第10話 リアルのおれも、やる時はやる

「パソコン貸してよ。あんた、確かノートパソコン使ってたよね?」

 樫村鈴音は大きな目をぎょろりと見開くと、立ち竦む衣川麻乃に威圧的な声で命じた。

 艶やかな長い髪に通った鼻筋。稀にみる美形少女だが、冷ややかな笑みを湛えた薄い唇は意地悪く吊り上がり、その魅力に大きく水を差している。その後ろには、クラスメートの篠崎沙耶と田村穂香が蔑みの視線を麻乃に向けながらせせら笑いを浮かべていた。彼女たちも鈴音同様、ロングヘア―の似合う美少女なのだが、麻乃をに向けた見下した表情は、男達が見れば思わず引いてしまうようなぶち壊しイメージてんこ盛り祭りそのものだった。

 衣川麻乃は顔を強張らせながら俯いた。ポニーテールが悲しげに揺れている。樫村の無理難題は今に始まったわけじゃない。だが、日に日にエスカレートしていく彼女の態度に、衣川は精神的に追い込まれており、もはやその限界に近かった。

「そんな……無理……」

「今日一日、貸してくれりゃあいいのよ。そしたら終わるから」

 涙を浮かべながら答える麻乃に、鈴音は冷たく言い放った。

「何に、使うの? パソコン持ってたよね?」

 衣川は恐る恐る樫村に問い掛けた。

「何馬鹿にしてんのよ。持ってるわよパソコンぐらいっ!」

 樫村は目を吊り上げて衣川を睨みつけた。

「じゃあ、何に使うの?」

「何って――」

 鈴音は言葉を詰まらせた。今まで彼女が声高に言えば、麻乃は渋々ながらも従った。だが今日は妙に食い下がってくる。

「オンラインゲームよ。ゲーム世界に意識が同調するタイプの、ほら、今流行ってるやつ。あれでちょっとしくじって出禁なっちゃってさ。裏垢使っても身バレしちゃって同調できなくなったのっ!」

「何をしたの」

 麻乃は俯いたまま、重いトーンの声で静かに呟いた。

「何って、なんであんたに言わなきゃならないのっ!」

「私も、あのゲームやってるの」

 麻乃はゆっくりと顔を上げた。いつもの怯えた表情は無く、射貫くような鋭い目つきで鈴音たちを見据えていた。

「だ、だったらちょうどいいじゃん。あんたのキャラ貸してよ。ギルド難民一人ぶっ潰したら返すから。あいつが創造神にチクったせいで私ら全員出禁になったんだ。祠の薬草をちょっと余分にとったくらいでさ」

 いつにもなく抵抗する麻乃に、鈴音は一瞬ひるんだものの、仲間達の手前か、それを誤魔化すかのように声高にまくしたてた。

「貸せない」

 麻乃は真っ向から鈴音を睨みつけた。

「何、その無駄に強気な態度。そんなこと言っていいのお? 大切なものなくなってもしらないよお?」

「どういう事?、まさか、体操着や教科書が無くなったのって――」

「さあね。知らないわ。元はと言えば、あんたが余計な事言ったからいけないのよ」

「カンニングのこと? 」

「あんたがチクった津野田も学校出て来なくなったしね。私がやっていないって言いきったら、他の先生、私のことを信じてくれたのよねえ。私に無実の罪を着せたと思って、責任感じたのかな。それとも、大切にしていた車がボコられたのがショックだったかあ」

「まさか、先生の車、壊したのって――」

「さあね。でも気を付けてね、あなたの自転車も壊されたら嫌だよね」

 鈴音は目を細めると、意味深な笑みを浮かべた。

「貸してくれるよね?」

 無言のまま立ち尽くす麻乃に、鈴音はたたみかけるように迫った。

「やめなさい!」

 怒声とともに教室のドアが勢いよく開いた。ショートヘアーの小柄な女性が、ドアに手を掛けたまま仁王立ちしている。紺のパンツスーツに白いブラウス。派手ではないが目鼻立ちの整った、清楚な雰囲気の若い女性だ。歳は恐らくアラサー下限手前位か。

「津野田?」

 鈴音達は一瞬驚きの声を上げたが、すぐに薄ら笑いを浮かべた。

「あなた達があの件以来、衣川さんをいじめているのは知っています。もう、おやめなさい。わかっていると思うけど、いじめは犯罪です」

 はっきり通る声で諭す津野田に対し、鈴音はまるで関心が無いかのように無表情のまま受け流した。

「先生、お体、もう大丈夫なんですかあ? 心労がたたって寝込んでたって聞きましたけど。今日はどうしたんです? 授業はもう終わってるし、代わりの先生も来てますから、一生休んでいても大丈夫ですよっ! それとも私に謝りに来たのかな? 無実の罪を着せてごめんなさいって」

 鈴音は、見下したような冷たい目線を津野田に注ぐと、お腹を抱えながら高らかに嘲笑を上げた。

「謝るのはあなたの方でしょ」

 麻乃が射貫くような目で鈴音を見据えた。

「何でよ」

「さっき言ったよねえ。私がやっていないって言いきったらって。これ、裏を返せば実はやったって事でしょ?」

 いつもは従順だった麻乃の強気な態度に、鈴音はかっと目を見開いた。

「何それ、そんなこと言ってないっ!」

「録音してあるよ」

 麻乃は落ち着き払った素振りで小型のレコーダーを鈴音の前に突き出した。

「馬鹿じゃない? そんなの言葉の意味の取り方でどうにでもなるじゃん。証拠になるわけない」

 鈴音はいつになく食い下がる麻乃に動揺を覚えながらも、マウントを取ろうと必死に喚き立てた。

「証拠ならあるよ」

「茂利さん!」

 傍らにひょっこり現れた男子生徒に、津野田は驚きの声を上げた。中肉中背で、メタルフレームの眼鏡を掛けている。驚いたのは突然現れたからだけじゃない。クラスでも余り目立たない存在の彼が口走った問題発言に、彼女の意識は絡み取られていた。彼女だけじゃない。他の生徒達も同様のリアクションを取っている。

「この前の期末試験の時もカンニングしてたよな。試験中、机の陰でスマホ見てるとこ、動画で抑えてある」

「何訳分かんないこといってんの。私は見てません。証拠はあるのっ?」

 ムッとした口調で言い返す鈴音を、茂利は白けた表情で見つめた。

「教室に何か所かカメラを仕掛けたんだ。ほかの二人の動画もあるよ。それと、試験前に衣川さんの教科書を捨てたよな。あれも動画でとってあるよ。教科書は回収して衣川さんに返しておいた。SNSには晒してないけど、出すべき所には出したよ。学校以外のね」

 彼は挑発的な態度で、逆切れしている鈴音に強気に言い放った。

「何よそれ……そんな事して私のお父さんが黙っていると思う? あんたたちみんな学校に居れなくしてやるっ!」

 鈴音は頬を紅潮させながら、ヒステリックに喚き散らした。

「やれやれ。ゲーム世界だけじゃなく、リアルでも居場所を無くしますよ」

 津野田と茂利が呆然とした表情で振り向く。

 黒いスーツ姿の青年が、やさしげな微笑を浮かべながら立っていた。津野田は驚きの余り両手で顔を覆い、麻乃は目を有田焼の大皿のように見開き、茂利は口をおっぴろげたまま閉じるのを忘れている。

「お前は……」

 鈴音は驚愕と怒りに打ち震えながら、目前の青年を見つめた。

 見覚えのある顔だった。鈴音だけではない。ここにいる全員にとって、彼は忘れられない存在だった。

「まさか、ギル……さん?」

 津野田が、か細い声で囁く。

 彼はちらりと目配せをしながら、スーツの内ポケットからチョコレート色の身分証を取り出した。

 津野田は目を見張った。

 警察手帳だ。ドラマでよく見かけるそれは黒だが、本物はチョコレート色なのだ。

「警察です。生活安全課の霧生と申します。この学校でいじめ問題が起きていると内部告発あってね。それと先生の車が悪戯されたとの被害届けが出たので、色々調べていたら、とんでもない事実が発覚した。樫村鈴音さん、篠崎沙耶さん、田村穂香さん、君達三人はこちらの津野田先生の車に蹴りを入れてボコボコにしたろ?」

「してません。学校の監視カメラ見てもらえばわかります」

 鈴音は目尻を吊り上げながら、強い声色で桐生の問い掛けを否定した。

「学校の監視カメラを見ても意味はない。死角になって見えないからね。恐らく君達もそれを確認した上で実行したんだな?」

 霧生が探るような目つきで鈴音達を見渡した。

「だからあ、私達は何もやってないですから」

 鈴音は不満げにぶうたれた。

「教職員の駐車場側に面した道路に、コンビニがあるよね。そこの監視カメラにばっちり映っていたんだ。店のオーナーは店の駐車場側の道路から学校の駐車場にかけて広範囲に渡って映るよう、防犯カメラを仕掛けていた。なんでも、学校の駐車場からコンビニに向かって空き缶やら空きペットボトルを捨てる奴らがいるというので、警戒していたらしい」

「そんな……」

 鈴音達の表情が強張る。それは、まさしく犯行を認めたものと思われてもおかしくない、あからさまな態度だった。

 この手の輩は自分を切れ者だと自負する者が多い。が、彼女の余りにも単純な反応からは、短絡的で決して狡猾でない素顔がはっきりと露見していた。

「学校に動画のコピーを渡そうとしたら、学校側から事を大きくしたくないから元の動画を消して欲しいとの依頼があったそうだ。改めて動画を見直したら、彼はそれに従わないことにしたんだ。何故だと思う?」

「何故?」

 津野田が霧生の顔を覗き込んだ。

「オーナーの娘さん、映像に映っていた三人組に酷いいじめにあってたらしい。学校に伝えても一向に改善されず、むしろもみ消そうとする動きがあったんで直接私の所へ持ってこられたんだ」

 三人の女生徒達は無言のまま立ち竦んでいた。

「でも、そんな事位じゃあ、お父さんが何とか――」

 鈴音は腕を組んで虚勢を張ると、緊張で乾いて張り付いた唇を無理矢理引きはがしながら、か細い声で言葉を絞りだした。

「国会議員の君のお父さんにも連絡したよ。『娘が勝手に私の名前を使って迷惑をかけた。申し訳ない』って謝罪されていたな。次の選挙で忙しい中、今、こっちに向かわれている。他の二人の親御さんはそろそろここに着く頃だから。」

「えっ!」

 鈴音は青ざめた表情を浮かべると、崩れるように座り込んだ。

 まるでそれが合図であったかのように、スーツ姿の若い女性が三名、霧生の背後から現れた。

「ちょっと話を聞きたいんだけど、いいかな」

 女性の一人が警察手帳を見せながら前屈みになると、鈴音達にやさしく語り掛けた。鈴音は黙って頷くと、よろよろと立ち上がった。他の二名も、観念したかのように押し黙ったまま鈴音に続く。

「霧生さん、後で先生とこちらの生徒さんの話も聞きたいので、校長室までよろしくお願いします」

 警官は霧生にそう告げると、鈴音達に付き添い、立ち去った。

 鈴音達を見届けると、霧生はにっこり微笑んで三人の顔を見渡した。

「皆さんの勇気に感謝します。皆さんが被害届や証拠の映像を提出してくれたから、この事件は解決への糸口が掴めました。衣川さん、お父さんにもよろしくお伝え下さい」

「ギル!」

 津野田が、麻乃が、茂利が、満面に笑みを浮かべながら霧生を取り囲んだ。

「みんな、何故おれがギルだって分かったんだ?」

 霧生がとぼけた口調で答えた。

「だって、顔も声も体つきも同じだから」

 津野田が呆れた顔で霧生を見つめた。

「キャラ設定が面倒だったので、リアルデータそのままで登録したからな」

 霧生は苦笑を浮かべながら頭を掻いた。

「ギル、嘘ついたよね? 高二だなんて」

 津野田がぐっと霧生に顔を近付けた。

「それは君もだろ、津野田りいな先生」

 激しく詰め寄る津野田を、霧生は不満げに眼を細めた。

「私は、ギルに合わしてあげただけ。年上だと話しにくいかなって思って」

 津野田は恥ずかしそうに目線を逸らした。

「おれは、その――容姿と年齢設定がリアルそのままだったから、職務上、流石にちょっとまずいなと思ったので……ごめんなさい」

 霧生は困った顔をしながら、意外と素直な態度で津野田に謝罪した。

「リアルも二十五歳ってことは、私の方が二つ年下じゃない」

 津野田は霧生の顔を覗き込むと、何故か嬉しそうに答えた。

「おれは最初からギルのほうが年上だと思ってた。話し方や戦闘時の指示が的確だったし、とにかくしっかりしていたし。あ、ため口きいてごめんなさい。おれ――じゃなくて、僕、茂利捷人ことモーリです」

 茂利は背筋をピンと伸ばすと、深々と頭を下げた。再び顔を上げた彼の鼻から赤い液体が滴り落ちる。

「うわっ、鼻血! 鼻血!」

 慌てふためく茂利に、麻乃がさっとティッシュを差し出した。

「茂利さん、大丈夫?」

 津野田が心配そうに茂利の顔を覗き込む。と、茂利は慌てて彼女から一歩退いた。

「先生、あの時の記憶がフラッシュバックしたみたい。彼には刺激が強かったようです」

 一人でばたばた騒いでいる茂利とは対照的に、麻乃は落ち着き払った態度で、動揺する

 彼に追加のティッシュを手渡した。

「えっ? 衣川さん、ひょっとして……」

 茂利がきょとんとした表情で麻乃を見つめた。

「スウィルよ。キャラが違い過ぎるからイメージわかないでしょ」

 麻乃は、恥ずかしそうにはにかんだ笑みを浮かべた。

「ちょ、ちょっと聞いていい? あの時の記憶って?」

 津野田は茂利を取り囲む不穏な空気におどおどしながら、霧生と麻乃の顔を交互に見つめた。

「気が付いていなかったのか? あの時、自分の身に何が起きたのか」

 霧生は驚きの声を上げると、呆れたような目線を津野田に注いだ。

「うん、分かんない。マジで」

 眉間に皺を刻みながら、津野田は困惑した表情を浮かべた。

「リアルの姿でラグナロクを握りしめて、素っ裸でおれの前に躍り出たんだ」

「ええっ! 何で何で?」

「あの遺跡には、闇ニ蠢クダークウォーカーがあの世界での既製品を無効にする術式を仕掛けていたんだ。どういう訳か、キャラもリアルに戻っちまうんだよな」

「ええっ! でもギルは普通に服を着てたよね?」

「全ておれのハンドメイド。だから術式の影響はゼロ。年齢容姿もリアルイコールだから変化無し」

「信じられない……ああっ! ひょっとして、みんな……私の裸、見たの? 」

 津野田は狼狽しながら三人の顔を伺った。

「安心しろ。後ろ姿だけだよ」

 慰めにもならない霧生の発言に、津野田は顔を真っ赤にして俯いた。

「ありがとう。リイナには何回も助けられた。みんなにもな」

 霧生は落ち込む津野田の気を紛らせようと、そっと声を掛けた。

「いえ、そんな……助けられたのは私の方。ごめんなさい、私が蒔いた種にみんなを巻き込んじゃって」

 津野田は背中を丸めたまま、恐縮した面持ちで苦し気に言葉を絞り出した。

「謝るのは私の方です。先生、私の事で悩んでたんですよね。おまけに大事な車に八つ当たりされて……本当にごめんなさい」

 麻乃が目を潤ませながら津野田に向かって深々と頭を下げた。

「そんな、衣川さんは謝らなくてもいいよ。あなたは被害者なんだし。それに、何も出来なくて衣川さんを見捨てて逃げ出した私の方が謝るべきなのだから。ごめんなさい、辛い思いさせっぱなしだったね」

 津野田は瞳いっぱいに涙を湛えながら、麻乃をぎょっと抱きしめた。

「ううん。先生ありがとう。良かった……リアルでも私の味方がいて」

 麻乃は嬉しそうに顔を津野田の胸に埋めた。

「おれも、味方だから」

 茂利がティッシュを鼻に突っ込んだまま、真顔で麻乃に囁いた。

「ありがとう。今度スウィルになってる時にキスしてあげるね」

 麻乃が微笑を浮かべながら呟いた問題発言に、茂利は顔を真っ赤にしながらあうあうと怪しげな呼気を吐いた。どうやら唇の動きを読むと『今でもいいんだけど』と言いたかったようだが、そこはモーリ同様、人の良い小心者の彼だけに、言葉は韻を踏まずに呼気に掻き消されてしまっていた。

 茂利のおちゃメンぶりを微笑ましく見守りながら笑っていた津野田の表情が、不意に硬くなる。彼女はあることに気付いた。仮想世界で彼女はギルと何度か口づけを交わしていた――リアルと同じ容姿の彼と。

 それって、リアルでやってるのと一緒じゃないのか。

 津野田の思考がそう答えを導き出した刹那、彼女の感情温度計は最高値に達し、体中の血液が怒涛のごとく顔に集中した。

「あれっ、先生、顔が真っ赤ですよ。まさか先生、衣川さんの事……」

 茂利が訝し気に赤面茹蛸状態の津野田を凝視する。

「えっ? いっ? 違うってえっ!」

 津野田は両手をパタパタと振り回しながら、茂利の妄想を必死に否定した。

 そんな衝撃的ほのぼのシーンをニヤニヤしながら見ていた霧生が、徐に表情を硬く引き締めた。

「さあみんな、そろそろリアルのボスキャラを退治に行こうぜっ! 」

                                    〈了〉

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ギルド難民なおれだが、やる時にはやる しろめしめじ @shiromeshimeji

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