お稲荷様

逢雲千生

お稲荷様


 古い家ほど、神様仏様を大事にすると言います。

 私の家もその一軒で、特に祖父が大切にしていました。


 お恥ずかしながら、私の子供の頃の話をさせていただきます。

 もう何十年も昔のことなので、今はもう一部だけしか残っていないのですが、当時はとても大きな屋敷に住んでおりました。

 

 私の実家は、いわゆる豪農というところでして、田んぼと畑で財を成した一族でした。

 小作人と呼ばれる人達を雇い、今ではあまり言葉にしませんが、使用人という方々が大勢いたほどの家でして、その頃の事を孫に話しますと、いつも驚かれてしまいます。

 

 私がまだ幼い頃、住んでいた村は裕福なほうでございました。

 村に住む小作人こさくにん達に土地を貸しており、小作人達が土地の所有者に支払う小作料こさくりょうというものも、他に比べると安かったと聞いております。

 

 小作人というのは、地主などから土地を借りて、土地の所有者の代わりに田畑を耕す人達のことです。

 借りてはいますが、作った作物などはほとんどが所有者の物になることが多く、ひどい人にあたってしまいますと、年貢よりも厳しい取り立てをされたとも言われております。

 

 子供達や孫達は、地主というものを、貧しい人達をこき使って自分だけが良い思いをしていた悪者だと言いますが、実際はそれほどひどい人はおりませんでした。

 雇っている人達も人間で、雇われている人達も人間ですから、情というものが当然あります。

 

 実家では、取り立てを最小限にする代わりに、田畑の管理をきちんとするようにと念を押していたくらいで、作物の世話や管理も全て任せきりでした。

 雪解けが始まると、ねぎらいの意味を込めた振る舞い酒を配り、田植えが始まると食事の世話をし、夏には祭りを主催したり、秋の稲刈りと収穫祭には盛大な祝い事として料理を振る舞ったりもしていたくらいです。

 農民達の冠婚葬祭にも参加し、地主でありながら、村人でもあるという態度を崩す事はありませんでした。

 

 だからこそ、私の一族は栄えることができたのだと思うのです。

 ですが、どこの家にも、よく思われない人が一人はいることでしょう。

 私にも苦手な親戚がおりました。

 

 私の父の兄弟達なのですが、叔父が五人と叔母が三人おりました。

 父以外はお金に対して執着が過ぎるのか、いつも祖父達に怒られていたくらいです。

 

 父の兄弟達は、全員が家を出てそれぞれで暮らしていたようなのですが、どうもお金の使い方が荒かったようで、ひどい時には毎月のようにお金を無心に来ていたそうです。

 初めのうちは独り立ちして間もないからと、用立てていたそうなのですが、それが五年も十年も続きますと、優しい父も怒ります。

 

 父は兄として甘い顔をしてきましたが、私が八歳の時に、とうとうお金を渡さなくなってしまいました。

 そのたびに、私を介してお金を得ようとするのですが、厳しい祖父が怖かったので、いつも断っていました。

 

 最初は優しかったのですが、しだいに怖い態度を取るようになり、最後の方には力尽くで従えようとまでしておりました。

 使用人達からもお金を奪い、小作人達からも搾り取ろうとしたところで、とうとう祖父に勘当されてしまったのです。

 

 普段は父に従っている母ですが、この時ばかりは本音が出たのか、「これで安心だわ」とつぶやいたのを覚えています。

 私もホッとして、もう恐ろしい思いはしなくてすむのだと喜びました。


 ところで、私には兄がおります。

 一人だけなのですが、とても賢い自慢の兄です。

 今はこまめに連絡を取るほど仲が良いのですが、実は叔父達がお金を無心に来ていた頃は、会話もないほどでした。

 

 兄は良くも悪くも優しい人で、叔父達に頼まれて断れなかったのでしょう。

 たまに祖父母の部屋に入っては、巾着を持って出て来るのを見ておりました。

 時には父母の部屋だったり、住み込みの人達の部屋だったり、とにかく一日に何度も違う人の部屋を出入りしていたのです。

 

 はじめは用事でもあったのかと思っていましたが、それが何年も続くと不思議に思います。

 ある日、何気なくその事を聞いたところ、兄は驚いたような恥じるような顔で私を突き飛ばしたのです。

 泣き出す私を見て、すぐに抱きしめてくれましたが、それからも兄の行動は変わりませんでした。

 むしろ、ひどくなる一方で、頻度もしだいに上がっていったのです。

 

 さすがに家の人達もおかしいと気づいた頃、ほとぼりがさめたと思った叔父達が、こぞって屋敷を訪れました。

 使用人達も家族も嫌な顔をしていましたが、祖父だけは黙って叔父達を家に上げたのです。

 私はお行儀の悪い事と思っておりましたが、どうしても話す内容が気になりましたので、襖を挟んだ隣の部屋から、こっそりと覗き見ることにしたのでした。

 

「それで、父さん。この家の土地管理ってどうなってるの?」

 次男が尋ねると、父の顔が険しくなりました。

 

 この頃、不動産で儲ける人が増えてきていたため、田舎であってもそれなりの高値で土地が売れていた時期です。

 はじめは謝りに来たのかと思っておりましたが、どうやら叔父達は、遺産について話しに来たようなのでした。

 

「土地の管理は小作人達に任せておる。土地の権利は当主の物だ」

「兄さんが権利をねえ。なあ、父さん。ここら辺の土地を俺らに預けてくれないか。今に何倍にも価値を付けて返すからさ」

「おい、どういうことだ」

 

 父の怒りも最もです。

 父と祖父がご先祖様から譲り受け、これまで必死に守ってきた実家の土地を、叔父達が自分達に寄越せと言ってきているのですから。

 

 実家の土地と言いましても、小作人達に耕してもらっているから、綺麗に整えられている土地です。

 彼らに渡してしまえばどうなるか、それは火を見るよりも明らかだった事でしょう。

 

「なにを馬鹿なことを。ここらの土地も山も、全部が実家の土地だ。お前らが権利を持ったところで、小作人達に仕事を与えるわけでもないだろう」

「そんな奴らほっとけばいいだろう。どうせ人んちの土地で食ってるような連中だ。楽して儲けてた分、今度は俺達が儲ける番だ」

 

 呆れてしまいました。

 彼らは今まで、何を見てきたのでしょう。

 小作人達は、わざわざお金を払ってまで耕してくれているのというのに。

 

 あまりの言いように、父は怒って次男を殴りました。

 そこからはもうめちゃくちゃで、父と叔父達の殴り合いでした。

 

 母は叔母達と言い争いをし始め、今にもお互いが掴みかかりそうな勢いです。

 運良く隣村に出かけていた祖母が戻ってきましたので、大きな喧嘩にはなりませんでしたが、子供の目から見てもひどい争いでした。

 しかし、いつもならば怒鳴る祖父は大人しく、叔父達が帰ってからも黙ったままでした。


 その夜です。

 私は恐ろしいほどの争いを見てしまったから、なかなか寝付けませんでした。

 本当はいけないのですが、部屋を出て外に出ると、昼間のように明るい月明かりの下で散歩を始めたのです。

 

 屋敷の周りは何も植わっておらず、むき出しの土があるだけです。

 乾いた土の上を歩きながら屋敷の裏に回ると、ぼんやりと人の姿が見えました。

 

 それは寝巻き姿の祖父でした。

 裏庭にあるお稲荷様に手を合わせているところで、いつもより疲れた顔をしている気がして、思わず逃げるのをやめてしまいました。

 

 実家では神棚で祀っている神様の他に、お稲荷様や土地神様なども祀っておりました。

 祖父はお稲荷様を熱心に祀っておりまして、毎日欠かさずお参りしていたほどです。

 私もならって手を合わせたりしておりましたが、この日の祖父は珍しく、真夜中に来て拝んでいたのです。

 

「あの、おじい様……」

「……ああ、お前か。来なさい」

 怒られはしませんでしたが、呼ばれて隣に立つと、祖父は怖い顔でお稲荷様を見ていました。

 

「まったく、我が子達ながら、なんとむごいことを……」

 祖父の視線の先には、壊れたやしろがありました。

 どうやら、自分達の思い通りに事が運ばなかったことに腹を立てた叔父達が、腹いせに社を壊したようなのです。

 

 なんてひどい。

 そう思うほど破壊された社の中で、淋しそうに壊れた片割れに寄り添う狐がいて、私は壊れた片割れを手に取りました。

 

 顔の半分が壊れた狐は、陶器で出来ていたのか輝いていて、月明かりの下で怪しくきらめいています。

 無事だった片割れも手に取ると、私の目線と同じ高さにある社の手前に置き、叔父達に代わって謝りました。

 

(叔父達がこんなことをしてしまって、申し訳ありませんでした。今はこの場所で我慢してください)

 

 幼い子供に出来ることと言えば、このように祈ることくらいです。

 祖父も一緒に手を合わせていただけたので、二人並んでお稲荷様にお詫びをしました。

 

「おじい様、お稲荷様は大丈夫ですか?」

 祖父に手を引かれ、家に戻りながら尋ねました。

「大丈夫だ。神様は優しいから、謝ってくれた人にひどいことはしない。だけど、ひどいことをしたのに謝らない人に容赦はない。それだけは覚えておきなさい」

 家に戻り、その晩は祖父の布団で眠りました。

 

 朝になって祖母に驚かれましたが、まだ眠かった私は、祖父の布団でそのまま眠り続けてしまい、母に怒られるまで寝ていました。


 それから数日の間、私の周りで不思議なことが起こりました。

 

 獣がいると屋敷内が大騒ぎになり、お揚げや厚揚げを作ると、どういうわけかすぐに無くなると噂になったのです。

 誰かが動物を拾ってきたのか、はたまたつまみ食いする不届き者がいるのか。

 姿の見えない犯人捜しに夢中になる使用人達が歩き回る屋敷で、呆れる父母とは違い、祖父は訳知り顔で微笑んでいました。

 

 また数日が過ぎた頃、家に電報が届きました。

 

 叔父達が病気にかかり、明日をも知れぬというのです。

 祖母がお見舞いに行くと言うので、母も同伴して二人で出かけていきましたら、それを見送った祖父が笑って言いました。

「昔から言っていたのに、守らないからこうなるんだ」

 

 祖父の言葉が当たっていたのか、それとも偶然だったのか。

 

 叔父達の病は、お稲荷様の社が直るとすぐに治りました。

 それからも何度かお金の無心に来ていましたが、勘当された身で厚かましいと父に怒られ、しだいに来なくなったそうです。

 

 私が十五になると、兄の行動も収まり、叔父達も二度と来なくなりました。

 

 年を取ってから知ったのですが、どうやら兄は叔父達に脅されていたそうなのです。

 お金を持ってこないと、家に火をつけてやると脅されていて、嫌がりながらも盗みをしていたといいます。

 叔父達が家に来なくなったことで、盗みはやめましたが、これまでのことを考えると今でも眠れないと言います。

 

 家を継いだ兄は、自分が盗んだお金を上乗せして小作人達や使用人達に支払っていたそうで、意外にも人気があったと聞いています。

 お給金が上がった理由は、お義姉ねえ様にも

  

 しかし時代は変わり、小作人達もいなくなって、実家も土地が減りました。

 土地は法律によって小作人達の物になりましたが、それでも農民達から大切にされて、ときどき野菜や米が届けられていたそうです。

 

 土地を失った兄は、家族とともにわずかな土地を耕しながら、町で公務員をしておりました。

 頭が良かったため、学校からの援助金で卒業することが出来たからです。

 今では援助金ではなく、奨学金と呼ばれていますが、兄は個人で制度を立ち上げ、今も若い人達に援助を続けています。

 

 私は大きな町に嫁ぎ、夫と二人三脚で会社を守ってきました。

 定年を迎えた夫と二人、静かな場所で余生を過ごしながらも、毎日欠かさないことがあります。

 

 家の庭にある古い社にあぶらげを供えると、穏やかな表情の狐に手を合わせ、今日も家族の無事を願います。

 

 かつて、祖父がしていたように。   



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お稲荷様 逢雲千生 @houn_itsuki

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