適材適所 -2
次の日、湧田はいつものように、朝8時から店舗に出勤した。制服に着替え、従業員を集めての朝礼。そこでR・江草が本部からの連絡事項を従業員たちに告げる。
「昨夜、有名配信者が動画で納豆を取り上げ、それがバズったようです。納豆の健康効果が紹介され、それが注目を浴びています。イレギュラーな出来事ではありますが、本日は納豆を重点的にディスプレイお願いします」
「……それじゃ、島をひとつ確保して特売コーナーを作ることにしようか」
「いいえ、店長。そこは現在、鍋物のコーナーです。また、ここ一週間のお客様の会話と店舗内導線をモニタリングした結果からは、却って注目されない可能性が……」
湧田は肩をすくめた。どうせこいつの言うことがすべて正しいのだ。オーケー、それじゃまぁ、だいたいそんな感じで今日も仕事を始めよう。
朝礼を終えて開店準備に入る。しばらくすると、トラックがやってきてコンテナで商品を置いていく。湧田は従業員に混じってそれを確認しつつ、品出しの方へと回していった。
「……? なんだこれ?」
コンテナのひとつを開封した湧田は、その中身を見て目を疑った。こんな発注をするわけがない。
慌てて、納品書を確認する。しかし、その書類が示している内容と、コンテナの内容は一致していた。このコンテナ丸ごと一個分、あるメーカーの歯ブラシで埋められている。
「R・江草!」
湧田は大声を出した。すぐにR・江草シノがこちらへやって来た。
「どうしましたか、店長?」
「これ発注したのお前か?」
「はい、そうです」
「……」
――もしや、故障か? それとも機械のバグか、または本社のサーバーがサイバー攻撃を受けたのかもしれない。
実は昨日、湧田が発注内容を確認したとき、このコンテナ一個分のハブラシが発注リストに入っていたのだ。しかし、明らかにおかしい内容だったので、入力ミスかなにかだろうと思ったのだが。
「……昨日これ、こんなに要らないから直しとけって言ったよな?」
「はい、伺っています」
「それじゃなんで、これが今届いてんだ?」
「私が注文したからです」
「……なぜ?」
R・江草シノはハの字に下がった眉をさらに下げ、困り顔を作った。別に困っているわけでもないクセに。
「……私のミッションはこの店の売上と円滑な運営に貢献することです。店長の指示には従いますが、明らかに結果が見えているものを見落とすわけにはいきません」
「結果が見えている、だと?」
「はい。全国各地の店舗に存在する私の
――そんなことがあり得るのか? たかが歯ブラシが大ヒットするなんて?
訝る湧田に、R・江草シノが続ける。
「店長が退勤した時点では、ヒットの可能性は50%程度でしたため、店長の対応を尊重しました。しかし、その後で可能性は80%を超えたのです。退勤後の社員に連絡をすることはコンプライアンス上、禁止されています」
「……今朝報告してもよかっただろう?」
「他の従業員の前でこれを指摘することは、あなたの店長としての信頼を傷つける可能性があると判断しました。また、その場合はあなたが注文を取りやめる恐れがありました。どちらの場合も、結果的に私のミッションが達成できなくなります」
湧田はR・江草の合成音声を聞きながら必死で怒りを抑えていた。これはスタンドプレーだ。決して許されることではない。R・江草は飽くまで、人間の従業員が業務を行うサポートを行う存在であるはずだ。
だが――彼女の言うとおり、R・江草はプログラムに従って最適な対応を行ったに過ぎない。なにしろ決裁権を超えて勝手に発注を行ったのだから、説教程度で済むようなことではない。そんなことを許したら、組織が立ち行かなくなってしまう――これが人間のやったことならば、だ。
「……このことは本社に報告する。システムエンジニアに相談しなければならない」
「はい、あなたのその判断は正当なものです」
湧田は苦虫を噛み潰し、コンテナに向き直った。仕事に感情を差しはさむのはガキのやることだ。
しかし――と、言うべきか、案の定、と言うべきか。
歯ブラシは飛ぶように売れた。
本当に口コミから広まったもののようで、メディアで紹介されたことも、大規模な広告が打たれたこともない。売れ始めてから慌ててメディアが後追いの紹介を始め、それがさらに売れ行きに拍車をかけた。
急激なヒットのためメーカー在庫も品薄で、あらかじめ大量に在庫を用意しておいた湧田の店には、わざわざ遠くから買いに来る人まで現れた。
「湧田店長……こう考えてみてはどうですか? つまり、
本社からやってきたロボットエンジニア――通称「カウンセラー」がスーパーの事務室で湧田と向き合って言った。
「たまたま……ですか」
「そう、たまたまです」
栗花田と名乗ったそのカウンセラーは、やたらと人懐っこくニコニコと笑う中年の男だった。
「要するにあなたは、自分の店舗運営チームの一員であり、部下であるR・江草が、自分の業務分掌を飛び越えて勝手なことをしたのが気に入らないわけです。そして、それは組織の維持に問題がある、とも考えている。だが、彼女はあなたの部下ではない。ただの備品です」
「はぁ……」
確かに、自分にそういう考えがなかったかと言えば嘘になる。なまじ対話が可能だから、どこかで彼女を人間として見てしまい、だからこそ腹が立った。
「気持ちはわかりますよ。誰だって、従業員が自分の指示に従わなければ怒ります。なぜなら、それは自分が軽んじられているということだからね」
「……まぁ、その通りです」
権威を振りかざすつもりではないにしろ、上下関係や命令系統ははっきりさせなくてはならない。部下が指示を聞かないような事態が常態化すれば、当然店舗運営にも売り上げにも影響が出るだろう。
「ただね、相手が感情のある人間であれば、上司を軽んじるとかそういうこともあるでしょうが……彼女たち
「つまり、彼女たちのやることは本社の意思だと?」
「あー。少し違います。要は、彼女たちは本社の用意した備品であり、それが上手く動かないのは本社のせいだってことです。蛍光灯が切れたのに文句をつけても仕方ないでしょう? それと同じですよ」
「はぁ」
栗花田は笑った。
「ま、なのであなたの苦情は支給された備品への苦情として処理しますよ。プログラム側でより従業員のメンタルヘルスに考慮することができるか、検討課題として挙げておきましょう」
栗花田はそう言って、デスクの上でファイルをとんっ、っと揃える。
「……ああ、そうそう。あなたの評価、凄く高いですよ」
「え?」
「それと、ここの従業員の何人かも、他店との平均と比べても点数が高い。店長がスキルをちゃんと伝えているからですかね」
その人事評価ポイントも、R・江草から送信されたものだ。
ロボットがモニタリングしている従業員の働きぶりから、スキルや意欲をポイント化し、本社側へと送信する。人間が評価するとどうしても先入観や感情に左右されてしまうこうした評定についても、
こうした業務から人間を解放することにより、かつて退職理由のトップに挙げられていた「上司との人間関係」という職場の課題は、50%も改善されたのだという。
きっと給料査定もあがりますよ、と栗花田は言って、湧田の肩を叩いた。
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