第42話 Strange gene (8)

「突然お邪魔しちゃって、なんだかすみません」


 後部座席に座っている白井さんが、申し訳なさげに声をかける。母は前を向いたまま、「人数が多いほうが、楽しくていいから」と、映画鑑賞にはそぐわない返答をする。


 母と約束していた映画鑑賞に白井さんが飛び入り参加し、なんとも不思議な面子で映画館に向かっている。とはいえ白井さんが割り込んできたわけではなく、私が白井さんを誘ったのだった。それは私の独断だったが、「私も会ってみたいと思ってたんだよね」と、母はあっさり承諾してくれた。


「恋愛映画はお好き?」

「好き嫌いの前に全然観ませんね。映画じたいもストリーミングでしか観なくて。しかも観るのが、ホラーとかスプラッタだったりします」

「ああいうのは、家で観るほうが怖いよね」


 母と白井さんは初対面なわけだが、すでに打ち解けている雰囲気がある。間違いなく気が合うだろうと思っていたので、さして驚きはなかった。


 当たり障りのない会話を交わしながら映画館に到着し、あらすじを確認し終えたところで上映の直前となった。久しい映画館の雰囲気に懐かしさを感じつつ、特に感情移入できるところのない物語に入り浸る。


***


「良い話でしたねえ」

「そうね。普通に感動した」


 レストランで食事しながら、答え合わせのように映画の話をしている。どうやら恋愛映画を不得手とする母も、居眠りすることなく楽しめたらしかった。しかし、本当に感動したのかは怪しい。


「普通にって。恋愛の勉強にはなったわけ?」

「恋愛要素そっちのけで観ちゃったし、ああいう劇的な出会いは参考にならないね」


 劇的なのが駄目だというのなら、映画を教材にすべきではないだろうに。白井さんがにやにやしながら、私と母を見比べる。


「恋愛フラグの勉強なら、雑誌読むと良いですよ。あることないこと書いてありますけど、実生活寄りなので。あたしも美容院でしか読みませんが」

「それもそうね。次は喫茶店で勉強しようか」

「どうしてそんなに勉強熱心なの?」


 母はちょっと口を尖らせ、「白井さんに訊きたいことがあるんだけど」と、不穏な切り出し方をする。白井さんが嬉しげに頷き、「なんでもどうぞ」とはしゃいでいる。


「陽君って、学生の時モテてた?」


 白井さんは不意をつかれた顔をして、「てっきりユイちゃんのことを訊かれるのかと思いました」と、実際に口にする。


「母親にそういう話聞かれるの、嫌でしょ」


 母は何でもないことのようにさらりと言う。白井さんは目をぱちくりさせてから、「いいお母さんだなあ」と、羨ましげに言った。


「あれをモテていたと言うのかはわかりませんけど、憧れてる女の子は少なからず居たかと。周りが野暮ったい男子ばっかりなんで、実際映えてましたしね。当時の陽さんが垢抜けていたかは別として」

「端整で寡黙だものね。無愛想だけど」

「不器用も美徳ですから。なぜ陽さんのことを?」


 母はちょっと首をかしげ、視線を泳がせる。


「モテそうだとはずっと思ってたんだけど、そういう話を全然聞かないから。私の感覚が世間とずれているのかと、不安になって」

「あはは。全然ずれてないですよ。大学でもその手の話が一切出てこなくて、周りも不思議がってましたしね。国民的アイドルの熱愛より、すっぱ抜くのが難しいって言われてたくらいですから」

「何ですかその例え」


 母はさらに首をかしげてから、「単に女に興味がないとかではなく?」と、踏み込んだことを尋ねる。


「共通の知人によると、そうではないはず、とのことです。でもまあ、いかんせん謎が多い人なので。それ以前も、その手の噂はなかったんですか?」

「これはあると言うのかな。陽君が高校の時、すげなく振った女子に根も葉もない噂を触れ回られて、一躍有名人になったことがあるらしいよ。和君が言ってた」


 陽と和は同じ高校に通っていた。ちなみに私も同じ高校の出身だが、彼らが卒業してから私が入学するまでに、教員もほとんど一掃されている。


「何それ、はじめて聞いた」

「小学生に話す気にはならない類いだからね。元々虚言癖のある女子だったから周りは取り合わなかったけど、出所不明になった噂が一人歩きして大変だったみたい。まあ例に漏れず、本人はまるで気にしてなかったけど」

「陽さんらしいですね。あの人はそういう星のもとに生まれてきたのかも」


 母は軽く笑って、「心配になるよね」と、特に心配していなさそうな様子で言う。


「陽君も誘おうか。恋愛フラグ勉強会に」

「また妙なことを。教えられる立場でもないくせに」

「私も一緒に勉強するのよ」


 白井さんはひとしきり笑った後、「ああでも」と、眉をひそめる。


「陽さんは相手に勘違いさせやすいところがあるんですよね。無意識な女たらしというか」

「なんとなくわかるけど、たとえば?」


 白井さんは記憶を辿るように天井を見上げ、「私の経験で言うと、事務所に誘われた時とか?」と、譫言うわごとのように言う。


「私その頃、大手の事務所に勤めてたんですけど、いろいろとフラストレーションが溜まってた時期で。何かのセミナーで陽さんと再会して、流れで飲みに行ったんですよね。何を話したかは覚えてないんですが、散々愚痴ったような」


 白井さんのことだ。早々に酔い潰れて記憶が飛んでいるのだろう。白井さんとふたりで飲みに行った時点で、当時の陽が白井さんの扱いに慣れていなかったことはわかる。


「目覚めたら朝だったんですよ」

「ん? どこで?」

「ホテル」

「あらまあ」


 私は含み笑いを我慢できず、咳き込んでいる風を装う。男女が一線を越える典型例のようなシチュエーションだが、その後の展開は母も期待していなさそうだった。


「ふと横を見たら、わりと離れたところに陽さんが座ってて」

「座ってたんですか?」

「そう。いつものあの、考える人の格好で」


 白井さんが膝の上に肘を乗せ、手の甲に顎を乗せる。ロダンの「考える人」だ。


「今の仕事辞めて、一緒に事務所やらないかって。起き抜けに、何の前触れもなく」


 その様子がありありと浮かび、「状況」と、突っ込みを入れたくなる。


「変なことは言ってないのに、状況がちょっとね」

「そうなんですよ。言葉の上では普通なんですけど、一夜の記憶が曖昧だし寝ぼけてるしで、口説かれてるのかと思いました。わりと本気で」


 白井さんが本当に勘違いしたのかはさておき、その状況でその台詞は勘違いしかねない、かもしれない。陽の為人ひととなりを知っていると、台詞以上の意味を疑う気にもなれないけれど。


「それに何もなかったとして、というかこの場合は本当に何もなかったんですけど、一晩付き添われると胸にくるじゃないですか。この人あたしに気があるのかもって、女はだいたい思うでしょ。そういう懸念が、陽さんの頭には微塵もないんですよね」

「そうね。そういう節はあるけど」


 ここで母が頬に手を添え、「実際に気があったってことはないの?」と、珍しく食い下がる。


「同僚にしたいという気はあったんでしょうけど、もはやあの人の言動の何を参考にすればいいのかわかりませんでしたから。でもそういうのはないです。今は確信してます」

「そっか、残念」


 母はつまらなさそうに言い、ちらりと私に目を向ける。そして遠くを眺め、薄く笑った。


「でもまあ、私も人のことを言えないから」

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