カーテンコールはゾンビの姿で

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

人生のカタチ

 余命いくばくも無い人がゾンビ化の施術を受けるのはごくごく一般的なことだ。


 人間でなくなる代わりに痛みや苦しみを感じなくなるため、下手な延命治療よりもよほど好まれているという。


 それにゾンビになったからといって、すぐさま人を襲ったりはしない。意識ははっきりしているし、毎日の防腐ケアさえ行っていれば臭うこともない。見た目は普通の人とまったく変わりないくらいだ。


 とはいえ。好き好んでゾンビになった人はいないだろう。みな仕方なくその道を選ぶのだ。


 かく言う私もその一人。


 上武繭子うえたけまゆこの身体は十七歳の時点で終わりを迎え、今や生ける屍ゾンビと化していた。




 かつての私は筋金入りの健康マニアだった。


 通っていた中学校の給食は栄養バランスが整っていなかったので一切手をつけなかった。代わりに手作りのお弁当を持って行って良質な栄養を摂取していた。


 過度な運動は健康を損ねるため、私はあえて帰宅部を選んだ。下校後は毎日、身体に合った最適なトレーニングを欠かさなかった。


 日常生活でのストレスも健康の大敵だ。だから瞑想やヨガをマスターして発散を心がけた。


 すべては健やかなる人生を送るため。私は誰よりも健康になることを望み、誰よりも長生きするつもりだった。


 けれど、それでも私はあっさりと病に倒れた。それは厄介な肺の病気で、みるみるうちに悪化していった。


 煙草どころか副流煙すら吸わないよう気をつけていたのに、私は死の淵に立たされてしまったのだ。


 ろくに呼吸も出来ず、大海で溺れるような苦しみをずっと味わい続けた私に、生き続ける気力など残っていなかった。


 だから私は仕方なくその道ゾンビを選んだ。


 「健康のためなら死んでもいい」とは思っていたけれど、まさかゾンビに身をやつすなんて。ちっとも笑えない冗談だと思う。




 昨今、ホスピスで暮らす者はほとんどがゾンビだと言われている。私もゾンビ化の施術が終わったあとはホスピス病棟で生活していた。


 早朝にロビーへ行くと、何人かの患者ゾンビさんたちがいた。みなお年寄りで、享年十七歳の私より若い人はいない。


「繭子ちゃん、今日は早いのね」


 享年八十二歳にしてゾンビ歴九十九日の川谷さんが手を振った。


「おはようございます、川谷さん」


「おはよう。あらあなた、前髪切ったの?」


「ええ。おととい、少しだけ自分でいじってみたんですよ。嬉しいです、分かっていただけてて」


 髪型の変化は看護師さんですら気付かなかったことだ。なのに川谷さんから一目で指摘されて、私は内心驚いていた。


「よく似合ってるわよ。おかめ顔の私と違って、繭子ちゃんは小顔で可愛いもの、どんな髪型にしても似合うから羨ましいわあ」


 川谷さんは数ヶ月前まで重い認知症を患っていたと聞いている。けれどそうとは思えないほどかくしゃくとしていらっしゃった。これもあの施術ゾンビ化のおかげだろう。


 ゾンビになると生前の病気はすべて消え去る。認知症だった人も、かつての聡明な頭脳を取り戻せるのだ。


 それに痛みも感じなくなるため、私は肺病の苦しみから解放されていた。


 けれど、もちろん良いことばかりではない。ゾンビ化は不老不死の秘法などではないからだ。


 ゾンビになって半年が経つと、明瞭な意識を保つことが難しくなる。そして一年も過ぎれば、映画に出てくるような怪物と同じになってしまう。


「川谷さんは、その……。今日も普段どおりなんですね」


「ええ、そうよ。私はこのままが一番だから」


 少し、会話に間が空いた。言葉を返すべきか迷っているうちに川谷さんが口を開いた。


「繭子ちゃん。私はね、たくさんの人たちに囲まれながら逝きたいの。だから、明日はあなたも見届けに来てね」


 ゾンビ化が認められているのは百日間。川谷さんは明日、本当の意味で死を迎える。




 そして、次の日の朝。


 ホスピスのロビーには患者ゾンビさんや看護師さんが大勢集まっていた。その中心に川谷さんが座っている。


「それじゃあ皆さん。私はお先に天国あちらで待っていますからね」


 川谷さんが笑って手を振ったあと、小瓶に入った薬を飲み干した。そのまま眠るように意識を失い、ほどなくして完全死が確認された。


 同じく死を待つ身である患者ゾンビさんたちは、ただただ拍手を捧げた。私も川谷さんの末期まつごの姿に心服し、ひたすら手を叩いた。


 この光景を不謹慎と言う者はいない。「涸れ果ててしまったゾンビは、流せなくなった涙の代わりに万雷の拍手を送る」というしきたりがあるからだ。誰かが言い出したわけでもなく、自然に定まったものだという。


 ホスピスにいる患者ゾンビさんたちは不思議な連帯感で結ばれている。「遅かれ早かれみんな旅立つが、向かう先は天国おんなじだから怖くない」と、そう考えているからだろう。私も「たった一人で死出の旅へ出るわけじゃないんだ」と感じられるおかげで、ずいぶんと気持ちが楽になった。


 私がここへ来た当初は相当荒んでいた。それが看護師さんや牧師チャプレンさん、それに何より他の患者ゾンビさんが居てくれたおかげでだいぶ落ち着いている。


 けれど、それでも考えてしまう。


 私の人生とはいったい何だったのか、と。




 自室に帰った私は、椅子に座ってぼんやりと思いを巡らせていた。


 私は長生きがしたかった。何より苦しんで死にたくなかったから、あらゆる健康法を試していた。でも結果がこれだ。


 死を懇願するほどの苦痛を伴う病に倒れ、今ではゾンビになってまでこの世にへばり付いている。


 見た目こそ元気だった頃と変わりが無いとはいえ、それでも以前と同じようにはいかない。


 ある日、日課だった手作りの野菜ジュースを飲んでみたことがある。けれど味はしなかった。ストレス緩和のためにとアロマテラピーを試してみたこともあるが、香りは感じなかった。


 私の身体は、確実に死へと近付いているのだ。


 そもそも、野菜ジュースやアロマテラピーが本当に身体に良かったのかさえ、今となっては分からない。


 私があれだけ我慢して手に入れたものって、いったい何だったんだ?


 天上におわすという神様は、きっと理不尽を絵に描いたような存在に違いない。もし神様に会えたら、私は出会い頭に質問攻めをするだろう。「私の人生を取り上げたのは、なぜ?」と。


 そう。「なぜ?」だ。


 ホスピスで牧師チャプレンさんからお話を聞いたり、何冊も本を読んだりした。他にもいろいろな経験を積み、結果として怒りや悲しみを振り払うことができた。そうやって心の平穏を得たはずの私が、今も頭を悩ませているのが「なぜ?」という疑問だった。


 人生とは何だったのか。


 生きることに意味はあったのか。


 私はいったい何のために生まれてきたのか。


 考えども考えども答えなど出るわけがなかった。十七年しか生きていない私が人生に意味を見出すには、まだ幼すぎるのだろう。


 それでも、思いは募るばかりだった。


 そんな「なぜ?」を限られた時間内に払拭する方法は、何かを遺すことではないかと最近になって気付いた。人生の集大成とも言うべき代物を作り上げられたら、それは私の生きた証となるからだ。


 けれど上手くはいかなかった。


 残された時間を使って下手な小説を書いてはみたけれど、とても人様の心に残る出来だとは思えなかった。


 いっそのこと自伝に書き換えてみようともしたけれど、今日び若者が病に倒れて亡くなる程度の話、珍しくもなんともない。


 結局、私の集大成となるはずだった作品は、未完のまま終わった。


 けれど、それでも私は。何かを遺したいと思っている。何も分からないなりに人生の意味を考え、それをカタチにしたかったんだ。


 ……ああ。今日もこのまま、日が暮れるまで思索に耽っていよう。そう決めた矢先、誰かがいきなり扉を開けた。そのけたたましい音とともに一人の人物が現れた。


「まゆちゃん生きてるゥー!?」


「とっくに死んでるわよ。身体だけはね」


 軽口を返してやると「アッハハハ!」と、乱暴に扉を開け放った音よりもさらにうるさい声で笑った。


 彼女は私と違って生きた人間だ。ホスピスの隣にある一般病棟に入院している病人で、今も点滴棒を片手に歩いている。


 彼女は豪放磊落ごうほうらいらくなように見えてその実、いくつもの難病を併発していた。


 それでも彼女は、自信に満ちた表情を絶やさない。小柄で痩せ細った身体は病人のそれであるにも関わらず、いつだって存在感を放っていた。


「オッスまゆちゃん! 今日も会いに来たぜー!」


 それが私の幼なじみ、凜だった。




 凜と私は家が隣同士で、昔から家族ぐるみの付き合いをしていた。同い年ということもあり、私たちは物心つく前から実の姉妹のような関係を築いていた。


 今でこそ男勝りな性格をしている凜だけど、小さい頃はかなりの引っ込み思案だった。そのうえ小学三年生の時に病気のことが分かってからは目に見えて暗くなっていった。六年生の頃には少し明るさを取り戻していたけれど、それでも今とは大違いの気弱な性格だった。


 そんな凜が中学生になって、なんと演劇部に入部した。病を抱えたままお芝居なんて出来るのかという私の心配をよそに、凜はがむしゃらに部活動に励んだ。入退院を繰り返しつつ演劇に没頭した結果、凜はどんどんと明るい性格に変わっていった。今やクラスメイトからは「女の皮をかぶった男」呼ばわりされているくらいだ。


「凜、来てくれるのは嬉しいけど、別に毎日来なくたっていいのよ」


「えー? だって病室にいてもヒマじゃん」


「大人しく寝てるだけっていうのも、立派な病人の仕事でしょうに」


「ヤだよそんなの。それに、まゆちゃんには昔の恩があるからな。お見舞いなら何度だって喜んで行くぜ」


 私は小学生の頃から凜が体調を崩すたびにお見舞いへ通っていた。凜が早く元気になれるよう自分なりにいろいろ考えて、良さそうな健康法を教えてあげたりもした。そう、元を正せば私が健康マニアになったのは凜がきっかけなのだ。


「そういやまゆちゃんが作ってくれた野菜ジュース、あれゲロマズだったよなー! 良薬は口に苦しって言うけど、味が悪すぎて飲めなかったら意味ねーじゃん!」


「あれも慣れれば美味しく感じるのよ。まあ今は味覚も無いんだけどね」


「ふーん、味も感じねえのか。ゾンビってのは大変だな。ま、今のアタシは絶賛絶食中だから、似たようなもんかもしれねーけど!」


 「アッハハハ」と豪快に笑ってはいるけれど、凜は免疫系の難病を三つも患っている。一つだけでも大変な病気を複数抱えながら、それでも笑い飛ばせる心根を、私は昔から尊敬していた。


 ちなみに今は消化器系が弱っていて絶食を命じられているらしい。凜は首の下あたりに点滴を入れていて、それで必要な栄養を取り入れているそうだ。


 凜は私にとってかけがえのない存在だった。家族でさえ気を遣って私に話を合わせてくれるけれど、凜だけはいつもと変わらない調子で話してくれる。それがたまらなく嬉しかった。


「そーだ! 思い出した!」


 凜は部屋に置いてあった私のタブレットを勝手に弄りだした。


「ちょっと、壊さないでよ」


「ブロック大会ン時の動画、ようやくアップされたんだ!」


 去年の十一月に、凜の所属する演劇部が大きな大会に出ていたことは知っていた。主役を張った凜の活躍が評価され、全国大会出場を決めたことも。私はその時すでにこんな身体ゾンビだったから、外出することは許されなかったのだけれども。


 私がまだ普通だった頃は、しょっちゅう凜のお芝居を見ていた。病を押してまで舞台に上がろうとする凜を心配する反面、憧れてもいた。私だったらああはできないからだ。持っているバイタリティーの総量が違うとでも言えばいいのだろうか。あの小さな身体のどこに、そんな熱量があるのだと不思議に思う。


 そんな凜の姿に、私は何度も勇気をもらった。どんな不幸な生い立ちであろうとも、人は輝くことができるのだという生きた見本だからだ。多感な思春期時代に凜の生き様はひたすら鮮烈に見えたものだった。


 凜が手慣れた様子でタブレットを操作すると、画面から聞き馴染みのある声が流れてきた。


『ああ神様! 私ときたら、なんとまあ可憐な姿に生まれてしまったのでしょう!』


「どこが可憐だよ自己チュー女が」


 タブレット上に映る凛と目の前にいる凜の声がかぶった。とても同じ人間が演じているとは思えない。


 この演劇は「裸の王様」を現代風にアレンジしたものだと凜からは聞いている。


 主人公は町一番のお金持ちの生まれで、ずっと回りからチヤホヤされて生きていた。学校でも主人公を悪く言うことのできる者はおらず、その思い上がりは日に日にひどくなるばかり。


 そんなさなか、主人公はYouTuberになることを決める。これだけ可憐で愛らしい私なら、世界中の人々もきっと魅了されるだろう……そんな魂胆で投稿した動画には無慈悲なコメントが相次いだ。


 『うわすっげえドブスwwwww』『グロ動画張るなカス』『自己紹介じゃなくて事故紹介だよねコレ』『山姥は森へ還れ』『お前の存在ごと削除依頼したい』


 原典であれば、主人公が自分の愚かしさに気付いたところで終わるが、この演劇の見所はここからだった。


 真実を指摘された主人公は数日間寝込むほどのショックを受けるが、やがて少しずつ自分のダメなところに目を向けるようになった。


 そんな成長の兆しが見え始めたころ、家業が破綻して一転、貧乏暮らしに。それからもあらゆる苦難が主人公を襲う。


 しかしそれでも、彼女は言う。


『こんなもの、YouTubeで叩きのめされた日に比べたら、秋の涼風に等しいですわ!』


 こうしてたくましくなった主人公は意中の男性とも結ばれ、家業の再建を決意したところで、物語は幕を閉じる。


 私は演劇部の地区大会や県大会でも、このお芝居を鑑賞した。なんなら凜の練習風景だって見ている。だから新鮮味は無いはずだった。


 なのに。画面から目が離せなかった。


 そこには、一人の女の「人生」が、たった一時間の中に凝縮されていたから。


 見終わったあと、私は感動を覚えるとともに、いつもとはまったく別種の感覚に襲われていた。


 それが「疎外感」だと気付く前に、私は問いを発していた。


「神様ってさ、いると思う?」


「神様? 居たとしたらアタシの人生をイタズラするのにドはまりしてんだろーねーきっと! でなきゃ、こんなに病気ばっか抱え込まないってーの!」


「そう。凜の前世の行いが悪かったんじゃないの」


「おお、そっちの線もあり得る! アタシャどっかの国の暴君だったのかもなー! でなきゃ、難病の三種盛りなんて身体にされてねぇだろうしよー!」


「死ななかったのが不思議なくらいだものね」


 私の言葉に、いつも以上の棘が混じる。私の中に、振り払ったはずの「怒り」や「悲しみ」の色を感じた。胸の奥底に眠らせていた感情がどんどんと頭をもたげてくる。


「何でそう笑っていられるの? 身体、痛むんでしょ」


「そうなんだよな。大会の時に頑張り過ぎた反動でなあ、今じゃあボロボロだよ。それに最近は腹痛がやべーな。こないだは陣痛が来たかと思うほど腹が痛かったよ。まあ、こんな身体じゃ妊婦さんになれる自信ねーけどな! このままじゃマズイから、夏の全国大会までにしっかり復調させねーと」


 普段だったら受け流すような、その言葉を受けて。


 私の中で、何かが、切れた。


「何の、当てつけのつもり……!? 結婚して、家庭を持てるかもしれないってだけで幸せじゃない! それに私は、夏になる頃にはこの世から消えてるのよ! なのに何も残せなかった! この世界に私は、何の爪痕も残せなかった!」


 驚く凜をよそに、私は封じ込めていた感情を吐き出した。


「私にはあと十日しか残っちゃいないのよ? それが過ぎたらみんな、私のことなんかすぐに忘れる! どうせ凜だってそうなんでしょ!? どんどん成長して変わっていく凜とは違って、私の存在なんかちっぽけだものね!」


「うん、分かるよ。まゆちゃん」


「はあ!? 安っぽい同情なんか聞きたくないわよ!」


 凜は激昂した私の頬をそっと撫でた。そして優しく両目を拭ってくれた。この涸れた身体からはもう、涙なんか流れないのに。


「忘れないでいてほしいって気持ちなら、痛いほど分かるんだ。それに、わたしは。なんにも変わってなんか、ないよ」


 今度は私が驚く番だった。何故なら、そこにはかつての幼なじみの姿があったから。


 やせっぽちで引っ込み思案だった頃の凜が、昔と同じようにぽつりぽつりと語り始めた。




「わたしみたいに病院を行ったり来たりしているとね。クラスの人たちから忘れられちゃうんだ。わたしはそれが何より怖かった。この世から、消えちゃったみたいで。だからわたしは、無理をしておどけてみせて、みんなの気を引くようにした。そしたらみんな笑うようになって、わたしが入院してもお見舞いに来てくれるようになったんだ」


 凜のオドオドとした雰囲気に懐かしさを覚えた。


「わたしはね、その時からずっと演技をしてたんだよ。道化の仮面をかぶることで、わたしの存在にようやく価値が生まれたんだから。別人の『アタシ』が必要とされているなら、毒を食らわば皿までって気持ちで演劇部にも入った。演じて演じて演じきって。全国大会出場も決まって。その時の動画も世界中の人たちに見てもらえた」


 凜は、物憂げな顔から一転、晴れやかな笑顔を見せた。けれど目尻には涙が浮かんでいた。


「わたし、もう。ぜんぶやり終えられたかなって思ってるんだ」


「ぜんぶって、凜……あなた何を言って……」


「生きるのも、演じるのも、もう疲れちゃった。だから、この痛みと苦悩に満ちた人生も、もう終わりでいいかなって思うんだ。何より、まゆちゃんが居なくなるなんて耐えられないよ。わたしの身に何があっても変わらずに支えてくれた、大恩人だもの」


 凜は、その真っ白な人差し指を私の前に差し出した。


「ゾンビに咬まれた人間は同類ゾンビになるって、本当なのかな? わたしもゾンビになって、苦しみのない余生を送りたいな。出来れば二人で、同じ日にこの世から消えちゃいたいね」


 そして、私は。


 ためらうことなく、思いっきり凜の人差し指を噛んだ。


 加減をする気は一切なかった。私の歯は三本も抜け落ち、凜は強烈な痛みにうめき声をあげていた。


「凜、これで満足かしら! でもおあいにく様、こんなのでゾンビになるのはホラー映画の中だけよ!」


 ホスピスに居るゾンビは仲間を増やすことが出来ないよう調整されている。そもそも私にそんな能力があったなら、凜は面会にさえ来られなかっただろう。


「痛いでしょう! 苦しいんでしょう! でも、それが生きている証拠なのよ! 私の歯を見てみてよ。さっきので三本も抜け落ちた。私は痛みも感じないし血の一滴も出やしない。凜はこれを見てもゾンビになるのが最高だなんて言えるのかしら!?」


 凜は、痛む指をさすりながら、黙って私の言葉を聞いてくれた。


「あんたは、あんただけは! 苦しんででも生き抜いてみせなさいよ。がっかりさせないでよ。私が憧れた幼なじみはどこへ行ったの!」


「うん、うん……」


 凜はひたすら首を縦に振るだけ。でも、それが嬉しかった。


「あなたのカーテンコールはもっとずっと先でしょう。一度演じると決めたなら、勝手に舞台から降りないでよ!」


「うん……」


「今日ここで見たことは、私がお墓の中まで持って行くから! 誰にも、もうそんな弱気な顔を見せないで!」


「うん……」


「こんな偏屈な幼なじみが居たって、あなただけはずっと、覚えていてよね!」


「うん……大丈夫。覚えてるよ」


 私の優しい幼なじみは、私が話すたびに。


 ずっとずっと、うなずいてくれた。


 伝え終わったあと、私はずっと手を叩いていた。最愛なる幼なじみの振る舞いに、感謝を捧げるため。


 それに、涙を流せないゾンビは、こうすることがしきたりなのだから。





 翌日も凜は「オッス元気かー!?」と「いつもの調子」でやってきた。私も普段どおり他愛のない会話をした。


 凜はこれからも多くの偉業を為し、多くの感動を残すだろう。


 そんな凜の幼なじみである私が、唯一この世に遺すことができたもの。


 それは「呪い」だ。


 私は、根っこがちっとも変わっていなかった幼なじみに「明るくて能天気なキャラクターを一生演じ続けろ」と命じてしまった。私がいなくなってからも、凜はそれを愚直に守り続けてくれるだろう。これが呪い以外の何だと言うのか。


 けれど凜の人生は、私一人の心を救っただけで終わっていいものじゃないんだ。その生き様は万人の救いたり得ると信じている。


 今日も室内に凜の笑い声が響きわたる。きっと私が逝くときもこの調子でいてくれるだろう。


 それでいい。嘘と道化で編み出された仮面だろうとも、一生かぶり続けられば、真偽を量ることなど誰にも出来ないのだから。


 思えば、二人で手をつないで仲良くこの世からさよならしていたほうが、幼なじみとしては正しかったんだろう。けれど、そんな結末は嫌だったんだ。


 ああ、私はなんて身勝手なんだろう。なにせ、大切な幼なじみに地獄を強いたのだから。きっと私は地獄行きだ。川谷さんのところへは行けそうにないな。


 凜は人差し指に包帯を巻いていた。私が咬んだ傷がどうなったか、見ることはできない。


 いずれは地獄で沙汰を待つ身だ、もうどうとでもなってしまえ。そう決めて、私はよこしまな願いを込めた。




 「凜の背負った傷が、ありとあらゆる痛みとともに、一生残りますように」と。

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