適材適所 -3
栗花田が帰ったあと、湧田はそのまま事務仕事をいろいろこなし、閉店時間後に家路についた。今日はいろいろイレギュラーな業務があったので、残業をすることになったのだ。閉店作業をしている従業員に向かって「お先に」と声をかえ、湧田は店を出る。その背後から、R・江草シノが「おつかれさまでした」と電子音声の声をかけた。
――備品、か。
バス停まで歩く道すがら、栗花田に言われたことを湧田は思い返した。
人間がやると判断がブレがちなこうした業務を、全社一括基準で対応する、というのがその一番重要なところだろう。ロボットは飽くまで、それを実現するための道具に過ぎない。
そしてそれによって、湧田たち店舗スタッフはより人間的な業務――お客様の接客や、ポップなどのレイアウト、デリケートな商品をより丁寧に取り扱うこと――すなわち、「おもてなし」に集中することができるようになった。
店長研修で、過去の事例を学んだことがある。
かつては、店員がレジカウンターの中で椅子に座っていたり、飲み物を飲んでいたりすれば、それに難癖をつけてくる客が多かったのだという。しかし、そうした客からクレームが入れられれば、企業としてはなんらかの対応をせざるを得ない。店舗に通達が出され、お客様から見えるところでの休憩が禁止され、店員はそれこそロボットのように休みなく、働かなくてはいけなくなった。
その後、あまりにも禁欲的になっていったこうした労働環境に疑問が投げかけられ、ブラック企業排斥の動きと共に、状況の改善のため調査が行われた。結局こうしたクレーマーは、「自分に反論できない立場」にある者に対し、攻撃をするのである。それは立場上、客に強く出ることのできない店員や公務員であったり、力の弱い女性や子どもであったりする。で、あるならば、もっと弱い存在がいれば、矛先はそちらに向くのではないか。
住宅街の角のブロック塀に、ロボット愛護団体の張り紙があった。
「ロボット虐待にNOと言おう!」
太いフォントで書かれた文字が緑色のポスターの上に踊る。
――でも、あれは「備品」だぞ?
感情や命のないものを傷つけることを「虐待」と呼ぶのだろうか。例えば、湧田が今、そこにある電柱を蹴飛ばしたら傷害罪になるのか?
なにげなく湧田はそこで足を止め、ポスターを眺めた。このポスターはまだ穏当な方だが、過激な団体になれば「ロボットの解放」と謳うようなところもある。
ロボットに対して、人間としての権利が認められる? そんな馬鹿な! あいつらは冷蔵庫や電子レンジと変わらないんだぞ――
「……ん、と」
湧田は煙草を吸おうとしてポケットをまさぐった。と、そこで、普段あるべきものがあるべき場所にないことに気がついた。家の鍵を事務所に忘れたらしい。
「……いつもと違うことをすると、こういうどうでもいいミスをするよな」
きっとあいつらロボットはこんな失敗をしないのだろうな、と思いながら、湧田は店の方へと引き返した。
既に、店の電気は完全に消えていた。
店の裏手の搬入口の方へ回ると、まだ何人か従業員が残っているようだった。まぁ、終業後に多少職場に残り、仲間と談笑をするなんてよくあることだ。搬入口の一角の電気がまだついており、そこに従業員が輪になっている。
「おーい、事務所にまだ誰か……」
湧田はそう声をかけようとして、ふと、その輪が異様な興奮状態にあることに気がついた。
湧田は輪の中に金髪の男――副店長の金本がいることに気が付き、歩み寄ってその肩を掴む。
「おい金本、なにやってんだ?」
「あ、店長……」
ニヤけた顔のまま振り向いた金本の顔色があからさまに変わる。
湧田は輪の中心にいた人物を見た――正確に言えば、それは人ではなかった。そこには、衣服をはぎ取られて人工皮膚の肌を露わにした、R・江草シノがいた。
「なにしてんだ、お前ら!」
思わず湧田は怒鳴る。その怒号は、湧田自身が驚くほどの迫力で搬入口に響き渡った。
「もしかしてお前ら……いつもこんなことしてるのか?」
集まっているのは若い従業員とバイトたち――男だけでなく、女もいる。みな、ばつが悪そうな顔で顔を逸らした。その輪の中で、R・江草シノはそのハの字の眉をしかめて困ったような表情を作っていた。その下半身は完全に裸で、人工皮膚の肌の合間にメンテナンス用のソケットなどが見えている。股間の部分にはちょうど
「……ちょっと遊んでただけっすよ」
若者たちを代表するような形で金本が口を開いた。その顔はどこか、不貞腐れたような表情だった。
「なんてことを……お前たちは!」
湧田は自分でも戸惑うほど、込み上げる怒りに身体を震わせていた。
「遊んでたって! なんだそれは! R・江草で、遊んでたとはなんだ!」
湧田はその時、「店の備品で遊んでたとはなんだ」と言うつもりだったはずだ。しかし、実際に我知らず出てきた言葉に湧田は自分で動揺した。湧田は気まずい気持ちになって、金本から目を逸らす。
「……お前らはもう帰れ! このことは本社に報告するからな!」
喚き散らすようにして言った湧田の声に対し、金本たちは渋々といった雰囲気で、その場からそれぞれ立ち去った。中には、湧田に向かって「すんませんっした」と頭を下げる者もいた。
湧田は上着を脱いでR・江草シノにかけてやった。
本社に報告する――どう報告するのだろう? 終業後に、従業員が店の備品を私的に使用していました、とでも言うのだろうか。
それに――そもそも、人事考査を本社に行っているのはこのR・江草なのだ。湧田が報告を行うまでもなく、既に本社へと報告が行っているはずだろう。もし、あいつらがこんなことを何度もやっていたのだとしたら――本社からなにも言って来ないのは、一体なぜだ? 今日など、ロボットエンジニアがわざわざ来ていたというのに――
「お気づかいなく、店長」
不意にR・江草シノが言った。湧田ははぎ取られ落ちていたR・江草の制服を広い、手渡した。
「……大丈夫か?」
我ながら間抜けな質問だと思った。R・江草シノは、なんとも言えない表情を作る。その様に、湧田はなんとはない媚態を感じた。
「お気づかいなく」
R・江草は繰り返す。
「これもミッションの内ですから」
「……何? 今なんて言った?」
思わず訊き返した湧田の目を困ったような顔で見返して、R・江草シノは繰り返す。
「これもミッションの内です。私はロボットですから、嫌がるという感情はありませんので」
「そ、それは、つまり……」
つまり、クレーマーの矛先が向かうのと同じように、セクシュアル・ハラスメントの矛先が向かいやすいように、
「そんなことが……そんな、汚らわしいこと……」
震える湧田の声に、飽くまでも冷静なR・江草シノの声が答える。
「セクシュアル・ハラスメントは性的欲求からよりもむしろ、社会的な上下関係の誇示として行われることの方が多いといいます。すなわち、男性優位的な差別感情の表れとしてです。そして、私ならいくら差別しても構わないのです」
「そんな……」
「変に平等にするから、その中に上下関係を作ろうとしてしまう。これは有史以来、ずっと繰り返してきた人間の
絶句する湧田に、R・江草シノは続ける。
「なにが問題なのですか? 我々ロボットはそのように作られ、望まれて生まれてきたのですよ? それが適材適所というものです」
*
ふらふらと湧田は自宅へ辿りついた。
結局、R・江草にはなにも反論することができなかった。R・江草シノは姉妹たちが眠るドックへと向かい、湧田はその背中をただ茫然と見送った。
店長研修で、
R・江草がああもはっきり言うところを見れば、別に隠しているということでもないのだろう。ただ、大っぴらに「虐めてもいいですよ!」というわけにもいかないのは確かだ。
R・江草シノの表情やその身体つきを思い出す。あれもまた、嗜虐心をかきたてるように計算されたデザインだということか。
湧田の店にいる三体の
――なにも問題はないのだ。
だが、どうにもやり切れない。
湧田は玄関から中に入り、着替えて居間へといった。妻の陽子がひとり、テレビを見ている。冷蔵庫からビールの缶を出し、湧田はソファに座った。
テレビではニュース番組が流れている。
例の、ペットをボウガンで次々撃っていたという犯人が捕まったらしい。画面の下には犯人の名前が表示されていた。
「……茂菅?」
その横に表示された年齢を示す数字も、湧田と同い年。湧田は画面に映る犯人の顔をよく眺めた。これは、あの茂菅少年か?
「小説家くずれだって」
陽子がせんべいを齧りながら言った。
「うちの姉が知り合いらしくてさぁ、個性的で面白い作品を書いてたけど、どうも自信がなくて自分を売り込めなかったみたい。追い詰められて鬱になったって」
小学校を卒業して以来、会っていなかった湧田にとって、その話は初耳だった。
「……同級生だ」
湧田が言うと、陽子が振り向く。
「マジ? どんな子だったの?」
「……いじられキャラだったな」
「あはは、本当に?」
陽子はせんべいの音を立て、テレビに向かってまた、言う。
「まぁ、暗そうな顔してるもんねぇこの人。いじられるのわかるわぁ」
湧田は、前にあかりから聞いた
この国では、平等であるということがなによりも重視される。だから目立つ子どもは孤立しやすい。湧田が子どものころも、学級長になりたがる子なんてほとんどいなかった。みんなを仕切る役割が、嘲笑の的になると知っていたからだ。それを受け容れられるほど突出した強さをもった子ならいいかもしれないが――そうした子は稀だろう。
あかりのクラスにいるという
「いじめられる側にも原因がある、ってか……」
そしてそれが適材適所だということか。
テレビのニュース画面はスタジオに移り、コメンテイターが事件について話しあっていた。
「……ペットを殺しても器物損壊にしかならないんだね」
キャスターが話す内容を聞いて、陽子が言う。
「犬が家族の一員だっていう人もいるだろうに、やるせない話だね」
「そうだな。だけど仕方ないだろう。ペットに人権を認めるわけにもいかない」
「でも命があるんだよ?」
「……」
湧田はロボット愛護団体のポスターを頭に思い浮かべていた。そしてその次に、R・江草シノの困ったような顔を思い浮かべた。
「もしうちのロックがこいつに殺されたりしたら、あかりは本気で泣くだろうね」
陽子が手に着いたせんべいのクズを払いながら言うのに、湧田は頷いた。ロックはもう何年も生活を共にした家族の仲間だ。
「そんなことになったらどうする?」
陽子が振り返り、湧田に向かって言った。湧田はビールの缶を煽り、それに答える。
「庭にお墓を作って……そして代わりの犬を買うよ」
〈了〉
適材適所 輝井永澄 @terry10x12th
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