第3話 ジャスティーナ城の日常
ローウェル王国の東の森の奥深く、怪しげな美しさを放つジャスティーナ城は、その外見の陰鬱さとは反対に、今日も子供たちの声で賑わっていた。
「おにいさま、まって!」
「はやくはやく、リネット」
エルと結婚してから早7年が経とうかという今日、散歩代わりに庭へ出た私の目の前では、可愛い子供たちがじゃれ合っている。今年5歳になった息子のオリヴァーと、4歳になろうかという娘のリネットだ。
二人とも、見事なまでに私とエルの銀髪と青の目を受け継いでいる。顔立ちは、オリヴァーは私に似ており、リネットはエルによく似ていた。
「お二人とも、きをつけてください! けがでもしたら、たいへんです!」
芝生の上をはしゃぎまわるオリヴァーとリネットを注意するのは、エディ様とナタリーの一人息子、ディーンだ。ナタリーはオリヴァーの乳母を務めてくれたので、オリヴァーとディーンは乳兄弟と呼ぶべき間柄だろう。
ディーンは、吃驚するほどエディ様によく似ている。その黒髪や緑の目はもちろんだが、5歳やそこらで既に私の子どもたちのお目付け役のような立場になっているのだ。何だか、私とエルを諫めるエディ様を見ているようで、何度見てもくすくすと笑みが零れてしまうのだった。
「どうされましたか?」
私の傍に控えているナタリーが、癖のある赤毛を揺らしてにこりと微笑む。お互い子どもを持ってからというもの、ナタリーとの仲は一層深まっていた。
「ふふ。ディーンは本当にエディ様そっくりだわ」
私のその言葉に、ナタリーもまた苦笑いを浮かべてみせる。
「本当に、日に日に主人に似て来ている気がします。将来はお医者さんになる、って今から聞かないんです」
「まあ、それは素晴らしいわね。将来が楽しみだわ」
「オリヴァー様やリネット様だって、本当にお二人にそっくりですよね。オリヴァー様はセレスティア様の優しそうな感じを受け継いでおられますし、リネット様はエルドレッド様のあの独特な美しさがおありです」
ナタリーは良く私たちのことを見てくれているようだ。私も同じことを思っていただけに、くすくすと笑みが零れてしまう。
「ああ、でも……本当にこのお城は賑やかになりましたね。セレスティア様がいらっしゃる以前からは、考えられないほどに」
ナタリーは陽だまりに照らされた子供たちを見つめながら、どこか感慨深そうに告げた。
確かに、いつの間にか随分と家族が増えたものだ。今では子供たちの笑い声の絶えない、とても活気のあるお城になった。
「あ! おとうさま!」
不意にオリヴァーが声を上げたかと思うと、彼の視線の先には穏やかな笑みを浮かべるエルがいた。隣にはエディ様もいる。
「おとうさま!」
リネットもすかさず顔を上げて、二人してエルの元へ勢いよく駆け出す。
「二人とも、外で遊んでいたんだね」
エルはオリヴァーとリネットを抱きかかえながら、心底幸せそうな表情を見せた。彼独特の物憂げな雰囲気は今も健在なのだが、二人が生まれてからは随分と明るい表情をすることが多くなった。
オリヴァーとリネットが私のお腹の中にいるときのエルの過保護っぷりには、今でも苦々しい笑みが零れてしまうのだが、逆を言えば彼はそれだけ二人の誕生を待ち望んでいたのだ。
いざ二人が生まれたときの彼の喜びようと言ったらなかった。「義兄上に掛け合って二人の誕生日を祝日にしよう」とまで大真面目に言っていたほどだ。
放っておくと本当に陛下に提案しそうな気がして、やんわりと諫めておいたのだが、本当に諦めているかどうかは若干心配なところではある。
陛下――そう、第五王子レナード殿下は、今やローウェル王国の国王陛下となられていた。
セドリック殿下の一件で揉めていた王位継承問題だったが、3年前、セドリック殿下が亡くなったのをきっかけに、王太子殿下もいよいよお心を病み、とても表舞台に出られるような状態ではなくなってしまった。
そうなれば、レナード殿下に王座が回ってくるのはごく自然なことで、レナード殿下は即位してわずか3年で、既に民や貴族たちからの信頼の厚い、立派な為政者となっていた。
私生活のほうも順調で、第五王子時代に迎えたお妃様と、二人の王子様と共に幸せに暮らしていらっしゃるようだ。
いつか私に遠回しな告白をしてくださった陛下だけれども、ちゃんと前を向いて幸せを掴んでくださっていることに、おこがましいとは思いつつも安心してしまった。
「エディ先生、ご本読んでー!」
リネットが絵本を片手にエディ様の方へ駆け出す。それをきっかけに、オリヴァーやディーンもエディ様の元へ駆け寄った。
「お父上やお母上もいらっしゃるのに、私でよろしいのですか、お二人とも」
エディ様は三人の子どもたちの目線に合わせて屈みこみながら、穏やかな笑顔を見せる。エディ様は持ち前のずば抜けた演技力のためか、本の読み聞かせが誰よりも上手いのだ。思わず、私たちも聞き入ってしまうほどだ。
「エディ先生がいい!」
「父さま! おねがいします!」
子どもたちにせがまれ、エディ様は芝生に膝を下ろした。その周りに寄り添うように、三人の子どもたちが座り込む。
「ナタリーも行って来たら?」
横目でナタリーに笑いかければ、彼女も柔らかな表情で頷いた。
「……そうですね。読み聞かせの後、土を払って差し上げなければ」
そう言って、エディ様と子供たちの方へ歩き出すナタリーの後姿を見送りながら、私は言いようのない幸福感から小さな溜息をついた。
この城は、どこもかしこも陽だまりで満ちている。とても温かな、優しい場所だった。
「まったく、エディの人気はどうにかならないものかな……折角オリヴァーとリネットが僕に抱きついていたっていうのに……」
どこか不満げにぶつぶつと呟きながら、ナタリーと入れ替わるようにこちらへ歩み寄ってきたのは、他ならぬ私の旦那様、エルドレッドだった。
「ふふ、仕方ありませんわ。エディ様の読み聞かせの腕前は一級品ですもの」
隣に立ったエルは、今日も今日とて人目を奪う美しい見目をしていた。陽だまりに煌めく白銀の髪も、淡い青の瞳も、思わず目を惹きつけるような物憂げな雰囲気も、出会ってから数年経った今も色あせるどころか、色気のようなものが増して一層魅力的になっている気がする。
実際、夜会に出て行けば、ちょっと目を離したすきにご婦人方に囲まれてしまうのだから、素敵すぎるのも困りものだ。
そんなエルは、レナード殿下が国王陛下として即位なさった折に、サイアーズ公爵領を賜り、今では公爵として王国を支えていた。言うまでもなくレナード殿下の右腕であり、必要最低限の表舞台にしか登場しないため、神秘の公爵様とまで呼ばれている。もっとも、エルの見目を考えれば、その呼び名も納得するだけの怪しい美しさはあるのだけれども。
「まあ、子どもたちが楽しそうならそれでいいか……」
エルは芝生の上に座り込む子供たちを眺めながら、ふっと表情を緩めた。婚約者だった時代にはあまり見られなかった、余裕のある、とても穏やかな表情だ。
すれ違っていた時期に見せていた、思い悩むような苦しい表情とは無縁の、清々しいその笑みに、私はまた一つ幸せの温度を知るのだ。
「たまには二人で散歩しよう、セレスティア。向日葵の迷路がいい具合に咲いているようだから」
このところは、子どもたちと四人で散歩することが殆どだ。言うまでもなくそれはこの上ない幸せなひと時だが、たまには二人きりで歩くのもいいだろう。エルと二人きりで過ごせる時間と言ったら、夜も更けてからの時間帯だけなので、こうして陽の当たる時間を共有するのは久しぶりだった。
「ええ、そうしましょう、エル」
エスコートするように差し出されたエルの手に自らの手を重ね、彼を見上げてにこりと微笑む。エルもまた、それに応えるように頬を緩めてくれた。
ちらりとナタリーを一瞥すれば、彼女はすべてわかっているとでも言いたげな、にやにやとした笑みで私たちを見守っていた。ディーンがエディ様そっくりだという話をしたが、このところはナタリーまでエディ様に似てきているような気がしてならない。
「夫婦って似てくるものなのかしら……」
ナタリーに手を振り返しながら思わず呟けば、エルが不意に私との距離を縮めて笑った。
「それは嬉しいな。セレスティアにはもっと嫉妬して、僕を独り占めしたいって思ってもらいたいと考えていたところだから」
さりげなく私の腰に手を回すエルの笑みはやっぱり怪しげな美しさがあって、思わず顔を背けてしまう。
「……私だって、全くそのような気持ちがないわけではありませんわ」
消え入るような小さな声で言ったつもりなのに、エルは見逃してはくれなかったようで、一層詰め寄られてしまう。
「本当に? いつ? どんなとき? 嫉妬深いセレスティアなんて絶対に可愛いんだから、嫉妬してるときはちゃんと教えてくれなきゃ困るよ」
私を抱きかかえる勢いで距離を詰めるエルに、頬が熱を帯びる感覚を味わいながら必死で抗議の声を上げる。
「っ……子どもたちが見ておりますから!」
「見てなきゃいいの? じゃあ、この続きは後でね」
エルは不敵に笑ったかと思うと、ようやく私から体を離し、改めて私に手を差し出した。
「じゃあ、今は健全に散歩でもしようか、セレスティア」
含みのあるエルの表情に、思わず苦笑いを零してしまう。何だかんだ言ってこの数年間、私はずっとエルに振り回されっぱなしだ。
でも、それが何よりの幸福と思えるのだから、私の愛も大概だ。
エルは私を陽だまりだと言ってくれるけれど、その陽だまりの日々を、色鮮やかに染め上げるのはやっぱりエル以外にいない。
そして温もりと色鮮やかな平穏の中で、すくすくと育っていく子供たちの未来が、何だか楽しみで仕方がないような気がしていたのだった。
身代わり侯爵令嬢セレスティアの初恋 染井由乃 @Yoshino02
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