最終話

 届くはずのない言葉を、私は何度も口にした。

 

 彼は私の涙を見ても何も言わず、何も聞かなかった。そして私が落ち着くのを待ってから、静かに口を開いた。


「僕、地球、という星、から、来た」


 彼は少し悩んでから北西の空を指差した後、その指をゆっくり動かして地面に置いた。


「地球、似てる。こ、こは」


 地球。それが彼の星の名前。彼は今度は指を自分に向けた。


「シハラ、シハラヨウスケ」


 シハラヨウスケ。それが彼の名前。私はつられるように、自分を指差して言った。


「……サフィニア」


 シハラヨウスケは、サフィニアと一度呼んでからもう一度、サフィニアと口にした。そして嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔に含まれた温かさが、私の心を溶かしていく。

 忘れかけていた、人の温かさを思い出す。


「シハラは、自分の星が好き?」


私が尋ねてきたのが意外だったのか、シハラは眼を大きく見開いたあと嬉しそうに笑ってから答えた。


「好き。でも、今は難しい場所、なってる」


「難しい?」


「人が、減って、争い、多くなっ、たから」


 聞けなければよかったと後悔した。

 コップの黒い液体の水面に自分の顔が映っている。私の顔はこんなだっただろうか。

 結局どこも同じなのだ。一緒にいたい人ともいられない残酷な世界。そこでふと、彼の言葉の端々を思い出した。

 

 彼は、好きだと言っていた。


「……それでも、好きなの?」


「そ、れでも、好き」

 

シハラはそっと息をするように言った。そして続ける。


「辛いこ、とも、酷いことも、たくさん、あった。でも好き」


「どうして?」


「……大切な、もの、がある、僕の星、だから」


 私はいつかケイトと話したことを思い出していた。

 

 そんな世界をなんていうんだっけ。

 

 涙がまた、一筋流れる。

 私はこの世界が好きだった。それが私の信じたことだった。私が愛した世界にどれだけ絶望があったとしても、愛したものはその同じ世界にあったのだ。


 私は、彼に伝えなければならない。

 そう思ったとき、ケイトの声が耳打ちするように聞こえてきた。

 

 そうだね。それがいいね。


 私はシハラと初めて眼を合わせて微笑む。彼もまた微笑んでくれた。


「……ようこそ」


 私は彼に伝える。大切なものがあるこの世界の名前を。

 遠い星の地球からきた、私達ではないもう一人の人間へ。




「ようこそ、私たちのーー」

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ようこそ、私たちの楽園へ 名月 遙 @tsukiharu

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