10章 お似合い夫婦と煙草と片羽

「ビリー動いたけどどうする?」

 僕の名前は泉和泉。

 なんでも屋をやっている。

 なんでも屋って、その名の通り依頼を受けてなんでもする仕事なんだけど、今回は珍しく僕からの持ち込みだった。

「うん。まぁ元々ついていくつもりだけど」

 全ては十年前にはじまった事。

 その終わりが夏じゃないって言うのはなんだか僕らしい気もした。

「へぇ、それでいいの?」

 電話口の相手は少し意外な依頼を僕にした。

 まぁつまり、大方の予想通りってことなんだけど。

「僕が言えた口じゃないかもしれないけどさ、ビリーって変わってるね」

 変わってるって、この場合、大意では狂ってると同義なんだけどね。

「所で、移動費って経費に入れても大丈夫かな?」


 僕の尾行対象、今ポンが動き始めたのは驚くべき事にもう少しで夕方になるような時間だった。

 てっきり買い物にでも行くのかと思った僕の予想を裏切って、彼女が呼んだタクシーは空港へと向かった。

 そうなっちゃうと、まぁ行き先はある程度限られてる。

 この時点で、僕は残り半分をとうの昔に切っている筈の今日がまだまだ終わらない事を覚悟したんだ。

 一度の乗り継ぎを経て、長い長い移動の末に辿り着いたのは僕の地元だった。

 今ポンの故郷とも言える。

 空港に着いた時点で日はとっぷりと暮れていた。

 空港から彼女のタクシーが向かったのは、想定の範囲内の場所だった。

 まぁつまり、全く考えてもみなかった場所ってことなんだけど。

 そっか、ここが彼女の話のラストになるのか。

 僕としてはそれは本当に意外で、でも腑には落ちた。

 十年間の八月三十一日、僕がSF事件と呼ぶそれが起きた現場。

 確かにここなら綺麗に話が終わりそうだ。

 ここは、あの事件以来人があまり入らなくなって、今では幽霊団地なんて不名誉なあだ名を付けられている。

 まぁそんなふうに呼ぶのは事件の事を知らない子供達だけで、大人の方はそれに触れようともしないんだけどね。

 そして、405号室は今でも空き部屋だった。

 

 コンクリートの階段は存外音が響く。

 今ポンはてっきり四階で足を止めるかと思ったんだ。

 十年前、二人が死んだあの部屋で残された二人が向かい合うなんて、まあまあ絵になる。

 でも、足音は止まらずに更に上へと登って行った。

 彼女の足音が消えたのは屋上の扉の向こうだった。

 

 扉の音に振り向いた今ポンに僕は声をかける。

「やあ、こんなところで奇遇だね、今ポン」

 一瞬で全てを理解したような今ポンは、軽く笑った。 

「長距離移動って思ってた以上に疲れるね」

 月のない夜の、微かな光に照らされた彼女の顔はびっくりするくらい可愛かった。 

「仕事って私の尾行だったんだ」

「まぁ、だいたいそんな感じかな」

「誰の依頼?」

「それは守秘義務ってやつで」

「まぁだいたい予想つくけど」

だよね。と僕は答えた。

 思っていた以上に冷たい夜風が僕と今ポンの間に流れる。

「それでさ、イズイズはいつから気付いてたの?」

「うーん、いつからって言うのは少し難しいかな」

 僕はケータイを取り出す。

 名前を覚えるのが苦手なんだ。だから、あだ名をつけて覚えるんだけど、会ったこともない人にあだ名は付けられない。

「向井颯太、佐野澄実、あと関羽美」

 ケータイのメモ機能に記された名前を僕は読み上げた。

「僕が調べた所だとF子とS子以外だとこの三人かな」

「あと何人かいるけど、まぁだいたい合ってるかな、よく調べたね」

 驚きもせずに今ポンはそう答えた。

「イズイズは最初っから事件の真相を知ってたんだね」

「えっ、知らないよ。今ポンが言ったんじゃん『そんなのわからない』って」

 冗談でもなく、僕は本心からそう言う。

「あの部屋でS子が何を思って行動したのかなんて、予想はできても、真相なんて誰にもわからないでしょ」

 僕の言葉に今ポンは呆れたような、諦めたような、乾いた笑いをした。

「イズイズらしいね」

 僕らしい、というのはよくわからなかったけど、そう言う今ポンは今ポンらしかった。

「それで、どうするの?」

 暗い海のような屋上を、今ポンは柵に向かってスタスタと歩く。

 闇の中に今ポンの輪郭が浮かび上がっていた。

「例えば、私をここから突き落としてみる、とか」

「まさか、そんな事する理由ないでしょ」

 いや、本当に、なんで僕がそんな事をすると思ったのか謎だ。

「でも、私が文ちゃんを殺したようなものじゃん。憎かったりしないの?」

「うーん、さっきも言ったけどさ、結果としてF子を殺したのはS子って事実は変わらないし、その真相はわからないからね。それに、どっちにしろ今更なにをしたって結果が変わるわけじゃないから、どうでもいいかな」

「どうでもいい?」

 なぜか、今ポンは怒ったような声を出した。

 なにか、僕は間違ったことを言ったらしい。

「イズイズって結構ドライだったんだね。文ちゃんの事が好きじゃなかったの?」

「今でも好きだよ」

 僕に好きだなんて言われるような罰ゲームを受ける権利はこの世界でF子にしかない。

「だから、僕にとってF子が生きてるとか死んでるとかそういうのはさ、些細な問題なんだよね」

 今ポンはF子の墓参りで僕に「綺麗になったね」って言われた時に見せたような、理解できない、みたいな表情をする。

 そんなに引かなくてもいいのに。

「でも、まぁ、憎しみに駆られて今ポンを殺そうとするのも割とドラマチックかもね」

 問題があるとすれば、そんなドラマチックな展開が僕には全く似合わない事くらいだ。

「もしかして、僕に殺される為にここまで来たとか?」

「そんなわけないって、イズイズが私をつけてるって事も知らなかったし。私がここに来たのは祥ちゃんに謝りたかったから」

「へぇ、F子じゃなくてS子なんだね」

「うん。私は祥ちゃんの友達だったから」

 今ポンは本当に寂しそうな顔をした。

「これを言ったら、流石のイズイズでも怒るかもしれないけどさ、文ちゃんが死んだ事に関しては、全然悪いと思ってないんだよね」

 ……怒らないけどね。

「でも、祥ちゃんが死んだ事に関してだけは、今も後悔してる」

「てっきり僕ははじめからそのつもりだと思ってたんだけど」

「あの失敗が私のはじまりだったんだよ」

 失敗とはじまり。

 なんだかとても他人事な言葉だった。

「人って、案外簡単に死んじゃうんだよね」

「今ポンが言うと重みが違うね」

 僕が把握しているだけで、SF事件を除いて三件、今ポンの周りでは急な自殺があった。

 対象は今ポンの友達だったり、仕事の知り合いだったり、元恋人だったり、たぶん更に詰めればもっとあるのだろう。

「あの頃の私はそれがいまいち分かってなかったから、あの夏が終わっても楽しい日々が続くかなぁって思ってたんだよね」

 

 八月三十一日。

 夏祭りに来なかったF子とS子をまるで心配しないように、今ポンは楽しく遊んでいた。

 一緒に出店を回り、出し物を見て、花火を見る。

 その最後、今ポンは僕に告白をした。

「もしも文ちゃんと別れることがあったらさ、私と付き合わない? なんてね」

夏が終わったような一瞬の静寂。

振り返って、走り去る直前の寂しそうな笑顔。

 まるで僕らしくもないけど、その場面はどこまでも綺麗な思い出として残っている。

 

「続くわけないでしょ」

「うん。そうだね」

 あの事件の後、今ポンは学校を休みがちになり、三年になってクラスが別れると、互いに殆ど言葉を交わさずに卒業した。

 三年の頃の僕はそれなりに色々あったけど、それは別の話だ。

「よく祥ちゃん飛び降りたりできたよね」

 フェンスから上半身を乗り出して、今ポンは下を見る。

 今なら、後ろから軽く押すだけで彼女は落ちていくだろう。

「四階だったからじゃない?」

「四階の方が怖いよ、下がよく見えるんだから」

 僕は今ポンの隣まで歩く。

「そうかもね」

 ここから見ると下は暗すぎて、まるで地獄に直結しているようにすら思えた。

 天国とか地獄とか、そんなに信じてはいなけど、僕も今ポンもきっと地獄に墜ちる側だろう。

 そういう意味では、ここは丁度いいのかもしれない。

「押さなくていいの?」

 振り向かないまま、今ポンはそう言う。

 ここが今ポンにとってのクライマックスなのだとわかった。

 彼女は罪を見に来たのだろう。

 後悔していない。

 その言葉はきっと本当で、それはF子に関してだけでなく、彼女が死に追いやった他の誰に対しても同じなんだろう。

 ただ一人、S子を除いては。

 今ポンはきっとその罪を見るためにここまでわざわざ来たんだろう。

 そのついでに、罰を受けるのも悪くないと思ったのかもしれない。

 まぁ、人の気持ちなんて、想像するしかないんだけどね。

「押さないよ、そんな面倒なこと僕がするわけないでしょ」

「だよね」

 わかりきった事と、今ポンは振り向いた。

 フェンスから身を離して、今ポンは入り口の方へと歩き出す。

「そう言えば言い忘れてた事があったんだった」

 夏が終わりそうな気配を感じて、僕は今ポンを呼び止めた。

「なに?」

 やり残した宿題の一つを思い出したんだ。

 例えるなら自由研究みたいな、メインじゃないけどやっておかないといけないタイプの宿題だ。

「僕はやっぱり今ポンとは付き合えないや」

 僕としては精一杯決めたつもりだったけど、今ポンはぽかんとした顔をした。

 あれ?

 もしかしたら、提出しなくていいタイプの宿題だったのかもしれない。

「そっか」

 少し経って、理解したらしい今ポンは笑った。

 通じて良かったと心底安心する。

 十年前の告白なんか、まぁ忘れてる方が普通なんだけど、僕と違って今ポンは記憶力がいいからね。

「フラれちゃったなぁ」

 今ポンの笑顔の端に十年前の八月三十一日が映っていた。

 いよいよ、消化すべきイベントをは終わったようで、今度こそ今ポンは入り口に手をかけた。

「じゃあね」

 最後に軽く僕に手を振る。

 それが、八月三十一日の僕への挨拶だと気付くのに少し時間がかかった。

 屋上から消える前に、今井琴音は大川琴音に戻ったのだろう。

 さて、流石の僕も今日は少し疲れた。

 

「ビリー終わったよ」

 かじかむ手で、依頼主へと電話を掛ける。

「うん。たぶん帰るんじゃないかな、少なくとも死んだりはしないと思うよ」

 僕の言葉を聞いて、電話の向こうの彼は心底安心したような声を出した。

「それじゃ、あとで請求書送るから」

 今ポンは優しいなんて評してたけど、僕からすればビリーは狂ってる。

 そういう意味じゃ今ポンとビリーはお似合いの夫婦なのかもしれないけどね。

 なにはともあれ、これで今年の八月からの仕事は終わり。

 そろそろ、身体が冷えてきたから家に帰りたい。

「無事だったか」

 それなのに、扉を開いて入ってきた彼は不遜にそこに立っていた。

「いっちーが僕を心配してくれるなんて、嬉しくて泣きそうだよ」

「そんなに喜んでくれるとは、車を走らせた甲斐があったな」

 当然のようにいっちーは煙草に火を付けた。

「そうだね」

 早く帰りたい僕は適当に流していっちーの隣を通り抜けようとする。

「つれないな」

 そんな僕の腕をいっちーはだいぶ強引に掴んだ。

「いっちーモテないでしょ」

「君よりは、な」

「気付いてないみたいだから言うけどさ、僕は今日結構な距離を移動したりして疲れてるんだよね。できれば帰って寝たいんだけど」

 訴えが聞こえていないようないっちーは僕の腕を放さないまま、煙草を吹かした。

「なんで、君たちのどちらも死んでいないんだ」

「ここはバトルロイヤルの会場じゃないけど?」

「冗談はいい。君の報告の通りなら、彼女があの事件の真犯人だろう。なぜ、逃がした?」

 一見すると、刑事っぽいセリフなんだけど、いっちーの性格を知ってる僕からすると、また酷いセリフが聞けそうって感想にしかならない。

「別に、僕は今ポンを恨んだりしてないし、今ポンからすれば僕を殺すメリットとかないでしょ」

「恨めよ、恋人殺されてんだぞ」

「残念だけど、今回の話はもう終わりだよ。いっちーの期待通りの展開にはならない」

「チッ。そうかよ」

 そう言って、ようやくいっちーは僕の腕を離した。

「いっちー、警察じゃなくて葬儀屋の方が向いてるんじゃない?」

「事件性がない死体なんか見てもつまんねぇだろ」

「いっちーの性癖なんか知らないよ」

 思えば、いっちーとはじめて会ったのもこの事件が原因だった。

 そして、彼の特殊な性癖がはじまったのもこの事件。

 ついでに言えば、今ポンについてもはじまりの事件なんだと思う。

 まぁ、僕からすればこの事件はずっとおわりみたいなものなんだけど。

「お前が死ぬ事があるなら、面白い死体になりそうだと思うんだがな」

 面白い死体ってなんだろうって突っ込みは面倒だからしない。

 死体愛好って偏った性癖の中でも、更に事件性のある死体を「見る」のが好きっていう度し難い趣味を持ついっちーは僕の知り合いの中でもかなりヤバい側の人間だ。

「その予定は当分ないから安心してよ」

「期待して待ってる」

「ところでさ、いっちー。僕が逃がすのはいいけど、警察としてはマズいんじゃないの?」

「自殺教唆か? まぁマズいな」

 いっちーは煙草を携帯灰皿の中に捨てた。

「だが、立件はできないだろう。少し調べたがどの事件でも彼女は証拠らしい証拠をまるで残してないからな」

 いっちーは途端に少し警察っぽくなる。

「それに、俺が調べたって証拠も既に一つ残らず処理済みだ。彼女が作る死体に興味はあるがな、保身の方が大切だ」

 警察っぽいって思った瞬間これだよ。

「見事な悪徳刑事っぷりに感心するよ」

「それじゃあな」

 どうやらこの事件に興味を無くしたらしいいっちーは詰まらなそうに扉を開く。

「帰るなら送ってよ」

 煙草の臭いをさせるいっちーの背中を僕は追う。

 なにはともあれ、今日はこれで終わりだ。

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