第2話 小さな恋のものがたり

 あかねは、悦子の実娘である。

 普段は学生であるが、週末の忙しい時には、悦子と一緒にカウンターに立って、調理や接客のお手伝いをしていた。

 肩まで長さのある段のついたレイヤードヘアと、色白で目鼻立ちの整った顔つきをした美人で、目を大きく見開きながら笑みを浮かべられると、まだ小学生の光雄といえども、緊張し、胸が高鳴ってしまう。


「あかねちゃん、光雄、照れてるぞ。顔、真っ赤じゃん。あまり見つめないでやってくれよ」

「ええ?そうなの?わあ、光雄くん、お顔真っ赤だね!」


 あかねはそう言うと、大笑いしながら、メニュー表を二人に手渡した。


「博雄さんは、いつものやつかい?」


 間髪入れず、悦子が笑いながら博雄の頼もうとしていたものを言い当てようとした。


「ああ、コロンビアのストレートね。さすが悦子ママ、俺の好みを良く分かってんな。光雄は何がいい?」

「ぼ、僕は……」

「うふふ、言わなくても分かるわよ、プリン・アラモード、でしょ?」


 あかねは、光雄の目を見つめ、いたずらっぽい笑みを浮かべながら、光雄の頼もうとしていたものを言い当てた。


「は、はい、そ、そうです、それください」


 あかねは緊張のあまり硬直した光雄の表情を見ると、思わず吹き出してしまい、口に手を当てて高らかな笑い声を上げながらカウンターの奥に帰って行った。


「あかねちゃん、かわいいよな。俺も、隙あらばお付き合いしたいくらいだよ。光雄はどうだい?あかねちゃんのこと、好き?」


 博雄は、硬直した光雄の横顔を見て、少しからかってやろうと思い、ちょっと意地悪な質問を投げかけた。


「い、いや……まさかそんな、だってあかねさんは、大人だもん。僕なんか、とても無理だよ」

「そんなのわからねえぞ。あかねさんは、年下の男の子が好きなのかもよ?」

「や、やめてよ、パパ!」


 そんな中、悦子が淹れたてのコーヒーを、カウンター越しに博雄の肘の隣に置いた。

「おお、今日もいい香りだねえ。じゃあ、光雄、お先に頂くね」


 そう言うと、博雄はソーサーからカップを持ち上げ、ズズズっと音を立てながら、コーヒーをすすった。


「あ~~美味いな、今日も。朝から頑張って大儲けした甲斐があったなあ!」


 博雄は、笑いながら声を上げると、さらにもう一口飲んだ。


「はい、光雄君、お・ま・た・せ」


 光雄の隣には、エプロン姿のあかねが立っていた。

 あかねは、艶めかしい吐息交じりの声で、生クリームとフルーツが沢山載ったプリン・アラモードを光雄の前に置いた。


「おお、すげえな、光雄!こんなにクリームがてんこ盛りで、羨ましいな。お前、あかねちゃんに惚れられてるな?」

「ち、違うよ!パパは何でそんなこというんだよ、僕は、僕は、まだ……」

「まだ?」

「7歳に、なったばかりだもん」

「馬鹿か、人を好きになったら7歳も80歳も関係ねえよ。ね、あかねちゃん!」


 博雄は、あかねを振り向き、無理やり同意を求めようとした。

 しかし、あかねはクスっと笑うと、コクリと頭を下げた。


「え、ぼ、ぼくは、その、まだ、小学校の1年生で、その……」

「うふふ、光雄くん、かわいい!私、そのかわいらしさに惚れちゃったかもね」

「やったじゃん、光雄!」


 博雄は、光雄の背中を叩いて大笑いした。

 光雄は、あまりの照れくささに、あかねの顔から目を逸らし、うつむきながらプリン・アラモードを食べた。


 博雄は、コーヒーを飲みながら、カウンター越しに悦子とパチンコ談話をしていた。博雄も自宅では無口だが、この喫茶店に来ると、まるで別人のようにおしゃべりに興じていた。


 その時、ドアが開き鈴の音が鳴ると、大リーグのロゴの入ったジャンパーを着こみストレートのジーンズを穿いた、スラリとした長身の男性が、にこやかな表情を浮かべて店内に入って来た。


「あ!圭一くん、いらっしゃい」

「どうも、今日はアルバイトでここに来るの、おそくなっちゃって」

「いいのよ、それよりあかね、圭一くん来たから、私のことを気にせず行っておいで」

「いいの?」

「いいのよ。さ、早く行った行った!」


 そう言うと、悦子はあかねの背中をポンと押し、あかねはたじろぎながらも、カウンターを出て圭一の座るソファーに向かって歩いていった。

 あかねは、圭一と親し気に会話を交わしていた。

 圭一と会話している時のあかねの表情は、すごく和やかで楽しそうに見えた。


「あれ?悦子ママ、あの男って、まさか……」

「そうだよ、あかねの、カレシ、だけど……」

「ええ?それを光雄が聞いたら、ガッカリするぞ!?」

「そうだけど……あれ?光雄くん、もう気づいてるんじゃない?さっきからじっと、二人の事見てるわよ」


 博雄が振り返ると、光雄は椅子からのけ反りながら、あかねと圭一が会話しているのをひたすらじっと見つめていた。


「光雄、残念なお知らせだ……あかねちゃんと、あの人はな」

「うん、わかるよパパ、お付き合い、してるんでしょ?」

「ま、まあ……な、要するにお前は、ふられたんだよ」

「うん」


 光雄の目には、みるみるうちに涙が溢れてきた。


「あ、あのな、お前はまだこれから先が長いんだ。もっと沢山の女の人に出会えるさ。きっと、あかねちゃんよりいい女に出会えるよ!な?だから、気にすんなよ」


 博雄の必死のなぐさめにも関わらず、光雄の涙は止まらなかった。

 やがて、あかねが圭一の注文を聞いて、カウンターに戻ってきた。

 そして、しゃっくりをしながら泣き続ける光雄の姿に気づき、あわてて近づいた。


「どうしたの、光雄くん?」

「だ、だって、あかねさん、好きな人、いるんでしょ?」

「見てたの……?」

「うん」


 すると、あかねは光雄の前にしゃがみこむと、光雄の両方の頬に手を当てて、じっと見つめながら、申し訳なさそうな顔つきで語り掛けた。


「ごめんね、ちゃんと光雄くんに言わなければいけなかったね。私には、お付き合いしてる人がいるんだ。でも、私、光雄くんのことも好きよ。この気持ちは間違いないから、ずっと忘れないでほしいんだ」


 そういうと、あかねは光雄の頬にキスした。

 光雄は、突然のキスにびっくりしたが、あかねの言葉を聞いて、その言葉に嘘がないことを子どもながらに分かったのか、コクリと頷き、笑顔を見せた。


 □□□□


 桜満開の時期を迎え、博雄と、小学2年生に進級した光雄は久しぶりに喫茶「風見鶏」を訪れた。

 店内は、いつものようにムード音楽の流れ、たくさんの大人たちがコーヒー片手にくつろいでいる風景が広がっていたが、カウンターにはママである悦子と、あかねではないアルバイトの女性が立っていた。


「こんにちは悦子ママ、久しぶりだな。ごめんな、最近、奥さんの俺たちへの監視が厳しくて、なかなかこっちに来れなくってさ。ところで……あかねちゃんは?」


 すると悦子は、食器を1つ1つ丁寧にふき取りながら、うつむき加減に答えた。


「あかねは、この店を辞めたよ。仙台に引っ越していったんだ」

「仙台に?なんでまた急に?」

「あかねはこの春で短大を卒業してね。彼氏の圭一くんが仙台に就職したから、一緒に付いていくことにしたんだってさ」

「そうなんだ……何というか、さみしいよね」

「おそらく、近々結婚するんだろうと思う。あの子も私と似て、一途だからなあ」

「え?悦子ママ、一途なんだ?そんな風に見えねえけどなあ」

「何だって?博雄さんのコーヒー、猫いらず入れてやろうか?」

「じょ、冗談だって、真に受けんなよ」


 すると、悦子は何かを思い出したかのように奥の部屋に走っていった。

 そして、1分もしないうちにカウンターに戻り、1通の手紙を、光雄に手渡した。


「これ、光雄くんが来たら渡してくれって、あかねに言われてたんだ。ごめんね、すっかり忘れてたわ」

「え?僕に、ですか?」

「そうだよ。光雄くん、あかねが引っ越すまでにこの店に来なかったからさ。あかねは、何か伝えたいことがあったみたいだよ」


 光雄は、何だろうと思ってそっと手紙を開くと、そこには1枚の小さな便箋がしたためられていた。


『光雄くんへ こんにちは、あかねです。いつもこのお店にきてくれて、ありがとう。とつぜんですが、おひっこしをすることになり、このお店をやめることになりました。ほんとうは、光雄くんにきちんとお話したかったのですが、あえなかったので、このお手紙でおつたえします。ごめんなさい。わたしにとって、2番めに大好きな光雄くんのことだから、わたしはこれからもずっと、ずっと光雄くんのこと、わすれません。またきっと、この「風見鶏」であおうね。さようなら。あかね より』


 手紙を読むと、光雄の目から少しだけ涙がこぼれおちた。

 しかし、先日のように泣き崩れてしまうのではなく、まるで感情を抑えつけ、自分を納得させながら手紙を読んでいた様子だった。


「寂しいな、光雄……パパ、もっと早くこのお店に来るべきだったな。ごめんよ」

「ううん、いいんだよ。僕、あかねさんの気持ちが、うれしかったんだ。僕も、ずっと、ずっとあかねさんのこと、忘れないつもりだよ」

「光雄、お前……」


 博雄は、光雄の体をそっと抱き寄せると、光雄はこらえていた感情を爆発させたかのように、大声を上げて泣き崩れた。

 博雄も、その姿を見て、思わず目から涙が溢れてきた。


「光雄くん、大丈夫よ。あかねは、いつかきっと、ここに戻ってくるよ」

「え?」


 二人が、何やら意味深な言葉をつぶやいた悦子の方を振り向くと、悦子はクスっと笑った。


「じょ、冗談だよ。ただ、そう思っていれば、気持ちが落ち着くかなあって思ってさ。それに、あの子、私以上にこのお店への愛着を持ってるからさ」


 そういうと、悦子は再び食器を洗い、BGMに合わせて鼻歌を唄いだした。

 悦子は二人に気休めのつもりで言ったつもりかもしれないが、二人にとっては、益々意味深な言葉のように感じた。

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