後日譚
Masquerade:偽装にして狡猾
「死者の霊が現れるという曰く付きの、古屋敷でございます」
揺れるリムジンの車内でそうぽつりと口にした侍従の青年を、ハインツ・キルシュはじろりと一瞥した。
「そのような子供騙しの噂が何だと?」
「……いいえ。他意はございません。今回の会場について下調べするなかで、そのような風聞について耳にしたため、お耳に入れようと」
慇懃に青年は頭を下げる。ち、とハインツは舌打ちした。気に入らない。自分に当てつけるかのように『死者』と口にした侍従が気に入らない。
事故によって急逝した──ということになっている、キルシュ家前当主夫妻の葬儀から一年半。ハインツを筆頭とするキルシュ分家筋の『親切な申し出』を拒絶し続けた臨時当主名代こと、前当主夫妻の一人娘が紛争地で戦死したのが半年前だ。
(正式に当主になるにあたっての箔付け、だったか。小娘一人戦場に送るのにあれだけ苦労した割には、あっけなく終わったな)
世界でも指折りの財閥であるキルシュ家が取り扱うのは重工業。とりわけハインツら分家が専門にしているのは兵器の製造と開発だ。軍部と強いパイプを有していた分家にとって、無理矢理入隊させた新兵一人を死地に送ることなど造作もない。
事情はどうあれ、本家の人間は相次いで死亡。そして当主の座は当然のごとく分家の筆頭ことハインツのものとなった。
リムジンが減速し、ゆったりと停車する。
「ハインツ様」
「分かっている」
座席に沈めていた肥満体を揺らし、ハインツは車から降り立った。懐から取り出した仮面で顔の上半分を覆うのも忘れない。ハインツの視界に聳えるのは、侍従の口にした屋敷。今回の宴は懐古趣味の者が主催者となったときに催される形式──仮面舞踏会だ。
侍従に車内で待機するよう言い置いて、燕尾服に仮面姿のハインツは屋敷の正門へと歩く。狼を模った仮面が夜風に晒されるのを感じる。
(……やはり居たか。レーヴェの若造が)
やがて到着した屋敷の大広間、その一角。小さな人垣の中心に立つのは、ハインツと同じく仮面を被った若者。仮面にあしらわれた見事な飾り羽根は鷲のものか。ハインツ自身は直接対面するのは初めてだ。が、手段を選ばず当主にまでのし上がったハインツの勘は、その男は『敵』だと雄弁に伝えていた。
キルシュの家紋は鷲。対するレーヴェの家紋は狼。重工業を司る怪物と、金融を支配する化物。世界を牛耳る二つの名家の争いは世紀を跨いでなお続いている。
ユリウス・レーヴェがレーヴェ家当主の座に立ったのは、奇しくもキルシュ前当主の『事故死』直前だったはずだ。
仮面舞踏会といっても素性を隠すという趣向は形骸化して久しい。鷲の羽根をあしらったユリウスの仮面や、狼を模った仮面のハインツの姿からも分かる通りだ。ふと、ハインツの姿を認めたユリウスの声が響く。
「ああ──そうだ、死者の現れる屋敷と言えば。数ヶ月前、キルシュの令嬢が西方の紛争地で非業の死を遂げたと聞いている。もしもこの場に彼女の知己が居るならば。彼女の安息を祈ってやってくれないか」
ユリウスが手に持ったグラスをシャンデリアの光に翳す。仮面越しのユリウスの視線は、真っ直ぐハインツを捉えていた。
舌打ちを堪えてハインツは苛立たしげにその場を離れる。敵対する一門である以上、何か仕掛けてくるのは予想していた。が、ここまであからさまな嫌味がくるとは。床を踏みならし、広間を抜けて廊下に出た。
(そもそも死んで当然だった。我ら分家の反対も聞かずに軍需産業からの撤退を唱えた本家の腰抜け夫婦も、その娘も!)
広間を離れてもハインツの苛立ちは収まらない。あてもなくそのまま廊下を進んでいくと、突き当たりの扉に辿り着いた。開いていた扉を抜けると、小さなホールがあった。大広間と対照的にほとんど人の気配はない。ただ一人、薄暗い部屋の中央に静かに佇む女性がいた。瀟洒なドレス姿に顔の全面を覆うシンプルな仮面。舞踏会の参加者だろうか。そう考えたハインツは、ふと妙な既視感を覚えた。
(どこかで会っている)
同時に、まるで居るはずのない人物と対面しているかのような違和感がある。ハインツが問いただす、その直前。佇む女の手が動く。軽い音を立てて仮面が床に落ちた。
「お前、は」
──その顔の右半分は赤黒いケロイドに覆われていた。だが、醜く焼け爛れた顔にも面影は見てとれる。アナスタシア・キルシュ。遥か彼方の戦場で死亡したはずの、キルシュ家当主名代だった人物。鋭い視線がハインツを射貫く。
「殺したな」
わたしたちを、ころしたな
憎悪と怒りの燃え立つその声を耳にして。ハインツの膝から力が抜けた。震える舌を必死に動かして、目の前に立つ死者の存在を否定しようと試みる。
「な、何を言っている! お前は死んだはずだ! グウィンもそう言っている、お前はきちんとヘリごと撃墜されたと!」
さては、彼女を上手く始末するよう買収した軍幹部がしくじったか。
一歩、二歩と後退する。とにかく部屋から出ようと振り返ったとき。
「うん、言質はとれたね」
ユリウス・レーヴェの軽い声が響く。その片手にはビデオカメラが収まっていた。ユリウスの両脇に控えていた軍服の男がふたり、ハインツに歩み寄ってくる。軍紀の粛正を担う憲兵だ。
「西方の軍事作戦を指揮するグウィン大佐は、敵対分子と内通した疑いにより先ほど国家反逆罪の疑いで更迭された」
「大佐との間に金銭の譲受が確認された貴殿にも容疑がかかっている。ご同行願おう」
気づけばハインツは憲兵に両脇を抱えられていた。仮面を外したユリウスと目が合う。
「駄目じゃあないか。軍の高官のみならず、テロリストすらも買収して『金になる戦争』を長引かせるとはね。分家を見捨てた前当主夫妻の判断は正しかったな」
「おのれ……謀ったな!」
全てを察したハインツが暴れるが、憲兵は意に介さず連行していく。
そして、月光差し込む部屋で二人きり。ユリウス・レーヴェとアナスタシア・キルシュは相対した。
口火を切ったのは、アナスタシアだった。
「……本当に、世話になった」
「最初から契約にあった条件を果たしたまでさ。僕らの代で、果たしたいことはもうすぐ手の届くところにある」
キルシュとレーヴェの協調。両家の確執の歴史を知るものにとっては夢物語でしかないことを、平然とレーヴェの当主は口にする。
「あのクソ野郎、おっと失礼、ハインツ・キルシュがきちんと裁かれれば、分家は解体されるだろう。そうなれば、君は正式に当主の座に返り咲くことができる」
「ええ――ありがとう。お前を、信じてよかった」
「身に余る光栄さ。せっかくだ、一曲付き合ってくれるか」
「お好きにどうぞ」
大広間から漏れ聞こえる曲に合わせて。静かに踊る二人の姿だけが月光に照らされていた。
君よ誰よりも気高き獣 百舌鳥 @Usurai0000
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます