第10話 聖火賜与
聖火
ほぼ森ではあるが古代遺跡が多数眠り、神の遊び場という異名を持つ地には現在、サイロスの兵士たちが厳戒態勢を敷いていた。
トキツとギジー、公用護衛二人を伴って入島したツバキだけ明らかに非戦闘員であり、かなり浮いている。すれ違う兵士たちの奇異の目を避け、隣を歩くトキツへ小声で話しかけた。
「やっぱりアベリアたちと一緒にいた方がよかったんじゃ……」
「陛下の命令だから堂々としてればいいさ。それにカオウが何かやらかしたとき、手綱を握れるのはツバキちゃんだけだろ」
「何かって?」
「何かは何かだよ。さっきも島に着くなりとっとと一人でどこか行っちゃうし」
「島の様子を見に行っているだけでしょう」
「警戒してるってことなら、まあ、いいんだけど。なんか今日のカオウは朝からピリピリしてないか?」
「そう?」
「昨日ケンカでもした?」
「そんなことはないけれど……」
ケンカはしていない。だが確かにカオウの様子はいつもと違う気がした。
話しかければ返事はするが、どこか素っ気ないのだ。
しばらく歩くと森を抜け、整地された広場に到着した。
聖火賜与の舞台となるそこには約三十人の兵士と、同数の授印、ライオネル、そして初日に猛々しい踊りを披露したゴリマッチョ従者もいる。
従者はツバキたちに気づくなり敬礼し、白い歯を見せた。ちなみに今日は他の兵士同様、胸と肩に防具をつけて矛を持っていた。
「ご案内します」
「お邪魔したくありませんから、お気遣いなく。私たちは隅にいます」
「いえ、州長官より仰せつかっておりますので」
ああ、とツバキは納得する。
ジェラルドから説明しろと言われた手前、何もしないわけにいかないのだろう。ライオネル自身がするつもりはないようだが。
彼は他の兵士と話し込んでいて割り込める雰囲気ではないので、ツバキも挨拶せず従者についていく。
広場には建物が崩れたあとのように太い円柱の残骸が何本か残っていた。その中央付近に四方を十二段の階段で囲われた台があり、年季がかった半円の器が設置されている。
「あの器に火をつけるのですか?」
「いえ、あの器は凹面鏡になっておりまして、九つの部族がトーチをかざして陽の光で火をつけます。火は雨や風では消えませんが、四年に一度交換する決まりとなっております」
「四年間ずっと消えないのですか?」
ツバキが驚嘆すると、従者の表情が曇った。
「大抵は、です。稀に消えることがあり……。消えるとサイロスに凶事が起こるという言い伝えがあります。実は昨年、とある部族の火が消えました。そしてその部族の者が発端となり、あの疫病が発生した。女神の火の力を再認識した民は私だけではないでしょう。ここにいる兵士の中には、疫病で家族や友人を亡くした者が大勢おります。火を奪う者が現れるのならば、我々は命を懸けて守り抜く覚悟です」
従者は誓うように拳で胸を叩いた。
「儀式の流れとしては、九つの部族が三名ずつ、計二十七名で女神を迎える舞を舞った後、守人立会いのもと、古いトーチを返納して新しいトーチに火をつけます」
「守人?」
「千年以上も前からデロス島と女神の火を守ってきた者たちのことです。セイレティア様は、女神の火についてお知りになりたいのですよね。でしたら、守人から直接聞かれた方がよろしいでしょう」
歩きながら説明していた従者は、広場の端から空を見上げていた老人を指し示す。
老人の身長はツバキよりも低く、薄茶色の髪と髭が地面に届きそうなほど長い。サイロスにしては稀な外見だが、老人にしては筋肉はがっしりしており、歴戦の戦士のようだった。
事前に話を通していたのか、老人は皇女の登場に驚きもせず、恭しく頭を垂れる。
「わしは守人のテヒロイと申す。女神の火のことならなんでも聞いてくだされ」
「セイレティア=ツバキ・モルヴィアン・ト・バルカタルです。お忙しいのにありがとうございます」
「なんの、女神様に関することゆえ、皇族の方が興味を持つのは当然のことです」
老人はにっこりと目尻にシワを刻む。
「さっそくですが、皇女様は火の起源はご存じですな」
「創世記には、女神が手を鳴らして火を散らしたとありますね」
「左様です。まさにその火が、デロス島にもあるのです」
「デロス島
「女神が散らした火は世界中に散らばり、周りの環境により形を変えて地中深くに眠っています。固体のところもあれば液体のところもある。色も様々。呼び名も各地で違うようですが、わしらはシィーメ――恵みの種――と呼んでおります」
「地中深く? 資源みたいなものということですか? 他にもあると断言できるのはどうして?」
ツバキはすんなりと理解できなかった。
老人はやんわりと目を細め、ふむ、と長い髭を撫でる。
「一つずつお話しいたしましょう。
何千年も昔、海にまだ禍々しい魔力が残っていた時代のこと。近くの海域に巨大な魔獣が現れ、多くの漁師が命を落としていました。そこでご先祖様がデロス島に女神様を祀る神殿を建てて祈りを捧げると、女神様が降臨され、シィーメがある場所と、シィーメから火を起こす知恵を授けてくださり、無事魔獣を倒すことができました。
シィーメが他にもあり、その土地によって女神の火を扱う
いつからか女神様は現れなくなりましたが、儀式を通して女神様を称え、また、豊漁と海の安全を祈念するようになったのです。
しかし今から千年ほど前、原因はわかりませんが……妖魔が少しずつ湧くようになりました。しばらくは火矢で対抗しておりましたが、次第に妖魔の数が増え、これまでの火では通用しなくなってきたため、ご先祖様はより強い火力を得られるようシィーメの研究を重ねてきました」
老人は「わしらが女神の火と呼んどりますのは、シィーメを精製、加工した物です」と付け加えてから、一呼吸置く。
「しかしある年、一匹の妖魔が点火する前の女神の火を飲み込みました。するとその妖魔は巨大化し、人間に匹敵するほどの知恵を得て、とある島を一つ消滅させました。
以来他の妖魔も女神の火を狙うようになり、人間や魔物を圧倒し始め……。最も厄介だったのは、これまでバラバラだった妖魔たちが、兵士たちを真似て組織化されるようになったからだと云われています。
その組織の頂点に君臨したのが、最初に女神の火を飲み込んだ妖魔、わしらがベアルゼブル――死の雨を降らせる者――と呼ぶ妖魔です」
「その名って……」
ベアルゼブルは始祖が唯一滅ぼせず、始祖の森の中心に封じた妖魔の名だった。
もし今日女神の火を奪われれば、第二のベアルゼブルが誕生し、サイロスのみならずバルカタル、いや世界中が滅びの危機に瀕するかもしれない。
もしもの事態を想像して背筋が凍った。
「ちょっと聞いてもいいか」
後ろで聞いていたトキツがひょいと手を挙げる。
「その妖魔が来るかもってのに、なんでそんなに落ち着いてるんだ。儀式が始まる前に襲われる可能性だってあるじゃないか」
想定内の質問だったのか、老人は長い髭をさすりながらほふっと笑った。
「おぬしの位置からは女神の火の製造所が見えるはずだが、見えるかの?」
「製造所?」
トキツは辺りを見回した。
森と小道が見えるだけで、目を凝らしても道の先にそれらしき建物はない。
老人は得意げに頷く。
「見えないものを奪うことはできんじゃろう。製造所には視線をずらす魔法がかかっているのじゃ」
「視線をずらす?」
どこかで聞いたことがあるような……とトキツが剃ったばかりの顎をさすると、ツバキが「あっ」と声を上げた。
「ケデウム元副長官の授印じゃない?」
「そうだ。あの熊」
ポンと手を叩く。
老人は意外そうに目を見開いた。
「おや、ご存知とは。
「始祖から?」
「はい。ベアルゼブルが誕生してから大勢の戦士が死に、サイロスの滅亡が目前に迫ったころのことです。突如カタルから魔物を率いた少年が現れ、妖魔を一掃してくだされた。そして女神の火を守るためと砂毘熊を二頭預けられたのです。十二神ではありませんが、それに匹敵するほど高い魔力を持っていたとか。確か、元はケデウムに生息していたと聞いとります」
そんなすごい魔物だったのかと意外なつながりに感心するトキツ。
「ですから」と老人は話を戻す。
「儀式が始まるまでは心配ないと思っとります。問題は始まってからですが、懸念すべきは、誰も妖魔を見たことがない、という点でしょうな。そもそもが伝説上の存在で、赤黒い異形のものという知識しかない」
ツバキは一度見たことがあるが、それでも「不完全の」状態らしい。
それさえも知らない兵士たちは、妖魔と聞いてもピンと来ないだろう。幽霊が来るから戦えと言われているようなものだ。本気で警戒している兵士が何人いるか、警戒していたとしても果たしてまともに戦えるのか、不安は尽きない。
その点、カオウは小さいころ妖魔を実際に見たことがあり、最近では不完全の状態だとしても倒した実績がある。勝敗のカギを握るのはカオウになるだろう。
ふいに影が落ち、ツバキは空を見上げた。
晴れてはいるが快晴というわけではなく、上空は風が強いのか、雲の流れが速い。
「このまま陽が出ていればいいんだがのう」
老人がポツリとつぶやくのが聞こえた。
儀式は陽が最も高く昇る時間帯に始まった。
参加者は九つの部族が五名ずつ、州長官を含めサイロスの高位貴族が五名、守人の老人、そしてツバキが円形の器がある台の前に並び、サイロスの兵士と授印たち、トキツ、ギジー、公用護衛二人は少し離れた場所で待機していた。広場に全員は収まらないため、授印の背に乗って滞空する者もいる。
従者が説明した通り、まず最初に各部族の代表者たちによる舞が披露された。
やはりここでも踊るのは上半身裸の男たち。
ただ今回、従者は不参加だ。女神を迎える舞は自分より若い年代の男性たちの役目なのだと少し残念そうに話していた。
よくよく考えると、今回の舞は昔実際にレイネスも見ていたらしい舞なわけで。それを二十代前半のムキムキ男性たちが躍ると決まっているというのは、なんだか……レインなら言いそうだな……と思ってしまったツバキだが、それはそれとして。一週間も経つと男性の裸に耐性がついてきたらしく、今回は赤面することなく舞を鑑賞する。
舞が終わると、守人の老人が前に出た。
「
と呼ぶと、波模様の入ったトーチを持っていた首長が老人の前に立ってトーチを返納し、他の首長もそれに続いていく。
首長たちも老人も片手で軽々授受しているが、トーチの重さは十五キロもあるらしい。まさかあの老人の筋肉はこのためなのか、と余計なことを考えたのはトキツである。
「
最後に呼ばれた首長のトーチには火がついていなかった。従者が言っていた部族のようだ。唯一火が消え、疫病の発生地となったことに引け目を感じているのか、表情が暗い。
それぞれの部族の文様が刻まれた九つのトーチが螺旋状の台に立てかけられた。一つを除き、四年間風雨に耐えた八つの火は、まだ己を誇るように赤々と揺れている。
老人が一礼して下がり、代わりに現れたのはまだ十代後半の若い守人だった。サイロスでは珍しく露出がない薄灰色の地味な装束に身を包み、長髪のせいか女性にも男性にも見える。
参列者に背を向け、トーチと台に向かって恭しく頭を下げる。参列者全員もそれに習った。
ツバキも例外なく頭を下げたので見えないが、若い守人は女神の恩恵へ感謝の意を込め、トーチへ向けてと、さらに両手を天に掲げてから二回、深く礼をした。
「火返したてまつる」
涼やかな声を合図に参列者が顔を上げるのを待って、守人は同じ装束を着た中年女性から一枚の布を受け取った。二十センチ四方の硬そうな布だ。ロナロ村でリタが腰に下げていた袋に似ている。
その布をトーチへひらりと落とした。
燃えると思われた布は煙が出ることもなく、反対に火を包みこんだ。圧縮されたように小さくなり、最後には黒い種のような形になってトーチの中へ落ちる。
それを七回繰り返すと、守人は長い箸で器用に拾い上げ、土が敷き詰められた木箱へ置いた。
木箱を他の者へ渡してから、守人はくるりと参列者の方へ向き、部族一人一人と目を合わせる。
「今より新たな恵みを授ける。火の庇護に喜び、大地を守り、風に従い、海と共に生きることを誓いなさい」
守人がそう告げた瞬間、広場全体の空気がピリッと張り詰めた。
隣に並んでいた兄が剣の柄をグッと握り、ツバキの緊張も高まる。
先ほど老人と話していた方向から、4人の男女に付き添われたサイロスゾウが現れた。
背にいかにも大切な物が収められていそうな宝箱を乗せている。
若い守人の前に到着すると、ゾウに付き添っていた男性が蓋を開けてトーチを取り出していく。
綺麗に磨かれたトーチは古い物と同じように、部族ごとに文様が違った。
波、川、山、木、花、鳥、貝、矛、銛。それぞれの部族の首長がぞれぞれのトーチの前に立ち、筆頭首長であるアウロから一人ずつ順に台へ昇っていく……はずだったが、先に動いた者がいた。
カリグラと呼ばれた男だ。トーチを手にし、あろうことか中身を地面へばらまく。布の切れ端、木くず、とろみのある液体の他、黒と白のまだら模様の塊がゴロゴロと転がる。あの塊が女神の火と呼ばれる物のようだ。
「何をしている!」
ばらまかれた塊を拾い上げようとしたカリグラを、周囲の首長たちが取り押さえた。
カリグラは獣のように叫びながらがむしゃらに抵抗する。
ツバキは男の異常な姿に怯んだ。
「どうしたの……?」
全身で抗う男の力は凄まじく、五人がかりで拘束していたにも関わらず、一気に投げ飛ばした。
拘束する者がいなくなると、カリグラはまた脇目も振らず女神の火へ飛びかかる。
ライオネルが剣を抜いて駆け出すが、彼からトーチがある場所までは距離があった。どれほど急いでも間に合わない。
カリグラの手が女神の火に触れる……寸前、吹き飛ばされた。宙を舞い、兵士たちの目の前に落ちる。
ライオネルが驚いて立ち止まった。
「お前は……」
カリグラを吹き飛ばしたのはカオウだった。正確には蹴り飛ばしたのだが。儀式の最初から姿を消して近くにいたのだ。
カオウはライオネルを冷めた目でちらと見る。
「まだ油断しない方がいいぜ」
言われてライオネルは視線を動かした。
兵士たちに上から押さえつけられもがいていたカリグラは、しばらくするとぐったりと動かなくなる。
ところがほっとする間もなく、近くにいたジャガーの魔物が隣の兵士の喉に噛みついた。
血飛沫を上げて兵士が倒れる。
魔物はさらに他の兵士へ襲いかかろうとした。
狙われた兵士は剣を抜き、腹を突き刺す。
あっさり息絶える魔物。
しかし今度は魔物を刺した兵士が豹変、仲間の腕を切り落とした。
目の前の惨状が理解できず震えるツバキのもとへ、トキツとギジー、護衛の二人が来て守りを固める。
「何が起こっているの。まるで狂気が移動しているような……」
「俺も、何がなんだか」
<妖魔に体が乗っ取られてるんだ>
トキツの返答に被せて思念が聞こえ、はっとしたツバキはカオウの方を見た。
<妖魔の仕業?>
頷くカオウ。
真剣な顔に焦りが混じっている。
(カオウが焦るなんて……)
うわあ、という叫び声と剣を交える音が増えた。
また一つ、また一つと狂気が伝染したように仲間を襲う兵士や魔物の数が増えていく。
正気を保ったままの者は防戦一方。知己の者や授印を攻撃できないようだ。どうにかして正気に戻そうと、防御しながら懸命に呼びかけている。
「ツバキちゃん、早く安全なところへ!」
兵士の剣を防いだトキツが叫んだ。
いつの間にか、狂気がツバキの近くまで迫っていた。
グルル……と唸り声が間近で聞こえる。
「ギ……ギジー」
ギジーの真ん丸だった目は赤く釣り上がり、可愛らしかった顔は獰猛に牙をむいていた。
逃げる間もなく、長く鋭い爪がツバキに向かって振り下ろされた。
金色の空は月を抱く 永堀詩歩 @nghrsh
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