ていた。


(決めちゃったよ……この家……熱とか出ててもこの壁上ったり下りたりしないと出入り出来ないんだよ?大丈夫?田中さん?本気?もし落ちたら怪我じゃ済まないよ?)


「契約特典で玄関に極厚マットレスを敷かせて頂きます」


黒羽がトドメの様に言った。


ーーーーーーーーーーーー


その日の夜、田中との契約を無事に終え、黒羽からも解放された幸子は家に帰っていた。


風呂の湯船に浸かりながら、田中と別れた後にした、黒羽との会話を思い出す。


【回想】


「黒羽さん!あんな物件許されるんですか!ていうかそもそもあれ、法律的に存在していい物件なんですか!」


「許される許されないの話で言えば……答えは"許される"だ。客に喜んで貰うのが一番だ。自分の倫理観の物差しなんざ二の次でいいのよ。あとな……」


「な、なんですか……」


「法律的に存在していい云々は……魔界だからなんでもオーケーなんだよ!」


「強引過ぎません!?」


「とにかく明日も来いよな!」


【回想終わり】


湯船に肩まで浸かり直し、幸子は深くため息を吐いた。


本当に行きたくなければ、この会社の内定なんて辞退して、明日から研修に行かなければいいのだ。


しかし、幸子の脳裏には田中の喜んでいた姿が目に浮かぶ。


(嘘みたいな会社で、詐欺みたいな仕事だと思うけど、あの笑顔だけ本物の様な気がするんだよな…………なんとなく)


「……んばぁああああ!!!」


幸子はお湯を手ですくって、バシャバシャと自分の顔面にかけた。


叫びながらだったのでお湯が口に入る。


「っっっおぇえええ!!!」


ーーーーーーーーーーーー



【研修二日目:最終日】


(ギィイイイイイ)


立て付けの悪い魔界店のドアを開けて、幸子が中に入る。


「お早うございます……今日もよろしくお願いします……」


店の中では相変わらず黒羽が一人で煙草を吸っていた。


「おう幸子。なんだ元気ねえじゃねえか。シャキッとしろシャキッと」


「すみません。何だかまだこの仕事に対して……心が追い付いて無いというか……昨日の疲れがまだ癒えてないというか……」


「まぁ魔界がどうのとか、仕事がどうのとか、お前初めてだもんな。疲れて当たり前だよな……俺も最初はそうだったし分かるよ……今日はゆっくり事務作業とか体験して貰おうかな……」


「黒羽さん……」


「なんて言うと思ったか!さっさと現場いくぞ!現場だー!」


前回同様、黒羽は強制的に幸子を連れて現場へ向かうのであった。


「騙されたーーーーーー!」



ーーーーーーーーーーーー



客との待ち合わせ場所に向かう道中で、幸子が黒羽へ尋ねる。


「今日はどんな欠陥住宅を売り付けるんですか。黒羽さん」


「売り付けるって言うな、それと欠陥住宅じゃない。特殊住宅だ。扱うのに資格も必要なSSレア的な住宅なんだぞ」


そう言って黒羽は、取り出した免許証を幸子の眼前につき出す。


免許証には【魔界特殊物件取扱兼斡旋師】と書かれていた。


「へー。でもなんでこんな資格取ろうと思ったんですか?」


「宅検取ろうと思って間違えてこれ取っちゃったんだよ。試験会場間違えてな」


「取る資格間違えたりする!?」


「なんか途中で変なゲート潜ったし。出題問題もおかしいし。受けてる奴も会場で俺しか居なかったから、なんかおかしいなぁとは思ってたんだがな」


(ゲートで気付けよ……意外と抜けてる人なのか?この人)


「まぁ。今では自分の仕事に誇りを持ってるけどな!お前にも今日はきっちりこの俺が仕事のなんたるかを理解させてやる!覚悟しておけ」


「はい……で、今日のお客はどんな……」


「今日のお客は……お、もう見えてるぞ」


黒羽が顔を向けているすぐ先の所に、背の高い若い女性が立っていて、その横には小さくて可愛らしい犬が座っていた。


近付いて、黒羽が挨拶する。


しかし何かおかしいと幸子は思った。


「今日はよろしくお願いします……」


いつもならサービス爽やかモードで挨拶をする黒羽だったが。今日はそれが無かった。


「よろしくお願いします!」


逆に幸子が気を使って、少し前より愛想良く挨拶した。



「よろしくお願いします。佐藤です」



三人と一匹は歩きながら現場へ向かう。



幸子が小声で黒羽へ話しかける。


「ちょっと黒羽さん!どうしたんですか!営業モードが!」


黒羽が小声で答える。


「……わんちゃん恐い」


「え」


「幸子……後は任せた。」


そう言うと黒羽は幸子に物件概要が書かれた紙を渡した。


(嘘でしょこの人……ついさっき仕事のなんたるかを教えてやるみたいな事言ってたのに……)


犬と距離を取る黒羽。


(何か客と話さねば……)


「あの、わんちゃん可愛いですね。小さくて可愛い」


「ありがとうございます。私が中学に上がる頃に買い始めた子で、私の背が小さかった頃は良くじゃれて遊んでたんですけど。私ばっかり大きくなっちゃって」


「確かに。佐藤さん背が高いですもんね……モデルさんみたい」


佐藤は幸子より頭一つ分背が高かった。


「私が大きくなってからは、この子も少し私に怯えてるみたいで、あまり子供の時みたいにじゃれついてくれないんですよね」


「そうなんですね。なついてる様に見えますけど……」


「何て言うか昔は飼ってるって言うより、一緒に暮らしてるというか、もっと友達みたいだったなぁって……ごめんなさい。こんな話されても困りますよね!」


幸子が返答に困っている様子を見てそう言った佐藤が、笑顔を見せる。


「おい……客に気を使わせるな」


遠く後ろから、小さく黒羽の声が聞こえたが、幸子は無視した。



ーーーーーーーーーーーー



物件概要の地図に書かれた物件に、三人と一匹は到着した。


「こちらのアパートの一室ですね。では参りましょう佐藤様」


佐藤と犬を、紹介する物件の部屋の前まで、幸子が案内する。後ろで黒羽がはらはらしながら見ている事に、幸子が気付いた。


(はらはらしながら見るくらいなら自分でやってよ……!あぁ緊張するな……どうせ今回も欠陥住宅だろうし。大丈夫かな……)


幸子は玄関の扉を開けて、前回の黒羽の行動を真似して、先に、佐藤と犬に物件の中に入って貰った。


佐藤と犬が異空間に消えて行く。


幸子が黒羽の方へ目をやると、黒羽が小声で、行け、ゴーと幸子を促した。


幸子は意を決して中に入っていった。


中に入ると普通の玄関があったが、そこから先は天井の高さが1メートル程の部屋がずっと続いていた。


(天井低いよーーーーーー!)


玄関で途方に暮れていた佐藤が、口を開く。


「あの……天井……低すぎませんか……」


幸子も全く同じ事を思っていた。


「そう……ですね!天井の高さは、およそ1メートルとなっております!そ、そんな事より佐藤様から事前にご要望頂いておりましたペットオーケーの物件となっておりますよ!」


(黒羽ーーーーーー!)


幸子は焦りを隠しながらも、黒羽から渡された物件概要の紙を見ながら必死で説明する。


「とにかくよろしければ実際に入って頂いて……ね?……どうぞ」


幸子は佐藤を促して、犬と一緒に部屋(部屋と言っていいのか判らないが)の中に入って貰った。


佐藤は四つん這いじゃないと移動できないその部屋で、戸惑いながらも自分の愛犬と短い時を過ごす。


(やばいよ……佐藤さん戸惑ってるよ。私も戸惑ってるもん……前回はお客さん気に入ってくれたけど。今回は喜んで貰えるのかなこれ……)


幸子はいきなり客の相手を丸投げされた不安が、今になってピークに達していた。


玄関のゲートの所から、黒羽が顔だけ出している。幸子から見ると、黒羽の顔だけ浮いてる様に見える。


黒羽が幸子にキリッと真剣な表情で語りかける。


「大丈夫だ幸子。佐藤さんの様子を見てみろ」


「黒羽さん……よくそんな格好いい顔作れますね……中入って来いよ」


「いいから見てみろ」


幸子は佐藤とその愛犬の方へ目をやる。


佐藤の表情は、物件に入った時よりも大分明るくなっていた。


犬は佐藤に無邪気にじゃれつき。佐藤は気持ち良さそうに部屋を転がり、一緒になって戯れていた。佐藤が少女の様な笑みを浮かべて、たまらず口にする。


「いい……かも知れない」


幸子は驚いてそれに答える。


「いい……ですか?」


「最初は、なんだか大きな犬小屋の中に入ったみたいだなぁって思ってましたけど。この子と近い目線でずっといたら、すごく、家族みたいに思ってた昔の感覚が蘇って来て」


佐藤は少し、目尻に涙を浮かべながら口にする。


黒羽がいつの間に中に入って来ており、佐藤に清潔そうなハンカチを手渡す。


「もしかしたら、犬はずっと同じ気持ちで、佐藤さんが子供だった頃みたいに、一緒に遊びたかったのかも知れませんね」


黒羽がそう佐藤に言いながら、犬の頭をそっと、優しく撫でた。


「私、ここに住んで見ます。住みづらい所もあると思いますけど。この子も気に入ってるみたいだし」


そうして今回も無事、物件の契約を交わすことが出来た。


幸子の研修は、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。



ーーーーーーーーーーーー



「へーっくしゅん!あー!ちくしょーめ!」


魔界店に帰って来た黒羽と幸子。


立った黒羽の背中を、幸子がコロコロでころころしていた。


「黒羽さん犬アレルギーだったんですね。そうならそうと言ってくれればいいのに」


「いいから早く毛を取ってくれ。くしゃみが止まらん」


「もう脱いじゃえばいいじゃ無いですか……」


「へーっくしゅん!」


研修が終わればもう会わなくなる関係とはいえ、なんとなく幸子は黒羽に対して、始めより好感を持っていた。


特に口には出さないが。黒羽がずっと言っていた、客が喜ぶのが一番という事や、自分の仕事に誇りを持つという事。


二日間の研修を通して幸子は、それが少し分かった気がした。


定時退社の時間が来る。


「それでは黒羽さん、二日間お世話になりました」


「おう。最後、無茶振りだったけどしっかり出来てたじゃねえか。かっこ良かったぞ。お前なら何処に行っても大丈夫だ。お疲れ」


誉められて、純粋に嬉しくて、幸子が笑う。


「黒羽さんもかっこ良かったですよ。アレルギーなのに犬撫でちゃうのはどうかと思いましたけど」


「うるせぇ」


そうして幸子は魔界店を去り、店舗研修を終えた。



ーーーーーーーーーーーー



【翌年春:住めば都社本社】


配属先を決める日。入社内定者が一つの部屋に集められている。そこに幸子の姿もあった。


内定者が順番に、配属先を言い渡される。


「薄井幸子さん」


名前を呼ばれた幸子は、ヨダレを袖で拭って、返事をした。


「は!はい!」


「あなたの配属先は~」



【終わり】



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