私、ヘルムントがクレムとの関係を断つこと、またクレムが姿を消すこと
クレムに溺れた私はその後もクレムを幾度か買った。そしてクレムの花代を手に入れるために実家に金を無心し、しまいには賭博にも手を出すようになった。大学にも行かずに昼間から酒場で賭博に明け暮れる田舎出の学生の典型だった。私のように身を持ち崩す若者がそこら中にあふれかえっていたのだ。
その私の様子を私の家族は放ってはおかなかった。父は私を迎えに来て家に連れて帰り、激怒して何日も部屋に閉じ込め、母は私の変わり様を切々と嘆き更生を訴えた。
両親の努力の甲斐あり、それからは私は心を入れ替え、大学に戻り真面目に勉学に励んだ。
クレムを酒場で見かけたときは、狂おしいほどの情念が湧いたが私は何とか耐え切ったのだった。
それから一年後、それまで各地で燻っていた農民の反乱が満を持して起こった。
農民戦争である。
西南地方の修道院の農民反乱から始まったこれは各地の農民に飛び火し、東南東北へと諸侯の城塞、教会、修道院が次々に襲撃された。
蜂起を主導したのは聖職者トーマス・ミュンツァーであり、ルターの信奉者であった。熱きルターの信奉者であったミュンツァーであったが、下層階級の要求を弾圧し、諸侯に妥協しているルターの姿勢を次第に批判し始めた。対してルターは彼を『アルシュテットの悪魔』と呼び、厳しく非難した。
ルターは当初、反乱農民たちに同情的であったのだが、ミュンツァーが指導する反乱が始まると諸侯たちにこれを鎮圧するよう勧告した。
ミュンツァーの影響力を慮り、それまでなかなか暴力的処置に踏み切れなかった諸侯たちはルターに激励されて背中を押されるように農民軍の鎮圧にあたった。彼らは各地で農民軍を撃破し、ある所では1000人の農民を虐殺して川に投げ捨てた。
農民戦争は結局、10万人の農民が殺され、トーマス・ミュンツァーら首謀者の処刑で幕を閉じた。
このとき南部の農民は諸侯軍側についたルターに見切りをつけ、カトリックに戻ったのであった。
クレムの姿はそれ以降見ていない。
クレムの行方を詳しく知る者は居なかったが、それについて様々な説が湧いた。
ある者はクレムはフランスに渡り
またある者はクレムはルター派とミュンツァー派双方に情報を流しており、報復のためどちらかに消されたと話した。
もう一つの話は、クレムは農民戦争で農民側に参加し、男装のまま勇敢に戦うジャンヌ・ダルクのように散った、というものだった。
いずれも信憑性に欠けるが、隣国で外国出身のクルチザンヌになったという説を皆は支持した。
私としてはクレムはあのクレムのままで居て欲しかった。
ある町の何処かで、プールポワンを着こなし、コッドピースを身につけ、酒場で朗らかにサイコロ賭博をする、そのクレムの姿を私はたまに想像するのである。
コッドピースの女 青瓢箪 @aobyotan
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