雪に一輪の花を添えて

六葉九日

花弁の想い・愛するあなたへ

 サク、サク……、真っ白に染まった世界で一つの足音だけが寂しく続いている。

 その音の主は顔で認識できる軽装の、一人の女だ。

 何も無いのに彼女は一体何故ここにいるのだろうか?


 ピンと伸ばす背筋、軽くて乱れない足音……、雪の中にいるのに彼女の落ち着いた雰囲気はどこかが異様だと感じられる。

 やがて一株のイトスギの前に彼女は足を止めた。

 孤独に屹立するイトスギは雪白の服を纏いそれに緑を隠されている。


 ふふ、と女は軽く笑う。

「私に会いたくなったかしら?」


 そう言うと表情が優しくなった彼女はコートの下から木製の箱を取り出し、蓋を指で撫でる。


「あなたに、プレゼントがあるわ……、ふふ、あなたのために取ってきたの」


 女は腰を下ろしてイトスギのそばに箱を置いて蓋を開ける。

 すると七個のピンポン玉――否、が狭く長方形の箱の中で並んでいる。


「あなたの仇を討ってきたの。褒めてくださるかしら」


 女は妖艶な笑みを浮かべた。

 彼女は繊細な指で一個を摘んで、深紅の液体を舌で味わう。


「あいつらもあなたと同じ痛みと苦しみを体験してもらったわ……」


 当然のことよ、と囁いた彼女は、口の中で広がる塩っぱさに記憶を刺激される。




 朝の暖かい色を持つ日差しが窓から射し込む。ゆらゆらと揺れるカーテンが彼の髪を撫ぜる。

 椅子に座り込んだ男がいる。愛するあの人だ。

 床に空になった薬缶が倒れている。彼に近寄るとカランとそれを蹴ってしまう。


 ――風邪引くわよ。

 そう言うと笑いながら彼を起こそうと肩を揺らす。

 だが彼は起きない。名前を何度も何度も呼んでも目が覚めない――。


 ――あいつらのせいだ……。

 イトスギを眺めながら彼女は思った。自分が彼を失ったのは“彼ら”がいるからだと。


 彼女はロープを解きながら言う。

 ――あいつらにあなたと同じ……ううん、あなた以上の苦しみを味わわせてあげるわ。


 彼をベッドに寝かせると彼女は押し入れを開けて、連絡用の手帳を取り出す。




「もう、足速すぎませんか?」


 大雪の中で二人がいる。重いコートのフードを引っ張って強風に逆らいながら進んでいる。そのためどちらも顔が見えないが、話したのは女性だと声と体型で窺える。


「ええ、そうですね……、すみません、せっかく手伝っていただいてるのに」


 後者は身長的にも声的にも男性のものだ。若々しく感じさせる声は女性と同じく、二十代から三十代のものだろう。


「いえいえ、あなた達と私達の目的は一致してます。最後までご協力しますよ」

「ありがたいです。……にしても」


 男は足を止めて顔を前方に向ける。まるで果てが見えないように激しく打ってくる雪だけが視界を遮る。その雪が目に入らないように彼はすぐにフードを掴む姿勢に戻って、話を続ける。


「どうしたらこれを乗り越えれたのでしょうね……彼女は」

「そういうのは理屈で通じませんよ。彼女を理解することは私達にはできません……必要もありません」


 そう言うと女性は前へ歩き始めて、男性も彼女の隣に並べるように彼女を倣った。それを予測したように彼女は彼が自分を追い付けると続ける。


「彼女が七人も殺した事実だけを知ってればいい。それこそ私達の仕事ですよ」

「……そうですね」

「しかし本当に速いですね……」

「急ぎましょう」




 女は木箱から目玉を取り雪の上に並び始める。

 イトスギの葉から零れ落ちる水滴が彼女の髪を濡らす。


「覚えてるかしら。私達が出会った日のこと。そう、あなただけ私を真っ直ぐに見てくれたわ……、私、嬉しくて嬉しくて、いつからあなたのことしか考えられなくなったのよ。ふふ……、今まで言わなかったけど喜んでくれるのね」


 そう言った彼女は頬を朱に染まった。

 五つ目の目玉を指で挟むが、彼女は止まった。

 彼女の顔から笑顔が消え血色を失い青くなってゆき、身体が微かに震えている。


「こっ、これは……、あの女ッ! 許さない、絶対に許さないッ! ……私からあなたを奪おうとしたあの女ッ!」


 女はそれを鷲掴みにして指に力を入れて、潰そうとするが――。




「手を挙げなさい」


 一対の男女は拳銃を彼女に構えて近付いてくる。女は驚いた様子もなくただ顔を上げて二人を見返すだけだった。


「聞こえないのか? 今持ってるものを置いて手を挙げろ」

「……なぜ?」

「お前を逮捕する」

「……なぜ?」

 鸚鵡のように繰り返した女。


「お前は七人も殺したから」

「私は間違っていないのよ? あいつらが彼を追い込んだから……」

「違う。彼を追い込んだのはお前だ」

「ふふ……、人はすぐにそんな嘘をつくの……」

「おい!」


 女は目玉を握ったまま、空いている手でコートの中に伸ばす。男性は制止するように声を上げて引き金に指をかける。

 そして彼女の手に一つ、光るものがある――


「ナイフですッ!」と女性はパートナーに向けて叫んだ。

「やめなさい!」


 だが女に彼らの声は届かない。

 イトスギを見上げて彼女はぽつりと言う。


「愛してるわ……」


 そう言うと刃物の刃先を自分の喉に向けて、誰かも反応できる前に一線を描いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雪に一輪の花を添えて 六葉九日 @huuhubuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ