俺とカエルと藤川さんと
高梨 千加
俺とカエルと藤川さんと
目が覚めたとき、何がなんだかわからなかった。
ここは異世界かどこかだろうか。
そう思うくらい、俺、
まずは辺りが真っ暗である。
よく見えないが、辺りを跳ね回って、どうやら俺の背丈よりも大きな草があるということを理解した。そんなもの、日本で見た覚えがない。
今が夜だとしても、ここはどこで、どうなっているんだ……とつぶやこうとして、喉からはゲッと変な声が漏れる。
「ゲッ(んん?)」
喋ろうとしても、まともな声にならない。
何かがおかしい。
一歩踏み出そうとして、体は跳ね上がる。
んんん?
そういえば、さっきから歩こうとすると体が跳ねる。体が跳ねるってどういうことだ?
人間は普通、跳ねない。意識してジャンプしない限りは跳ねない。
俺の体は一体どうしたっていうんだ!?
叫びたい衝動にかられ、クワックワックワッ! と何度も鳴いた。
すると、「カエル?」と誰かの声がして、体が持ち上げられた。
「ゲッゲッゲッゲッゲッゲッゲッ!」
なんだ、なんだ、なんなんだ!
一人で騒いでいると、目の前に巨人が現れ、息をのんだ。
信じられないくらい大きな……人の顔?
疑問がつくのは、大きすぎて認識できないというのもある。しかし、それだけではなく、相手が動いている間は見えていたはずのものが、急に見えなくなった。
見えなければ、それが何なのか判断できない。
「クワッ?」
「さっきから大騒ぎして、どうしたの?」
巨人は俺の頬をつついた。
指が動くと、途端に認識できる。
その手も大きくて恐怖を感じるほどであるが、俺に優しく触れようとしていることはわかる。そして、巨人の声はとても穏やかで……聞き覚えがあった。
「クワッ」
そうだ、
藤川さんは同じクラスで、座席が隣だ。俺の好きな人でもある。
クラス委員をしている真面目な女子で、可愛い顔をしている。クラスには藤川さんに片思いしている男子が大勢いるほどの人気だ。
とはいえ、手出しをするな、とみんなの間で暗黙の了解になっているので、本人は自分がモテているなんて知らないかもしれない。
視界いっぱいに映る顔が大きすぎて気づかなかったが、彼女が動くときによく見たら、藤川さんの顔をしている。
どうして藤川さんが巨人になっているんだ?
あ、いや、ちょっと待て。藤川さんはさっきなんて言った?
カエル?
もしかして、藤川さんや世界が巨大になったのではなく、俺が小さくなった?
カエルになってしまったとか?
そんなバカな……と目の前が真っ暗になり、コテンと藤川さんの手のひらの上でひっくり返った。
「どうしたの、大丈夫?」
藤川さんが体をつつくので、俺はなんとか起き上がった。
カエル、カエル、カエル。
と思い浮かべて、気を失う前のことを思い出す。
そうだ、昼休みに中庭を歩いていたら、あじさいの葉の上にカエルがいたんだ。
大きなカエルで、思わず掴んで見ていたら、カエルが俺の手から逃げるようにジャンプした。そして、俺の唇に激突した。
カエルがぶつかっただけだというのに、やけに大きな衝撃を感じて、気絶をしたらしい。
気がつくとカエルになっていたわけだ。
「ゲッ」
ということは、カエルとキスをして入れ替わった?
戻るためには、おとぎ話なんかだともう一度キスだ。確か。うちには年子の姉がいて、幼い頃に、そういうおとぎ話をよく読み聞かされたので知っている。
(とはいえ、これは物語ではなく現実だ。本当にそれで戻れるかどうかは知らないけどな)
「ゲッゲッゲッ!」
そんなことを考えたあとになって、俺は慌てる。
キス!?
俺はこれでもファーストキスもまだなフツメンだ……というのはこの際、横に置いておくとしても、カエルの姿で人間にキスをするって無理がないか。
だいたい、俺の体はどこに行ったんだ!
「良かった。元気出たみたいね」
藤川さんは俺の気持ちになんてちっとも気づかないで(そりゃそうだ)、俺をつつく。
意識が藤川さんにいってしまって、考えがまとまらない。
藤川さんって女なのにカエルが平気なのか。
カエルになっているときじゃなくて、普段のときにこうやって親しくされてみたかった。
あ、何気に、藤川さんの指が温かくて気持ちいい……って、俺は何を考えてんだ!
「ゲッゲッ、クワックワックワッ(ええい、邪魔だ)!」
ジャンプして藤川さんの指をよける。
その拍子に、彼女の唇に唇がぶつかった。
「クワッ」
「えっ」
衝撃を感じ、俺はまたしても気を失った。しばらくして藤川さんよりも先に目を覚ます。
日の光の眩しさに驚きながらも、真っ先に自分の体を確認する。
「なんてことだ……」
俺の声よりもずいぶんと高く細い声が漏れた。
手を動かすと、小さくて傷ひとつない綺麗な手が動く。それはカエルのものではなかった。推測するに、藤川さんの体だ。
ということは。
俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
視線を胸元にやる。
細い体のわりには大きな胸がふたつ付いていた。
ぶるぶると震える両手を胸に近づける。
ちょっとだけ……触ってみてもいいだろうか。
あと5ミリで胸に手が触れるかというとき、カエルが「ゲコッ」と鳴き声をあげた。
「うわあ、すみません、すみません」
慌ててカエルに向かって土下座をした。
「ゲコゲコゲコッ」
「それはいいけど、どういうことか説明しろ?」
どういうわけか、カエルになった藤川さんの言葉がわかる気がした。
「……というわけで、俺はカエルと唇をぶつけて、入れ替わってしまったんだ」
いつもと違う声、いつもより低い視界。
俺は落ち着かなくて、そわそわしてしまう。
だって、藤川さんなんだぜ?
今、藤川さんになっているんだ。
そんな漫画みたいで、奇跡みたいなことがあってもいいのか?
俺、今までにないくらいに藤川さんに近づいている。なんせ、ゼロ距離!
思考がそれたところで、カエル姿の藤川さんが俺の胸にキックをした。
いや、体全体でぶつかってきたが、たぶんキック。
「悪い、悪い。それで、元に戻るためには俺の体を探さなきゃいけないと思う。もちろん、今、キスして体を戻すのもありだけど」
「ゲコゲコゲコゲコゲコゲコッ」
「体を自由にされるのは嫌だけど、キスするのも嫌だ? そうだなぁ、カエルと俺が入れ替わって、今度は藤川さんがカエルと入れ替わればいいのか?」
俺が藤川さんで、藤川さんがカエルで、カエルが藤川さんで……あ、なんか違う。何がなんだか頭がこんがらがる。
「まあとにかく、俺を探すか」
俺は藤川さんを肩にのせ、辺りを見た。見える範囲にはいない。
「校舎に行ったのか?」
「クワッ」
首を傾げながらも、ここにいても仕方ないので、校舎に入った。
昼休みの校舎は、廊下まで出て話している生徒もたくさんいた。しかし、俺らしき姿はなく、そのまま二階に上がった。すると、「きゃー」という黄色い声がさらに上階から響いた。
「……なんだ?」
「クエッ?」
嫌な予感を感じながらも、三階に上がる。
声の発生源はすぐにわかった。階段のすぐそばの廊下で、女子たちが半円状のひとかたまりになって集まっている。
彼女たちの半円の中心に、頭ひとつ高くに見慣れた頭が見えた。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと!」
俺は慌てて、女子の間をかきわけ進んだ。見えた光景に息をのむ。
どういうことか、俺は、いや、俺の姿をしたカエルは隣のクラスの三宅さんに壁ドンをしていた。
……正直、羨ましいぜ!!!
三宅さんというのは、髪の毛が短くボーイッシュではあるが、顔が整っていて、やはり男子から人気の女子だ。何人もの男子は彼女に告白して、玉砕した。彼女が首を振ることはないと、もっぱらの噂だ。
そんな彼女が、なぜか俺の腕の中で頬を赤く染めている。顔は横にそらしてはいるが、なんだかまんざらでもなさそうだ。
ど、どんなテクを使ったんだ、師匠……!
カエルから教えを請いたい気分にはなったが、藤川さんから冷気が漏れている気がして、余計なことは言わなかった。俺、えらい。
しばし二人の様子を見ていると、カエルが三宅さんに顔を近づけた。
あれはまるでキスするかのようで。
「ちょっと待ったー!」
そうはさせるかと止めに入る。もちろん、俺の体が三宅さんとキスするのはやぶさかでもないが、もしも二人まで入れ替わってしまっては話がややこしくなる。
だけど、俺の手が俺に届く前に、その唇はくっつきそうで……間に合わないかと思った瞬間、俺の肩にいた藤川さんが大きくジャンプした。
目指すのはたぶん俺。そうだ、藤川さんとカエルが入れ替われば、問題のカエルは元の体に戻る。誰かの唇にぶつかるなんてこと、そうは起こらないだろう。
しかし、藤川さんは俺の唇には行きつかなかった。三宅さんの胸に着地する。
そういえば、彼女、運動音痴だったっけ。体育の授業で、ボールを変な方向に飛ばしているのを見たことがある。
これではキスされてしまうのか、と思う間もなく、「きゃ……きゃあああ!」と三宅さんが叫びながら、腕をむちゃくちゃに動かしている。
その指先が藤川さんに当たり、彼女は弾き飛ばされた。運よく俺の方に飛んできたのでキャッチする。
三宅さんを見ると、彼女は真っ赤な顔で涙目になっていた。
「あ、あたし、もう行くね」
そう言うなり、三宅さんは自分のクラスへと戻る。
「ひょっとして、三宅さんってカエル嫌いか?」
「ゲコッ?」
平気な藤川さんが変わっているだけで、あれが世間一般の女子の反応だとは思うが。
そんなことを考えていると、俺が俺を見た。
「!」
カエルは何も言わず、目を輝かせる。
なんだ?
と思って見ていると、カエルが俺の前に立ち、俺の頬に手を当てた。
唇に温かでカサカサしたものが触れる。
俺の唇だ、と気付いた瞬間、俺は藤川さんとカエルを掴んで走った。その一拍あとに、再び黄色い声が校舎を揺すった。
再び中庭に舞い戻り、俺は何度も大きく息をした。
俺は俺に戻っていた。
幸いなことに、入れ替わることに慣れたのか、今回は気絶せずに済んだ。もしも気絶していたら……と思うと恐ろしい。すぐに動けたからこそ、あの場にいた女子の集団から逃げきれたのだ。
息を落ち着け、俺は掴んだままのカエルと藤川さんを見た。
藤川さんはカエルのままで、カエルは藤川さんの体にいる、はずだ。
「藤川さん、とりあえず戻ってくれ」
俺はそう言って、カエル姿の彼女を藤川さんの唇近くまで持ち上げた。
俺の手から離れて、ぴょんっと跳ぶと、今度は無事に唇にたどり着いた。
カエルは地面に転がり、藤川さんは唇を押さえながらうずくまる。
「戻ったか……?」
「ええ」
藤川さんがうなずき、俺はほっとした。
カエルはゲコッと鳴くと、花壇の方へ跳んでいった。その姿を見送り、「人騒がせなカエルだ」とつぶやく。
「本当に」
同意の声が聞こえて、俺は藤川さんを見た。彼女は真っ赤な顔でこちらを見ていた。
俺は藤川さんとキスしてしまったことを思い出す。
カエル姿で一度、中身は藤川さんではないといえ、俺たちの体でもう一度。
どちらをカウントすべきか。いや、どちらも事故ということでカウントしない方がいいのか?
もちろん、俺にとっては一生の宝物と言っていいほどの思い出だ。忘れるわけもないし、俺のファーストキスは藤川さんで決定だ。
でも、彼女はなかったことにしたいだろうし、聞き分けの良い男の振りをしておくか。
(もちろん、公衆の面前で致してしまったんだから、みんなの記憶にも残るけどな!)
俺が「その、悪かったな」と言ったところで、藤川さんは「ううん」と首を横に振った。
彼女は立ち上がると、俺のシャツの裾を持ってささやいた。
「川村くんなら、いいよ」
俺とカエルと藤川さんと 高梨 千加 @ageha_cho
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