第43話 Strange gene (9)

 母と父は、職場の取引先の社員という関係から始まったらしい。ちなみに、父が母に一目惚れしたとのことだ。そこから、断崖と言うほど険しくないものの、果てしなく続く丘陵を登り続けるような、父の微笑ましい苦労話が始まる。


 奥手な父は、食事に誘うようなありきたりなことはせず、母の趣味や好みをさりげなく探り、仕事上の関係という範疇で逢瀬を重ねた。その段階でわかったのは、母にこれといった趣味がないことだったと、父は語る。


 ところが幸いなことに、その過程で母の父親、つまり祖父が、ウツボを飼い始めた。母と父はなぜウツボなのかという話で盛り上がり、どちらも動物好きという、なんとも言えない共通点を見つけることとなる。そこで父が母を動物園に誘い、曖昧な関係のままふたりで出かけるようになった。ところが、行くのは決まって動物園だったという。


 ふたりで年間パスポートを買い、動物園の中で待ち合わせるという微妙にロマンチックな関係を築きながらも、男女の関係としてはほとんど発展していなかったらしい。不思議な話ではあるが、出かける先が毎回動物園だったのだから当然でもある。


 しかしここで転機が訪れる。動物園に飽き始めた母が、父を自宅に誘ったのだ。しかしその理由も、例のウツボを見せるためだったりするので可笑しい。


 無論、父は祖父母と対面することになる。ちなみに祖母曰く、その時の母からの紹介も、「一緒に動物園に行く友人」だったそうだ。


「ご主人可哀想」

「今思うとそうだけどね。でも動物園って、意外と人を選ぶでしょ。だから一緒に行ける相手って稀有だし、あの人にとっての私もそうだと思ってたから」


 祖父がその紹介を真に受けたのかは疑問だが、祖父は喜んで父にウツボを紹介した。さらに祖父は、ドラえもんの原作を履修済で、なおかつ機械類に強い父をいたく気に入り、娘である母を差し置いて、父と親交を深め始めた。その結果、父は母の自宅に脚繁く通うことになる。


 母にとっての父の認識が「父親との共通の友人」になりつつあった折、父は勇気を振り絞り、ついに母を旅行に誘う。しかしここに来ても奥ゆかしい父は、北海道の某動物園に行くという名目のもと、一泊二日を提案した。父にしてみれば一世一代の大勝負だったわけだが、母はあっさりと快諾し、「一泊は短くない?」と、あろうことか三泊四日を提案する。結果的に母と父は、三泊四日の北海道旅行で正式な交際を始めることとなった。


「旅行のくだりではじめて、交際相手として意識したのよね」

「何度聞いてもお父さんが可哀想」

「でも、逆にロマンチックだよねえ」


 白井さんはうっとりしつつ、「でも」と首をかしげる。


「はじめから気は合ってたんですよね? そういう考えなしで関われるものですか?」

「不思議とね。だからよかったのかもしれないけど」


 母も首をかしげ、「たとえばたけど」と言いながらパンをちぎる。


「さっきの話でさ、陽君にその気があったとしたら、どう?」


 白井さんは唸りながら、「ナシではないですね」と、ちょっとびっくりすることを言う。


「え、なんか意外ですね」

「そう? そこでナシだったら、事務所の誘いにも乗ってないよ。だけどアリでもない。ああいう打てど響かずな人は、あたしには合わないから」


 浜島さんのほうが響かなさそうなものだが、あれは表向きのキャラクターなのかもしれない。あるいは別の方面の話だろうか。「へえ」とだけ言っておく。


「序盤の印象がそんな感じだったんだよね。気が合うという貴重な魅力はあるけど、異性としてピンとくるところがないというか。まあ、別の人にそういうインスピレーションがあるわけでもないけど」

「なおさら可哀想」

「でも、結果オーライってことですね」


 ここまでの遅々とした進行に反して、母と父が結婚に至るまでは早かったようだ。付き合ったのなら早く結婚しろと、主に祖父が急かしていたらしい。


 しかし母はやたら仕事ができる人で、父曰く、「野心がなくとも、人はこれほど昇りつめられるものなのか」と、上司に言わしめたほどだという。そういった周りの期待もあり、母が結婚や出産に乗り気でないことは明らかだった。実際、父が結婚を仄めかした時にも、「踏むべき手順が面倒くさそうだよね」と、消極的な発言をしている。


 そこで父は、結婚に至るまでの手続きを最小限に抑えるプランを組み、プレゼンテーションした後に結婚を申し出た。そして母から、「それならいけそう」という感想とともに承諾をもらい、めでたくふたりは結婚する。「事情がなければやるもの」という認識で結婚式は行ったようだが、もう少しお金と時間をかけてもよかったのにと、祖母は残念がっていた。その一方で、祖父に花嫁姿を見せられたのはよかったとも言っていた。


「ユイちゃんがいる前で訊くのもアレですけど、出産はそういうわけにもいかなかったんじゃないですか?」

「それはそうね。でも、思ったほどではなかったかな。母がいたことは大きいだろうけど、産休から復帰まで一年かからなかったし、在宅でも仕事できたから。実は、出産に関してもプレゼンがあって」


 双方の会社の制度、妊娠から出産に至るまでの一般的な流れ、起こり得るリスク、保育所のリスト、必要な経費等々、調べるべき情報をひとまとめにして説明されたらしい。父の下調べと全面的な協力により、母は「それならいけそう」という心持ちで、出産に臨むことができたわけだ。


「いいご主人だなあ」

「お父さん、今でも事あるごとにプレゼンやってるんですよ」

「旅行行く時とか、家電買い換える時とかね」

「いい家族だなあ」


 白井さんはにやにやしながら、食後の紅茶を啜っている。その目は遠くを眺めていて、何かを想像しているように見えた。


「そういえば例のウツボ、おじいちゃんのお墓に一緒に入ってるの知ってた?」

「なにそれ初耳。火葬したの?」

「死んだ後七輪で焼いてた。骨は標本にして、おじいちゃんが後生大事に持ってたの。せっかくだから一緒に入れてあげようって、おばあちゃんが」

「優しい。ところで、身はどうしたんですか?」

「ちょっと味見してたけど、死因不明だったからさすがにね」


 さすがおじいちゃん。やることが違う。


「ウツボ様さまですね」

「遺影は知ってたけど、骨のことは知らなかったな。お墓参りしなきゃ」

「おじいちゃんにもしてあげて?」


 おじいちゃんとウツボ、どちらが母と父の縁結びに貢献したのだろう。そんなことを考える。


「最初に家族に認められるのって、すごくいいですよね」


 白井さんはしみじみと言った後、ふいに俯く。そして震え始め、「ウツボ、じわじわくる」と、しばらく笑っていた。

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