ある科学者の手記

ウイルスは他の生物の細胞に、自分自身をコピーさせることで増殖する。


逆に言えば、自分だけでは増えることができない。


自ら殖える事を生物の条件とするならば、果たしてウイルス《彼ら》はどちら側なのか?


生物と無生物の境界。


そんな曖昧さが、私がウイルスという研究分野に惹かれた理由だ。


確かに、ウイルスは害悪の象徴だ。


それに感染したものは病気に侵され、時に死に至る。


しかし、それだけではない。


ウイルスは時に、感染した宿主を進化させる。


意外におもうかもしれない。


私も最初、信じられなかった。


しかし、真実なのだ。


ウイルスは他の生物の細胞に、自分自身をコピーさせることで増える。


その際、自分の遺伝子を、他の生物の細胞に混ぜ込むのだ。


これが、時に生物を進化させる。


我々、人間の身体にも、ウイルスによる進化の痕跡が残されていた。


ならば、ウイルスをコントロールする事が出来れば、自在に進化を操る事が出来るのではないだろうか?


できる。


結論から言えば、できるのだ。


事実、できた。


私が作り上げたこのウイルスは、人間の認知機能を改変する。


ある文字を認識できないようにするのだ。


私たちに見える水が、魚の目には水映らないように。


このウイルスに感染したものは、ある文字が認識できない。


それは、「i」という文字。


考えてみれば、知識なんて無い方が良かったのかもしれない。


有史以来、戦争が無くなる事はなかった。


むしろ、悪くなる一方だ。


人間は知識が増えるにつれ、人の殺し方が上手くなる一方だ。


未開の文明の労働時間は、せいぜい一日、3~4時間だったという。


豊かな森で、果実をもぎながら暮らす。


素晴らしいじゃないか。


確かに、寿命は短いかもしれない。


しかし、このふざけた現代で長く生きることに何の意味がある?


ただ、「死」の恐怖に目が眩んでいるだけだ。


だから、知識なんて要らない。


捨てるべきだ。



手元に本がある。


世界に影響を与えた名著たちだ。


『PRINCIPIA』

 Sir Issac Newton


『On the Origines of Species』

 Charles Darwin


『What is Life?』 

 Erwin Schrodinger


『Elements』

 Euclid


このウイルスに感染した暁には、これらの本も、もはや読むことが叶わないだろう。


なぜなら、「i」を認識できなくなるのだから。


さて、これから、このウイルスを、私自身に感染させるとしよう。




                 ♦



成功だ。


例の名著たちは、もはや読むことも叶わない。


このウイルスが広がれば、世界中の、誰にも。


人間はこの厄介な「知恵」からついに解放されるだろう。



『PR NC P A』

 S r  ssac Newton


『On the Or g nes of Spec es』

 Charles Darw n


『What  s L fe?』 

 Erw n Schrod nger


『Elements』

 Eucl d

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アイの無い話 夕野草路 @you_know_souzi

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