麺・オブ・デスティニー
上島向陽
運命の一杯を求める者達
1
一期一会という言葉がある。
出逢いにはなんらかの意味がある。
それは食事にしたって同じ事だ。
毎日、同じ物を食べていても、それが体内で血となり、肉となり、骨と成るのだ。ならばせめて美味しい物を食べて、美味しかったと満足して自らの身体に受け入れていきたい。
そしてそんな美味しい食事との出逢いによってその後の運命が大きく変わってしまうような、そんな出逢いがあると、そう信じて今日も
全速力で!
終業のチャイムが鳴ると同時に席を立ち、廊下に転がるように飛び出て学食へと向かう。
縁子の教室は学食からは比較的遠い位置にある。しかしその距離もものともせずに彼女は駆け抜ける。
田舎育ちで毎日野山を走り回っていた彼女は脚力には自信がある。そのおかげで彼女は毎回昼休みに学食に一番乗りするのだ。
セミロングの髪をポニーテールにして束ね、学園指定のチェック柄のプリーツスカートが走行中に激しくひるがえってもかまわないように、スカートの下にはジャージを穿く。
この校舎から学食までの距離では多くの者が限定メニューは諦めているのか、縁子の前を走る者は居ない。
廊下を突っ切り階段を一気に駆け降りる、というより飛び降りる。踊り場では体操選手さながらの見事なターンを決める。
本日のターゲットはスペシャルB定食!
『自家製デミグラスの目玉焼きハンバーグ(特大)定食』だ!
一日二十食のみのまさにスペシャルな限定メニューなのだ!
先月は惜しくも食べ逃したが、またローテーションで登場するのだ。
この日をどれだけ待ったことか!
今日は絶対に、絶対に今日だけはゆずれないし、ゆずらない!
固い決意を胸に、彼女はさらに加速して学園の中庭を突っ切る。
目指す学食を目にして縁子はラストスパートをかけた。
学食の扉を開けるとそこには生徒は誰も居ない。
やった!
心の中で小さく握り拳でガッツポーズ。
しかしここまでならいつものこと。
縁子は一気に厨房のカウンターに両手をついた。
カウンターに両手をついて注文するのがこの学食でのルールだ。
そして叫ぼうとした。
「すみませーん! スペシャルび……」
だがそこで彼女はメニューを見た。
見てしまった。
スペシャルA定食の品目を。
『特選ホルモンの炭火焼肉定食』!
まさか!
先週食べ損ねたばかりのレジェンド級のメニューがこんな短期スパンのローテーションで出てくるなんて!
迷った。
あろうことか、獲物を前にして迷ってしまったのだ。
戦場での一瞬の迷いは敗北を意味する。
それはこの学食バトルでも同じだ。
縁子が迷ったその一瞬の隙に、食堂になだれ込んだ餓えた生徒達がカウンターに突進する。
無論、注文のカウンターの幅は限られている。
多くても五人が並べばいっぱいになる。
そのカウンターに怒濤の如くに押し寄せる生徒達。
飢えた獣のような咆吼を上げて突進してくる生徒達に体当たりを喰らわされ、女子の中でも軽量級な縁子はあっけなく吹き飛ばされてしまう。
カウンターから手が離れてしまっては注文出来ない。
それがこの学食バトルのルールだ。
後から来た者達が、次々に限定品の定食が次々に売れていく。
「ああ! あああああっ!」
慌てふためき、再びカウンターを目指すも、時既に遅し。
もはや後の祭り……。
アフター・ザ・フェスティバルである。
ここは私立弱肉強食学園。
強き者が勝利を修め、弱き者は敗北する。
当然である。
その当然の自然の摂理を教育理念としている世にも珍しい学園がこの弱肉強食学園なのだ!
勝負の方法は多岐に渡る。無論だ。腕力や体力で勝てない者は智力、知識、運すらも駆使して勝負をする事が出来る。
そうして作られた様々な学園の闘いのルール。
毎日作られる学食の『限定スペシャルメニュー争奪戦』。
俗に言う『学食バトル』もその一つだ。
カウンターに両手をついて注文をする。
注文の品を言い切ってしまえば、その者には手出し禁止。
しかしその前ならばいかなる妨害も有効となる。
そして発生するのが注文権……すなわちカウンターの前に両手を突いて立つ場所の取り合いのバトルである。
原縁子はそのバトルに連日挑みながらも連敗記録を更新し続けていた。
「ううう~っ……今日も結局一般メニューかぁ……」
しくしくと半泣きになりながら入り口にある券売機へトボトボと歩く。
並んでいる長蛇の列からの視線を浴びながら……。
学食バトルの争奪戦に参加しない生徒は食券の券売機に並ぶのが決まりだ。
バトルで勝利しないと限定メニューを得られないばかりか、ほとんどの生徒が食堂にやって来た頃に食券を購入する為に、長蛇の列を並び直さねばならないのだ。
バトルに負け限定メニューを得られなかった者は敗者の辛酸を嘗めさせられるのである。
「はぁあ…………やっぱり一番安い麺類しか残ってないよぉ」
券売機のほとんどに赤い『売り切れ』の表示が灯っている。中でも定食系は結構な確率で売り切れる。その中で残っているのはあまり人気のないメニューばかりである。特に麺類の定番モノくらいしか残っているものはない。
「はぁあ……今日もうどんかぁ……」
縁子も麺類は嫌いではない。しかし「今日こそ限定定食を!」と意気込んできた時の麺ほどがっかりするものはない。
「仕方ないよね……」
ときつねうどんと生卵を押して購入する。
ピーッカチャン……と安っぽい音がして券売機の吐き出した食券を手に縁子はまた列に並ぶ。
ようやく縁子の番が来て食券を渡すとまるで流れるような速さできつねうどんが出てきた。
そのトレーを受け取ると、さてどこかで空いている席はないかと、食堂をぐるりと見渡す。満員の学食で空いている席はなかなか見つからない。バトルに敗北するとこうやって席を探さないといけないというのも、ある意味バツゲームみたいだなと縁子は思う……まぁ……彼女にとっては毎日のことではあるのだが……。
そんな中、あるテーブルに男子生徒が一人で座って食べていた。
食べているのはうどん。
姿勢良く背筋を伸ばして、うどんをすすり、ちゅるんっと麺が呑み込まれていく。
なんて……。
(なんて美味しそうに食べるんだろう?)
縁子はそう思った。
たかが学食のうどんを芸術的なまでに美味しそうに食べる人を、縁子は自分以外で見たことがなかった。
ごくん。
意識せず喉が鳴る。
同時に忘れていた空腹感に縁子は襲われる。
「あ、あの……ここ……空いてますか?」
縁子はあまり相席は好きではない。
誰だってそうだ。
特に見ず知らずの相手と向かい合って食事を摂るというのは、好ましくないことくらい縁子だって知っている。
特にこの弱肉強食学園では『早い者勝ち』が優先されるのが常である。
だが、強者は弱者に対して慈愛の精神を持てというのも教育精神の一つに含まれている。
多くの場合は忘れられているのだが、縁子はその精神の持ち主であることを一縷の望みに託して申し出た。
「空いている……というか……もう終わりだ」
とまるで茶人のようにお椀を両手で持っておつゆを飲み干してその男子生徒は言った。
「ありがとうございます」
と箸を置き手を合わせている男子生徒の真向かいに座る縁子。
彼は縁子の持っていたトレーの上にあるうどんを一瞥する。
「あの……うどん……好きなのですか?」
「なぜそう思う?」
「いや、あの……今、食べてらした時、すっごく美味しそうに食べてるなぁって……」
「うどんが……というよりも麺類全般が好きなんだよ、俺は」
「はぁ……そうなんですか……」
「嫌いなのか? うどん」
「いえ、そうじゃなくって……大好きです! 大好きなんですけど、今日はお目当ての定食がゲット出来なかったので」
「麺類はその定食の代用品だと?」
少しむっとしたように彼は言ったので、縁子は慌てて手を振った。
「あの……その……食べ物との出逢いは一期一会です。どこでどんなに美味しいものに出会うかわからない……そんな運命の一食があるって、そう思っています。だから、限定メニューがどんなに美味しいものなのか味わいたくって……でもいっつもあと少しで注文出来ないんですよねぇ……」
何か自分が余計なことを口走っているように思われ、縁子は恥ずかしくなった。
「って何言ってんだろ、わたし……気にしないでください」
話を切って食事を摂ろうとしって割り箸を割った時、彼は口を開いた。
「…………お前か、ずっとここの食堂バトルに挑んでいる一年の女子生徒ってのは?」
「えっと……まぁ……」
「一部で有名になってるぞ。万年腹ぺこ女子校生ってな」
「腹ペコって……そ、そうなんですか?」
「ああ、食堂からは遠いホームから最速で到着しながらもいつも買い逃していると聞いたが……」
「あはは……まぁその通りです」
「……それはまあいい……お前は麺を食べる時に麺から食べるか? それともつゆから飲むか?」
「え?」
「うどんのことだよ。麺が先かつゆが先か。どっちだ?」
いきなり何を聞いてくるんだろうかこの人は……。
(ちょっと面倒臭い人かも……)
そう思いつつ縁子は正直に応える。
「えっと……麺からです……多分……」
「じゃあ騙されたと思ってつゆから先に飲んでみろ」
「え?」
何を言われているのかよくわからない。麺を先に食べるのかおつゆを先に飲むかで何が変わるというのか?
「早く! 一口つゆを飲んでみろ」
「あ、はい!」
確かにこのままでは麺がのびてしまう。縁子は慌てるようにお椀の端に口を付けて、その汁を一口すする。
鼻腔を立ち上ってくる鰹出汁の風味豊かな香り、口内から出汁が舌に染み入り、喉に染み込み、暖かさと共に身体中に染み渡る。
「ふぁあっ……」
大海を回遊する鰹の旨味が凝縮したベースに、太陽の光を浴びて育った大量の大豆から作られた醤油で味を調えられたうどんの出汁。
まさに海の幸と陸の幸によって作り上げられたその出汁が胃袋を、身体を、心を、覚醒させていくのを感じる。
そして刺激される食欲。
この出汁に合う炭水化物である麺を食したいという激しい衝動に駆り立てられて、縁子は箸を動かした。
縁子は夢中でうどんをすすっていた。
気がついた時には縁子はうどんを全て掻き込んでいた。
「御馳走様。美味しかったです」
縁子は箸を置きパンッと手を合わせてそう言った。
「でもおつゆを先に飲むだけで随分と味わいが変わるものですね」
「つゆが先か麺が先か論争だ」
「はぁ……」
「『麺道』を歩む者が必ずいきあう問題だ」
「めんどう……ですか?」
「そうだ」
なんだそりゃ?
縁子は心の中で首を傾げた。
「しかし、食との出逢いは一期一会か……おもしろいな」
「はい。わたしのおじいちゃんに教わりました」
「ふぅん……おもしろいじいさんだな」
「はい……おじいちゃんの作ってくれるうどんが好きでした……」
「うどんを作るか……もしかしてお前のじいさんってのは讃岐の生まれか?」
「はい。てゆうか私も香川から出てきたんです」
「なるほど讃岐か……うどん帝国じゃないか……麺好きにはたまらない聖地だ」
「そうですね。……でも……」
「おじいちゃんの手作りのあのおうどん……もう食べられないのかって思うと……ちょっと寂しいな……」
縁子の目尻に光るものが浮かぶ。
「…………」
「す、すみません。初めての人にこんな話しちゃって……」
「いや、その考え方と今の麺の喰いっぷり……気に入った。明日もお前は限定定食を狙うのか?」
「その……つもり、です……」
明日は『国産黒毛和牛テール肉の煮込みシチュー』の定食だったはずだ。
「なら、明日また挑むがいい。普段は麺類以外の限定に手出しはしないんだが少しだが手伝ってやろう」
「え? どういうことですか?」
「明日、食堂に来ればわかる」
一方的にそう言って彼は席を立った。
「あの……」
と声を掛けようとするものの、彼は食堂の混雑の中をスルスルと進んで消えた。
「あのー……食器……片付けてないんですけど……」
縁子は二人分の食器を返却口に運ぶ羽目になったのだった。
2
翌日の昼休み。
開始のチャイムと同時に脱兎の如く飛び出した縁子は全速力で廊下を駆け抜け、階段を飛び降りていく。
今日!
今日こそ!
今日こそは!!
食べる!
絶対に!
今日はもう一つのメニューも調べてある。
スペシャルB定食『三元豚の極上三豚定食』!
トンカツ、生姜焼き、角煮の豚肉三種の神器と呼ばれる三つを一気に食すことが出来るこれまたスペシャルレアな定食。
だが、縁子にとってはスペシャルA定食の『国産黒毛和牛テール肉の煮込みシチューの定食』に的を絞った。
昨日はターゲットを絞りきれずに敗北した。
同じ過ちは二度と繰り返さない!
実は四度目だけど!
縁子は食堂に向かってひた走る。
ガララララッ!
勢いよく食堂の扉を開ける。
どどどどどどどどどどっ!
すぐ背後に大量の足音が迫る!
縁子は向かう。
限定メニュー専用のカウンターに!
ばんっ!!!
両手をついて踏ん張る。
今日は簡単には飛ばされない!
「すみませーん!」
「うおおおおおおおおおおおっ!!!」
餓えた野獣のような咆吼を上げて男子生徒達が襲いかかる。
その突進が縁子のような細身の女子に止められようはずもない。それは今までもずっとそうだった。
「――ッ!!!」
今日もダメかもしれない。
そう、思った。
正直諦めていた。
……その時!
どどどどどどどっ!
男子生徒の群れが何者かによって捌かれた!
「な、なにいっ!!!」
そこに昨日の男子生徒が立っていた。
「
うるま……縁子は初めて昨日の男子生徒の名前を知った。
「どうもこうもない。少し時間を稼がせてもらう」
「なに? なんでも『面倒だから』と言ってチーム加入を断っていた『面倒の粉間』が……チームを組む……だと?」
そう! 食堂バトルはチームを組んで挑むのも可とされているのだ!
「『面倒の粉間』の名は今日は返上だ。今は『麺道の粉間』だ!」
あまり変わっていないような気がする。
背後でのざわめきを背にしながら、縁子は今、自分のやるべき事をする。
「スペシャルA定食一つ!」
「あいよーーーっ!」
厨房の中が一気に活気付いた。
それは歓声に近かった。
食堂の厨房の者達も毎日カウンターに辿り着きながらも、ただの一度も限定メニューにありつけなかった女子生徒の事を影ながら応援していたのだ。
「しまった!」
限定メニュー一品の重さは当然、皆の知るところだ。
「粉間ぁ! 貴様一体どういうつもりだ?」
「運命の一食を求める者の魂が……俺の麺道に通じたまでのことよ!」
そう言って粉間は踵を返してカウンターに両手を突いた。
「俺は特製五目ちゃんぽんだ」
「また麺類を一番乗りされたーっ!」
「一体これで何日連続で麺類一番乗りなんだーっ?!」
と悔しがる生徒達。
粉間は争奪戦の常連であり、麺類を誰よりも早く注文し、食べることに重きを置く学食バトルの覇者だった。
あとはお決まりの残された者達の注文権争奪バトルが繰り広げられる。
そんな一同を尻目に二人は湯気立ち上るトレーを運んで席に向かう。
どの席も空いている。今ならどこででも好き放題に席を選ぶことが出来る。
毎日、満席状態で空いている席を探している縁子にとって初めての体験だった。
「あの……粉間さん」
「なんだ?」
「粉間さんって言うんですね」
「そうだ。
「その……ありがとうございます。おかげでやっと食べられます。限定メニュー」
「よかったな……えっと……確か……はらへり子……でいいのか?」
「いいわけないですよ! 私の名前は『
「そ、そうか……悪かった」
そう言って食堂から中庭を臨むことが出来る一等席にトレーを置く粉間。
「さて……食おう」
「はい!」
そう言う粉間の前にトレーを置いて席に着く縁子。
「いただきます!」
初めての限定メニュー。
それは入学してからこの数ヶ月、毎日縁子が夢見ていたものだ。
何時間も丹念に煮込まれた国産和牛テール肉の風味豊かな味わいと、特有のコクが口いっぱいに広がる。
一口ごとに肉の奥から奥から深みある味わいが溢れてきて、食べる者を飽きさせない。
縁子はその味わいをじっくりと噛みしめて食べていった。
「美味しいっ! 中の骨にまで味が染み込んでて……これだけでもずっとしゃぶっていられそう……んん~~~~っ!!!」
口内から身体に染み渡る味と栄養分が縁子の身体を満たしていく。
「どうだ? 美味いか?」
「……はい」
とっても。
一口一口を噛み締めていく。
「それにしても……」
縁子は当然な疑問を一つ、粉間に問う。
「どうして助けてくれたのですか?」
粉間は五目チャンポンを箸で掬い上げてこう言った。
「他ならぬ俺も『運命の一杯』を求めて麺を喰っているからな……天国のじいさんへのはなむけだ」
「えっ? 粉間先輩のおじいさん、天国なんですか?」
「違うだろ? お前のじいさんの話だ」
「ええっ?! わたしのおじいさんは今も香川で元気にしていますが?」
「なっ、なにいいいいいっ?!」
冷静沈着を常とする粉間だが、その時ばかりは思わず腰を浮かす。
「お前……昨日はもうじいさんのうどんは喰えないって言ってたじゃないか!」
「ああ……それはですね、去年腰を痛めてしまったので、もう前みたいにうどんはうてないって……」
「そんなのありかああああッ!? 俺は一体なんの為に手伝ったんだ!?」
「でもおかげでずっと夢だった限定メニュー……食べられました。ありがとうございます」
そう言って縁子は深々と頭を下げる。
「それで……満足したか? もう食堂バトルは参加しないのか?」
粉間の問いに、縁子はしっかりと首を振った。
「そんな……まだまだ知らないメニューがあるんです! 運命の一食……それを口にするまでは挑み続けます!」
その瞳には明日の限定メニューが映っていた。
この後、粉間と縁子の二人は激化していく学食バトルの奔流に投げ出されることとなるのだが、それはまた別の話である。
麺・オブ・デスティニー 上島向陽 @sevenforest
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