第3話 たとえどんなに時が流れても

 時が過ぎ、光雄は父親の博雄と共に喫茶店「風見鶏」に行く機会も年を追うごとに減っていった。

 そして高校卒業とともに、光雄は東北の田舎町を離れ、東京の大学へと進学した。

 就職後も東京で暮らし続け、喫茶店で過ごした幼い頃の思い出は、はるか遠くへと追いやられてしまった。


 時は流れて、2019年。中年になった光雄は、仕事を辞めて20数年ぶりに生まれ育った町へ舞い戻ってきた。

 光雄の父親である博雄が足を悪くして1人での生活が困難となり、介護が必要になったからである。

 母親のさえ子はまだ健在であるが、認知症のため介護施設に入居しており、1人息子の光雄が、東京から戻って博雄の世話をすることになった。

 光雄は結婚しておらず、東京での生活は自由気ままで不満はなかったものの、仕事ではなかなか実績が認められず、人事異動で閑職に追いやられてしまった。

 そのため、光雄は、このタイミングが仕事を辞めるのに良い潮時だと判断した。


 実家に戻った光雄は、博雄の身の回りの世話をしながら、片手間に出来る職を探した。

 しかし、地方都市では以前の職場と同じ位の収入が期待できる仕事は、なかなか見つからなかった。

 そんな息子の姿を見るに見かねたのか、博雄が車いすでゆっくりと光雄に近づき、微笑みながら語り掛けた。


「光雄、久しぶりに、一緒にお茶でも飲みに行こうか?」

「お茶?」

「そうだよ、『風見鶏』にね」

「え?『風見鶏』?まだ、営業してるの?」

「ああ。足を悪くする前までは、パチンコに勝った日には必ずコーヒー飲みにいってたよ」


 『風見鶏』……光雄がこの名前を聞くのは、本当に久しぶりのことである。

 幼い頃、父親によく連れて行かれた『風見鶏』は、今、一体どうなったのか?

 そして、光雄が生まれて初めて恋心を抱いた、悦子ママの娘・あかねはどうしているのだろうか?

 光雄は好奇心がうずき、「行ってみたい」という気持ちに駆られた。


「久しぶりに、行ってみるかな」

「そうこなくっちゃ。光雄、代金にこれ使えや」


 そう言うと、博雄はテーブルから宝くじを取り出し、白い歯を見せて笑いながら、光雄に手渡した。


「見ろ!!4等10万円。大当たりじゃないけど、ちょっと贅沢は出来る位のお金が入ったからさ」

「す、すげえ。年取ってもやっぱり博才あるなあ、親父は」

「パチンコは出来なくなったから、最近はもっぱら宝くじだな。ま、なかなか上手く当たらないんだけどね」

 光雄は、博雄の屈託のない言葉に苦笑いした。

 

 出かける前、光雄は自分の机から、1枚の手紙を取り出し、ポケットに仕舞いこんだ。

 あかねが店を辞めた当時、幼かった光雄に宛てたものであった。

 手紙には、『きっとまたここで会おうね』と書かれていた。

 だからこそ光雄は、「ひょっとしたら、あかねが店の中に……」という小さな希望を持っていた。


 光雄と博雄は、宝くじ売場で当たったくじを換金し、その足で真っすぐ喫茶「風見鶏」に向かった。

 途中、かつてデパートだった場所が、更地になり、広大な駐車場に変わっていたことに驚いた。


「あそこのデパート……潰れちゃったの?」

「ああ、バブル崩壊と郊外の大型スーパー出店のあおりで破産しちゃってね。突然店じまいし、今はご覧の通りさ」

「ここで、親父にスーパーカーの模型買ってもらったの、いまだに覚えてるよ」

「ハハハ、そうだったな。母さんに隠れて、こっそりと、な」


 二人で談笑しているうちに、『風見鶏』の看板が目の前に見えてきた。

 ここから光雄は博雄を車いすから降ろし、背中に背負って階段を上がり、店のドアを開けた。

 ドアを開け、鈴の音が響き渡ると、そこには、40年前と変わらない風景が広がっていた。

 ムード音楽のBGM、カウンター前の椅子、ソファー席、そして、昔人気があったアーケードゲームのテーブル……何から何まで、昔のままであった。

 ここだけ、40年前で時間が止まっているかのような錯覚に襲われた。


「いらっしゃいませ」

 カウンターの前に、年老いた女性が椅子に座ったまま、にこやかに微笑んでいた。


「あ、悦子ママ!?」 


 すると、女性は微笑みながら、コクリと頭を下げた。


「光雄、悦子ママは最近脳梗塞にかかって、その後に半身不随になって、今はほとんど椅子に座っているか、簡単な作業位しかできないんだ」


 博雄がそう呟くと、光雄はあっけにとられた。

 あれだけ元気良かった悦子が、椅子からほとんど動けないだなんて。


「どなたですか?」


 その時、厨房の奥から、甲高い声を上げて、エプロンをまとったショートカットの中年女性が顔を見せた。

 整った目鼻立ち、多少皺はあるけれど、チャーミングな笑顔、特徴のある声……

 記憶の片隅であるが、光雄は幼い頃、どこかで会った記憶があった。


「あれ?あかね……ちゃん?」


 博雄は、大きく目を見開いて女性の顔を見つめ、思わず声を上げた。


「そうです、あかねです。博雄さん、久しぶりね!」

「どうしたんだい?結婚して、もうこの町に戻ってこないのかと思ってたよ!」


 目の前にいるのは、紛れもなく、光雄が幼い頃に淡い恋心を抱いた、あかねだった。


「お母さんの体が不自由になったから、仙台から帰ってきて。お店の仕事を手伝ってるのよ」

「え?あかねちゃん、旦那さんはどうしたの?仙台に置き去り?」


 博雄に問いかけられると、あかねは視線を落とし、目を瞑って語りだした。


「私と旦那、もうだいぶ長いこと家庭内別居していてね。子どもが家を出るまでは夫婦の体裁を保っていたけど、家を出たのをきっかけに、心置きなく別れたのよ」

「そうなんだ。だって、あかねちゃんと圭一君、凄く仲良かったのに。一体何が?」

「モテるのよねえ、あの人……あっちこっちで彼女を作ってたみたい。本当に、裏切られた気分だった」

「そうなんだ、人は見かけによらねえな。さわやかな好青年だったのに。あ、そうそう、今日は、息子にここまで連れてきてもらったんだ。覚えてるかい?光雄だよ」

「え?あの、光雄くん?」


 あかねの言葉を聞いて、光雄はあの時のように体が硬直してしまった。


「光雄くん、もう……立派なおじさんになったんだね」

「お、お久しぶり、です」

「元気だった?」

「はい」

「会えてうれしかった。もう、二度と会えないと思ってた」

「いえ、僕は、またいつか会えると思ってました」


 そう言うと、光雄はポケットから、古くなって少し焼けただれた手紙を取り出した。


「あかねさんが、僕に書いてくれた手紙です」

「まだ、持ってたの?」

「だって、僕にとって、初めて好きになった人からの手紙ですから」


 あかねは、便箋を手に取ると、頷きながら読みふけった。


「アハハ、『二番目に好きな人』か~」


 あかねは笑いながら、読み終えた手紙を光雄に返した。


「俺、この手紙を初めて読んだ時、内心すごくつらかったです。でも、たとえ二番目でも、この僕を好きでいてくれた人がいたことが、嬉しくって、今までずっと持っていたんです」


 あかねは光雄の言葉を聞くと、考え事をしていたのか、しばらく沈黙を保った。

 そして、少し間をおいてから、微笑みながら光雄の方を向いた。


「光雄くん、久しぶりにプリン・アラモード作ろうか?甘いものとか、平気?」

「最近、甘いものはごぶさたですけど……今日は、いただきます!だって、あかねさんの手作りだから」

「うれしい!ちょっと待ってて」


 そう言うと、あかねは厨房の奥に消えて行った。

 以前ならば、ここで悦子が代わりにカウンターに立ち、客と会話をしたり食器を洗ったりしていた。

 しかし、悦子は椅子から立ち上がることなく、微笑みを浮かべたまま微動すらしなかった。 


 やがて、カウンターの奥からあかねが姿を現した。


「はい、プリン・アラモード。お・ま・た・せ」

「うわ!クリームたっぷり!俺、食べられるかなあ」

「美味しいから大丈夫だよ。全部食べてね。私の愛がいっぱい詰まってるから」

「え!?」


 そう言うと、あかねは大笑いして、光雄の手を握った。


「なぜなら、今の光雄くんは、私が一番好きな人だから」


 光雄は、あかねの突然の言葉に驚いてしばらく手が硬直し、あかねの手作りのプリン・アラモードを目の前にしながらも、スプーンを動かせなかった。


「ほら、光雄、何やってんだよ!あかねちゃんの愛がこもってるんだぞ。光雄が食べないなら、俺が食べようか?」


 博雄は呆れ顔で、光雄の手からスプーンを取ろうとしたが、光雄は慌ててスプーンを強く握りしめた。


「バカなこというなよ!俺が全部食べるよ!あかねさんの愛が詰まってるんだから、たとえクリーム山盛りでも、全部食べるからね!あかねさんは、誰にも渡さないから!グフッ!!」

「ほらほら、焦らなくていいのよ。プリンも、そして私も、もうどこにも行かないからさ」


 あかねはそう言うと、頬杖をついて微笑みながら、プリン・アラモードを食べる光雄の顔を、真正面からじっと見つめていた。

 光雄は、照れ臭そうにうつむきながらスプーンを動かしていたが、その目からは40年越しの恋が実った嬉しさで感極まり、自然に涙が溢れ出てきた。


(おわり)




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「風見鶏」で待ってます。 Youlife @youlifebaby

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