最終章 蝶の骨拾い

「泉君が死んだら、骨を食べてあげるわ」

 僕の彼女は不意にそんな事を言う人だった。

「えっ、食べなくていいよ。ってか、僕は死ぬの?」

「あくまで先々の話よ。平均寿命で言ったらあなたの方が先に死ぬでしょう」

「いや、それでも、骨を食べるってどうかと思うよ」

「恋愛って同化だと思うの。相手に自分を重ね、共通項を増やしていく過程を恋愛と呼ぶのよ」

「F子の恋愛観は聞いてないんだけど」

「そう言う意味で、相手の一部を食べるって最高の愛情表現だと思わない?」

「F子にカニバリズムのきらいがあるとは思わなかったよ」

「ないわよ。私が食べるのは泉君の遺骨だけだから。それと、別に食べたいわけでもないから」

「食べたくないなら、別に食べなくていいよ?」

「そう? 考えてみて、日本で死ねば私たちは火葬されて、遺骨は骨壺に押し込められて、そのまま環境サイクルに交わることなく保管されてしまうのよ」

「精神的な話かと思ったら科学の話だったの?」

「私とあなたの話よ」


 彼女が死んだ十年前、九月七日が彼女が火葬された日だった。

 僕はその日、彼女がいる式場を遠くから見ていた。

 僕は彼女の遺体を一度も見ていない。


 十二月になって、思い出したように気温は下がって、ようやく冬が来た気がする。

 寒さに急かされるように、僕は十年間終わらせなかった宿題をようやく終わらせる。

 高野文子。

 彼女の墓の前に僕は立っていた。

 未だに月命日を欠かさない彼女の両親が供えた花が、まだ枯れることなく北風に揺れている。

 墓石の下を開けて、僕は骨壺を取り出した。

 こんな小さな陶器の中に、今彼女はいる。

 最期に見た彼女の姿を八月三十日で止めておきたかった。

 完璧なシンメトリーのお下げ、きっちりとした服にシワは一つもなく、彼女にしてはとても上機嫌で、僕に笑いかけていた。

 十八時が過ぎても全く暗くならない空の下、僕たちは並んで歩いていた。

 よく話す僕たちには珍しく、その日は無言だった。

 ようやく少し涼しくなってきた風に彼女のお下げが揺れる。

 この世界に完璧なものがあるとしたら、彼女だと思った。


 僕は骨壺を開ける。

 そこには、当たり前のように骨が入っていた。

 ボロボロになるまで生きたいと言っていた彼女が、綺麗な骨になっていた。

 その内の一つを拾い上げる。

 驚くほど軽かった。

「食べないよ」

 持ってきた小瓶にその一欠片を入れる。

 小瓶を大切にポケットにしまって、骨壺を墓の下に戻した。


 F子は死んだんだね。

 僕に応えるように、小瓶の中の骨が軽い音を立てた。

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蝶の骨拾い 落葉沙夢 @emuya-s

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