第18話

 後日談、なんてものはない。


 小さな神様と出会って過ごした日々は疾風はやてのごとく走り去り、そして終わりを迎えた。

 その後にあるのは、いつも通りの生活。


 日曜日。朝から俺はキッチンに立っていた。


「……これでよし……と」


 作り上げたそれを皿に置く。きれいに並べられたたくさんの三角形――真っ白なおにぎりだ。


「これだけ作ればアイツも文句言わないだろ」


 そう独りごちて手を洗い、片づけ始める。もうすぐ枝穂もやってくる頃だ。家を出る準備をしておかないと。


 今日はこれから、俺と枝穂のふたりで神社に行く予定だ。


 この前の嵐の結果、神社の工事は一時中断が決まったらしい、と切畑屋が教えてくれた。しかし社はあの惨状だ。どちらにしろなにかしらの工事を行う必要が出てくるだろう。


「さて、と」


 おにぎりをタッパーに詰める。これで準備は完璧だ。


「……」


 ふと、リビングを見回す。当然そこには誰の姿もない。


 ニニが最後の力を振り絞り、光を放っていなくなってから、俺がその姿をこの目で見ることはなかった。何度も神社を訪れてみても、そこには壊れかけた社があるだけだった。


 ニニが果たして本当に消えてしまったのかはわからない。だけど、俺は信じている。見えなくなっただけで、俺たちのことを見てくれていると。そして彼女が身を呈して町を守ってくれた。それはゆるぎない事実だ。


 誰もが知らなくて……忘れてしまったとしても、俺だけは覚えている。絶対に。


「はあ……」


 無意識のうちにため息が出ていたことに気づく。


 短い間だったけど、あれだけ隣でうるさくされたけど。それでもよみがえってくるのは楽しい気持ち。何度も洗ってやったつややかな銀の髪も、きめ細やかな白い肌も、おにぎりを食べる時に見せる幸せそうな表情も、もう見ることも触れることもできない。


「……いかんいかん。俺がこんな辛気臭くなってたらニニが不安がるじゃないか」


 神様といっても結局中身は幼女も同然なのだ。俺や枝穂が沈んだ表情を見せてしまったら変に気に病んでしまうに違いない。

 見えないけれど、きっといる。だからあの場所に行っても悲しい顔をするのはやめよう。


「……でも、これをお供えしたらきっと喜ぶんだろうなあ、アイツ」


 それは断言できる。そしてきっとこういうに違いない。


「うむ! うまい! やはり握り飯はさいこうじゃ!」

「そうそうこんな感じで…………って、え?」


 …………。


 時間が停止した。ような気がする。


 まさかこの俺が寂しすぎて幻聴を聞いてしまったというのか。いや、まさかそんなはずは……。


 聞こえてくるはずのない声がした背後を、振り返る。誰もいないはずのそこには――


「おお実! 久しぶりじゃな!」


 見慣れた幼女がいた。幼女は俺が作ったおにぎりを口いっぱいにほおばっている。


「ニ……ニニ、なのか……?」

「んぐんぐ……。しつれいなやつじゃの。わし以外の誰がおるというのじゃ」


 無駄に自信満々な態度。丈が微妙に足りてない奇抜な着物。そして……キラキラと光の粒子を放つ銀色の髪に翡翠色の瞳。唯一変わっているといえば、あの時空に放ったかんざしがなくなっていることだ。

 だが、見間違えるわけがない。ついこの間まで生活をともにしてきた、ニニ本人だ。


「お、お前……どうして……」


 だが目の前の光景が嘘ではないとしても、理解が追い付かない。どうして彼女がここにいる? どうして俺に彼女が見えている?


「ふっふっふ……、わしにもう一度会えて感激のあまりに声も出ないようじゃな。いやあ、少し見ないうちに実も素直になったではないか」


 うんうんと満足そうにうなずくニニ。完全にいつも通りの彼女である。


「お前……消えたんじゃなかったのか?」


 さっきから消えていない、と自分の心に言い聞かせていたものの、やっぱり訊いてしまう。だって本人が言っていたではないか。最後の力を使って自分は消えてしまう、と。


「いやーまあ、それがの……?」


 少し照れくさそうに頭のうしろをかきながら、ニニは答える。


「力を使って嵐を消し去ろうとした時、わしはたしかに自分が消えていくのがわかったのじゃ。己の最期を悟ったのじゃが……」

「じゃが……?」

「なんと! 急に力が戻ってきての! まあ、ほんの少しじゃったわけじゃが、それでも嵐ひとつを消し去るくらいには十分じゃったわ」

「力が……戻ったって……」


 俺は思い出す。あの時の光景を。そういえばニニの力の象徴である山吹色の光が、少し強くなったように見えた。あれがその印だったというのか……。


「でもなんで……」


 ニニが消えていないという事実自体はうれしいが、やはり納得がいかない。マンガの世界じゃあるまいし、そんなご都合主義みたいに急に力が戻るはずないだろう。一体何が起こってそうなったというのだ。


 するとニニは優しく微笑んで、


「実のおかげじゃよ」

「え?」

「実がわしの神社を守るために声を上げてくれたおかげじゃ」

「それって……」


 俺がやっていた署名活動のことか? だけど、結局あれはなんの成果もあげられていないではないか。


「これはあくまでわしの予想なのじゃが……実がああしてくれたおかげで、わしの……わしの神社の知名度が少しだけ上がったのじゃ。そして嵐を目の前にした人間が、わしに祈ったのじゃろう。お願いします、とな」

「あ……」


 またしても思い出す。コイツは言っていた。神の力の源は、人間の祈りだと。


「まあ確証はないがの。……じゃが、少なくともわしはそう思っておる。おぬしのおかげじゃと。ありがとうな、実」


 言って、二コリを満面の笑みを向けてくる。


「そっか……じゃあ……」


 俺の行動は全部が無駄じゃなかったのか。目の前の神様に消えてほしくないという願いが、通じたということなのか。


「で、でもお前今ここにいるってことは、力が少なくなってまた俺についていなくちゃいけない状態なのか? だったら……」


 ぬか喜びしそうになって、はたと現実に戻る。これじゃ結局嵐の前と変わらない。またすぐに町に危険がやってくるのではないか――


「その心配も無用じゃ」


 ざわつく俺の心を、ニニの言葉が静めてくれる。大丈夫とは一体どういう意味なのだろうか……?


「案ずるでない。今のわしにはちゃんと社があるのじゃ。実にも見せてやろう」


 口角をつり上げてそう言うと、「ついてこい」と俺を引っ張る。呆気にとられて俺はなすがままにリビングから連れ出される。


 そして連れてこられてのは――我が家の和室。


「ほれ! これがわしの社じゃ!」


 右手を腰に当て、左手で指さす。その先はすぐ近くの神棚に向けられていた。


「これが……お前の今の社……?」


 オウム返しのように聞き返してしまう。もう一気にいろんなことが判明して頭が爆発してしまいそうだ。


「今のわしに残っておる力ではあの神社を社とすることはできぬからの。ここならちょうどよい手ごろな大きさじゃ!」


 ふふん、と鼻を鳴らすニニ。


 えーと……つまり……。


「この神棚が神社の代わりになってるから、規模が小さくなっただけでお前はこの町の守り神としてきちんと存在している、と……?」

「うむ! そういうことじゃ!」


 ぐっ、とやわらかそうな親指を突き出してきて笑う。

 身体から力が抜けていく感覚。これは……安堵? ニニが、消えずに俺の前に戻って来てくれたことに対して?


 そうだ。なんだかんだいっても俺はうれしいのだ。目の前で誰かがいなくなるなんて、もう経験したくはないのだ。


「ありがとな。戻ってきてくれて」


 優しく頭をなでてやり、


「お前は立派な神様だよ」

「ふふふ、そうじゃろう? じゃがわしはこんなところで終わらぬぞ!」

「ニニ……?」

「こんな小さな社で満足するわしではない。すぐにあの神社の社に戻って、それから人間の信仰をもっともっと集めるのじゃ!」


 ぐっ、と握り拳を作って言う。


「お前は……なんて野心家な神様だよ」


 呆れ半分で苦笑しつつも、ニニらしいと思う。


「じゃあ俺も手伝ってやらないとな。なにせお前が見える数少ない人間なんだし」

「むろんじゃ! おぬしにはこれからもうまいものをたくさんみついでもらうぞ!」


 なんて言って、ふたりで笑いあう。


 すると。


「もー何度鳴らしても出ないんだから……実いるのー?」


 インターホンに気づかなかったせいだろうか、待ちかねた枝穂が和室にまでやって来たみたいだ。


「ああ、枝穂。悪い」

「もうひとり行っちゃったのかと思ったよ……って、に、ニニちゃん!?」

「おお! 枝穂、久しぶりじゃの!」


 驚き目を見開く幼なじみ。そりゃそうか。

 そして震える手でぺたぺたとニニの頬を触る。


「本物……だよね? 見間違いじゃないよね……?」

「なんじゃおぬしもわしを幽霊のように扱いおって。わしはわしじゃ――むぎゅっ」

「わーんよかったよぉー!」


 思いっきりニニに抱きついて声を上げる。


「むぐぐ……く、苦しいぞ枝穂よ……」


 まあ正直、俺もニニの姿を見た時はうれしさのあまり抱きつきそうになったけど。すんでのところで理性を取り戻してやめておいた。だってビジュアル的にまずそうだし……。


「ど、どうしてニニちゃんがここにいるの? 消えちゃったとかじゃなかったの……?」

「ま、まあ色々とあっての……」


 あまりにうれしがってもらえたからか、少し顔を赤くしてニニが答える。が、枝穂はさらに気をよくして、


「なんでもいいよ。戻ってきてくれてうれしい!」


 ぎゅ、とさっきよりも優しく、そしてしっかりと抱きしめる。


「枝穂……ありがとうの……」


 そう言って、小さな神様を抱きしめ返す。


「そうだ!」


 と、何かを思いついたようで枝穂が急に立ち上がる。


「ニニちゃんきっとお腹空いてるよね? わたしおにぎり作るから! お供えのために練習してたけど、まさか食べてくれるようになるなんて思ってなかったから……ねえ実、ご飯余ってる!?」

「ああ、あるちゃあるけど……」


 さっき作ったおにぎり用に炊いたご飯がまだ残っている。


「じゃあニニちゃんちょっと待ってね! 今から作ってくるから。実のおにぎりより美味しいって言わせちゃうんだから!」

「あ、おい――」


 腕まくりをしてやる気満々な宣言をするとともに、和室を出てキッチンへと向かっていった。まああの状態じゃ止めても意味ないけどな。だけど――。


「すっかり元気だな……」


 願い云々で料理に対して奥手になっていた様子は見る影もない。


「じゃの……」


 ニニは枝穂のいるであろう方向に、神様らしい慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。


「力がもどったら、枝穂の願いも叶えてやらねば、と思っていたのじゃが……その必要はなさそうじゃの……」


 少しばかり残念そうにするニニ。


「大丈夫だよ」

「む?」

「人は、誰かに願いを叶えてもらわなくても、生きていけるものだよ」


 俺たちは、自分の力で歩くことができるのだから。たとえそれがどんなに小さな一歩でも。見当違いの方向であったとしても。


「それじゃあ、力が戻ったら俺の願いを叶えてくれよ」


 冗談でそう言ってみる。が、しかし。


「うぬ? 実の願いはもう叶っておるではないか」


 不思議そうに首を傾げてくる。


「え……?」


 一瞬冗談を冗談で返されたのかとも思ったが、彼女の表情を見るに、それはない。だから俺は純粋に、訊ねてみる。


「俺の願いがすでに叶ってるって、どういうことだよ」

「む?」

「あれか? 初詣の時のことか?」


 そもそもあの時どんなお願いをしたのか、自分でさえ覚えていないのだ。それが叶えられているというのもわけがわからない話だ。


 しかし、ニニはにっこりと笑って、


「おぬしらが忘れてしもうても、神であるわしが覚えておるのじゃよ。おぬしらの願いはの」

「なんだよそれ」


 なるほどさすが神様と言われるだけはあるな。これじゃあ敵わない。


「でも……願いがかなってるって言っても俺に特に変化はないんだけどな……」


 間違いの願いで料理が勝手にうまくなっていることは自覚しているが、それ以外は変化していないように思える。一体どこが変わったというのだろうか……?


「なにをいっておる。おぬしも、枝穂も……それからわしも……みな笑っておるではないか」

「笑って……る?」


 聞き返すとニニは言う。おぬしの願いはこうだと――


 みんなが笑っていられますように。


「あ……」


 言われて、気づく。

 俺はあの時、そう願ったのだと。


「そもそもおぬしの願いなど、わしがかなえるまでもないではないか。おぬしは自分の力で、みなの笑顔を勝ち得たのじゃから」


 このわしの分もの、と顔を赤くしてぶっきらぼうに言う。


「そっか……」


 今この時、俺の願いは叶えられているのだ。俺も枝穂も……クマちゃんたち町の人も……笑顔になった。いや、ニニがしてくれた。


 そして、目の前の小さな小さな神様も、笑顔になった。別に俺のおかげだとは言わない。だけど、叶ったのだ。


「ありがとな、ニニ」

「礼を言うのはわしの方じゃ。わしまでこうして笑顔にしてくれて、感謝しておる」


 じゃが、とニニは区切ってから、


「それはこれからも、じゃからの。これからも笑顔でいさせてくれ。お願いじゃ」


 手を合わせ、うやうやしく俺を拝んでくる。

 そんな様子を見て肩をすくめて、


「まったく、神様が俺にお願いなんかするなよ」


 そう言って。


 俺は笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

はにかみっ! ~初詣に行ったら自称・神様の幼女が居候することになりました!?~ 今福シノ @Shinoimafuku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ