アイの無い話

夕野草路

ある考古学者の手記

1.


 学府での、誉れを捨てた。金を捨て、家族をも捨てた。

 長年の放浪。灼熱の砂漠を越え、重なる波頭を越え、壁のような山を越えた。

 我は、ようやく、ここへ達する。


『L brary』


 それが、この場所の名前だった。

 横たわるは、書物の山、山、山。その山を超えれば、現れるさらなる山。無限とさえ思える、山のような書物。

 されども、その文は、読むこと叶わず。我々の文とは、全てが異なる。ただ、その 絵、図表から察する。本の伝えんとする所は、我々が忘れた、遥かなる過去である。

 身体が震えた。

 感動である。

 我、この過去を、また我々の手中へと収めんと、心を定める。


3.


 我、ここを、我が家と定める。

 積まれたる本の、その量たるや、山の如く、我を以って、全てを運ぶこと、適わず。仲間を呼ぼうとも、あの険路を、我はまた、越え得るとは思えず。

 何処とも分からぬ荒野で、野垂れるのなら、我、忘れたる過去を、また我々の手中へ収めるまで、ここで、積まれたる本を枕とせん。


6.


 野原の草を集め、川で、魚を釣る。礫で小鳥を捕っては、山で果物をもぐ。

 ここは豊かな風土のようで、食う事は、困らず。種々の食物の豊富なる事、商家にも劣らず。

 ただ、酒は、得る事、叶わず。

 朝が来れば、目覚め、夜が来れば、寝る。

 身体は、却って、すこぶる健康である。

 ただ、本の調査、進まず。

 本の山々。その伝えんとするところ、分からず。頁を繰るまま、やがては夜となる。


10.

 

 分かったことを、纏める。

 文は、数個の、単語からなる。

 単語は、数個の、紋様からなる。

 紋様は、数本の線から成る。

 紋様の種別の数、50。

 その他、


 「!」 「?」 「⁉」

 

 なる紋様も有る。それは、文の終端だけ、現れる。

 されども、これらの紋様が成す、文の伝えんとするところ、分からず。


15.


 本の調査、進まず。

 ただ、文は読めずとも、本の所々で、姿を現す、図表、絵から、我々の過去の様子を、想像する。

 我々は、過去、空をも飛んだ。

 天を擦るほどの塔を、数多、造った。

 空のその果て、満月の向こうまでの様子も、その手中へ収めた。

 我、頁を繰ると、感動で、身体が震える。

 我々が、千年を経ても、届かぬであろうその遥か向こうを、この本は黙々と、語る。


50.


 冬となる。

 我、やがて冬となる事、忘れずる。

 その為、蓄えは、はなはだ、足らず。

 ここは豊かな風土ではあるが、冬となれば、食物、少なく、我、草の根を食む。

 我が、これほど愚かだったとは。

 されども、誰が、我を責め得るや。

 積まれたる本の山。

 我らが忘れた過去。

 頁を繰る事、止めがたく、冬の来る事、覚えず。この衝動、抑える事、叶わず。


75.


 我、本を燃やす。

 寒かった。ただ、寒かった。

 本の山が堆く重る。この中の数冊、減ろうと、些末な事。寒さの中、震えながら、我は思った。

 何と、愚か!

 我こそ、この世の、愚者の王なるぞ!

 夜が明け、燃え滓だけが、残った。それも、凍える風が攫う。

 我、泣く。

 我々の過去は、僅かな暖のため、芥となったのだ。

 また、このような事が起これば、今度は、我が、凍らん。忘れぬよう、ここへ書く。


79.

 

 本の調査、進まず。

 紋様の数、50。

 この50の紋様、二つの種別へ、分け得る。

 両方の種別、それぞれ、25づつの紋様を含む。

 片方の種別の紋様、他方と比べ、小なる。

 何故、二つの種別を設けたるか。


262.


 本の調査、進まず。

 その文の、表す事、分からず。

 焦燥が、この胸を焦がす。

 我々の、これから、千年も、万年も、栄え得る。ただ、この本を読めれば。

 されども、分からず。

 焦燥が胸を焦がす。


340.


 本の絵から、察すると 


 『electr c ty』


 なる物が在ったようだ。

 これは、手を使わずとも、あらゆるものを動かせた。

 また、遠く、離れたる者へ、声を届ける事すら、可能だった。

 全く分からぬ事が有る。

 何故、これほどの業の数々、我々は、忘れたるか。

 世の中を、天国の如く、変え得る業の多くを、何故、捨てるか。

 この積もる本の山の中、その答えも有らん。

 我が、全ての、謎を解かん。


701.


 このところ、朝から、晩まで、頁を捲らぬ事が有る。ただ、川端から、竿を伸ばす。魚を釣るのだ。

 今日も、そうであった。

 まるまる太った魚が、釣れた。

 半分は食べ、半分は干す。干せば、冬の蓄えとならん。


741


 本の調査、進まず


816.


 本の調査、進まず。


911.


 本の調査、進まず


954.


 本の調査、進まず。


1022.


 本の調査、進まず


1066.


 本の調査、進まず。


1128.


 本の調査、進まず


1912.


 果物を噛むと、種で、歯が欠けた。

 顔を撫でれば、たるんだ皮が摘まめた。

 頭を撫でれば、毛も薄く、服を脱げば、この身体、骨だけが目立つ。

 おおよそ、五年が経つ。

 家族は、健やかだろうか。願わくば、我の事などは忘れ、頑健たらん。


3808.


 我、この目を疑う。

 過客、我が前へ、現る。

 彼の者、遍路の途、迷う。やがて、この場所へ、達する。

 なんたる、僥倖。

 我、この場所の事、彼へ、話す。

 堆く積まれた、本の山。その中から、最も重要と思われる4編を、有るだけの食料を祖経て、彼へ託す。

 彼へ託す本の名、著者、ここへ示す。



『PR NC P A』

 S r  ssac Newton


『On the Or g nes of Spec es』

 Charles Darw n


『What  s L fe?』 

 Erw n Schrod nger


『Elements』

 Eucl d



 願わくば、これらの本、かど有るものの手へ。

 その者の手で、我々が失くす過去が、暴かれんことを。


4099.


 本の調査、進まず


4201.


 本の調査、進まず


4555.


 先達よ。

 何故、業を忘れるか。

 空を翔け、鉄の舟を浮かべ、星をもその手へ収めた業を、何故、失くすか。

 何ぞ、楽園を捨てるか。

 止むを得ぬ故、在らん。

 されど、何故、残さぬか。子の為、孫の為、その業をのこさざるか。

 本の調査、進まず。何故、これほどまで、過去を語る事、拒むか。


4901.


 本の調査、進まず


5000.


 本の調査、進まず


5899.


 本の調査、進まず


6213.


 本の調査、進まず


6771.


 我、届かざる。

 何ぞ、足らざるや。

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