第44話 Strange gene (10)
「家族揃って、同じ病気でしたか」
ご主人が苦笑し、男の子の頭を撫でる。少なからず残念そうではあったが、落胆とは違う気がした。
「ひとまず、定期的な眼科受診をおすすめします。ですが、遺伝子異常のほうが認められましたので、遺伝子操作は可能です」
夫婦は顔を見合わせる。ご主人は頷いたが、奥方のほうは戸惑った様子だった。
「この病気についてはある程度知っているつもりなんですが、遺伝子を見ても、発症時期や症状の深刻さがわかるわけではないんですよね?」
「はい。そのあたりに関しても研究が行われていますが、同じ遺伝子異常であっても、発症時期や症状には個人差があります。他の遺伝的要素があるというより、後天的な要素が大きいのかもしれません」
奥方は少し肩を落としてから、「そうですよね」と、ため息をつくように言う。
「私がもっと早く気付いていれば、この子が病気になる心配はなかったかも」
「気にするなよ。発症するとも限らないんだから」
「そうは言ってもね」
陽は夫婦のやり取りを黙って見ていた。成り行きをただ眺めている様子で、何を考えているかまではわからない。
「どうしようかな」
遺伝子操作の恩恵を受けるのは、まだ存在していない子どもだ。その子を妊娠するまでには、遺伝子操作の設計をした後にも、体外受精のための諸々の手順という、決して短くない道のりが待っている。妊娠が成立するまでに、迷いが生じることも少なくないはずだ。
「遺伝子操作をしなければ、子どもは確実に遺伝子異常をもって生まれてくるんだろ? 頼むしかないだろ」
「それはそうなんだけど」
奥方はおそらく、二人目の子どもを産むべきかというところで迷っているのだろう。それが、ご主人に伝わっていない。
「下の子だけ病気の心配がないのって、なんだか不平等じゃない? そういうことを考えられるようになったら、この子はどう思うかなって」
陽がぴくりと反応した。ように見えたが、陽は黙ったままだった。これは、私の先入観のせいかもしれない。
「そんなの、仕方ないことだったって言うしかないだろ。小さい頃から気をつけていれば、発症のリスクは低くなるだろうし」
「気をつけるのも、結構不自由なんだよ? 海に行くみたいなことも、気軽にはできなくなるんだし」
空気がずっしりと重くなる。覚悟はしていたが、それで息苦しさが緩和されるわけでもない。もはや日を改めてほしいと願い、陽の代わりに口を出す。
「ゆっくりお考えになってください。こちらは構いませんので」
「すみません。ただでさえ引き伸ばしてるのに」
「本当に申し訳ないです。どうする? 一旦帰って考えるか」
そこでも奥方は迷い、「でも、訊いておきたいこともあるし」と粘っている。
確かにここで帰ったとして、奥方の迷いが消えることはなさそうだし、夫婦間の心情の相違が解消される見込みもなさそうだった。持ち帰るか否かについても、気長に待つこととする。
「心中はお察ししますが、遺伝子操作をするから不平等になるわけではないと、個人的には思います」
陽がぽつりと言って、きょとんとしている男の子を見る。
「少なくとも一般的にイメージされているよりかは、兄弟の違いは大きいものです。親が同じだからといって、そっくりになるわけではない。一方だけが障がいをもつことはざらにありますし、極端な話、一卵性双生児でもまったく同じように育つわけではないですから。その違いを不満に思うのは、兄弟がいる時点で避けようがないことです」
奥方が顔を上げ、驚いた表情で陽を見る。少し頬を緩めてから、「ご兄弟が?」と尋ねる。「ええ、まあ」と、陽は曖昧に答えた。
「私の心配は、余計なことですかね」
「いえ、平等にしようという考えは重要なものです。最終的に平等でないとしても、不平等にならないようにという心遣いは、兄弟間の諍いを確実に減らすはずです。平等も何も、結局は見方次第ですから」
一人っ子の私にはわからないことだった。もちろん想像はできるけれど、自信のある考えをもつことにはつながらない。たとえそれが、持論であったとしても。
「病気の心配はなくても、一人だけ仲間はずれみたいで可哀想だしな」
「そうね、たしかに可哀想かも」
夫婦が微笑み、男の子に視線を移す。男の子はすっかりくたびれた様子で、ソファからずり落ちていた。
「やっぱり、お願いします」
陽が頷き、資料に目を落とす。しばらくそれを見つめた後、淡々と説明を始めた。
***
「結局心配なかったでしょ?」
「何が」
「例の内情ですよ」
「そっちはな」
白井さんが心外そうな顔をして、「どっちはあったの?」と、私に尋ねる。
「奥さんのほうが、ちょっと迷われたみたいで。兄弟で不平等じゃないかって」
「ああ、そっちね。でもそういうことで迷えるのは、いいお母さんだよね」
それは私も同意見だった。そして、陽も似たようなことを言っていた。
「でも、ご主人のフォローも良かったですよ。いいご夫婦だと思いました」
「へえ、どんな?」
「遺伝子操作したら、一人だけ仲間はずれみたいで可哀想って」
「なるほどー。でも小さい子って、実際にそういう考え方するよね」
白井さんが満足そうに頷き、ため息を漏らす。
「そういう親のもとに生まれたら、どうであっても幸せになるよ」
「家庭環境は大きいからな。良くも悪くも」
陽はそう言ってから、ふと思いついた様子で「そういえば」と手を止める。が、思い直したようにしれっと作業に戻った。
「ちょっと、今の何?」
「何でもない」
「何でもないことないでしょうに。絶対何か、言いにくいことを思い出したんだと思わない? ほらユイちゃん推理して」
「そんな無茶な」
そう言いつつ陽の様子を窺うが、挙動を見ずとも思い当たることがいくつかあって、そのどれのことなのかがわからない。腕を交差させ、「無理です」という意を示す。
「そういえば、まだお見舞い行ってるんですか?」
「ん? うん。回復は順調」
「退院するまで行くんですか?」
「たぶんね。それなりに仲良くなってきたし」
三浦氏から聞いた話は、まだ誰にも伝えていなかった。白井さんには言っておくべきか迷ったが、言うべきなのであれば本人から話すだろう。
だとしても、白井さんが三浦氏に認められることを目的として見舞っているのであれば、やはり話は別だった。
「理由、訊いてもいいですか?」
「見舞いに行く理由? 初めに行ったのは興味本位だけど、なんか放っておけなくなっちゃってさ。凄みがあるのは別として、切腹決めそうなヤバさを感じない? およそ見知らぬ人なわけだけど、精神的に参ってた頃の父があんな感じだったから、心配になっちゃったのかも」
なんとなくほっとした。白井さんが勘違いしていなかったからというより、これは白井さんらしいと思えたからかもしれない。しかし、突っ込まずにはいられなかった。
「白井さんのお父さん、怖い人なんですか?」
Plastic gene 水雲 悠 @mizunitsunakan
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