黎明
智郷めぐる
黎明
【黎明】…夜明け、新しいことの始まり。
わたしには特異なアビリティがあった。
いかなる場所や条件下であっても、特定の範囲を『真空』にすることが出来た。
この力は乳児健康診断で発覚した。
すぐに研究や実験の依頼が入り、わたしの幼児期から少年期と言われる時代は失われた。
世界中の研究者がこの力を求めたのだ。
あまりにも辛く、友人も出来ない環境で父や母、兄弟にも会えない日々か続き、わたしは8個目の研究所を抜け出そうとしたら、家族を人質にとられそうになった。
その度にわたしの心は削れていった。
いったい、なんのために頑張っているのか。
なんのために生きているのか。
わからなくなっていった。
なぜ両親はわたしを知らない大人たちに差し出したのだろう。
研究所内では近くの小学校から派遣されてきた家庭教師がつき、無事に卒業資格を得た。
研究所の大人たちが度々高度なことを教え込んできたため、数学と科学の分野で飛び級することになった。
12歳の高校生。
13歳で高校卒業。
14歳の9月、初めて外界の学校へ通えることになった。
アメリカにあるとある工科大学。
もちろん、研究と実験は続けられていたが、初めて大人以外の人間としゃべることができた。
友達も出来、研究所が外泊許可をくれる日はパジャマパーティーなどにも参加した。
触れることなく過ぎ去ってゆきそうだった青春というものを、腕にしっかりと抱きしめたかのように思えた。
残念ながら彼氏はできなかったが。
彼氏の有無にわたしの年齢と州の法律うんぬんが関係なかったら凹む。
☆★☆★☆
大学生として生活し始めて3年が経ったある日、友人が殺された。
どうやらシリアルキラーの仕業らしく、FBIが指揮を執るほどの大事件となった。
狙われているのは
犯人は性的に不能とみられ、残虐な拷問がレイプの代わりではないかと報道された。
わたしの友人は眼球が持ち去られていた。
その前の被害者からはそれぞれ右腕と右足が持ち去られていた。
切り口に医学的な知識があるとみられ、病院関係者が疑われているようだ。
友人の両親は冷凍保存された娘のお葬式が出来ずにいた。
「返して欲しい、娘のすべてを……」
と、毎日
わたしはこの事件についてとても動揺し、混乱していた。
だいぶ前に『悲しい』という感情を捨ててしまったために、日に日に重苦しくなる胸の奥と健康な身体のギャップに、ふとすると手が震えてしまう。
友人達のほとんどがキリスト教系だったため、毎日ともに教会へ行き、祈った。
わたしだけ涙が出なかった。
それでも、心配する気持ちに嘘は無かった。
神など信じてはいないが、もしも彼女達が信仰する者に慈悲の心があるならば、その力を示してくれ、と思った。
友人の事件発生から2週間後、となりの州であらたな犯行があった。
次は内臓がいくつか奪われていたらしい。
捜査状況はあまりよくはないそうだ。
そんな中、研究所のわたし直通の電話番号に一本の留守電が入っていた。
「あれらは君への一種の招待状だ。研究を拒否すれば、もう一体増えるぞ」
と言われた。
何のことだかわからなかった。
しかし、わたしへの電話を管理している研究所のスタッフがみるみるうちに顔が青ざめてゆき、電話室で吐いた。
急いで救護室へ電話した。
数分後、スタッフは運ばれてゆき、電話の内容を聞いた救護室長はひくほどの汗をかきながら走って所長のもとへ向かった。
わたしは嫌な予感がした。
救護室長のあとを追い、所長秘書の静止も振り切って所長室へと無理やり入った。
そこには研究所の上級職員すべてが集められており、わたしの登場にうろたえる表情をうかべていた。
「どういうことですか?」
「と、とりあえず座って……」
「いいから! どういうことか話してください!」
何人もの大人たちが汗や涙をうかべながら所長の顔色をうかがっている。
所長は額に手をおいたまましばらく黙っていたが、意を決したようにわたしの目を見つめ、話し始めた。
「実は……、数か月前から君を引き渡すようにと要請をうけていたんだ」
「なっ……」
「わたしたちのこの研究所は君との独占契約を結んでいるから最初は断っていたんだよ。しかし、あんまりにもしつこいから……、インターポールの友人に頼んでその研究所についていろいろ調べてもらった。そうしたら、その研究所は…、とある国のテロ組織が資金洗浄のために使っている製薬会社のものとわかったんだ。その資金洗浄ってのも、すべてが新型ウイルスのワクチン売買によって行われていることが分かった。わかるかい? 自分たちで新型のウイルスを作り、それに対するワクチンを製造しているんだ。インターポールからの情報によると、新型ウイルスは毎年異なる国の様々な地域で数種類ずつ発見されている。そう、表向きにはね……。そんな組織に君をわたすことなんて絶対に出来ないし、そんなこと絶対にさせないと決め、連絡がいっさいつながらないように手配した。そうしたら……、すまない。奴らは卑怯で残酷な…、まるで悪魔のような手段でわたしたちにサインを送ってきた。最初は冷凍された腕だった。次は足。今日は心臓と肺と脾臓が届いた。……報道と同じだった。君の友人の…、その、眼球は、君と引き換えだと言われたんだ……」
「そ、そんな……」
わたしは自分の胸の中で何かが砕けるのを感じた。
痛い、痛いよ。
鋭い破片となったそれらは、わたしの身体中を突き刺し、幻想の痛みは強さを増すばかりだった。
涙が、出た。
濾過がおいつかないのか、途中からは赤いままだった。
「すまない、すまない……。今からFBIにもすべて話す。なにもかも」
「……わたし、行きます。その研究所に行って、友人の……、友人を取り戻してきたいんです」
「だ、ダメだ! 何をされるかわからないんだぞ! そんなところに幼い子供を行かせることなどできない!」
「所長は初めてわたしに人間らしい生活をさせてくれた大事な人です。出来れば背きたくはない。でも、お願いします。友人の両親に、きちんとしたお別れをさせてあげたいんです。わたしにも、誰かを想い、守る権利はあります」
「そんな……、なぜこんなことに……」
所長は泣き崩れながらも、わたしに分厚いファイルを渡してくれた。
そこには奴らの詳細なデータと、法を潜り抜けてきた手腕、住所などが記されていた。
「所長、スタッフのみなさん、今までありがとうございました。友人を連れて帰ってきます。次に会う時はきっと、わたしは……」
「ま、まってくれ。ひとつだけ、条件がある……。わたしたちにだって、君を想い、守る権利はあるはずだから……」
わたしはすぐに動画をメールで送り、テロ組織に宣戦布告した。
「わたしを狙う全てのひとたちへ
全員殺してやるから、こそこそせず、まとめてかかってきてください
今までは、なんとしてもこの力を殺人なんかに使うものかと思って生きてきた
でも、もういいんです
道徳や倫理など、知ったこっちゃない
あなた方の命、何よりも苦しい方法消してあげますからね
卑怯者のみなさん
地獄へ落ちろ」
この特殊能力のせいで大事なものが遠ざかり、そして奪われた。
何も怖くない。
賭けるものはこの命。
残りの時間を家族に捧げられないことを悔いにして、自らの産まれた意味を地獄へ落とそう。
さようなら、さようなら。
真夜中。
静かな研究所に、何台もの車が次々に入ってくる。
手に様々な武器を持ち、まるで悪人の品評会のようだ。
少女はそう高くない研究所の屋上に立ち、それを見下ろしていた。
「お嬢さーん?殺しにきたよ~。手に入らないのなら、そんな危険なもの、きちんと消さなきゃね」
「ここは共同戦線ですなぁ。抜け駆けしないでくださいよ? 油断せず、安全に殺りましょう」
「おたくはいつもいつも慎重ですねぇ。そうやってうちの若い衆も殺したんですよね? こりゃまいった。お嬢ちゃんの次はおたくらの命いただきまさぁ」
「えぇえぇ、結構ですとも。いつでもお相手しますよ」
「お二方とも、もうよろしいかな? うちの衆の殺気がいい調子なもんで。そろそろ、いきますか?」
「It’s show time!」
「さぁ、いってらっしゃい」
「気張っていけよ」
総勢にしたら300人ほどの人間が、鉄を携え、たったひとりの女の子に殺意を向けていた。
「わたしの覚悟は、そんなもんじゃないですよ」
激しい銃撃が四方八方から放たれる。
しかし、どういうわけか銃弾はすべて少女の上空へと吸い寄せられ、勢いを失った鉄の弾は文字通り雨のように降り注いだ。
バキン
プチュン
クチャッ
最前列で散弾銃を撃っていた数十人が一斉に倒れた。
「な、な……」
次々と倒れていく。
「なんだ! なにがあった!?」
青ざめる構成員たち。
自分の横で、ただの生暖かいタンパク質の塊になってゆく仲間を横目に、足が止まる。
そんな光景を見下ろしながら、少女はゆっくりと静かに空気を震わす。
「そいつは顔面、そいつは心臓、そいつは胃、そいつは……。あぁ、全員言うのはめんどうですね。知ってました? わたし、臓器を真空にすることも出来るんですよ」
もう何人目かわからない人間の臓器を潰しながら少女は笑う。
「まさか! そこまでコントロールをものにしていたとは! ほしい! ぜひとも欲しい!」
「おっと、抜け駆けは無しって言ったじゃないですか。ちゃんと殺さないてぃおぼぼぶ」
その男は話しの途中で顔中から血を流して倒れ、痙攣し始めた。
「今のは喉です。痛そうだし苦しそうだから、はやく介錯してあげたほうがいいですよ」
最悪だ、と、その言葉に逃げ出そうと背を向ける構成員たち。
「ひるむなお前らァァァアアアア! 奴に一つでも致命傷を与えた者には一千万をやろう。いけ、いけェェェエエエエ!」
男の怒号が響き渡る。
少女には蚊の鳴くような音にしか聞こえなかった。
「まだまだこれからですよ。はやく本気出して戦いたいですね。死にたいひとから来てください? わたしはあなたたち全ての息の根をとめるまで、力の解放はやめませんから」
勝者のいない戦い。
全ての者が傷つき、その場にいた少女以外の人間が息絶えたのは、3時間後だった。
少女は死体の山を一つずつ真四角に固めた。
真空にする力で、ギュッと絞りながら。
全員の処理が終わると、ゆっくりと車の中を物色した。
いくつかのクーラーボックスが乗っており、ダミーの眼球や別人の眼球もあったが、無事に友人のを見つけることが出来た。
少女はまるで宝物のようにそれを胸に抱き、再び死体が転がる場所へ戻ると、警察に電話した。
プルルル……
「はい、こちら…」
「殺しました」
「はい?今、殺したと…」
「ひとを、たくさん殺しました。場所は科学研究所です。はやく来てください。研究職員のみなさんは全員体育館に避難しています。保護をお願いします」
科学研究所での大虐殺事件というセンセーショナルなニュースは国を超えて報道された。
科学研究所の職員は一貫して黙秘を続けており、全員が口にするのはそろって同じセリフだった。
「「「あの女の子はわたしたちの家族です。もし罰するならば、わたしたちも罰してください」」」
地元警察も、FBIもどうみても被害者である研究所の職員たちを罰することはできなかった。
世論は科学研究所の味方だったからだ。
犯人隠匿、と言っても、犯人はまだ少女であり、自首しているし、たったひとりで300人を超す大人の男を殺害したあげく数人ずつにまとめて真四角に固めるなんてどう考えてもオカルトだった。
それに、FBIが頭を抱えていたシリアルキラーも死亡が確認され、唯一見つからなかった被害者の眼球も見つかり、インターポールの頭痛の種であった組織も解体され、ますます世論は少女を擁護した。
しかし、少女は罪を償う道を選んだ。
幾度となく精神鑑定にもかけられたが、どこもおかしな点は無い。
殺害の自供だけでは刑の確定は出来ない。
少女は管理病棟に収容されることになった。
☆★☆★☆
「こんにちは。ちゃんと食べているかな?」
「所長、お久しぶりです」
「昨日の夜、やっと面会が許されてね。すぐに飛んできたんだ。ほら、ゼリィを持ってきたよ。一緒に食べよう」
「あはは。所長、また太りますよ」
「うーん、君は妻と同じことを言うなぁ」
「……所長、ありがとうございます。なにもかも……」
「いいんだ。個性を隠す権利は誰にだってある」
病室の外には交代で警察官が立っている。
所長は言葉を選びながら、優しく話してくれた。
「またいつでも研究所に戻っておいで。君自身も立派な研究者だからね。オフィスも掃除だけしてそのままとってあるよ」
「ありがとうございます」
「なんてったって君の両親が君のために建てた研究所だもの」
「え……」
「なんだ、もう知っているかと思っていたよ」
「わたしの両親が、わたしのために?」
「そうだよ。君が幼少期に力を制御できなくなったことが何回かあって、最初は御父上の友人が勤めている民間の研究所で原因を探っていたんだ。そのうち、研究対象として君にお金がたくさん支払われるようになった。そのお金を君のご両親は一円も使うことなく貯め続け、今の科学研究所を建てたんだよ。幼児期に君を何度も色んな研究所に移したのは、セキュリティのためなんだ。一か所に留まると狙われやすくなるからね。あ、あの話は申し訳ないけどあまりにも君が可愛いから初めて聞いた時は笑ってしまったよ。研究所から家出しようとしたんだって? しかも、そのときに君の研究室の機械で遊んでた兄弟が自分のかわりに閉じ込められると勘違いして大泣きしたそうじゃないか。兄弟君たちは君が泣き止んで眠るまでずっと謝ってそばにいたらしいよ。研究所の方針で、家族が狙われるのを防ぐために会えるのは月に一回だったものね。君は愛されているんだよ。今までも、今も、これからも」
少女は声を上げて泣いた。
自分の中に隠れていたあたたかな思い出が次々と溢れてきたのだ。
生きてきた意味、生きる意味を取り戻したのだ。
☆★☆★☆
事件が風化し、都市伝説になるのはそう遠いことではなかった。
とある科学研究所が新しく雇った研究員によって難病と言われていた病を克服する薬が次々と開発された。
その研究員は決してメディアに出ることは無かったが、試験投与で出会った幼い少女にこう言ったという。
「このお薬はね、宇宙と同じ、真空で作ってるんだよ」
黎明 智郷めぐる @yoakenobannin
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