第2話 ほうれんそう<報・連・相>

 

 膝の上のみーちゃんは無心に毛を舐めている。かわいい。



 「……まるで」

 微かに息を呑みながら栗戸さんは呟いた。

 「何もかも吸い込まれそうな黒ですね……。」

 私はみーちゃんの背を撫でた。撫でた毛が硬質の照りを帯び、ぱちぱちと小さな音を立てた。かわいい。

 「吸い込むだけでなく、何もかも弾き返しもします。」

 人差し指をみーちゃんの鼻先に持ってゆくと、ふんふんと匂いをかいでいる。ひげが、にゅーっと前に寄って行く。かわいい。

 「派遣先で厄介な事が起こっていて、このままでは業務に差しさわりが出て…と言いますか、もう実害が出てきております。」

 「ですから、それが……私のとどう関係するんです?」

 「実害の原因がちょっと厄介で。」




 派遣先は「コガワ」という革製品のメーカーだ。鞄や財布、キーホルダーのような小さな雑貨も扱っている。

 もう70をとうに越したであろう女社長。専務や部長といった役付きは社長の親族で固められた、典型的な同族会社だ。

 顔合わせでの社長の第一印象は「相手しにくそうなひと」だった。

 いかにも気がきつそうで、しかも感情で発言し、その為今言った事の真逆を五分後に喚きたてそうだなと思ったが、その印象は正しく大当たりだった。

 でも別に構わなかった。

 契約などいつ切られるか分からない派遣の身だし、下っ端の私に、社長とそれほど接点があるとも思われなかった。

 それより、現場に漂う革製品の加工に使う接着剤のシンナーっぽい匂いの方がよほど気になったが、幸い事務室は階が違うので助かった。

 小さな会社なので、二人いた事務員は大体のことを一通りやらせられているようだが、私は主に経理や総務を手伝うことになっているようだった。

 事務室の奥が社長室で、社長室に行くには必ず事務室を通らねばならない。

 入口すぐ左のドアは社員の休憩室やロッカーや、応接室に通じている。応接室は商品の展示室も兼ねていて、鞄や細々した革製品が綺麗に展示されていた。

 

 勤務初日、社長室のドアがいつの間にか少し開いているのに気付いた。その隙間から、白い手がふわふわと手招きしている。

 あまりに典型的、ベタすぎてかえって驚いた。

 そして、しまったと思った。

 私は気付かれてしまっていたようだ。


 仕事内容に関しては、それほど難しくない伝票整理や締め支払いの検算で、淡々とこなせるものだった。

 最初の問題は、来客にお茶出しを頼まれた時だった。

 それほど広くない給湯室で茶碗を揃え、振り返ったとき。

 水屋の上のから茶碗が、私に向かって落ちてきた。

 はっきり見た。まるで定規で線を引いたように斜めに直線を描き、とっさに身を引いた私の足元に叩きつけられて茶碗は割れた。


 ……まずいな。


 茶碗は私が割ったことになる。それ以外言いようがない。

 次の日、シュレッダーが逆回転を始め細々した紙が辺り一面散らばった。

 誰も使っていなかったのだが、シュレッダーは私の真後ろにあり、紙吹雪をもろに背中から浴びせられる格好になった。

 「……どうしたんだろうねー?」

 事務員さん2人が口々にすごいなーとか故障?とか言い合いながら、私の背中に引っ付いている紙片を叩き落としてくれたり、片付け始めたり、私もそれに加わった。

 しかしシュレッダーには異常が見られず、正常に作動することが確認され、結局原因不明ながらなにかの誤作動?で収まった。

 紙吹雪に驚いて振り返ったとき、シュレッダーを拳でドンドン叩く白い手を見たのは私だけのようだった。


 そして本日。神棚が叩き落された。これはまずいと思った。

 ごっ!がしゃん!と音が響き渡ったとき、冷たい震えで頭の毛が逆立った。

 「おかしなことが続くね…。」

 神棚が落ちるというなんだか不吉な出来事に、事務所に微妙な空気が流れ始めていた。

 私は、終業早々に会社を飛び出した。冷たい空気が纏わりついて、冷えて仕方なかった。

 



 「とりあえず現状こんな感じですが、これからエスカレートしていかないまでも、細かいものでも隠されたり壊されたりが続くのは困りますから…。元凶をどうにかするしかないかと。」

 「ご自分にこんな子がいるのなら、私のを持っていく必要はないですよね?」

 「この子がいれば確かに私は大丈夫ですが…あちらの動きを封じ込めることはできないので――正直、栗戸さんは乗っかられていることに気付かれてないか、気付いてても取れて助かったと思われる可能性が高いと考えてました。」

 「私が取ってもらって助かったと言うと思った割りには、こんなところにを作って席を用意している。私が追ってくることも考えていらしたんですね。」

 「そりゃ、説明を求めてくる場合や取返しに来る可能性も0ではないですから。」

 「正直申し上げて――複雑です。ある意味、取って貰いたいではあるのです。持って行かれてもいいと思う反面、その結果どうなるか…先が読めない。どうなるか分からないので、気軽にお渡しできないのです。それにお貸しすると言っても…使い方がお分かりになるのですか?」

 「あ――…使い方ですか…。正式なやり方があるのですか?」

 「まあ一応、術式があります。」

 「やはり、一筋縄ではいかないものなのですね。」

 栗戸さんテーブルに肘をつくと胸の前で指を組んだ。微かに眉間を皺を寄せて考えている。

 「分かりました。ご一緒しましょう。」

 その言葉を聞いて、私の膝の上のみーちゃんがうなにゅん、と鳴いた。うなにゅん…やっぱりかわいい。すごくかわいい。

 「助かります。よろしくお願いします。」

 私はテーブルに手を付き頭を下げた。そのまま立ち上がる。

 みーちゃんは私の腹にと消えた。いきなり周りの音量が一段階上がる。

 

 私たちの周りの膜が破れたのだ。

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