神様なんて大嫌いと異世界に飛ばされた少女たちは叫んだ

「マリア――この世界に残らない――?」静香がマリアの想いを推し量る様に言った。


 マリアはしばらく沈黙していた――碧緑の瞳が静香を映す。


「いえ――私達の生きる世界はここじゃありません――元の世界がいかに辛くても私達は帰らないと」マリアは断言した。


「そう言うと思ったわ」


「先輩だって心の底ではそう思ってたんでしょう」


「貴女に隠し事は出来ないわね――そうよ――分かっていたわ」静香は息をついた。


 静香の額にマリアは口付けする――マリアの喉に静香は口付けを返した。


 *   *   *


 —―翌朝早くに二人は目覚めた。


 ドレスや現実世界に持っていく物を空間収納の指輪に収める――結婚指輪にその力は備わっていた。


 遅めの朝食をいつもの面々――“狂王の試練場”のメンバーと皇妃達とで食堂で摂る――一見普段とまるで変わらない雰囲気だった――今日でお別れだという感じはしない。


 しかしそれは表面上の事に過ぎなかった。


 別れの哀しみを見るのが辛い――表に出せば耐えられなかったろう。


 恐らくもう会う事も無い――最後だというのに顔を見る事さえためらわれた。


 マリア達の帰還を見送るのもこの面々だった。


 余り大事おおごとにしないで欲しいとマリアと静香が頼んだのだ。


 朝食前の戦闘訓練も行っていなかった。


 刻限が迫ってくる。


「そろそろです――七瀬真理愛、澄川静香」沈黙を破ったのはアレクサンドラ皇妃だった。


 澄川女学院の制服に身を包み――向こうに戻った時<ディーヴェルト>の服だと他人に見られた時に色々と厄介なことになるかもしれないからだ――有翼一角馬アリコーンホワイトミンクスに騎乗する。


 空を飛んで目的地を目指す。


 軍師ウォーマスターラウルの飛行の魔法でラウルとエルフの治癒術士アリーナが飛ぶ。


 ハーフエルフの皇妃付き魔術師シルヴェーヌが風霊魔法で皇妃アレクサンドラと共に、“死神の騎士”アトゥームが愛馬スノウウィンドの飛行能力で、不老不死エルフの女忍者ホークウィンドが龍の姿を取ったシェイラに乗って随伴する。


 転移魔法を使わないのは、その影響で万が一“通路”を壊さない様にする為だった。


 “通路”が不安定化すると二人は帰れなくなる。


 正午前に一行は“通路”の出現位置に着いた――皇都ネクラナルの城壁から数キロ程離れた小高い丘だった。


 遠くにネクラナルが見える。


「今まで本当に有難うございました。治癒術士アリーナさん、皇妃アレクサンドラ様、精霊使役師エレメンタリステスシルヴェーヌさん、不老不死ハイエルフホークウィンドさん、黄金龍ゴールドドラゴンシェイラさん、“死神の騎士”アトゥームさん。軍師ラウルさん、それに有翼一角馬ホワイトミンクスさん」愛馬から降りたマリアが涙を滲ませながら礼を述べた。


 静香も僅かに瞳を潤ませている。


「余り時間が有りません――別れの挨拶を」皇妃アレクサンドラも泣きそうだった。


 先ずアリーナが口を開いた。


「マリア。貴女は天才的な治癒術士よ――元の世界でその技術を広めるか、それとも沈黙しているか――貴女は選ばないといけない。どちらも厳しいものになるわ――貴女がどの道を進もうとも、唯一の女神は加護を与えてくれる――それを忘れないで」アリーナは優しくマリアを抱いた。


「アリーナさん――」マリアは感情をほとばしらせて泣き出した。


 マリアを抱いたままアリーナは静香を見る。


「静香。貴女も実戦剣術を身に付けた――元の世界の剣術とは相容れないかも知れない。貴女はどうするの――?」


「私は強くなれるならどんな流派のどの術でも学ぶわ――そう、剣道は実戦的じゃないかも知れないけど、古流の剣術にはまだ学ぶものが有るかも知れない――エルフの剣舞ソードダンスは大いに役立ってくれた――日本、いや世界の何処かにも同じ様に役立つ剣が有るかも」アリーナの瞳を真っすぐ見つめて静香は言った。


 しばらく――といっても五分も経っていなかった――沈黙が有った。


「貴女達の事は忘れないわ――私の事も忘れないでね」いつの間にか皇妃付き女魔術師シルヴェーヌが来ていた。


「何時までも幸せにね――」二人を抱き締める。


 言葉は少なかったが、感情がこもっていた。


 マリアがまた泣き出す。


 静香も嗚咽をこらえるので精一杯だった。


「湿っぽいわね――何時かは帰らなくてはいけないんだし、泣いても仕方が無いじゃない」シェイラが三人の態度を斬って捨てる。


「シェイラ――泣きたい時には泣く――それが人間らしいって事だよ」義理の母親でもあるホークウィンドがたしなめる。


 ホークウィンドは三人に近寄るとそれぞれの頬に優しくキスをした。


 三人は魔法にかけられたように泣き止んだ。


「それにどんなに泣いていても笑う時は来るよ」


「お母様の人間びいきには時々付いて行けないわ」


「エルフも人間も龍もそんなに変わらない――生きている事に変わりは無いんだから」ラウルが後を引き取る。


 ラウルは続けて言った。


「マリアさん。静香さん。君達は神を信じなくちゃいけないなんて思って無いよね」


「しなければならない事は何も無い――でしょう。義務の無い世界なんて考えられないけど――」静香が答える。


「ラウルさんには神様のお導きが有るからそう言えるんですよ――ずるいです」マリアも不満気に言う。


「僕だって神を完全に信じているわけじゃないよ」


「え?」マリアと静香は信じられない様子だった。


「僕は一度信仰を捨てているんだ。唯一神へも女神ラエレナへも」ラウルの言葉にマリアと静香は息を呑んだ。


「義兄さんが統合失調症を発症した時にね――世界は不条理と残酷さに満ちている――どうしてそれを神は放っておくのかって」ラウルは言葉を続けた。


「だからマリアさんや静香さんが神を捨てたいなら何度でも捨てて構わない――それで神とマリアさん達の関係が変わったりはしないから――無神論者でも神は救うんだ」


「でもラウルさんは神様を信じていないって――」


「論理的な類推だよ。神が完璧な愛なら無条件に全てを愛する筈だという――信仰でそこに辿り着いたわけじゃないんだ――神がいるという事だってそう考えた方が世界の成り立ちを説明しやすいからだよ」


「でも――」


「僕は神を知ってるし、信頼している――それは間違い無いよ」


 マリアと静香は納得した。


 神へ至る道は一つでは無いと前にラウル本人が言っていたからだ。


「ラウル。貴方は知を通じて神に到達する道を見つけたのね」


 ラウルはうなずいた――穏やかな微笑みを浮かべる。


「僕でさえ見つけたんだ。マリアさんや静香さんが神を見つけられない筈は無いよ。これが本当に僕の最後の授業」


 マリアと静香はラウルの隣にいるアトゥームを見る。


「アトゥーム。貴方の口癖は“そういう事だ。何の意味も無い”だったわね――今でもそうなの?」


 事の成り行きも無表情に見守っていたアトゥームは口を開いた。


 一人だけ、無関心とも思える態度だった。


「そう言う事だ。何の意味も無い」アトゥームは冷徹に断言した。


「それは――」マリアと静香が“それは違う”と言おうとする前にアトゥームは再び口を開いた。


「――だからこそそこに己の意志で意味を創ってやればいい――俺がお前達から教わった事だ」アトゥームが微笑みを浮かべる。


「俺もお前達に救われた――異世界から来た普通の少女達に」


 アトゥームは改まって言った。


「ありがとう――救世の乙女達」“死神の騎士”の顔に心からの笑みが溢れた。


 深い藍色の瞳にそれ以上の深い感謝の念が宿っていた。


 マリアと静香は言葉に詰まった。


「私からもお礼を言わせて貰います――夫を救ってくれて本当に――ありがとう」


アレクサンドラ皇妃も“死神の騎士”に寄り添って言った。


 その目には涙が光っていた。


 風が吹いた――その時、青白い光がマリアと静香を包んだ――正午だった。


“さようなら――私の乗り手達!貴女達に祝福を――!”ホワイトミンクスが伝えてくる。


「さようなら――皆さん!」

「さようなら――みんな!」マリアと静香は叫んだ。


 マリア達の視界が歪んだ――一秒も経たずに真っ暗になる――自由落下の様な感覚が二人を包む。


 二人は気を失いかけた。


 気付いた時にはいつも通っていた澄川女学院の寮への道に立っていた。


 ――夕陽が辺りと二人を照らしていた。


 明るい所に慣れていた眼が、周りを暗く見えさせた。


 身を襲う寒さに一瞬震える。


 ――帰って来た――


 たった今まで目の前に居たラウルやアトゥーム、ホークウィンド、シェイラ、アリーナ、アレクサンドラ、シルヴェーヌ、ミンクスの声ははっきり覚えているのに――。


 異世界で体験した事がまるで嘘だったかの様にすら感じた。


 だけど、瞼を閉じれば一つ一つの事まで確かにはっきりした事が思い出される――二人は左薬指を見た――異世界の指輪――二人の結婚指輪がそこにはちゃんと有った。


 目の前に広がる見慣れた光景と余りの落差だった。


 思わず涙がこぼれそうになる。


 本当に神様なんていないのかも知れない――二人はそう思った。


 だがしかし、その時二人は確かに聞いたのだ。


 男性のものでも女性のものでもない、優しい声がこう言ったのを。


“お帰り”


 二人は顔を見合わせた。


「マリア――今の――」


「先輩も――」


 それから少しの間、お互いに二人は、黙って見つめあっていた。


 共通の理解が二人をつつむ。


 音頭を取ったのはマリアだった。


「やっぱり――」


 二人は空を見上げた。


「――やっぱり、神様なんて――大っ嫌い!!」


 マリアも静香も思い切り目を瞑ると思いっきり舌を突き出した。


 今時の女の子のする事では無いと分かっていたが、それ以外に今の感情を表現する術を二人は知らなかった。


 二、三分もそうしていたろうか。


 落ち葉が地面を這う音が聞こえる。


 マリアと静香はもう一度顔を見合わせると笑いながら手を取り合った。


 手を繋いだ二人は寄宿舎目掛けて道を駆け出した。


 下校中の生徒は一人も居ない。


 通学路にはしばらく二人の笑い声だけが響いていた。


 二人の姿が消えた後はただ風が鳴るだけだ。


 ――暗くなった道に、沸き起こった曇り空から最初ははらりと、そして徐々に雪がひらひらと舞い降りてきた。


 人影の無くなった女学院にうっすらと積もった雪を、青白い満月が、静かに、苛烈に照らし出した。


 ――澄川の地に冬が訪れた。


                                         <終>

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神様なんて大嫌いと異世界に飛ばされた少女たちは叫んだ ダイ大佐 @Colonel_INOUE

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